◆◆ 第7篇 夜色・空気のように溶ける笑顔 ◆◆

Chapter4.車道 舞



 体育の時間、素早く、相手ボールを奪って、舞はひと呼吸の間の後、1本指を立てて、大きく声を張った。
「1本! 集中して!!」
 その姿に、コートの外で試合を見ていた数人の女子が、黄色い声を上げる。
「やっぱ、舞、かっこいー!」
 その声を受けて、舞は思い切りため息を吐く。
 黄色い声は要らないから、戦力をくれ。
 思えば、去年は恵まれていた。
 確かに、自分の技術はクラス内で頭抜けていたけれど、それでも、みんなそれなりに上手かったのだ。
 ディフェンスもオフェンスも、彼女たちの力があったればこそ、それなりの形になったし、接戦とはいえ、決勝まで勝ち抜くことも出来た。
 しかし、クラスが変わって、だいぶ状況も変わった。
 一応、スポーツが得意な子をバスケに集めてはくれたのだけれど、その『得意』のレベルが、去年に比べるとだいぶ下がる。
 舞は視線だけでフェイントを入れ、ディフェンスが動いた瞬間を狙って、ノーモーションでパスを放った。
 パスをしてすぐにゴール下へ駆け込む。
 が、舞が投げたパスは数回お手玉され、ようやく、こちらに戻ってくる形になった。
 素早く受けて2歩でオーバーハンドシュート。
 舞自身は満足していなかったが、綺麗に決まった。
 ……まぁ、たかが校内球技大会。
 本気にはなっても、ムキになったら駄目だ。
 自分の頭を冷やすように、舞は言い聞かせる。
「もう少し、パスのスピード抑えないとなぁ……」
 自分はいつもラストパスを貰う側だったから、いざ、相手に合わせてプレイしなくてはいけない状況となると、考えて上手くやれるような人間でもなかった。
 ちょっぴり不安要素。
「バスケは、1人ではできないのだよ、清香くん……」



