◆◆ 第8篇 白球・涙雨の日は相合傘で ◆◆
Chapter3.丹羽 日和子
次の時間が選択授業の音楽なので、日和子は教科書と筆記具を持って、廊下に出た。 歌枝は歌が苦手との理由で、選択授業は書道を選択していた。 そのため、この時間だけ、日和子は1人になる。 毎日帰りが遅いのもあって、眠気でふらつきながら階段を上った。 あと2段で上りきりそうなところで、目測を誤って段の縁に突っかかる。 「っと」 特に慌てることなく、素早く片足で跳ね上がって、一番上の段に足をつく。 ちょうど、こちらに歩いてきていた女子生徒が2人いて、避けようと慌てて日和子は体を捻った。 けれど、2人はさすがに避けきれず、衝突しそうになった。 が、片方の女子生徒が素早く片手を開いて、日和子の体を受け止めてみせた。 「っぶないなぁ……」 その声で、日和子はすぐに相手が誰かを察した。 「車道先輩?」 「大丈夫? 清香」 「うん、全然平気」 「うん、それならいい。さっすが日和子、良い反応ねぇ♪」 日和子が顔を上げると、舞が笑顔でそう言った。 舞の隣には清香がいて、舞は清香の体を支えた状態で日和子の体も受け止めていた。 あの一瞬でどちらも支えようと動いた舞のほうが、よっぽど反応が良いと言えると思うのだが、彼女は涼しい顔で笑っている。 清香が体勢を立て直して、すぐに舞から離れた。 「あ、ご、ごめんなさい……眠気でふらふらしてて……その……」 「あー、部活? 運動部は大変そうねぇ……清香も忙しそうだし。ツカに至っては授業中も寝てるしなぁ」 「……寝て?」 「うん。寝てる。教師公認で。『先生、うるさくしないんで寝さしてください!』って、授業の前に言ってね?」 茶化すように話す舞。 清香はその光景を思い出したのか、クスクスと笑った。 日和子もなんとなくその光景が目に浮かんで一緒に笑った。 その笑顔に目を細める舞。 舞が支えていた手を離して、日和子の頭をポンポンと撫でてきた。 慌てて日和子は体を退く。 「撫でられるの、嫌い、だっけ?」 「は、はい……」 とはいえ、最近はミャオ先輩に散々ゴロゴロと懐かれるので、気にしなくなっていたりもするのだけれど、それでもやはり抵抗があるのは、自分が小柄だからだろうか。 残念そうに舞が目を細める。 それを見て清香がおかしそうに笑った。 「くーちゃん、そこまで残念そうにしなくたって……」 「だってぇ、こんなにちっさくて、こんなに可愛いのに、撫でられるのが嫌いなんてぇ……お前は猫か!」 猫……? 言われたことがよく分からなくて、日和子は小首を傾げてみせる。 「こんな可愛いナリしてさぁ、『絶対に負けませんから!』なんて言うくらい、気が強いしねぇ……清香にも見せてやりたかったなぁ。日和子、すっごい可愛かったのよ?」 球技大会の時の話を持ち出されて、日和子は顔が熱くなった。 あの時は、試合で熱くなって我を忘れていたのだ。 まさか、そのことを持ち出されるなんて、どんな羞恥プレイだろうか。 「あ、あ、あ、あの時は申し訳ありませんでした! 先輩に対して、なんてことを! 本当に……私ってば、いつもはあんなんじゃないのに……」 日和子の反応にきょとんとする舞。 「え? あたし、楽しかったから別に謝らなくていいわよ?」 「……で、でもぉ……私ってば……」 「あはは、変な子」 「丹羽さん? くーちゃん、本当に楽しかったみたいだから気にしなくていいのよ? 大体、丹羽さんを負かしておきながら、決勝で負けちゃったし。私と約束したのにねぇ、本気でやるって」 「う……」 「本気でやったら勝ってたよねぇ?」 清香がじとーっと舞を横目で見ながら、ふんわりと笑う。 この先輩は、笑いながら怖いオーラを出す人だなぁ……。 なんとなく、2人の力関係を察して、日和子はそんなことを考えた。 「そ、それはさぁ……あたし、体力ないから」 「勝ってた、よねぇ? 丹羽さんの時みたいにやってれば」 「あ、あのぉ……」 日和子は喧嘩が始まったのかと思って、怯えながら2人を見比べる。 その様子に清香が気が付いて、優しく笑った。 