◆◆ 第8篇 白球・涙雨の日は相合傘で ◆◆
Chapter4.車道 舞
『ホント、ニノの兄貴って失礼だよね』 『ごめんな。……でも、兄貴って、あれで一応人見知りなとこあるんだけどなぁ』 『え? あれで?』 『……うーん。シャドーだと言いやすいのかなぁ?』 球技大会中の修吾宅での集いの帰り。 大きい道路までみんなを送るためについてきていた修吾が、舞の言葉に対してそう返してきた。 『シャドーは打てば響くからな。からかい甲斐あるんじゃん?』 と言ったのは勇兵。秋行がその脇で楽しそうにニコニコと笑っていた。 『……昔から誰に対してもザクッと言う人だから、ザクッと言われても気にしないんじゃないかな。ケンゴさんは、そういう人だよ』 舞の隣を歩いていた清香が、静かにそう言った。 『人見知りな上に、言葉選びが悪すぎるから苦労してるタイプなんだ。その上、性格は高飛車だし。手に負えないよ』 『ほんっと、似てない兄弟……でもないわね』 『え?』 『人見知りな上に、言葉選びの悪い男がここにも』 修吾を指差してそう言うと、修吾の隣を歩いていた柚子がおかしそうにクスクスと笑った。 『渡井ぃ?』 『だ、だって……確かにそうだもん。あはは、舞ちゃんったら』 『そ、そんなにオレ言葉選び悪いかな……』 『感情が表情に出にくいし、シャイで大事なこと言わないし、手に負えないわね』 修吾の真似をして言うと、勇兵や秋行までおかしそうに笑った。 それを見て、修吾が悔しそうに唇を尖らせる。 『な、なんだよ、みんなして……』 『しょうがないよ。それがシュウちゃんのいいところだし』 清香だけが、修吾の困っている様子を見てフォローを入れた。 というよりも、夕方から少し元気がないのだ。 賢吾と何かあったのだろうか。 『清香……大丈夫?』 『……うん』 『本当に?』 『あとで』 『え?』 『あとで話すから』 『…………。わかった』 その、あとで、はいつになるんだろうか。 気が付いたら、あれから2週間が過ぎていた。 初めて入った清香の部屋。 舞は完成されたピンク色の空間に、思わず、頭がクラリとした。 ピンク色といっても、おかしなニュアンスを込めて言っている訳ではなく、清香の好きな色なのか、カーテンも壁紙も桜色で統一されており、ベッドの上には持ち主はどこで寝るのかと思わされるほどに、ぬいぐるみが並んでいた。 柚子の部屋とはまた違った、女の子の部屋、という雰囲気。 「適当に寛いでて? 今、お菓子持ってくるから」 「清香……」 「なに?」 「ピンク色の牢屋に囚人を閉じ込めておくと、気が触れそうになったらしいよ。まぁ、あれはどピンクの話だったけど」 「……突然、どうしたの?」 「いや、ちょっと落ち着かない、かな?」 「そんなこと言われてもなぁ……。今日、お母さんいる日だし」 「あ、別に部屋を変えたいとかそういうんじゃなくて。これが清香の部屋か、と言いたかっただけ。ごめん」 「…………。うん、これが私の好きな空間。くーちゃんの部屋は、落ち着いてるもんね」 清香は優しく笑うと、今度こそ、ドアを閉めて、パタパタと階段を降りていってしまった。 舞も部屋を軽く見てから、ゆっくり腰を下ろした。 ベッドを背もたれにして、本棚を見上げる。 テーピングの本に、テニスのルールブック。音楽関連の本、雑誌。 刺繍やお菓子作りの本に、数冊恋愛物のハードカバー小説が並んでいた。 本棚を覗くと、その人の人となりが見えてくる、と言ったのは、一体誰だったろう。 一段視線を下げると、写真立てを置くエリアとして使っているらしく、4つほど写真立てが置かれていた。 ピアノコンクールの時のものなのか、可愛らしいドレスを着て賞状を持ち、にこやかに笑っている写真。 中学時代のテニス部の仲良しグループで撮った写真。 