◆◆ 第7篇 夜色・空気のように溶ける笑顔 ◆◆

Chapter2.車道 舞



「めんどくさいから、付き合ってるって言っといた」
 居間で清香と明日のテストの勉強をしていたら、ちょうど外から帰ってきた楽が、そんなことを言った。
 舞は動揺しながらも、何食わぬ顔で尋ねる。
「は? 誰と誰が?」
 清香と一瞬目が合った。
 そりゃ……このシチュエーションでそんな話を振られたら、動揺もする。
 いやいや、まさか、この鈍感な弟がそんなことに気が付いている訳もない。
 そう心の中で呟いて、自分を落ち着かせる。
「……二ノ宮先輩と、舞」
 学校では『姉貴』と呼ぶが、家ではこの通り、呼び捨て。
 敬意もへったくれもありゃしない。
「ああ、そう」
 その回答に、緊張が解けて、舞は適当に相槌を打った。
 楽が舞のその様子に目を細め、少し考えてから、またボソリと言った。
「これから、聞かれたらそう答えるけど、いいの?」
「ううん。勘弁して」
「…………」
「絶対ありえないんだわ、アイツとは」
「……そう。じゃ、勇兵と付き合ってることにしとく」
「ちょっと! なんで、付き合ってる、じゃないといけないの? フリーだって言っときゃいいじゃん」
「……だから、聞かれるのがメンドーだって……。? 遠野先輩、どうしました?」
「え?」
 楽が清香に視線を向けたので、舞も同じようにそちらを見た。
 突然、楽から話を振られて、清香が驚いたように二人の顔を見比べる。
 舞は清香の微妙な笑顔に、口元がひくついた。
 怒ってる。
 うん、絶対、怒ってる。
「が、ガク、とにかくさぁ、テキトーに誤魔化してよ、そこは」
「……誤魔化すと何回も聞かれるからメンドーだって言ってるんだけど……。ねぇ、なんで、アンタ、そんなに不必要にモテるの?」
 とんでもない問いをしみじみと口にする楽がおかしかったのか、そこで清香がクスクスと笑った。
「しかも、男子だけならいいんだけど、時々、女子にも聞かれる。めんどくさい」
「なんで、って言われたって、あたしは知らん。それと、女子に関しては、アンタと話すきっかけにされてるだけじゃん?」
「おれ?」
「そう」
「なんで、おれ?」
「……姉弟だなぁ……」
 不思議そうな楽。
 傍でやり取りを見ていた清香が、おかしそうに笑った。
「……じゃあさぁ、ガク」
「なに?」
「野郎に興味ないみたいだよって言っといてよ」
「…………」
「ね?」
「そっか。その手があったか」
 舞の言葉を受けて、納得するように楽は手を打ち鳴らした。
 まさに名案。
 とにかく、何度も聞かれない口実を作りたかった楽にとっては、理想的な回答だったらしい。
 舞と同じ顔が無愛想な表情で、そんなお茶目な素振りをしたことがおかしかったのか、清香がまた笑う。
 舞は見慣れているからなんでもないのだが、家族以外にとっては新鮮らしい。
「……んじゃ、遠野先輩、ごゆっくり」
「はぁい」
 ペコリと頭を下げて、自分の部屋に戻っていく楽に、清香は小首を傾げて軽く手を振った。
 その様子を見て、楽がやんわりと目を細め、すぐに目を逸らした。
 こういうところが、小悪魔なんだよなぁ……きっと。とか心の中で呟きつつ、静かに清香に尋ねた。
「怒ってる?」
「どうして、不必要にモテるの?」
「……知るか」
 無駄に可愛い表情でそう言う清香に、舞は呆れて目を細める。
 からかう気満々だったらしい清香は、舞の反応がつれなくてつまらなそうに唇を尖らせた。
「大変だよねぇ。楽くんも」
「……? 何が?」
「だって、他所様から見たら、完全無欠、弱点ナシのスーパー女子がお姉ちゃんな訳でしょう?」
「……それは、あたしのことを言ってる?」
「え? 他にいる?」
「あたし、そういう風に言われるの嫌いだし、意識もしたことないから」
