◆◆ 第6篇 空音・桜咲くにはまだ早く ◆◆

Chapter7.塚原 勇兵



「はー……結局、今年も女マネは無理なのかー」
 部活紹介後、入部希望者は、例年より多く10人近く来たが、遂にマネージャー志望の女子は現れなかった。
 日和子も、女バレの入部希望に顔を出すこともなく、こちらにもあれ以来顔を出さなかった。
 嘆くように呟く先輩を見て、勇兵はハハッと笑った。
 マネージャーはいれば助かるけれど、いないからと言ってさほど困ることがあるわけでもない。
 これまでも普通にやってきているのだから、そこまで嘆く必要もないのだ。
 あるとすれば、モチベーションとか部内の潤いとか、そういうのに関わる面だけ。
「ま、いいじゃないすか。たいしたことじゃないすよ」
「……思い出のひとつとしてなー、運動部のマネージャーってのはいてほしかったんだよ。そういう願望だ」
 諦めたように先輩はそう言い、ふーとため息を漏らす。
「なんすか、先輩。高総体予選で終わる気満々すか?」
「……バッキャロ! やるからには目標は高くに決まってるだろうが!」
「そうそう。その意気っすよ♪ 8月まで、この部にいてください」
 勇兵はニシシシと笑い、ゆっくりとストレッチを始めた。
 部活が終わって、帰る準備を始めている部員が多い中、勇兵とその先輩・古堀大樹(こほりだいき)と光に守、そして、勇兵と同じくリベロプレーヤーの先輩・糸峰拓(いとみねたく)だけが、自主練を続けていた。
 勇兵は大樹とは仲が良いため、事あるごとによくつるんでいる。
 勇兵のボケに思い切り蹴りを入れてくれる、突っ込み根性の利いた良い先輩であり、チームの要だ。
 因みに、新人戦の時、勇兵の怪我を監督に申告したのも、この人。
 光と守は、会話を交わしながら、トス練習中。
 1人、黙々とイメージトレーニングで体を動かしている糸峰拓に、勇兵は視線を動かす。
 糸峰拓は、体格にもジャンプ力にも恵まれないプレーヤーだった。
 けれど、彼の運動量の豊富さと、あらゆる局面を想定してのイメージトレーニングの方法。
 彼からは盗むべきものが多くて、勇兵は彼の動きを見ながら、今はどんな状況を考えて動いているのかを想像しながら見てしまうことが多い。
 そのせいか、裏では自分のことを相当嫌っているらしいということも、なんとなく気が付いてはいる。
 仕方ないことだとも思う。
 元々、入部した時、自分はスパイカー志望だったから。
 突然の方向転換に、部内の誰もが不思議そうな顔をしたのをよく覚えている。
 理由は簡単だった。
 2年には、守備を得意とする者がいない。
 そして、上の学年には守備面に特化した糸峰拓がいた。
 だから、勇兵の心はすぐに決まったのだ。
 下の学年に守備の上手い者が入ってくることを期待するよりも前に、自分がその技術を吸収してしまえばいいと。
 自分たちの学年に代が回ってきた時、バランスの悪さに四苦八苦しないように。
 確実に把握できている穴だけは埋めておきたかった。
 糸峰拓にとっては、具合の悪い話だろう。
 スパイカーの能力を十分に備えた男が、急に自分と同じ役を欲しいと言い出した。
 しかも、自分のプレイを綺麗にコピーしたような動きを見せつつも、背の大きさの分だけ、守備範囲が広い勇兵。
 去年の新人戦で、勇兵をメインでローテーションに組み込む、という話になった時の、彼の愕然とした表情は今でもよく覚えている。
 修吾は頑張ったんだねと誉めてくれた。
 自分もよく頑張ったと、自負している。
 それでも、自分勝手な理由で、リベロ:糸峰拓の居場所を壊しかけてしまった事実だけは、罪悪感として、心にあった。
 結局、勇兵は怪我で試合に出ることも出来ず、悔しい思いをしたのはこちらだったわけだけれど、本当に、勝手な話だ。
 自分の代が回ってくるその時までに、このチームを一定の水準まで持っていくためだけに、勇兵はその道を選んだのだから。
 ……そう。だから、糸峰拓に嫌われていても、仕方ない。
 勇兵は、そう思うようにしていた。
 幸い、新入部員には守備の上手な者が2人ほどいた。
 彼らに自分が盗んだスキルを引き継ぐことが出来れば、勇兵が考えていた理想のチームが出来上がる。
 勇兵には全くと言ってそんな自覚はないのだが、要するに、勇兵にとって、現3年生は踏み台なのだ。
 そして、それを肌で感じ取っている糸峰拓だけが勇兵に対して、良い顔をしないのも……当然といえば、当然なのだ。
「初日に来た、ちっちゃい子は……脈無しだったのかなぁ? お前、居残りで話したろ? どうだったんだよ?」
「俺は結構好みだったんすけどねー」
 勇兵はポツリとそんな言葉を返した。
 勇兵の上げたボールを真っ直ぐ見つめて、すぐにボールの下へと入り込んだフットワークの軽さと、体の軸がブレない安定した体幹。
 トスを上げる際の手首と手の動きの柔らかさ。
 それら全て、彼女がコンプレックスを抱える理由など理解できないほどに、素晴らしいものだった。
 あの良さに気が付かずに、背が低いというだけの理由で、ベンチウォーマーにしていた指導者がいるのであれば、是非会ってみたい。
 とはいえ、こんな田舎の中学の教員では、本当に只の素人がやっていることも少なくないから、仕方のないことではあるのかもしれないけれど。
「え、お前、ああいう子が好みなのか?! お、お前の好みなんて聞くの、初めてだぞ?」
「へ? ああ、いいっすよねぇ。素晴らしい足と腰、それに手です」
「……お前、女の子のどこを見てんだよ……」
「は?」
「へぇぇ……お前、ああいうのが……。そうかそうか。じゃ、尚のこと、残念じゃないか。なんで、お前、残念がってないんだよ」
「マネより、プレイしてるところが見たいなーなんて……思ってるんで」
「加えて、ユニフォームフェチかよ……」
 大樹が小声で呟いている言葉を聞き取れず、勇兵は小首を傾げて、大樹を見つめた。
 大樹は片手でバレーボールを持って立ち上がると、ポンポンと勇兵の肩を叩いた。
「さて、練習始めるか。トス上げ、よろしく」
「了解です、エース♪」
 勇兵は白い歯を見せてニッカシと笑い返す。
 大樹はそんな勇兵を優しい目で見つめて、静かに言った。
「……お前も、早くアタッカーに戻って来い」
と。



