◆◆ 第7篇 夜色・空気のように溶ける笑顔 ◆◆

Chapter9.車道 舞



「シャドー、1日目なんかで負けたりしたら承知しねーかんなぁ」
 本日2試合目。
 試合前のシュート練習の時。
 軽い感じに勇兵の野次が飛んだ。
 2試合やってきただけあって、肩にはタオルが掛かっていたが、全然疲れた素振りはなかった。
 あの様子では、どうやら、2試合とも勝ったらしい。
 勇兵の隣では秋行がペットボトルの水をゴクゴク飲んでいる。
 気持ちよさそうにプハァッと息を吐いて、ペットボトルの蓋を閉めると、笑顔でこちらに手を振ってきた。
「みんなぁ! 頑張ってぇぇぇぇ! ほら、修吾クンも」
「え……」
「応援! ほら、頑張れぇぇ!!」
「が、ガンバレー……」
 隣で大人しくシュート練習の様子を見つめていた修吾さえも巻き込んで、秋行はピッカピカの笑顔を見せる。
 舞と一緒にシュート練習をしていたみんなの手がそれで止まった。
「……可愛い……」
「もう、うちのクラスのマスコットで良いよねぇ、南雲くん……」
 それはどうかと思う。
 しかし、あの修吾でさえ、あんな風にペースを乱されるのだから、それはそれで面白いか。
「みんな、集中して」
「あ、う、うん。わかってる」
「マスコットのためにも、負けられないでしょ?」
 舞が茶化してそう言うと、スタメンの4人がおかしそうに笑う。
「あの笑顔はヒキョーだよねぇ」
「あの子のために頑張っちゃおうか、みたいな空気になっちゃうもんねぇ。男子だけじゃなくさぁ」
「また、そこに引っ張られて、二ノ宮くんまで可愛い表情してると……」
「うちのクラス、ホント、恵まれすぎ……」
「あはは。そこまで言う?」
 噛み締めるようにため息を吐く子達がおかしくて舞は笑った。
「舞! あんた、ホント、分かってないよぉ」
「ホントだよねぇ」
「勇兵くんに、南雲くん、二ノ宮くんなんて、綺麗に揃うことなんて奇跡に近いんだからね」
「……は、はぁ」
 なんて安い奇跡だろう。
 女子たちの剣幕に舞は目をパチクリさせて1歩下がる。
 そこに相手チーム側からテンテンとボールが転がってきた。
 ので、彼女たちの勢いをかわすようにすばやく屈んでボールを拾い上げた。
「すみません」
 すぐに日和子が走って舞の傍までやってきた。
「今日はよろしく」
 穏やかに笑う舞。
 日和子はボールを受け取りながら、ペコリと頭を下げる。
 切り揃えられた黒髪は、今日もいつも通り綺麗で、サラリと流れる。
「お、丹羽ちゃんじゃん! 丹羽ちゃんも頑張れよぉ!!」
 勇兵の大きな声。
 その声に日和子はビクリと肩を震わせ、恥ずかしそうに俯いた。
「あはは。手でも振ってあげなよ。ツカ、悪気ないんだし」
「…………」
 日和子は複雑そうに目を細めて、勇兵に視線を向ける。
 それに気が付いて、勇兵がニッカシと笑い、ヒラヒラと手を振ってくる。
 けれど、日和子はそれに対して応えることはなかった。
 なので、勇兵が引っ込みのつかなくなった手をグッパグッパと何度か握り直して、下ろした。
 その様子を見て、舞は苦笑する。
「今日は」
「ん?」
 日和子はゆっくりと視線をこちらに寄越し、真っ直ぐに見据えてきた。
「やるからには、負けませんから」
「お。言うじゃない」
「たとえ、塚原先輩のクラスでも。車道先輩がいたとしても」
「あたし、そういうの好きよ」
「それでは」
 ペコリと頭を下げ、タタタタッと駆けてゆく日和子。
 ちょうどその時、集合の声が掛かったので、舞は持っていたボールを勇兵に投げつけて、センターサークルへと向かった。



 球技大会のバスケの試合は、前後半10分ずつで割り振られている。
 今、ちょうど前半が終了して、5分の休憩。
 舞はタオルで汗を拭き、大きく息を吐き出した。
 折り返しで、自分のクラスがシュート1本分だけ勝っている状況。
 日和子が言うだけのことはあり、1年のチームはそれなりに戦法を固めてきていた。
 以前見て警戒はしていたのだが、それでも、日和子の3ポイントシュートはかなりの曲者だった。
 打点が低いのもあり、ディフェンスが付いている時はことごとく不発なのだが、一瞬でも隙があるとあっという間にシュートを放たれてしまう。