 完全なものなんてないことも、弱点のない人がいるわけないことも、舞は知っているわけで、等身大の自分とは全く違う評価を、傍にいる彼女の口から聞くことになったのが、悲しかった。
 彼女の言うとおり、楽と一緒で、無自覚過ぎるのだろう。
 彼女が自分の身を守るように、周囲の目をひたすら意識するようなタイプだから、余計にそう見えることも分かる。
「もちろん」
「ん?」
「完全でもなくて、弱点だらけな女の子であることを、私は知っているのだけど」
「…………」
「周囲の目は、そうは見てくれないんだよね。うん、でも、くーちゃんはそのままでいればいいんだと思う」
「清香?」
「……昔は」
「え?」
「私も、そう思ってたんだよ。完全で、弱点がなくて、その上掴みどころがないって。私とは正反対で、ちょっとじぇらしー、みたいなところも、あったかな……」
「へぇ……」
「嫌じゃない?」
「何が?」
「私、くーちゃんに好かれてる間、そんなこと考えてたんだよ?」
「うーん……」
 清香が心配げにこちらを見据えている。
 と言われても、今更な話だし、それを聞いたところで、陰険な女だなぁ……と思えるほど、舞の頭は単純に出来ていない。
 少しだけ考えたが、考えるだけ無駄だと判断して、あっけらかんと言った。
「別に」
 舞の言葉に、清香が静かに微笑む。
 横髪を留めていた赤い髪留めを直し、ほんのり顔を赤らめる清香。
「柚子ちゃんと最近よく話すの」
「え? 柚子と?」
「ええ。彼女、最近、ずっとグラウンドの風景を描いてるから」
「へぇ……」
「それでね? この前、こんなこと話したんだ」
 絵を描いている時、ほとんどのものをシャットアウトする向きのある柚子が、放課後、清香と話している。
 そう聞いて、柚子の世界も少しずつ広がってきたのだ。
 そんなことを実感し、それだけで嬉しくなる。
 絵を描いている時に触れられるのは、自分だけだったから、余計に。
「”舞ちゃんは、わたしのことを寛大で平等ですごいって言うけど、本当は、舞ちゃんのほうが寛大で、公平で、いつでも自然体で……。寛大であることが、当然な人って、そうそういないと思うんだよね。舞ちゃんの魅力はそこにあるんじゃないかなぁって思うんだ”って」
「ん? それ、柚子が?」
「ええ。それ聞いて、私もそうだよね〜って言って、二人で盛り上がっちゃった」
「……あたしが、寛大?」
「ふふ」
「あたしのは他人に興味がないって言うのよ」
「……それは違うよ。くーちゃんのは、そういうのじゃない」
「言い切るねぇ」
「だってぇ、私と、クラスの子、二人が困ってたら、くーちゃんは迷わずどっちも助けるでしょう?」
「……なんか、似たような質問、前、柚子からもされた気がするな……。その時は、大切な人が二人とも溺れてるって話だったけど……」
 大切な人、と言われて、パッと浮かんだのが、柚子と清香で、だから迷わずに、『泳げない人を連れて行かない』という、問題の主旨に逆らった答えを返したわけだ。
 二人がすいすい泳げるところなんて、想像も出来ない。
「ふふ。くーちゃんはどっちも助けちゃうの。で、ヒィヒィ言いながらも、結構どうにかなっちゃって、大変だったけどまぁいっかぁってけろっとした感じで笑うの。そういう人」
「……へぇ」
「へぇって。……自覚ないの?」
「うん」
「……もう。しょうがないなぁ、この子は。苦労するよ? そんなんじゃ」
「どうにかならなかった時が怖いなぁ……」
「…………。その時は、私が傍にいてあげるよ」
「…………」
「…………」
「ぇっと、勉強しようか」
「あ、う、うん」
 たぶん、すごい頑張って言ってくれた言葉なのは分かったのだけれど、舞は対応の仕方を知らなかったので、後には恥ずかしそうな表情の清香が残った。
 ……流したつもりはなかったけれど、少し素っ気無かったかな……。
 そんなことを心の中で呟きながら、舞は清香に質問された問題を、丁寧に説明してあげた。