文化祭の時のウェイトレス姿で、ユンと一緒に楽しそうに映っている写真。 最後の1枚は、中学時代のシンデレラの劇の後に、2人で撮ってもらった写真だった。 舞は膝立ちで、本棚の傍まで行って、写真立てを手に取った。 自分もアルバムに大事に貼っているが、こんなものをガッツリ飾られてしまうと、すごい照れが湧き上がって来る。 階段を上がってくる足音がして、すぐにカチャリとドアが開く。 コップとお菓子を載せたプレートを、ローテーブルに置くと、清香はふんわりと笑った。 「ごめんね、待たせちゃって」 「ううん、大丈夫。それより、これ……」 「よく撮れてるよね。私も、くーちゃんも、良い顔してる」 「テンション上がってたからねー。つーか、あたしの破顔っぷりが恥ずかしくてしょうがないな」 「そう? 可愛いよ。特に、くーちゃんはどんなにテンション上がってても、周囲を気にする人だから、なかなかそんな笑顔、見られない」 「……あはは。照れるなぁ……本気にするよ?」 「本気で言ってるも〜ん」 舞が写真立てを置いて、そちらを見ると、清香は茶化すようにそう言ってから、テーブルの上を示した。 「チーズケーキ、召し上がれ」 舞はゆっくりと座り直して、チーズケーキを見下ろす。 「清香が作ったの?」 「勿論」 清香も腰を下ろして、じっとこちらを見てくる。 どうやら、食べるまで視線を逸らしてくれそうにない。 なので、舞はそっと手を合わせてから、フォークを手に取った。 「美味しそうね」 「でしょう? 自信作」 「清香って、将来なりたいものある?」 「何、突然……」 「ん……あたしはないんだよねって話。……ぅん。ちょうどいい甘さ。美味しい」 「ホント? よかった」 清香は舞の反応を見て嬉しそうに笑うと、頬杖をついた。 「パティシエだよ」 「え?」 「なりたいもの」 「……そうなんだ」 あまりにもサックリと迷いなく言われたので、舞は少しだけ戸惑った。 みんな、意志がしっかりしている。 修吾は作家で、柚子は画家。勇兵はよくわからないが、きっと彼なりのヴィジョンがしっかりあるだろうし、清香も清香で、もう見据えている未来がある。 ……また、自分ばかりが取り残されている。 「そっか。くーちゃんは、まだ決まってないんだね」 「みんなの情熱が羨ましい」 舞はそっと目を伏せてそう言うと、小さくため息を吐いた。 清香が心配するように目を細めた。 少し、声が低くなりすぎたろうか。 「くーちゃんにとって」 「え?」 「丹羽さんとの出会いはプラスだったのかもしれないね」 「……どうして?」 「本当はやりたいのに、それを諦めようとしている子。放っておけなかったんでしょう? 諦める以前に、やりたいことが見つからないくーちゃんだからこそ」 「確かにね」 「それで、考えたこともたくさんあったでしょう?」 「まぁ、ね……」 「……これは、私個人の意見だから、くーちゃんは気にしなくていいんだけどね?」 「ぅん?」 「くーちゃんは、優しいし、頭も良いから……セラピストとか、人と接して癒してあげるような職業が、向いてると思うよ」 「……優しいかぁ?」 「優しいよ。お人好しでお節介じゃない。だから、私、やきもち焼き放題だもの」 「…………」 「それに」 「ん?」 「私、初めて付き合った先輩に振られた時、くーちゃんのおかげで、すごく楽になれたよ」 「……あー、あれかぁ……」 「向いてると思う。選択肢として、調べてみるのもいいんじゃないかな?」 「うん。ありがと……」 舞は静かに清香に礼を言う。 清香はなんでもない風に笑って、その後、真剣な目で舞を見た。 「……今日呼んだ用件なんだけど」 「ぅん」 「くーちゃん、ここ最近、シュウちゃんと私の仲、勘繰っていたでしょう?」 