◆◆ 第7篇 夜色・空気のように溶ける笑顔 ◆◆
Chapter6.二ノ宮 修吾
父だけがいない、いつもの食卓。 今日突然、兄が今まで赤く染めていた髪を、黒く染め直してきた。 そのせいもあってか、母が興味津々な笑顔で色々問いかけている。 賢吾は面倒くさそうにその問いに答えながら、バクバクとオムライスを頬張る。 兄は母に弱い。 どんなに面倒そうに、かったるそうに話していようが、母の言葉を無視したところなんて見たことがなかった。 「いちいち、髪が伸びる度に染めるのがメンドーになっただけだよ。安月給で懐も寂しいし」 「本当に本当? だって、昨年まではそんなこと気にしないで、遊び歩いてたじゃないの。も・し・か・し・て♪ 恋人でも出来たのかなぁ?」 楽しそうな母を見て、修吾は思わず頬が緩む。 母はいつだって子供を不安にさせないよう、努めて明るくしている人だけれど、今夜のその表情は、本当に弾むような笑顔だったから。 「……んなんじゃねぇよ、別に。ただ、もう会社入って4年目だし、身の振り方考えねぇとなぁ……って思っただけ」 「身の振り方……?」 母が兄のそんな言葉に少しばかり寂しそうに目を細めた。 その表情を見て、兄は気まずそうにビールをひと口飲み、その後、わざとらしく話題を変えた。 「そういや、修、そろそろ、球技大会の時期だよな?」 「……ああ。来週の月曜と火曜」 「お前、何になったの?」 「サッカー」 「ふーん。おれもサッカーだったなぁ」 「え?!」 「? 何?」 「兄貴、球技大会出てたの?」 「……なんだよ、その言い方。指使わないスポーツならいいって条件で、3年の時だけ出たよ」 「へぇ」 「そん時来てた教育実習生がすげーむかつく女だったんだよ」 「ふーん……」 「『二ノ宮くん、そんなこと言って、自分が下手だからやりたくないんでしょう?』」 普段の兄と違う口調。 「何それ?」 「そのむかつく女がおれに言った言葉」 「兄貴、それ、完全に……」 挑発に乗ってしまった形になるのでは。 「悪ぃか。おれはやらないだけで、なんでも出来る完璧な男なんだよ。少なくとも、学生時分のおれはそう思ってたんだっつーの。んなこと言われて、黙ってられっか」 「ふふふふ……賢くんの性格、その人、よく分かってたのねぇ」 「……まぁ、そうなるな」 「あれ?」 「ん?」 「でも、教育実習生って、普通3年の学年には割り当てられないよね?」 「別に担当かそうかなんて関係ねーだろ。仲良くなる奴はなるし、ならねぇ奴はならねぇんだから」 「……ん。まぁ、そうだけど……」 なんだろう。 少しだけ、違和感があった。 少なくとも、という話をするのであれば、この兄が、誰かと親しくするなんてことがあるのだろうか。 「母さん、チキンライス余ってる?」 兄はオムライスを食べ終えて、そう言って、皿を突き出した。 「ええ。でも、それはお父さんの分で……」 「どーせ、帰ってこないっての。ったく、アイツ、早く帰れないなら先に連絡しとけってんだ」 「…………。ちょっと待ってね。おかわり持ってくるから」 「やり♪ 母さんのメシ、大好き」 母の表情が曇ったのを見逃さなかったのか、兄はわざとらしく優しい声でそう言った。 「修くん。修くんもおかわり要る?」 その問いかけに小さく首を横に振ってみせると、母はお皿を持って台所へと下がっていった。 付け合せのサラダの上に乗っているミニトマトを、フォークでコロコロと転がしながら、思い出したように兄が口を開く。 「あ、そういや、修」 「ん?」 「お前の友達のウェイトレス」 「……おれには、ウェイトレスやってる友達なんていないけど」 いきなり、何の話をしようとしているのだ、この兄は。 やや冷めた目で兄を見ると、兄は困ったように眉間に皺を寄せて、言い直した。 「ちんまいのと、えろそうなのと、もう1人、ほわほわ可愛いのがいるだろ」 修吾は兄の言っていることがよく分からずに首を傾げる。 「……そういや、おれ、アイツの名前聞いてねぇ……」 もしかして、清香のことを言おうとしているのだろうか。 けれど、以前、清香が賢吾の前では自分の名前を出さないで欲しい、と言っていたのを思い出した。 どうすればいいんだ、この状況。 母が戻ってきたら、余裕で答えなんて出てしまうだろうし。 彼女が何をそんなに恐れているのか全然分からないが、幼馴染として、そこは期待に応えてあげたいと思う。 