 瞬発力。ダッシュ力。判断力。
 セッターだからこそなのか、上手いことその辺の能力が発揮されている。
「なんだか、丹羽ちゃん、昨年のシャドーみたいじゃん?」
 タオルで舞を扇ぎながら、楽しそうに勇兵がそう言った。
 秋行も持ってきていた団扇でパタパタと扇いで、相手ベンチを見た。
「ボクよりちっけぇのにすんげーな、あの子ぉ」
「本番弱いってのはどこ行ったぁ……」
「丹羽ちゃんが駄目なのはバレーの試合だけなんだろ、たぶん。バレー以外で負けても、痛くも痒くもないから伸び伸びプレイしてら」
 嬉しそうな勇兵。
「ツカはどっちの味方なのよ」
「味方とかそゆんじゃなくさぁ。面白い試合は普通に楽しみたいわけよ。ねぇ、修ちゃん?」
 気まずそうに違う子をタオルで扇いでいた修吾が、その声でこちらを見た。
「うん。サッカーの試合が2連戦だったから、他のところ見れてないけど、こんな良いゲームを球技大会で見られるとは思わなかったよ」
 修吾も楽しんでいるようで、そう言いながらふわりと笑った。
 舞の隣に座っていた子は、その笑顔を見上げて息を止める。
 ちょっと待て。こんなところで、うちのスタメンの息の根を止めるなよ、シャイボーイ。
「ニノ」
「ん?」
「今、ドッヂボールの2回戦やってるだろうから見てきてよ」
「え? お、オレ、この試合は見たいんだけど……」
「状況見て戻ってくるだけなんだから、後半始まる頃には戻ってこられるでしょ?」
 いなくなったら士気が下がる可能性は否定できないので、休憩時間だけいなくなってくれればいいのだ。
 せっかくの休憩時間なのに、休んだ気がしないのでは、全く意味がない。
「……あとで、無糖コーヒー」
 不服そうな表情の修吾。
 敢えて気が付かないふりをして、舞はにっこりと笑った。
「了解。じゃ、行ってらっしゃい」
「うん」
 修吾は持っていたタオルを舞に預けて、軽い足取りで走っていってしまった。
 これで落ち着いて話せる。
「みんな、後半、あたし、日和子のマークにつくから」
「え……」
「得点は、みんなが頼りだから、お願いね」
「……だ、大丈夫かな……」
「大丈夫大丈夫。自信持って」
 不安要素はあれど、そう言わざるを得ないのが現状だ。



 日和子にボールが渡り、舞は素速くチェックを入れる。
 ドリブルするためにボールが小さな右手に移動した瞬間を逃さずに奪い取り、すかさずドリブルでダッシュ。
 ……しようとしたのだが、それを後ろからパシンと奪われる。
 小柄なだけに、日和子はチェックの位置も低かった。
「しまっ……!」
 全く、どれだけ反射神経がいいのか。
 舞は慌てて後ろに下がりながら、シュートブロックに跳ぶ。
 しかし、舞のブロックなどあざ笑うかのように、ボールは高々と放たれ、ゴールに吸い込まれていった。
 得点板が捲られ、舞は眉根を寄せる。
 後半のスタートダッシュで、日和子を抑えるのに成功して、一気に突き放したのだが、ここに来て追いつかれた。
 残り時間、あと3分。
 息が上がる。
 筋トレは欠かさなくとも、走り込みをサボっていたから、疲れているところに日和子のマークをオールコートでやったことで、かなり疲労が溜まってきている。
「そう簡単には、負けません」
 真っ直ぐな日和子の声。
 この、負けず嫌いが。
 心の中、舞はそう呟き、ニィッと不敵に笑った。
 その笑みに、日和子の表情が一瞬固まる。
「そういうの、好きなのよね! だから、日和子、好きだわ♪」
「…………」
 舞はハァハァと肩で息をし、なんとか鈍くなり始めた集中力を手繰り寄せる。
 ボールが相手陣地まで運ばれたところで、舞は全くの休憩状態から一気にトップスピードで駆け出した。
「え……」
 さすがの日和子も不意を突かれたのか、反応が遅れて置いてきぼりに出来た。
「ボールちょうだい! りっこ!!」
 その声は鋭く体育館に響いた。
 ボールがベストなタイミングで、舞の手元へ飛んでくる。
 舞は綺麗なフォームでボールをキャッチし、3ポイントラインを気にしつつ、素早く放り投げた。
 ノーマーク。
 ブランクはあっても、中学時代、人知れず何千本も打ち続けた位置。