「……まぁ、ね」 「正直に言うと」 清香の声が少し恥ずかしげに揺れる。 「シュウちゃんじゃなくて、ケンゴさんなの」 「……え?」 「初恋の、相手……」 清香の顔が真っ赤に染まる。 恥ずかしさを誤魔化すように髪の毛を耳に掛け直し、目を伏せる清香。 言われて、舞はようやく清香の様子がおかしかった理由に思い至る。 「そう、なんだ……」 とはいえ、思い至ったところで、どう声を掛ければいいのかがわからない。 「昔、告白して振られたの。幼少期のトラウマ……。あれ以来、アクティブになれなくて……痛いの分かるから、人を傷つけるのもやだし、中途半端な立ち居振る舞いばっかりするようになっちゃって。女子に嫌われてもしょうがないよねぇ」 清香は努めて明るく話してくれようとしているので、舞も優しい眼差しでただそれを見守ることにした。 「我が強くて、自己主張が激しくて、プライド高くて……ホント、子供の中の子供だったのに……。ケンゴさんに振られてから、自分に自信が持てなくなっちゃってさぁ……。自信持てるように、色々頑張ったけど、それでついてきてくれるものでもないし」 「……時たま出る勝気な清香は、それかぁ」 「気だけは強いのよね。嫌になっちゃう」 「清香さぁ……今でも、ニノの兄貴のこと、好き?」 「どうしてそんな話になるの? 私は……」 「好きでしょ。だって、未だに立ち直れてないんだもん。違う?」 「……そんなつもりで、この話した訳じゃ……」 舞はゆっくり立ち上がって、清香の隣に腰を下ろした。 清香が怯えるようにこちらを見る。ので、舞は一呼吸置いてから、静かに言った。 「妬かせてどうする気?」 「え?」 「あたし、あなたが思ってるほど、聖人じゃないからね」 「…………。いいよ」 清香の言葉に、舞は一瞬耳を疑った。 「不安なの……。自分で自分の気持ちが、よく分からなくて。混乱してて……。話そうかどうしようか、迷ってたら、2週間も経っちゃった……」 思いつめた表情の清香。 舞は数秒考え、やましいものを振り払った。 「……やっぱ、むかつくからしてあげない」 「え?」 「この流れでしたら、あたしの倫理に反するし」 「…………」 「チーズケーキ食べよっと」 舞は自分の皿を取って、パクリと頬張った。 「やっぱ、美味しいわ。すごいねぇ、清香は」 あっけらかんと笑ってそう言うと、清香がゆっくりともたれかかってきた。 ので、少しだけ姿勢を正して、それを支えてやる。 グスッと鼻をすする音。 もしかして、泣いてる? そう思いながらも、舞はそちらを見なかった。 「くーちゃん好みのお菓子だったら、もう完璧にマスターしてるもん」 涙声だ。 「……嬉しいこと言ってくれるじゃん」 「くーちゃんは理性の人だよね」 「へ?」 「感情に任せて、突っ走るなんて、きっとしない」 「突っ走って欲しかった?」 「……ううん。きっと、今、仮にされたとしたら、あとで、自己嫌悪に陥ったと思うから、これで正解だと思う」 「…………。清香が1番大事だからねぇ」 「くーちゃん」 「ん?」 「自分のことも、大事に出来る人になって」 「大事にしてるよ」 「私の言ったこと、理解してるんでしょ?」 「してるよ。でも、清香は隠さずに話してくれたでしょ。あたしにとっては、それだけで十分だよ」 「…………」 「前も言ったけど、あたしの心は変わらないから」 変わらなくても、離れていくものがあることは分かっていても、舞はそれを口にはしなかった。 清香が話してくれたのは、心が揺れているからだ。 けれど、人の心は自由に出来ない。 自分はただ、彼女を信じて、一緒にいることしか、今は出来ないのだと思う。 「私は……」 清香が苦しそうに目を細める。 あたしって、変かね? 舞は、心の中でそれだけ呟いた。 |