 お昼休み。
 お弁当も食べず、ぐったりしている清香。
 舞は惣菜パンにかじりつきながら、その様子を横目で見つめる。
「どうしたの? これ」
「あ、あの……清香ちゃんね、ボスに任命されちゃって」
「え?」
「あっちゃー、サーちゃん、なんで断らなかったの……」
「気が付いたら、満場一致で。嫌って言う間もなくて……」
「舞、あんたのクラス、ドッヂボールは勝つ気ないみたいだよ、頑張って」
「……なんか、それはそれで傷つくなぁ……」
 ユンの言葉に、清香は本当に傷ついたように目を細める。
 球技大会用ドッヂボールの特別ルールで、ボスに任命された人物にボールを当てると、そこでワンゲーム終了になる、というものがある。
 体力も消費しなくて済むため、率先して、その役の人が狙われやすくなる。
 そのため、キャッチや回避が上手い人をボスにするか、一番下手な人をボスにして、上手い人がその人の壁役をやる、という2つのパターンのどちらかに作戦は分かれやすい。
 どうやら、この場合は後者のようだ。
「一番下手なの? 清香」
「ただでさえ、ドッヂボールじゃ、針のムシロにされるタイプなのに……やだよぉ……」
 針のムシロ、という表現が、彼女のこれまでを物語っている。
 ほんと、女子って怖い。
「あ、舞ちゃん、あのね」
「ん?」
「清香ちゃん、下手じゃないんだよ」
「え?」
「避けるの自体は、物凄く上手なの」
「…………? え? この、とろい清香が?」
「ただ……避け方が、被害甚大で……」
 柚子は今日の練習風景を振り返るように宙を見つめ、クスリと笑った。
「外から見てる分には、面白かったんだけどね」
 柚子の言っていることがよくわからず、舞はユンと顔を見合わせる。
「私、気が動転すると、周囲がよく見えなくなるでしょう?」
「ああ、うん」
「ボールは避けられるんだけど……みんなを壁にして、避けちゃうというか……」
「すごいんだよ。キャーキャー言いながら、転んでかわして、よろけてかわして、しゃがんでかわして」
 舞とユンはその様を思い浮かべて、思わず苦笑いをした。
 来ると思っていない人にボールが当たって、清香だけは最後の最後まで残ってしまう……そういうタイプというわけか。
「うーわー」
「すっごい迷惑なタイプ」
「い、言わないでぇ……。だから、高校生にもなって、ドッヂボールなんて絶対やだったのに……。小学生の頃だって、それがわかってるから、ドッヂボールの授業は、ずる休みしたりして……」
 そこまで嫌なのか。
「あー……夢に見そう。軽いボール使われようと、怖いものは怖いんだよぉ……」
 本当に悲しそうな口調で言って、机に突っ伏してしまう清香。
 うん。嫌どころの騒ぎじゃないらしい。
 気が動転した時の自分を、たくさんの人に見られてしまう状況が苦痛なのかもしれない。
 控えめな遠野清香を形作っているだけに余計なのか。
「怖くなんてないって。当たったって死ぬ訳じゃあるまいし」
「だって」
「捕り方、教えてあげようか?」
「え?」
「避けてるだけじゃ勝てないでしょ?」
「でも……」
「『だって』も『でも』もない。あたしに本気出せって言うんだから、泣き言言わないでよね」
 舞は少し素っ気無い声でそう言い、パンの上に乗っているコロッケをかじった。
 舞の言葉が堪えたのか、清香が泣きそうな顔で俯いた。
 柚子が気まずそうに、ちろっと舞の顔を見る。
「ま、まぁまぁ。舞、そこまで言わなくてもいいじゃん〜。サーちゃん、運動苦手なんだからしょうがないって」
「しょうがない、しょうがない、で全部済むならいいけどね」
「なんか、舞らしくないよー。そういう物言い」
「やる前から言い訳なんて好きじゃないのよ、あたし」
「それはさぁ……」
 ユンだけが空気を明るくしようとニコニコ笑う。
 舞はそれを横目で見て、ユンにだけ笑いかけた。
 その笑顔でユンが舞の意図を察したのか、言葉を止める。
「……やるわ」
「清香ちゃん……?」
「やるわよ。やればいいんでしょ?」
 その声は静かだった。
 いつもの穏やかな清香とは違う、少し勝気な口調。
 それに、柚子とユンが驚いて清香を見た。
 けれど、清香はそんなことは気にも留めず、舞だけを真っ直ぐ見つめてきた。
 舞も静かに清香を見、珍しく闘志を燃やしている清香の眼差しに、心の中で笑みを浮かべた。
 さすがは負けず嫌い。上出来な切り返しだ。
 ……この口調は予想していなかったけれども。
「はなから捕る気でいれば怖くないから」
 清香に足らないのは、闘志だ。
 いつでも、彼女は自分を曲げて静かに微笑む女の子を演じてきた。
 何がきっかけなのかは知らないが、彼女は負けず嫌いの本性をひたすら隠してきた。
 それを繰り返す内に、勝とうとする気持ちを忘れてしまったのだろう。
「よっし。じゃ、さっさと食べて体育館行くわよ」
「……え?」
「放課後は部活で無理でしょ?」
「そ、そうだけど」
 すぐ腰が引けるのだから、やると決めたらすぐに動く必要がある。
「コツ教えるだけだから。それさえ、覚えれば余裕だからさ」
「う、うん……」
 2人のやり取りがいつも通りに戻ったことで、柚子がほっと安堵の息を漏らしたのが聞こえた。