「あ、いつものことだから、気にしないでいいのよ?」 「は、はぁ……」 いつもの……? これが……? 「あ、そろそろ、行かないと」 清香は腕時計を見て、舞の腕を取った。 「もうそんな時間? 日和子。部活、頑張ってね?」 「あ、はい。さっきはありがとうございました」 「いえいえ」 舞は笑顔で手を振りながら、清香に引っ張られるまま階段を降りてゆく。 「相手が強くないと燃えないって答えはもう聞き飽きたしぃ」 「清香……お願いだからもういじめないで」 「私との約束だけじゃ、くーちゃんのモチベーションって上がらないものなんだねぇ」 「だから、それはさぁ……」 声が遠くなっていくのを見送りながら、日和子は首を傾げる。 「変な2人……」 ポソリと日和子は呟き、そのままゆっくり踵を返した。 「ぴわこさぁ、昨日、勇ちゃんと一緒に帰ったでしょ?」 自主練習の後片付けをしながら、小声でミャオ先輩が聞いてきた。 日和子は周囲を気にして、チラリとミャオ先輩を見る。 「大丈夫大丈夫。誰も聞いてないよ」 「……終電に遅れそうだったので自転車に乗っけてもらいました……」 「あー」 「な、なんですか?」 「ぴわこさぁ、偶然拾われたと思ってる?」 「……ぇ?」 「勇ちゃん、たぶん待ってたよ、それ」 「ま、まさかぁ……」 「だって、私が練習から上がった時、もう既に校門のところにいたもん」 「…………」 「ぴわこが片付けで最後まで残ってたの知ってたみたいだしねぇ」 「……そ、それが、どうかしたんですか?」 塚原勇兵はコートの中以外では本当に良い人で。 だから、ふと気が付いて、そういう行動を取ることだってきっとあるだろう。 ミャオ先輩に何を言われたとしても、どうにも実感が湧かない。 鼓動は段々速くなるけれど、日和子の心はしぼむばかりだ。 それを感じ取って、自分の心が分からずに、日和子は目を細めるしかない。 球技大会で、舞相手にムキになったことだって、自分ではいまいち理由がわからないのだ。 「ぴわこのこと、女バレに誘ったのも勇ちゃんだしさぁ」 「みゃ、ミャオ先輩」 「ん〜?」 「お願いですから、そゆ冗談は、やめて、ほし、です……」 「冗談って……」 「わ、私、昔からよくからかわれること多くて……反応が面白いみたいなんですけど、私、そゆの嫌なんで、やめてください……」 日和子は一生懸命口を動かしてそう言うと、ボール入れをガラガラと押して用具室へと走った。 ちょうど勇兵が用具室にボール入れをしまったところで、日和子の心臓は更にドキリと跳ねる。 ミャオ先輩が余計なことばかり言うから、変な風に意識してしまうではないか。 大会が終わって、また、2人での練習を再開した時、どういう顔をすればいいのかわからなくなってしまう。 そういうのは、嫌だった。 「お疲れ」 「お、お疲れ様です……」 「今日、は、時間ヘーキだね?」 「は、はい……」 「うん。じゃ、気をつけて帰って」 勇兵はいつもどおりの朗らかな笑顔でそう言い、すれ違い際、ポフポフと日和子の頭を撫でて歩いていってしまった。 いつもさりげなくポフポフとやられるので、避ける間もない。 日和子はボール入れを所定の位置に突っ込んでから、はぁぁ……とため息を漏らした。 もし仮に。 仮にの話だ。 自分が勇兵を好きだとして。 相手には好きな人がいるのに、その恋は報われることがあるのだろうか。 高総体地区予選が始まった。 順当に勝ち残り、女バレの1・2年生は大きな荷物を抱えて、バスを降りた。 学校への道を歩きながら、日和子はぼんやりと今日の試合のミャオ先輩の動きを反芻していた。 女バレには、ミャオ先輩と自分しかセッターがいない。 だから、高総体が終わって3年の先輩たちが引退したら、必然とセッターが足らなくなる。 ミャオ先輩には決定力があるのだから、確実に点を取れるフォーメーション作りが重要になってくる。 その時、自分はそのフォーメーション作りのための力になれるだろうか。 真面目にそんなことを考えていた。 「ぴーわこ。大丈夫? 重くない? 持とうか?」 そんな日和子の懸念など知らないミャオ先輩が、明るい声で話しかけてきた。 