なので、すっとぼけることにした。 「その子がどうかしたの?」 「ん、いや……別に、どうって話もないんだが」 「うん」 「彼氏とは上手くいってんのか気になって」 「…………。心底どーでもいい」 修吾はそう答えて、動揺しているのに気が付かれないよう、スープを口に含んだ。 清香に彼氏がいたとは驚きだ。 そんなことになったら、いくら鈍い修吾でも気が付きそうなものだけれど。 「……まぁ、いいや。その内、また会うだろ」 「ストーカーでもするの?」 「アホか。お前の友達なんだから、その内会えるだろうが」 「……ふーん、まぁ、そうだろうね」 その内も何も、月曜か火曜には確実に。 「兄貴」 「ん?」 「来週、飲みに行く予定ないの?」 「は? だぁから、金ねぇって言ってんだろが!」 「そうだよね」 その会話が終了すると、タイミングよく母が戻ってきて、笑顔でお皿を置いた。 「はい、賢くんおかわり」 「お、サンキュ♪」 兄の笑顔を見て、母が嬉しそうに笑った。 「じゃ、修ちゃん、今日も頑張って!」 楽しそうに勇兵はそう言うと、修吾の背中をバンバンと叩いた。 あまりの衝撃に、修吾は数回咳をしてから、勇兵のほうを向く。 「勇兵。言いだしっぺなのに、最初しか顔出さないってどうなの?」 「しょーがねぇじゃん。部活あんだもん。今度の大会は、先輩たちにとって大事な大会だし……」 「そうは言ったって、サッカーのまとめ役はお前だろ? 放課後、頑張って練習してください、だけじゃ、グダグダになるだけだよ。僕、昨日と一昨日の練習でもう飽きた」 「…………。そ、そんなこと言ったって、今日金曜で……月曜からだから、あと今日だけじゃん」 「目的のない練習は非効率的だし、時間の無駄」 「いいじゃん、みんなで楽しくやればー」 「みんなは楽しそうだけど」 「ははっ。修ちゃん、真面目だからなぁ」 修吾が納得いかないように目を細めると、勇兵はおかしそうにクツクツと笑った。 そこをジャージ姿の秋行が通りかかった。 若干サイズの大きめなジャージのようで、袖が余っている。 「およ。アキちゃん、今日はジャージなんだね?」 「あ、今日、ボク練習出る」 「え?」 勇兵の聞き返しに、一瞬躊躇するように秋行の目が泳いだが、上目遣いで勇兵を見上げた。 「……その……出る……」 「マジで?」 「うん」 勇兵のリアクションに、秋行がにっこり笑って、小さくガッツポーズをした。 「あ、じゃ、俺も今日は部活休んでそっち行こうかな」 「勇兵……?」 修吾の言葉では一切揺らがなかったくせに。 「だってぇ……よし、行こう行こう!」 「南雲くん、本当に大丈夫なの?」 「大丈夫大丈夫♪ ボクだって、少しくらいなら」 秋行ははしゃぐようにそう言って、パタパタと足音をさせながら、修吾の背中を両手で勢いよく押してくる。 当人がそう言うのなら、修吾は何も言えない。 押されるままに早足で前へ前へと進むだけ。 前から、スケッチブックを大事そうに抱えた柚子と舞が楽しそうに話しながら歩いてきた。 「あ、渡井さんに車道さん♪」 「…………。これから練習?」 元気な秋行に舞が気圧されるように目をパチクリさせたが、すぐにそう返してきた。 「ぅんだよ♪」 背中を押されるままに進んでいく修吾がおかしかったのか、柚子がクスリと笑う。 「南雲くんも、やるの?」 「うん♪」 「え、でも、南雲くん……この前、お母さんが……」 心配そうに舞がそう言ったが、秋行はそんなことを気にもしないように、ヒラヒラと2人に手を振った。 「んじゃば、バイバイ♪」 「あ……バイバイ」 「バイバイ」 修吾は言う間もなく、勢いよく前へと押される。 小さいからと侮るなかれ。 秋行は結構力が強い。 練習を始める前に、ポジション決めと作戦会議をすることになった。 普通、それをはじめにやるべきだったんじゃないのかと、修吾は思ったものの、勇兵を囲んだみんなの顔が本当に楽しそうなので、何も言えずに、隅で話を聞いていた。 そう。みんな楽しんでいる。 計画性やら効率性なんて、こういうイベントごとには必要ないのだ。 分かってはいるのだけれど。どうしても、気にしてしまうのは、この性格ゆえなのだろうか。 「とりあえず、DF4人、MF4人、FW2人でいい?」 「いいんじゃね? とりあえず、勇兵はFWで決まりだな。足速いし、体力あるし。昨年、得点王だし」 「へへ〜。