「投げてくる相手に出来るだけ正対する。ボールの軌道は基本真っ直ぐだから……ユン、投げて」
 舞が説明しながら構え、ユンがすぐにバレーボールを投げてよこす。
 それを余裕でキャッチして、舞は指の上でクルクルと器用に回した。
「正対して、体の中心・胸でボールを受けることを意識する。中心からずれてたら、無理に捕るよりもかわす。ボールをよく見る。胸より低かったら下から掬うように捕る。高かったら、上体をそらしてかわす。わかった?」
「い、いっぺんに言われても……」
 舞の言葉を受けて、混乱するように清香が頭を押さえる。
 柚子は壁際に座って、スケッチブックに素描しながら、3人が楽しそうにキャッチレクチャーをしているのを見ていた。
「柚子? 柚子もやらない?」
「……ごめん。わたし、つき指したら困るから」
「そう言うと思った」
 相変わらずのことで、舞は当然のように笑ったが、清香とユンは不思議そうにそんな柚子を見る。
「あの子、絵描けなくなると困るから、球技は基本やらないのよ」
「……なんだか、ピアニストみたいだねぇ」
「あはは……絵を描けなくなると死んじゃうんで」
 柚子は冗談めかしくそう言い、鉛筆を動かす。
「何、描いてるの?」
「ボールを捕る時の構え。あとで、清香ちゃんの参考になるかと思って」
「柚子ちゃん……ありがとう」
「清香、それよりも実践」
「あ、うん」
 清香は少し強張った表情で、こちらを向いた。
 静かにそのへっぴり腰を見て、舞は目を細める。
 運動の出来ない子、というのは、基本的に動き方を直感で分かっていないのだ。
 どう構えれば、スムーズに動けるかを意識すること。
 その意識の持ち方を知らない。だから出来ない。
 知らないだけなのだから、知れば、上達も早い。
「清香、重心低く」
「うん」
「前体重。つま先のほうに重心置いて」
「う、うん」
「捕りやすいボール放るから、ちゃんとボール見てね?」
「うん」
 清香に向かって軽くボールを投げる。
 ポスッと情けない音がして、清香の腕の中にボールが収まる。
 目を瞑ってしまった清香は、捕ったボールを見て嬉しそうに笑った。
 うん、先は長そうだ。
「清香、パス」
「あ、う、うん」
 いわゆる女の子投げで、こちらにボールを投げ返そうとする清香。
 けれど、投じられたボールはあさっての方向に飛んでいき、柚子の頭にぶつかった。
「痛ぁ……」
「ご、ごめん、柚子ちゃん!」
 え、この距離で……?!
 思わず、心の中でそんな声。
「あはは、舞、知らなかったっけ? サーちゃん、ノーコンなんだよ」
「……あー、そういえば、バスケでもたまに酷いことになってたかも」
「…………」
 清香は自分の運動音痴っぷりに呆れるようにため息を吐いた。
 ふーむ、と少し考えてから、舞は清香に言った。
「両手で」
「え?」
「チェストパス」
 柚子の傍に転がったボールを拾って、舞は胸の前から両手でボールを押し出した。
 そのボールが清香の胸に収まる。
「投げるのは、これだけで結構。時間がない。意識するのは守備だけでいい。ボスなんだから」
「う、うん」
 舞の優しい声に、清香は少しだけ表情を和らげた。
 その瞬間、予鈴が体育館内に鳴り響く。
「ぅあっ、まずい。アタシ、次、移動教室!」
「あ、ご、ごめんね、ユンちゃん、付き合わせちゃって」
「ううん。そんなのは全然! ボール、捕れるようになればいいね♪」
「うん。ありがとう」
 ユンは笑顔で手を振ると、パタパタと体育館を出て行った。
「あたしらもやばいな。ボール片してくるから、先行ってて」
「わかった。柚子ちゃん、行こ?」
「あ、うん。あのね? 舞ちゃんと清香ちゃん、こんなに構えが違うんだよ?」
「あ、そ、それは歩きながらで」
「うん」
 スケッチブックを差し出す柚子に、清香は慌しくそう言って、柚子の手を引いて歩いていった。
 柚子は正確に絵として描き出す。
 つまり、見えているのだ。
 どこに重心が置かれているのか、どのタイミングでどの動作をしているのか。
 動いているものを正確に理解するのはなかなかに難しい。
 それがそれなりに速いスピードで動いていれば、難易度は更に上がる。
 彼女はそれを正しく理解し、絵にしているのだ。
 不思議なものだ。
 見えているのに、反応が出来ない、というのも。
「ふーむ」
 舞は用具室のボール入れにボールを放り込み、踵を返した。
 その時、ダンッと重たいボールが弾む音がした。
 その音のするほうに目を向けると、そこには日和子の姿があった。
 スリーポイントラインからバレーのトスのようなフォームで、ふわりとバスケットボールを放り投げる。
 とても低い打点から、大きな弧を描いて、ボールはリングに掠りもせずに、ネットを揺らした。
「……意外な伏兵……」
 日和子は汗を拭って、ボールを拾いに走っていく。
 そして、ボールを拾ってからこちらを向き、舞の存在に気が付いた。
 ペコリと丁寧に頭が下がり、切り揃えられた黒髪がサラリと動く。
「お久しぶりです」
「う、うん。日和子、球技大会はバスケなの?」
「はい。バレー部なのでバレーは選択出来ないし、卓球・テニスは比較的苦手だし、ドッヂボールは怖いので」
「そ、そっか」
「……先輩も、ですか?」
「ええ」
「塚原さん、喜びますよ」
「え?」
「部活でないのは残念でしょうけど。未だに、バスケをしている時の先輩のカッコ良さについて語り出すと止まらないですから」
「……そう」
「はい。あ、行かなくて大丈夫ですか?」
「え?」
「時間。私は、これから体育なので」
「おっとぉ……まずい。じゃーね、日和子」
「はい」
 以前の挙動不審具合が嘘のように、彼女の空気感は自然だった。
 人見知りなのかもしれない。
 彼女に漂っている理知的な雰囲気が、素直に出ていて、思わず、別人と話しているような気分になった。
 時間のことを忘れたのはそのせいだ。
「なに、あのシュートの軌道。今まで見たことない」
 日和子がバスケ要員か。
 これはなかなか手強いかもしれない。



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