◆◆ 第7篇 夜色・空気のように溶ける笑顔 ◆◆

Chapter10.二ノ宮 修吾



 女子バスケの試合のハーフタイム。
 舞におつかいを頼まれて、修吾はドッヂボールの試合が行われているグラウンドに向かった。
 グラウンドには2コート用意されており、修吾のクラスは校舎側のコートで試合をしている。
 4クラス分の応援があるだけに、グラウンドはそれなりに盛り上がっているようだった。
「おい、女子バスケの試合、今すっげー面白いらしいぞ」
「マジ?」
「車道さんのクラスだって」
「ああ、それじゃ、面白いっていうより、車道無双じゃねーの?」
「それが、1年で上手いやつがいるとかでさ、ほぼ互角らしい」
「へぇ……行ってみようぜ」
 ちょうどすれ違った男子たちの会話が聞こえて、修吾はクスリと笑った。
 修吾が見た限り、チームの総合力としては互角。
 個人としては、バスケ経験者だけあって、舞が頭抜けている。
 勇兵のお気に入りの後輩・日和子は運動神経というよりは、基礎体力がしっかりとしているタイプだろう。
 下地がしっかりしているプレイヤーは、見ていて気持ちがいいものだ。
 グラウンドに繋がるコンクリートの階段に差し掛かると、上から4段目のところに、柚子が腰掛けていた。
 スケッチブックを広げ、真剣な様子で試合の風景を素描している。
 修吾は声を掛けるのを躊躇い、少しばかり考えてから、柚子の隣にゆっくりと腰掛けた。
 隣、といっても、少しばかり距離を置いているのが修吾らしい。
 視界の隅に映ったのか、柚子がこちらを向く。
 修吾だと分かった瞬間、その顔にはふんわりと花が咲いた。
「ぁ、二ノ宮くん」
「勝ってる?」
「んー……今、2セット目。1セット目負けちゃった」
「そっかぁ……」
「舞ちゃんのほうはどう?」
「今、ハーフタイム。ほぼ互角」
「そっかぁ……」
 柚子はスケッチブックを見てからグラウンドに視線を移した。
 その横顔には、少しばかりだけれど、その光景を羨むような色が感じ取れて、修吾は空を見上げて考えてからポツリと呟いた。
「出ればいいのに」
「え?」
「……南雲くんの背中押したの、渡井なんでしょ? 渡井だって、出たかったら出ればいいんじゃない?」
「……出たいわけではないんだ」
「ぇ?」
「運動、好きじゃないし、……ああいう輪の中も、得意じゃないし」
「けど……」
「ただ、一体感があるからさぁ……わたしだけが、その輪から外れた場所で、少し冷えた温度でそれを見ている気がして、寂しいだけ」
「……気にすることないよ」
「え?」
「オレも、そうだから」
「…………」
「もちろん、楽しいっちゃ楽しいけどさ。みんなみたいに弾けられるようなタイプじゃないから」
「良かった」
「ん?」
「二ノ宮くんが、楽しくないって言ったら、どうしようかと思っちゃった……」
「オレが楽しくないと駄目なの?」
「……うん」
「そっか」
「二ノ宮くんが楽しいって思ってくれていれば、わたしにとっても、楽しい思い出になると思うんだ」
 照れもせずに真っ直ぐに柚子が言って、修吾はその言葉をどう受け止めればいいのか迷って、一瞬息を止めた。
 意識したせいか、急に鼓動が速くなる。
「あのさ……わた……」
「わたしのカンバス」
「へ?」
「二ノ宮くんのおかげで、少しずつ色が増えているから。だから、二ノ宮くんが楽しくなかったら、その色が、全部嘘になっちゃうもん」
「……オレだけじゃないでしょ」
 勘違いしてしまうから、そういう言い方はしないで欲しい。
「え?」
 修吾は穏やかに微笑んでゆっくりと立ち上がり、もう1度言った。
「渡井の心のカンバスにあるのは、オレの彩だけじゃないでしょ」
「…………」
「渡井の彩だって、たくさんあるはずでしょ。そんな風に言っちゃ駄目だよ」
 修吾の彩が柚子の彩だと言っている訳で、いっそ勘違いしてしまったほうがいいことに、修吾自身が気が付かない。
 舞がいれば、この鈍感っぷりに、どう突っ込みを入れてくれるだろうか。
 修吾の反応に、柚子は一瞬つまらなそうに目を細めたが、すぐに優しく笑った。
「じゃ、オレ、バスケのほう戻るから」
「え? 見てかないの?」
 立ち上がった修吾を見て、柚子が不思議そうに目を見開く。
