◆◆ 第7篇 夜色・空気のように溶ける笑顔 ◆◆
Chapter3.二ノ宮 修吾
中間テストが終わり、あっという間にクラスは球技大会に向けての活動で賑わい出した。 返ってくる結果などはどうでもよくて、テスト明けにある2日間という僅かばかりの決戦の日に、みんなは目を向ける。 それは昨年も同じだった。 特に、1年の頃は、クラスTシャツを作ったり、チームカラーを決めたり、なんていう勝手が全然分かっていなかったから、今年は余計に力が入っているのだと思う。 「Tシャツ来たぞ〜!」 ダンボール箱を抱えて、教室に駆け込んできたのは勇兵。 イベントごとでは、彼が切り込み隊長のようなものだ。 教壇に上がり、ダンボール箱を教卓の上に置く。 クラスの連中は、自分のTシャツを受け取るために教壇の周りに集まっていく。 それを見つめて、修吾は1人ため息を吐いた。 それを逃さず拾って、前の席の秋行がクルリと振り返った。 「どうしたの? 二ノ宮くん」 「……別に」 「わがっだ。球技大会、乗り気でねんだ」 緊張感のない声でのほ〜んと言われ、修吾は慌てて切り返す。 「南雲くん、声大きいよ」 「はは。誰も聞いでねって」 「……乗り気な訳、ないだろ」 「なして?」 「2日間も時間割いてやるような行事じゃないからだよ。大体、文化祭や体育祭は1日なのに、球技大会は2日とか、そのへんの棲み分けから理解できないよ」 真面目な声でそう言い、再度ため息を吐く修吾。 それを見て、秋行がクスッと笑いをこぼした。 「そうがな?」 「え?」 「ボクは、球技大会、とっでも素敵なイベントだど思うよ」 「……どう、して?」 「顔が」 「え?」 「みんなの表情が、ガラッと変わるんだ」 秋行は無邪気な笑顔でそう言うと、教壇へと視線を移した。 つられて修吾も前を見る。 みんなが生き生きした表情で、Tシャツを受け渡したり、人によっては上から着たり、着替え始めたりする者もいた。 今日まで中間テストだったなんて嘘のように。 ……まだ同じクラスになって、1ヵ月半しか経っていないなんてことが嘘のように。 「まだ馴染みかけのこの時期に、みんなで力を合わせるがら、仲良ぐなるんだよ。昨年、見でで、ボクはそう感じだもん」 秋行はみんなの笑顔を本当に楽しそうに眺めている。 そう言われて、修吾もそう言えばそうか……と気付かされた。 舞があんなに運動が得意だということを知りえたのは、この行事があったからだ。 運動フツー。体動かすの好きじゃない、な修吾にとっては、小・中学校の運動会並に憂鬱なイベント、という印象しかなかったけれど、自分が興味を持たなかっただけで、そういった個々の特徴を把握するには、良いイベントなのかもしれない。 「みんなでやる。それって、とってもすんげぇごどなんだよ、二ノ宮くん」 秋行は本当に澄んだ声でそう言い、こちらに笑いかけてくる。 彼は、どうして、ここまで人とストレートに向き合うことが当然のように振舞えるのだろう。 勇兵も、明るくて、顔が広くて、学年の人気者だけれど、それとは異なる繊細な強さを、秋行からは感じ取ってしまう。 「アキちゃん、修ちゃん! ほい、Tシャツ!!」 突然、勇兵に呼ばれて、修吾は素早く視線を教壇の上に移した。 呼びかけながら放ったのか、勢いよく飛んでくるTシャツ。 コントロールは見事なもので、秋行も修吾も軽く手を挙げただけで受け取ることが出来た。 Tシャツの色は白黒の縞模様。 胸にはちょっとへんてこな虎のマーク。 背中には、『一致団結』の文字が派手に踊っていた。 秋行がクスリと笑う。そして、すぐに明るい声で突っ込んだ。 「誰だよー。このTシャツのデザイン決めだの、阪○ファンの人だべー?」 「アキちゃん、志倉先生が阪○ファンなの、知らないのか?」 「えぇぇぇ? んなんだ? ハハハハ……バカ過ぎるよ、せっかくのクラスTシャツなのにー」 「よかったぁ。