◆◆ 第8篇 白球・涙雨の日は相合傘で ◆◆

Chapter1.塚原 勇兵



「ふんふふ〜ん♪ ラーメン、ラーメン♪」
 たくさん食べてから寝たにも関わらず、夜中、腹が空いて目が覚めた。
 勇兵はインスタントの袋から麺を取り出して、そのままひと口パリッとかじり、残りを沸騰しているお湯に突っ込んだ。
 バリボリと咀嚼し、口の中のものを飲み込む。
 まだ起きていた姉が台所まで来て怪訝な顔をした。
「何やってんの? 今、夜中の3時よ?」
 まともに働いているくせにまだ寝ていない姉のほうが、よっぽど何やってんのな訳だが、勇兵はそのへんは気にせずに笑った。
「腹減った♪」
「……そう。ラーメン? あんたさぁ、もう少し気ぃ遣いなよ。スポーツ推薦とか狙ってるんじゃないの?」
「すぽーつすいせん? んにゃ、そんなこと考えたこともなかったなぁ……。俺、地元就職組のつもりでいたし」
 冷蔵庫を開けて、夕飯の残りをつまみ食いしてから、煮えたラーメンをお玉で掬い出し、お椀に入れた。
「姉ちゃんも食う?」
「要らない。この時間に食べたら太る」
「……もう手おく……」
「ぁん? 何か言った? 勇兵くん?」
「……いえ、別に。なんでも、ありません」
 凄い声で凄んだ後、ニッコリと笑う姉。
 勇兵は鉄拳制裁を恐れて、すぐに言いかけた言葉を取り消した。
「ふーん」
「何?」
「勇兵は就職するの?」
「……のつもりだったけど?」
「ふーん……あんたでもちゃんと考えてたりすんのねぇ」
「ちゃんとは考えてねぇけど、さっさと働いて恩返ししたいしねぇ」
「……ま、このご時世、高校生の就職って厳しいと思うけどねー。お姉ちゃんとしてはオリンピック目指して頑張って欲しいなー」
「姉貴、どんだけ夢見がちなんだよ」
 ラーメンをすすってから、勇兵はおかしくて笑った。
「勇兵がリアルなこと言うから寂しいだけよ。舞ちゃんだって、それ聞いたらビックリでしょうね」
「……なんで、舞だよ?」
「だって、保育園の頃言ってたじゃない?」
「な、何を?」
「『おれはー、せかいでいちばんのヒーローになるんだからなー。みてろよー、まいー』って」
 当時のことを思い出すように目を閉じて、姉は楽しそうにそう言った。
 勇兵はそれを聞いてボボボッと顔が熱くなる。
 当時、喧嘩も口も舞には敵わず、それでも、鉄棒だけは舞より先に逆上がりが出来るようになった。
 それまで勝ったことがなかった自分は嬉しくなって、舞にそう言ったのだ。
 舞は元々素直な性格なので、『すごーい』と拍手をして称えてくれていたのに、そんなことを言ったものだから、急にきょとんとしてしまったことを覚えている。
 勇兵は舞をライバル視していたけれど、舞は全然そんな風に考えてはいなかったのだ。
 張り合うような口を聞き出したのは……自分が原因だったのかな。そんなことに思い至る。
「が、ガキの頃の話じゃん」
「そうだけどねー。そっかー。あの勇兵が、もう進路のことをねー」
「……悪い?」
「ううん。さっきから言ってるじゃん。寂しいのよ」
「そ」
「うん。さってと……そろそろ寝ようかなぁ。あんた、明日も朝練で早いんでしょ? さっさと寝なよ?」
「わぁってる」
「おやすみ〜」
「グンナイ」
「ふふっ」
 テキトーに返事をしたのがおかしかったのか、姉の笑い声が深夜の廊下に響いた。
 勇兵は静かになった台所でズズズッとラーメンをすする。
 話しながら食べていたせいか、伸び始めていた。
 慌ててスピードを上げると、今度は汁が顔に跳ねた。
 まだ少し熱かったので、慌てて拭い、目を細める。
 『世界で1番のヒーロー』?
 先程の姉の言葉を反芻してみると、ため息が漏れた。
「ばぁか」
 高望みしすぎだよ。昔の自分。