 その表情が可愛らしくて、もう少しゆっくりしていこうかなんて迷いが過ぎる修吾。
 けれど、心の中に今行われている名勝負が掠めて、修吾はその思いを止めた。
「すっごい良い試合で、面白いから、見逃したくないんだ!」
 修吾が明るい声でそう言うと、柚子がポカンとした表情で修吾を見上げた後、おかしそうにクスクスと笑った。
「どうしたの?」
「二ノ宮くん、今日ちょっとテンション高いみたい」
「あ……ぇっと……」
「わたしも、試合終わったらダッシュで行こうっと♪」
「あぁ……うん。そうするといいよ」
 柚子がヒラヒラと手を振るので、修吾も軽く手を振り返し、素速く踵を返した。



「今日も1日、お疲れ様でした〜! 3組の総合優勝目指して、明日もファイト〜!!」
 勇兵が大きな声でそう言って、ペットボトルで乾杯をした。
 修吾は少しでもスペースを確保するため、自分だけベッドの上に胡坐を掻いた状態で身を乗り出す。
 修吾の部屋は、5人の客人を招き入れたことで、かなり手狭になっていた。
 けれど、その狭さが苦にならないのは、気の置けない友人だと自分が認めているからだろうか。
 さすがに大人数で押し掛けるから、と、清香と舞が気を利かして、近所の駄菓子屋で菓子を買ってきてくれた。
 のだけれど、今日友達が来るという話を聞いて、母も張り切ってクッキーとアップルパイを焼いて待っていたので、折りたたみ式のローテーブルの上には、所狭しと菓子が並んだ。
 秋行がアップルパイを1切れ摘んで、パクリと頬張る。
 最初の1切れに手を伸ばすのは気が引けていたのか、続いて柚子がパイに手を伸ばした。
「いつもより甘めに作ったから、口に合わなかったらごめんなさい、って言ってたけど……」
 柚子がかぶりついたのを見て、修吾は静かにそう言った。
 その言葉に、秋行と柚子が揃って、首を横に振る。
「デリ〜シャス☆」
「美味です♪」
「……そう……」
 2人の口に合うということは、自分は確実に顔が青くなるレベルだな……と、心の中で呟く。
 柚子の隣で、舞が困ったように清香を見て、唇を尖らせた。
「もうさぁ……いい加減、機嫌直してってば、清香ぁ……」
 なぜか勇兵を挟んで舞と清香が座ったので、不思議に思っていたのだが、どうやら舞が清香を怒らせたらしい。
 清香の不機嫌な時の怖さを知っている修吾は、出来るだけ触れないようにしようと、座り位置をずらした。
 清香はニッコリと笑って、クッキーに手を伸ばす。
「いただきま〜す」
「あ、うん。どーぞ」
 舞のことは完全スルー。
 ……これは重症だ。
「シャドー、何やったの?」
 勇兵が珍しく小声でそう尋ねた。
 とはいえ、この空間内で小声で聞いても筒抜けなのであまり意味はない。
 舞も全員に聞こえていることは分かりきっているので、勇兵の質問に対して、目配せだけして首を振った。
 どうやら、舞自身よくわかっていないようだ。
 秋行がそんな2人の様子を見て、おかしそうに笑う。
「なんだか、彼氏彼女の喧嘩みたいだべ」
「な、南雲くん……」
「渡井さんもそう思わね?」
「ぇ、えっとぉ……ふ、2人、仲良いからねぇ……」
 柚子は躊躇うように言い淀みながらも、笑ってみせた。
「くーちゃんみたいな子が、彼女なんて嫌です」
 ツンと清香が言うと、秋行が更におかしそうに笑った。
「シャドーのほうが彼氏っぽいけどなぁ。今日のバスケの試合といい、男前だべ〜」
「南雲くん、こんな可愛い女子を捕まえて、それはどうゆう意味かな……?」
 秋行の言葉に、舞が敏感に反応した。
 とはいえ、茶化しの言葉が入っているので、半分は冗談なのだろう。
「カッコよがったって言ってるだげだべ〜」
「う、うん。今日の舞ちゃん、カッコ良かったよ!」
「だべ〜?」
「清香ちゃんも、カッコ良かったよ。3組のボスって感じだった」
 秋行が余計なことを言うのを、柚子が必死にフォローしている。
 その様子を見て、舞がおかしそうに笑ってため息を吐いた。
「さ〜やか。後で聞くから、今は一時休戦にしてくれない? なんか、柚子が可哀想。大好きなお菓子に集中させてあげましょ」
「…………。別に私怒ってないも〜ん」
「また、そんなこと言って! じゃ、こっち来なさいよ。話し辛いったらないわ」