 絶対に外さない自信があった。
 リリースの感覚は決まる時の感覚そのもの。
 バックボードの枠内に当たり、シュートが決まった。
 舞は腰に手を当て、大きく深呼吸をする。
「ふー……」
「ナイッシュー、シャドー!!」
 勇兵と秋行の大きな声。
 凸凹コンビ同士でハイタッチをしているのが見えた。
 全く。こっちが恥ずかしくなってくる。
「とんでもない人」
 後ろでボソリと日和子が呟いた。
「走る気配なんて、全然なかったのに……どういうバネしてるんですか……」
「さぁねぇ……」
 舞は踵を返して、にっこり笑う。
 あれだけ動き回っていながら、息が上がっていない日和子のほうが、舞にとっては驚異的なのだが、さすがにそれを言うだけの元気はない。
「ドッヂボール、奇跡的に準決勝進出だよ〜!」
 ドッヂボールの応援をしていた女子たちがそう叫びながら体育館に入ってきた。
 ……清香が勝ったのでは、負ける訳にはいかない。
「日和子」
「はい?」
「この試合、あたしらが貰うから」
「…………。やれるものなら」
 ……負けず嫌いな子は、大好きだ。
 日和子が駆け出したのに合わせ、舞も走り、パスコースを塞ぐ。
 ボールが渡ると、彼女は本当に厄介だ。
 低い位置でのドリブル。カットインの素速さ。
 視野も広いから、パスを警戒して意識を横に広げた途端、シュートが来る。
 バスケ部でもそれなりの結果が残せたのじゃないかと思ってしまう。
 けれど、これほどの能力を発揮できるのは、気負いがないから、という理由であるから……、バスケが本当に好きだったら、このように実力を発揮は出来ない可能性がある。
 好きでないからこそ、自分のパワーがフルに使える、というのも。
 なんとも、可哀想なものだ。
 急に走るスピードが落ちたので、舞もそれに合わせて落とし、ボールの位置を確認するために視線を逸らした瞬間、日和子が再びスピードを戻した。
「チェンジオブペースかぁ?!」
 舞は慌てて日和子を追いかけ、飛んできたボールを必死に弾いた。
 ボールがサイドラインを割り、舞は呼吸を整える。
「あー、しんどい……」
「くーちゃん! あと1分だよ、ファイト!!」
 体育館の2階通路からそんな声がして、舞は顔を上げる。
 髪の毛をひとつに結わえた清香と、相変わらずスケッチブックを抱えた柚子がそこに立っていた。
 2人とも肩で息をしている。
 どうやら終わってすぐに走ってきたらしい。
 残り時間は1分を切っている。
 久々にやったけれど、オールコートマンツーは辛い。
 このまま、1本凌いでから攻撃に転じるほどの集中力は残っていない。
 ここは、一気に勝負を決める必要がある。
 日和子とボールの位置を確認し、一瞬の判断の下、舞は日和子のマークをやめて、回っているボールをカットするために跳び出した。
 攻撃は、最大の防御だ。
 ボールを弾き、前へと押し出す。
 一気にトップスピードへ。
 それを予測していたのか、日和子が舞の横に並んだ。
 けれど、舞は気にすることなく、前へ前へと走る。
 日和子はオフェンスの時は脅威だが、ディフェンスではその小柄さが災いして、シュートコースカットもままならない。
 わざと日和子のほうに体を寄せ、ゴール側に回り込ませずにそのままレイアップシュートを放った。
 リングで数回ボールが跳ね、舞は慌ててゴール下に戻ったが、ゆっくりとネットを潜り、ボールが落ちてきた。
 時間を見ると、残り30秒。
 日和子がすぐにボールを拾い、構えた。
「1本! 集中してください!!」
 大きな声でそう叫び、舞のカットが入る前にボールを放り投げた。
 投げてすぐに駆け出す日和子。
 舞もそれを追うためにターンをする。
 ……が、ターンする分の時間の差を利用して、日和子は引き離し、ノーマークのまま、パスを受け取って3ポイントシュートの構えを取る。
 2人、シュートブロックに跳ぶが、日和子は気にせずにシュートを放った。
 ボールがリングをクルリと2回廻り、シュートが決まる。
 シュート1本差。
 もしも、もう1本3ポイントシュートを決められたら、こちらが負ける。
 舞は腹から声を絞り出した。
「大事に行こう!!」