「大丈夫です」 実際、日和子が持っているのは6個のボールを収納できるボールバッグ2つで、大して重くなどない。 「重くはないので……」 「うん、重くはないと思うんだけど、ぴわこの背で、ボールバッグ2つはなんかインパクトがあって」 「そですかね」 日和子は首を傾げつつ、ミャオ先輩を見上げた。 「小動物に無理させている心地になるのよねー」 本当にこの人はひと言多い人だ。 「…………」 「あ、怒った?」 「いえ、地顔です」 面白がられているのも分かっているので、日和子はつれない態度でそう言うと、少しだけ歩くスピードを速めた。 まぁ、その反応すら、ミャオ先輩が楽しんでいることもよく分かってはいるのだけれど。 校門を抜けて、校舎までの坂を登る。 その途中で、ウォータータンクを抱えた勇兵の背中が見えて、日和子は少し歩速を緩めた。 けれど、そんなことはお構い無しに、ミャオ先輩が勇兵に声を掛けたので、彼は笑顔でこちらを向いた。 「勇ちゃん」 「よぉ、タッチー。お、それに丹羽ちゃんじゃん」 白い歯を見せてニィッと笑う勇兵。 日和子はペコリとお辞儀だけして通り過ぎようとしたのだけれど、それをミャオ先輩に阻まれた。 日和子の肩をガッシリ抱いて、ニッコリと笑うミャオ先輩。 「タッチー、勝った?」 「負けてたら、この可愛い子いじって遊んでないって」 余裕の声を返すミャオ先輩。 「そっちは?」 「ん? ああ、勝ったよ」 そう言いながら、少し歯切れの悪い勇兵。 日和子はそれが気に掛かって首を傾げた。 ミャオ先輩もなんとなく気が付いたようだったけれど、そこには触れずに話を続ける。 「県大会まではサクッと決めちゃいたいところよね」 「そうだなぁ……いやー、さすがに、中学の頃、県選抜に選ばれたヤツは言うことが違うねぇ」 「なぁに言ってんのよ。うちのチーム、ちゃんと力が発揮出来れば、県大会くらいまでは行けるでしょ?」 「んー、そう、なのかな?」 「なに? 勇ちゃん、珍しく歯切れ悪くない?」 「……女バレは地区予選余裕だろうけど、男バレは実力が拮抗してるんだよ。あんまし軽いこと言ってっと、先輩にどやされんの」 「……なんか、勇ちゃん、らしくないよー?」 「俺らしいって何?」 勇兵が珍しく不機嫌な声でそう返してきたので、ミャオ先輩も驚いたように目を見開いた。 少し様子を見るように間を空けたが、2人とも口を開かないので、気遣うように日和子が声を掛けた。 「試合で、お疲れですか?」 その声に勇兵が我に返ったようにこちらを見る。 そして、自分の言動を恥じるように口を押さえ、顔を真っ赤に染めた。 「あ、わ、わり。うん。お疲れです。きょ、今日は、自主練しないで、帰って寝ようかな。ハハ」 「そう、ですか。そうしたほうがいいですよ。ストレッチして、お風呂でマッサージして、何も考えないで寝てください」 「う、うん。サンキュ。……丹羽ちゃんも」 「 ? 」 「タッチーの技、ちゃんと盗んで来いな?」 「……はい。それでは。行きましょう? ミャオ先輩」 「あ、うん。じゃね、勇ちゃん」 「ああ」 日和子が促すと、ミャオ先輩は日和子から体を離して、早足で歩いていく。 日和子もそれを追いかけようと小走りになった。 「ビックリしたぁ」 「え?」 「勇ちゃんが不機嫌なとこ見るの、私初めてだったから」 「そう、なんですか?」 ……確かに、不機嫌なところを見るのは、日和子も初めてだった。 「元気ないことは、1回だけあったんだけどねぇ……」 「へぇ……」 人間だから、元気のないことがあっても珍しくはない気がするけれど、勇兵に限っては、そういう面を周囲に悟られないように振舞うところがある人なので、少しばかり引っ掛かった。 「うん、でも」 「はい」 「ぴわこ、やっぱり、アンタ良いわ」 「え?」 「私は断然ぴわこを応援しますわ♪」 「…………。発言の意味が理解できません」 日和子はわざとらしくそう言って、ため息を吐いた。 本当に、ミャオ先輩は一体何が面白くて、こんなに日和子のことをけしかけるんだろうか。 |