南雲、喜んでくれたぜ」 「デザイン、決める時ちょうどいなかったから、心配だったんだよなぁ」 秋行の反応を見て、安心したように顔を見合わせるクラスメイトたち。 その言葉に驚いたように、秋行が不思議そうな声を上げた。 「……え?」 「だって、南雲、今年のクラスTシャツ、楽しみにしてたじゃん?」 それは中間テスト前、学校を休む前にポロッと話していた何気ない会話だったのではないかと思う。 秋行は一瞬呼吸が詰まったように息を止めたが、すぐに口を開いた。 「ハハ……楽しみにはしてたけど、さすがにこれはないなぁ……」 言葉とは裏腹に、彼の表情はとても嬉しそうだった。 ホームルームが終わって、秋行が慌しく教科書を鞄に詰め始めた。 それはいつもの光景。 彼は放課後、遅くまで残るということをしない。 授業の合間の休み時間やお昼休みは、クラスメイトたちと気さくに言葉を交わし合うのに、放課後に関してだけは、そうではなかった。 修吾はペンケースにシャーペンと消しゴムをしまい、机の横に掛けているバッグを机の上に置く。 ……そういえば、テストが終わったら、みんなで寄り道しよう、という話を柚子がしていた気がする。 秋行に声を掛けたら、柚子は喜ぶだろうか。 そう思って、秋行に声を掛けようと顔を上げた。 「あの……」 しかし、その前に勇兵がいつも通りの陽気な調子で、秋行に声を掛けた。 ので、修吾は開きかけた口を閉じる。 「アキちゃん、帰るの? 今日から練習するよ? 校庭の端っこ借りてさ。俺、部活あるからテスト明けの今日しか付き合えないんだよね。よかったら、どうかなー?」 「え……? れ、練習? で、でも、ボク……」 「ちょこっとボール蹴るだけでも駄目?」 「…………」 秋行が困ったように黙り込み、俯く。 いつもの笑顔で断ればいいのに、彼は何か迷っているようだった。 「あ、修ちゃん、帰ろうとすんなよ。修ちゃんも鍛えれば戦力になるんだから」 秋行に向いていた視線が急にこちらに向いて、修吾は困って目を細めた。 勇兵は中間テスト前にした話を覚えていないらしい。 「……練習なんて、昨年はやらなかったよ」 「そぉれぇは、昨年のクラスだったからでしょ。俺の目の黒い内は、そんなことはさせませんよー」 「それで、昨年、本番前に怪我してたんでしょ? 大会あるんだから無理しないほうがいいよ」 「無理? 無理ってなんだよ、無理って。俺にとって、スポーツのイベントっつぅのはさぁ」 「あー、長くなりそうだから、いいよ、勇兵。お前はマゾヒストなんだったよね」 「うひひ、そうそう」 何気ない昨年の会話を修吾が覚えていたことが嬉しかったのか、勇兵はにんまりと笑った。 「よし、修ちゃんゲット〜。アキちゃん。アキちゃんはどうする?」 「……ぼ、ボクは、その……運動は止められでるがら……」 「ちょこっとボール蹴るだけだよ? それでも?」 「う、うん……その……」 「……そっか……」 秋行が何か言いかけたが、勇兵は自分の中で納得してしまったようで、そこで頷いた。 なので、秋行は言いかけていた言葉を飲み込んでしまったように見えた。 「無理強いは出来ないもんね。でも、アキちゃん、やりたかったら、参加してね? クラスの男子、みんな、楽しみにしてっからさ」 「え?」 「3組のスローガンは、クラスTシャツにも書いてっけど、『一致団結』なんだ☆ 下手な人とか、動けない人とか、そういうの関係ないの。みんなでやる! それがスローガンだから。俺が決めて、男子はみんな納得してくれた」 そんな話、僕は聞いていませんけど。と突っ込みたかったけれど、修吾はその言葉を飲み込んだ。 「みんなで楽しくワイワイやろう。楽しく勝つ! これ、サイコー☆」 「う、うん。ほんだね……。楽しそうだね」 秋行が勇兵の言葉に頷くと、勇兵は優しく目を細めて、そんな秋行を見下ろした。 「練習、見るだげでもよがったら、明日がら残るよ。今日は、ちょっと……帰んねばなんねがら」 「うん。気が向いたらでいいからさ」 「うん。塚原くん、ありがとぉ」 「いやいや、そんな。