 誰もいなくなった体育館で2人、軽く流すようにトスを打ち合う。
 彼女のトスは宙で綺麗な弧を描いて、勇兵の手元に綺麗に戻ってくる。
 勇兵のトスはそこまで微調整が取れずに、彼女が細かく動いて拾ってくれていた。
 日和子は繊細な指の動きで、正確なトスを寄越す。
 試合でそこまで精確なトスは必要とされないかもしれないけれど、乱れもなく返って来るボールに、思わず嘆息が漏れた。
「丹羽ちゃんはすごいなー」
「え?」
「どうすれば、こんなに精確なトスが上げられるの?」
「……ずっと、練習してましたから」
「トス?」
「はい。私には、これしかないって、そう思って。ずっと、トスの練習ばっかり」
「…………」
「でも、試合ではほとんど成果を出せずに、自滅……そればっかり」
 綺麗な音が体育館に響く。
 彼女の指から綺麗な放物線を描いて、勇兵の頭上へとボールが戻ってくる。
 勇兵はそれを丁寧な指使いで返す。
 目の前にお手本がいるから、真似をしてみたくなる。
 けれど、真似をしているつもりなのに、彼女のフォームは一朝一夕ではコピー出来なかった。
「コートの中で、声が聞こえなくなるんです」
「声が?」
「近くでザワザワと音がして、周囲の声が遠くなって……冷静になろうとすればするほど、テンパってしまって、足が止まるんです」
「…………」
「セッターは、チームの要です。全体を見れなくてはなれません。……だから、私にはその資格がないのだと思います」
「に……」
「でも、今出来ないことなら、この先出来るようになるかもしれない」
 日和子はボールをキャッチして胸に抱くと、静かな眼差しでこちらを見た。
「トスだって、最初から上手かった訳ではないのだから」
「あ、ああ。そうだよ。その通り」
 優しく笑う勇兵に、日和子もいつもの涼しい表情から、少し柔らかな笑みを浮かべた。
「塚原先輩は」
「?」
「どうして、リベロを希望したんですか?」
 突然の問いに、勇兵は目を丸くする。
 昨年の今頃、勇兵は自分からリベロをやりたいと監督に直談判した。
 その時と同じ問い。
「俺」
「はい」
「凄い人見ると、居ても立ってもいられなくなるんだ」
「凄い人?」
「拓先輩」
「…………」
「あの人の動きは、丹羽ちゃんと同じで、これしかないって考えた人の、磨き抜かれた一流の動きだと思ったんだ。俺、良いと思ったものは、全部欲しくなるんだよね。だから、どうすればああいう動きが出来るんだろうって、ひたすら、1年間、あの人のことだけ追っかけてた」
「そう、なんですか」
「もし、高総体が駄目でも、3年の先輩たちの技、全部抱えて、俺たちが引き継いでやるって……そう思ってるから」
「…………」
「拓先輩には、嫌われちゃってるけどね」
 茶化すように笑ってそう言うと、日和子が何か考えるように目を細めた。
「どったの?」
「いえ。……誰かの想いを引き継ぐとか、引き受けるとか……私は考えたことなかったなって、そう思っていただけです」
「丹羽ちゃん」
「はい?」
「バレーボールを、1人でやろうとしちゃ駄目だよ」
「…………」
「ボールには連続で触れないんだから、どう足掻いたって、2人は必要なんだもん。そんな中で、1人相撲しちゃ駄目なんだ」
「……頭では、分かってるんですけどね……なかなか」
「うん。じゃ」
 勇兵はニコニコ笑って、彼女に歩み寄った。
 突然近づいてきた勇兵に、日和子はびくつくように後ずさる。
 1ヶ月近く一緒に練習しているのに、まだ懐いてくれないんですよね。この小動物。
 そんなことを心の中で呟きながら、勇兵は優しく日和子の頭に触れた。
「丹羽ちゃんが試合形式の練習でトチらずに誉められますように!」
「…………」
「俺の想いを送っておくね。これで、丹羽ちゃんは、1人バレーしない。しないしないしない。へへー。暗示♪ ん? あれ? 丹羽ちゃん?」
 日和子は床を見つめたまま、顔を上げてくれないので、勇兵は首を傾げる。
 また、セクハラとか言われちゃうのかな?
 そんなことを思いながら、膝を屈めて、日和子の顔を覗き込む。
 すると、日和子は素早くそっぽを向いて、勇兵の視線をかわした。
 ボールをきゅっと胸の前で抱いて、こちらに背中を向けたまま、日和子は静かに言う。
「が、頑張ります……」
「? う、うん。頑張ろう」
 日和子の動きの意味がよく分からないまま、返された言葉に頭を掻きながら頷いた。



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