どうもどうも」 「それ以外はテキトーでいいよな?」 「あ、修ちゃんはMFで」 「へ?」 いきなりの振りに驚いて顔を上げた。 勇兵がしてやったり顔で笑っている。 「二ノ宮? 二ノ宮っていっつも後ろのほう守ってるじゃん、体育で」 「いいじゃん。テキトーでいいって今言ったんだしさぁ」 「ま、まぁ、そうだけど。二ノ宮? それでいい?」 「……え、う、うん」 嫌だとも言えず、渋々頷く修吾。 脇にいた秋行がちょいちょいと修吾のジャージの袖を引っ張る。 なので、そちらに視線をやると、秋行はボールを抱えて笑った。 「二ノ宮くん。ボールの蹴り方教えて?」 「え?」 「ボク、この作戦会議、どう考えでもいる意味ないから。今のうちに教えで?」 勇兵がその様子を見ていたが、修吾が横目でちらりと見ると、にんまりと笑った。 教えてやれ、ということか。 教えられるほど上手くもないのだけれど。 元気よく立ち上がる秋行に引かれるままに、修吾は立ち上がって、秋行からボールを受け取る。 そして、みんなが輪を作っているところから少しだけ離れて、静かに説明を始める。 「とりあえず、南雲くんにロングパスは難しいと思うから」 「ん」 「近くにいる人にショートパスさえ出来ればいい、かな?」 「? んなんだ?」 「……因みに、南雲くん、サッカーのルールは分かる?」 「…………。ゴールにボールを入れられないようにして、相手ゴールにボールを入れればいいんだよね?」 「うん、まぁ」 柚子に聞いたら答えそうなレベルの回答が返ってきて、修吾は少し困った。 要するに、細かいルールは知らないってことだ。 とはいえ、球技大会レベルなら気にするほどでもないだろうと、軽く流す。 「えっと、とりあえず……」 「ん」 「インフロントキックとインサイドキックの感覚が掴めればいいかな。蹴ってみせるから、南雲くん受けてね?」 「ん。分がった」 修吾はボールを地面に落として、軽く蹴り出し、その蹴り出したボールを追いかけて秋行から離れる。 ボールを足の横でピタッとトラップし、秋行に向かって手を振った。 「これがトラップ。今から蹴るのがインサイドキックになるから見てて」 さほどかしこまって教えることでもないような気がしつつ、そう言って、軽く足の内側でボールを蹴った。 グラウンダーのボールが秋行の元に向かって転がっていき、秋行は見よう見まねで、そのボールを止めた。 嬉しそうに秋行の顔がほころぶ。 そして、またまた見よう見まねでボールを蹴り返してきた。 ボールの軌道が逸れて、修吾はそれを走って受け止めた。 「ご、ごめん、二ノ宮くん」 「いや、初めてだしこんなもんだよ」 しれっとした口調でそう言って、修吾はボールを蹴り返す。 「何回か蹴れば、なんとなくコツがわかると思う」 「ありがとぉ」 修吾の言葉に秋行はそう言って笑い、ボールを受けて、すぐに蹴り返してきた。 それを何度も繰り返すと、少しずつコントロールが良くなってきた。 修吾は柄にもなく、指で丸を作り、オッケーサインを返す。 自分でも上手く蹴れたと感じたのか、秋行が本当に楽しそうに笑う。 「よっし、どんどん行くぞぉ。二ノ宮くん! 早くパス……ぅっ……」 そこまで叫んだところで、秋行が胸を押さえてしゃがみこんでしまった。 修吾は慌てて駆け寄り、膝をついて、秋行の肩に触れた。 細い肩が激しく震えている。 「南雲くん! 大丈夫?」 「だ、だい、じょうぶ、だがら……あんまし、せづなぐしないで……」 「そ、そんなこと言っても」 「はぁ、はぁっ。……大丈夫なんだ……いづもの、こどだがら。でも、みんなして、大ごとにしたがるがら……」 そう言いながら、秋行は地面に倒れこむ。 「南雲くん!!」 「お、お願い……母さんには言わないで……家には、連絡、しねで……って、先、せ、に……」 「南雲くん!?」 激しい呼吸を繰り返しながら、意識を失ってしまったのか、返事がない。 修吾の声で、みんなが駆け寄ってくる。 「修ちゃん、どいて! 俺が運ぶから!!」 勇兵がすぐに頼もしくそう言って、秋行を抱え上げる。 「誰か、先生に頼んで、救急車!!」 「勇兵!」 「何?」 「南雲くんが、家に知られるの嫌がってた。病院は、駄目だよ」 「んなこと言ったって」 「とりあえず、保健室! 僕、先に行ってるから!!」 勇兵に真剣な眼差しでそう告げると、すぐに校舎に向かって駆け出した。 |