礼を言われることなんて、全然」 「それじゃ、塚原くん、二ノ宮くん、バイバイ」 「あ、ああ。また明日」 「さようなら、南雲くん」 秋行は2人に笑いかけると、鞄を肩に掛け、せこせこと教室を出て行った。 途中、柚子に呼び止められたようだったが、おそらく、先程と同じく今日は用事がある、と断ったのだろう。 2人の仕草からそんなやり取りが感じ取れた。 柚子は残念そうに秋行を見送り、こちらを見た。 修吾は練習に付き合うようなので、ジャージの入った袋を机の上に置き、学ランを脱いだ。 勇兵も着替えるために、自分の席に戻っていく。 ゆっくりと歩いてきて、柚子は様子を窺うようにこちらを見上げてきた。 「ねぇ、二ノ宮くん」 「なに? 渡井」 「今日、その……」 「うん。寄り道の件だよね?」 「うん」 「勇兵がね、完全に忘れてる」 「え?」 「これから、球技大会の練習だって」 「……えぇぇぇ……?」 残念そうな柚子の顔。 確実に約束した訳ではないけれど、彼女が「いこっか」と言って、それに「いいね」と返したら、ほぼ確定された予定となるはずだった。 少なくとも、律儀な修吾にとってはそうだったのだ。 そして、小心者の柚子にとってもそうだった。 それが勇兵の一言で全部パア。 相当楽しみにしていたのか、柚子はとても不服そうに唇を尖らせた。 あ、こんな顔もするんだ。不謹慎にもそんなことを考えてしまった自分を、慌てて振り払う。 「球技大会終わったら、オレの家でみんなで遊ぼうか?」 「え?」 「この前は、約束って感じの約束じゃなかったし。今度は、ちゃんとみんなに声掛けとこ」 「……う、うん」 頷きと一緒に三つ編みがブルンと揺れる。 「それで、いい?」 「う、うん。うん。ありがとぉ、修吾くん」 「え?」 「? どうかした?」 「あ、いや」 聞き間違いか。 思わず顔が熱くなって、それを誤魔化すように、柚子から視線を逸らした。 すると、そこに舞の顔があった。 驚いて、仰け反る修吾。 2人のやり取りを横で見ていたらしい。 ……それとも、話しかけられていたのに気付けなかったのか? 修吾の反応をおかしそうに見てから、柚子に視線を移す舞。 「柚子ー、寄り道してくんじゃなかったの?」 「あ、う、うん。今日、二ノ宮くんたち、練習するんだって」 「マジ? あー、ツカが張り切ってんのかー」 「そう」 「しょうがないねぇ、アイツは」 舞は苦笑しつつも、優しい眼差しでジャージ姿でクラスメイトとじゃれあっている勇兵を見つめた。 「それじゃ、どうする? あたしらも真っ直ぐ帰る?」 「……さ、清香ちゃんは?」 「今日から部活なんだって。テニス部元気よねぇ」 「そ、そっか」 「……あー、あれか。そうなったら、柚子は絵でも描いてくかな?」 「え?」 「……あたしんち寄ってく?」 寂しそうな柚子の表情が見て取れたのか、舞は静かに目を細めて、優しい声でそう言った。 「う、うん♪」 「あはは。柚子、犬みたい。可愛い〜」 「だって、今日楽しみにしてたのにさぁ……」 しょぼくれてそう言う柚子が不憫で、修吾はすぐに頭を下げる。 「ごめんな、渡井」 「あ、う、ううん。練習頑張ってね?」 「ああ。サンキュ。……と、シャドー」 「ん?」 「球技大会2日目の放課後空けといて」 「あたし、基本暇だから、空けとくもなんもないわよ。ラジャ。それ、清香にも言っとく?」 「ああ」 「部活……さすがにないかなぁ。予定次第で、1日目に変えてもらっていい? 1日目は確実にないだろうし」 「……ああ、うん」 「ツカ、笑顔でスパルタだから気をつけてね♪ じゃあ、柚子、帰ろ」 「うん。バイバイ、二ノ宮くん」 「ああ。気をつけて帰れよ?」 修吾の言葉に、ニコリと笑みを浮かべて、柚子はトテトテと舞の後をついていった。 「修ちゃん、着替えまだ? そろそろ、行こうぜ〜」 「あ、ああ。今着替える!」 修吾は慌ててズボンを脱いで、下ジャージを履き、Yシャツの上から上ジャージを着た。 |