「話すことないもの」
「さーやーかー……」
「……あの、俺が菓子食えないから、シャドーの隣行ってよ、遠野」
 自分の前を飛び交う言葉の応酬にいい加減嫌気が差したのか、勇兵は苦笑しながらそう言って立ち上がった。
「え?」
「ちょっと拗ねてるだけなんだろ? そういう時間、勿体無いって」
 穏やかにそう言い、軽く片目をパチリと閉じて笑う勇兵。
 スナック菓子の袋を丸々手に取り、修吾の脇に腰掛けた。
「あ、ベッド座るね、修ちゃん」
「もう座ってるじゃん」
「なはは。修ちゃん、明日もよろしく頼むよ〜」
 スナックを口に運びながらそう言う勇兵。
 修吾はその言葉にはぁ……とため息を吐いた。
「1試合目の途中まで見たけど、シュウちゃん、大活躍だったみたいだね。カッコ良かったよ?」
 清香が柔らかい表情でそう言って、こちらに視線を寄越した。
 どうやら、舞以外にはチクチクしないらしい。
 秋行が清香のひと言に引っ掛かったのか、不思議そうに首を傾げる。
「あれ? 彼氏彼女はこっち? あれ? でも……」
 秋行は考えながら、色々な人の顔を見比べる。
 見かねて修吾はすぐにフォローを入れた。
「幼馴染」
「へぇぇぇぇ……。いつも、遠野さん、『二ノ宮くん』だべ。なして?」
「シュウちゃん、人気あるから角が立たないようにね。それに、幼馴染って言っても、9年も前のことだから、そんなに仲良しって訳でもないの。ね? シュウちゃん、私のことなんか、綺麗さっぱり忘れてたもんね〜?」
「だって、それは……髪型も性格も……」
「ん? 何か言った?」
「……いや、なんでもない」
 昔の清香は、お転婆で横暴で気が強かったんです、なんて言えようはずもなく。
 修吾はすぐに言葉を引っ込めた。
 まぁ、今でも十分横暴だと思うけど。
 そういえば、そんな清香が時々可愛い子ぶって大人しくなったことがあったことに思い至って、修吾は清香をマジマジと見た。
 ……あれはどういうタイミングであったろうか。
 清香は美味しそうにクッキーを食べ、柚子と秋行と話している。
 その会話に勇兵も加わり、一層ボリュームが上がった。
 清香の代わりに舞がその視線に気が付いて、楽しそうに笑った。
 食べていた棒チョコを食べ切ってから口を開く。
「見る相手間違ってんじゃん? ニノでも見惚れることあるの? 可愛い女子に興味あるの?」
 ……まるで、人に性欲がないみたいな言い様だ。
 と言い返したかったが、柚子がこちらを見たので、一気に顔に血が上る。
「バッ……ぼーっとしてただけだよ」
 吐き捨てるように言って誤魔化し、その後更に照れを誤魔化すために続けた。
「そういえば、シャドー、コーヒーは?」
「あー、球技大会終わったらね。スポーツにコーヒーとかありえないわ、あたし的に」
「……そう」
「飲みたい?」
「別に」
 正直、あの時はああ言ったものの、現時点でコーヒーなんてどうでもよかった。
「しゅ、……二ノ宮くん、おせんべい食べる?」
 甘いものが苦手な修吾を気遣うように、駄菓子屋の袋から小袋に入った煎餅を取り出して、柚子がこちらを見た。
「あ、ああ。ちょうだい」
 手を差し出して、それを受け取って小袋を破り、口に含んだ。
 そういえば、テーブルの上には甘いものばかり並んでいたので、自分だけ何にも手を伸ばしていなかった。
 今日は結構動き回ったからか、お腹も空いていた。
 煎餅の塩気が、舌に優しい。
「アキちゃん、明日も期待してなよ?」
「ん! 楽しみ! でも、ゆるぐねがったら、ボクのこと、無理に出そうとしねくていいがんね? ボク、優勝すっとご見でぇ!」
「……そっか。優勝すっとご、絶対見してやっかんな! 期待しとげよ〜!!」
 勇兵はそう言って、身を乗り出し、秋行の髪の毛をワシャワシャとかき混ぜた。
 それをくすぐったそうに受け、秋行が声を上げて笑う。
「ツカ、またうつってるって」
 舞が突っ込むと、その場にいた全員が笑った。
 修吾もつられて笑いをこぼす。
 その様子を柚子が見ていて、優しい視線で見守っていたのだけれど、修吾はそんなことには一切気が付かないのだった。



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