 また別の日、部活中に外の洗い場へ顔を洗いに行くと、清香がやかんに水を汲んでいるところだった。
 勇兵は元気な声で話し掛ける。
「お疲れ!」
「ぇ? あ、勇くんか。お疲れ様」
 清香はおっとりと小首を傾げて笑うと、きゅっと蛇口を締めた。
 彼女は少し考えるように勇兵の顔をジッと見てきた。
 それを不思議に思いながらも、ひとまず勇兵は蛇口を捻って、顔を洗った。
 洗った後でタオルを持ってくるのを忘れたことに気が付いて、仕方なく、ブルブルッと頭を振る。
 清香が勇兵のその動きを見て、おかしそうに笑う。
「? 何?」
「ううん。犬みたいって……くーちゃんがよく言うから、つい……」
 なぜだろう。
 この子にそう言われると、異様に変な意味に聞こえる気がしてしまうのは、自分が疲れているからだろうか。
 清香は肩に掛けていたタオルを取って、勇兵の顔を拭こうとしてきたが、すぐに思い直したように、勇兵の手にタオルを預けてくる。
「使っていいよ? 春先は、ほとんど使ってないから。あ、でも、毎日取り替えてるからね?」
「わかってるよ。サンキュ。明日返す」
「え? いいよ、全然。そのままで」
「そう?」
「ええ」
 清香が頷くのを見てから、ゴシゴシと顔を拭いた。
 その様子を少しの間見上げていたようだったが、澄んだ声で話し始めた。
「ところで、勇くん。女子マネージャー、欲しい?」
「ん? 俺? 俺は、どっちでもいいかなぁ……。渡井みたいなマネージャーだったら、欲しい気もするけど」
「ふふ。運動部っぽくない感じの子がいいんだ?」
「うん。マスコットみたいな、癒し……って感じ? バ○ちゃんみたいな」
「へぇ……。あのね? 一昨日、勇くんの妹さんとそのお友達と少し話したんだけど、そのお友達、一度、男バレのマネージャー見学に行ったっていう話をしていたの。勇くんだったら、的は外さないんじゃないかと思っていたんだけど、その子、しっくり来なかったから他の部を見学しているって言っていて……私、少し気になったんだ。くーちゃんは、また勇くんが何かしたんじゃない? って言っていたけど」
 マネージャー見学にわざわざ来てくれた女子なんて1人しかいない。
 まさか、歌枝の友達だったとは、思いもしていなかった。
「コケッコー?」
「え?」
「ぁ、いや、丹羽ちゃん? 丹羽、日和子ちゃん?」
「うん、そうそう。その子。背のちっちゃい子で、前髪がパッツンで。眼差しが凛々しくて、頭の良さそうな子」
 頭の良さそう……とまでは勇兵は思いもしなかったけれど、勇兵の記憶の中の丹羽日和子と、清香の言う子のパーツが一致した。
 勇兵は清香にタオルを返しながら、真面目な顔で彼女を見つめた。
 清香がやや気圧されるように目を細める。
「しっくり来ないって言ってた?」
「ええ」
「……当然だと思う」
「え?」
「あの子は、女バレに入るべき子だから」
「女バレの、マネージャー?」
 清香の言葉を受けて、勇兵はクッと笑う。
「人のイメージってのは、怖いよなぁ」
「え?」
「スポーツは、身長でするものじゃないよ」
 そう。
 勿論、ベースとして必要とされるものではあるけれど、最終的に学生スポーツで必要とされるのは、諦めない心。
 技術が同レベルである場合、試合を決するのは、気持ちの強さであることが多い。
「好きなことをやるのが一番だと思うんだ。だから、あの子はこっちに来るべき子じゃないと思う」
「彼女……プレーヤーなの?」
「うん。すげー良いものを持ってるんだ! けど、今まで認められたことがないんだろうね。心が、折れちまってるみたいだった」
「…………」
「女バレを勧めたら、それ以来来なくなっちまった」
「勇くんは……気持ちが強いからなぁ……」
 勇兵の言葉に、清香は目を伏せ、腰の前で手を組んで、心許なさそうに動かした。
「……心が折れている子に、勇くんの強さは、辛かったかもね……」
 清香は少々言いにくそうだったが、勇兵よりも日和子を気遣うようにそう言った。
 勇兵はその言葉に目を細める。
「……そう、だよな……。うん。俺も、言った後、少し反省した」
「…………」
「心が折れてるってことに、気付くべきだった」
「しょうがないよ」
「ああ、わかってる」
「……今日は、くーちゃんの勧めで、文芸部に行ってるみたい」
「へ?」
「昨日は、うちのマネージャー。でも、しっくり来てなさそうだった。当然かもね」
 清香は優しく笑い、やかんを持ち上げる。
 そして、少しフラフラしながらも、静かに言った。
「勇くん。気になるなら、行ってみたら?」



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