 舞は日和子を惹きつける様に、センターラインのあたりでフラフラと走り回る。
 エンドラインで、ボールを構えているりっこ。
 2人がパスカットのために囲んでいるため、近くまでボールを貰いに行くみんな。
 なんとか、ボールがコートに出た。
 細かくパスを繋ぎ、確実にボールが前に進んでくる。
 舞は、日和子をチラリと見た後、時間を見る。
 残り5秒。
 舞からマークを外し、日和子がボールを奪いに駆けていく。
 その瞬間、舞も前へ走った。
 ロングパスの構え。
 日和子がカットに跳ぶが、その上を越えて、舞の元へとボールが飛んでくる。
 ボールが2回バウンドし、舞はそれを受けて、そのまま放り投げた。
 入っても入らなくてもよかった。
 シュートを打った時点で、勝ちは確定だったからだ。
 試合終了の笛の音。
 ボールはバックボードにぶつかって、勢いよく跳ね返ってきた。
 舞は大きくガッツポーズし、駆け寄ってくるみんなと抱き合う。
「勝ったぁ!」
「2日目、暇じゃないなんて嬉しい〜」
「お疲れ様ぁ」
 思い思いの言葉を口にしながら、互いを労い、そのままコート中央に向かう。
 整列して礼をし、日和子に手を差し出した。
 日和子は悔しそうに眉根を寄せ、一瞬躊躇うように、舞の顔を見た。
「お疲れ。また来年楽しみにしてる」
 笑顔でそう言うと、日和子も毒気を抜かれたのか、おずおずと手を出してきた。
「来年は勝ちます」
「うん。楽しかった♪」
「……ふぅ。敵わないなぁ、ホント」
「ん?」
 首を傾げてみせる舞に、日和子は静かに笑って首を横に振り、ペコリと礼をして、ベンチに戻っていった。
 勇兵がそれを気に掛けるように、相手ベンチへと臆せずに乱入していく。
 いつ買ったのか、その手にはスポーツドリンクのペットボトルが握られていた。
「お疲れ、シャドー」
 修吾が穏やかな笑顔でそう言い、拳を作ってこちらに向けてきた。
 舞もそれを受けて、拳をコツンとぶつけた。
 分かりづらいが、かなり修吾のテンションが高い。
「シャドー、ボクも〜」
 秋行がそう言って、拳を作ったので、それにもぶつける。
「南雲くん、いつの間に、シャドーに……」
「勇兵クンと修吾クンのまねっこぉ♪」
「そう」
 大きく頷き、秋行は試合に出ていた子達全員に拳をぶつけに行った。
 その様子を眺めながら、修吾に尋ねる。
「サッカーの試合は、大丈夫だったの?」
「……うん。発作も起きてないし。さっき薬は飲んでたけど、元気だよ」
「ならよかった」
 清香と柚子も、階段を降りてこちらまでやってきた。
 柚子が嬉しそうに舞の傍に来て、お疲れ様の代わりに、汗まみれの髪の毛を撫でてくれた。
 清香が、持っていたクーラーパックからタッパーを取り出して笑った。
「くーちゃん、お疲れ様。遅くなったけど、レモンのはちみつ漬け作ってきたから」
「清香、もっと早くにそれ言って! 休憩時間に欲しかった! オールコートで死にそう!!」
「ご、ごめん。試合でそれどころじゃなくて……」
「これ、みんなの分もある?」
「い、一応、バスケメンバー分くらいは……」
「サンキュー♪」
「あ、でも、最初は……」
「みんな、清香がレモンのはちみつ漬け作ってきてくれたから食べて〜」
「あ……」
 清香が寂しそうに目を細める。
 柚子がそれを察して、舞のクラスTシャツを引っ張ったが、その時にはもう遅かった。
「うわぁ、遠野さん、ありがとぉ♪」
「すごぉい、わざわざありがとう」
「う、うん……。みんな、食べたらちゃんとクールダウンしてね? 明日もあるから……」
「それは、遠野さんもでしょう?」
「あ、うん、そうだけどぉ」
 清香が可愛い声でそう言って、小さく苦笑してみせる。
 柚子がその様子を見上げて、ため息を吐いた。
 それに気付いて舞が尋ねると、柚子が呆れたように言った。
「舞ちゃん。最近、デリカシーに欠けてると思う」
 ……最近、舞は思う。
 繊細な2人が仲良くなったのは嬉しいのだが、こういう風に言われることが増えて、少し悲しい。
 反抗期の娘を抱えた父親の気分が、少し分かる気がした。



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