 部屋で腹筋をしていると、ドンドンと部屋の戸がノックされた。
「はい?」
「おれ」
「うん。どうぞ」
 舞はゆっくりと起き上がって、大きく伸びをする。
 スラッと戸が開いて、楽が相変わらずの無愛想な顔で部屋に入ってきた。
 特に何も言わずに、ドカッと胡坐をかいて座る。
「遠野先輩、帰ったの?」
「ああ。ついさっき」
「冷蔵庫にシュークリームがあったけど」
「ああ、言うの忘れてた! 食べていいよ」
「……食べた」
「早っ」
「腹、空いてたから」
「……まぁねぇ。アンタ、最近、無駄にニョキニョキ伸び出したもんね」
「歌枝がうるさくて困る」
「バスケ部?」
「そう」
「あはははは」
 歌枝はよっぽど車道姉弟をバスケ部に入れたいらしい。
「なんで入らないの? って聞かれたから、めんどくさい。それより寝てたいって言ったら、根性なし! って罵られた」
「ふっ……歌枝はなんでもはっきり言うからなぁ……」
「大丈夫?」
「え?」
「おれは、舞にしろ、歌枝にしろ、女は横暴なもんだって割り切ってるから気にしないんだけど」
「あたしもかい」
「……子供の頃の、わんぱく舞の恐ろしさを知ってるのは、きっとおれだけ」
 事あるごとに叩かれた弟の言うことは違う。
「舞は、なんかあっても、相手の言葉で傷ついたってことを言わないから、大丈夫かなと思って」
「歌枝は、あたしにはそこまで言えないから大丈夫よ」
「そう」
「うん」
「ふーん……」
「それ言いに来たの?」
「いや」
「 ? 」
「シュークリームが美味かったって言いに。手作りっぽかったから」
「ああ。清香が作ってきてくれたんだ♪」
 『清香』という単語に、楽はピクッと少しだけ眉を動かす。
「…………。マジで?」
「自慢じゃないけど、あたし、あんなん作れないから」
「ああ、道理で、味が大味じゃないと」
「こらこら」
「ふぅん……。舞好みの作ってきてくれたんだ?」
「え?」
「おれの口に合うんだから、そうだろ?」
「……ああ」
 申し訳ない、清香。
 弟に言われて気が付くとは。
 舞は軽く顎を撫で、ひとつため息を吐いた。
 その様子を、楽が見つめてくる。
 髪を軽くいじりながら、話を逸らす舞。
「中間テストの調子はどう?」
「……どうも何も、たいして進んでないんだから、悪い点数取るほうがレアじゃん?」
「ん、まぁ、そっか」
 科目の多さに少々腰は引けども、1年の1学期なら確かにそういうものか。
「あ、でも……」
「ん?」
「化学の横田。アイツ、言ってること意味わかんない」
「……ああ……。大目に見てやんなよ。もうすぐ定年のおじいちゃん先生でしょ?」
「大目に見るとかのレベルじゃなくて」
「大丈夫。教科書、ちゃんと総ざらえしとけば問題ないから。言ってること意味わかんないけど、教科書以外から問題出さないんだ、あの人」
「そう、なんだ?」
「うん。あたしも意味わかんなくて、本気で焦ったけど、テスト問題見て安心したもん」
「……わかった。じゃ、捨てるのやめるわ」
「捨てる気だったのか」
「だって、意味わかんない授業やるほうが悪いじゃん」
「まぁ、そうだけどね」
 楽はゆっくり立ち上がり、清々したように息を吐き出す。
 化学が相当憂鬱の元になっていたらしい。
「ガク、球技大会、何になったの?」
「バレー」
「へぇ」
「背だけで」
「ああ、なーる。バスケではないんだね」
「……1年男子は基本的にバスケじゃ勝てないって情報。だから、スポーツできるヤツはバスケに振り分けない作戦だって」
「確かに、去年、男子のバスケで、1年残らなかったわ」
「タッパがね」
「タッパっていうか、ガタイでしょ」
 舞の言葉に楽はふーと息を吐き出した。
「……あー、めんどくさ……」
 ボソッと言うと、楽はスタスタと部屋を出て行った。



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