◆◆ 第8篇 白球・涙雨の日は相合傘で ◆◆

Chapter5.塚原 勇兵



「今回の地区予選、リベロは塚原をメインにローテーションを回す。糸峰はサブだ」
 監督の声が、静かに勇兵の耳に残った。
 光が「よかったじゃん」とでも言いたげに、肘で勇兵の腕をつついてきた。
 ドクンドクンと脈が速くなる。
 横目で拓を見ると、その顔は悔しげに歪んでいた。
 勇兵は下唇を噛んで逡巡する。
「ま、待ってください」
「どうした? 塚原」
「お、俺じゃないほうが……」
「……決定事項が揺らがないことくらい、お前も分かっているだろ」
 監督はいつも通りのクールな口調でそう言い、勇兵の話には耳を貸す姿勢も見せてはくれなかった。
 部の監督は、学年にこだわらず、実力順で番号を与えてくれる。
 だからこそ、勇兵も臆さずにレギュラー獲得を目指して、今まで邁進してこられた。
 けれど、3年生にとって、この大会は勝っても負けても、最後の大会になる。
 先輩たちが揃って試合に出られるのは……今回が最後だ。
 勇兵は拳を握り締めて、眉根を寄せる。
「勇兵? どうしたんだよ……」
 ミーティングが終わっても立ち尽くしたままの勇兵を心配して、光が声を掛けてきた。
「あ……いや、その……」
「ホント、お前、スゲーよなぁ。2年でレギュラーに入るの、お前だけだもんな。オレは鼻が高いよ」
「あ、ああ」
「なんだよ。らしくないぜ?」
「……は、はは。そんなことねぇよ。やっぱ、伊達にダイちゃんのアタック受けてないってねぇ♪」
 勇兵はなんとかいつも通りを装うように軽口を叩いた。
 拓がその言葉で立ち止まり、こちらを向いた。
 修吾よりも背が低いので、勇兵が見下ろす形に、どうしてもなってしまう。
「お前、さっきの何だ?」
「え……?」
「何のつもりだよ? 馬鹿にしてんのか?」
「い、え……そんなつもりじゃ……」
「要らねぇなら」
「……?」
「要らねぇなら、最初からリベロなんかに手ェ出してこなきゃ良かっただろ?! おれはな、お前みたいに中途半端なヤツが1番むかつくんだよ!!」
 拓はそう叫ぶと、思い切り勇兵の胸倉を掴んで、押し上げた。
 襟が詰まって、首が苦しくなる。
「すみま、せん……そんなつもりじゃ……」
「どうせ、おれらが引退したら、お前はアタッカーに戻るんだろ? リベロがいないフォーメーションで、一から作り直しだ。……のくせに、おれがようやく作り上げたポジションに土足で踏み入って、その上、おれのプレイスタイルの真似事! それだけならまだしも……、ふざけんなよ! お前なんかに温情掛けられたって、寝覚めが悪いだけなんだよ!!」
「何やってんだ、糸峰! おい、やめろって」
 大樹が慌てて間に割って入り、2人を引き離した。
 拓が今にも噛み付いてきそうな眼差しで、勇兵を睨んでくる。
「コイツ、嘗めた態度取りやがったんだよ。ふざけんな! おれの2年間返しやがれ! 全部、全部、おれの技じゃねぇか……おれの見つけたコツじゃねぇか! ふざけんじゃねぇ!!」
「糸峰……」
「……辞める」
「は?」
「出られないなら時間の無駄だ。受験勉強にさっさと切り替える」
「糸峰!」
 拓の言葉に激昂し、大樹が腹の底から名を呼んだ。
 その声に、ビクリと拓の肩が跳ねる。
 大樹のこんなに怒った顔を見たのは、初めてのことかもしれない。
「……お前だって分かってるだろ。勇兵は、頑張ってたよ」
「お前は……ずっと、塚原贔屓だったもんな」
「そうじゃない」
「何が違うんだよ」
「チームとして、強くなりたかった。だから、オレも勇兵をけしかけた。そうすれば、相対的にお前のやる気も上がると思ったからだ」
「…………」
「現に上がったじゃないか。お前ら2人、すごい良いレベルに仕上がったと思う。差なんて、ほとんどない」
「だから、なんだ?」
「ッ……」
「おれは、試合に出るために、このポジションを選んだ。守備だけを磨いたんだ。元々、アタッカー志望だったヤツが、急に横入りしてきて、その上、おれの正位置を持って行きやがったんだぞ? 簡単に納得しろってほうが無理なんだよ」
「……仮に、勇兵が他のポジションをやってたとしても、3年の誰かは、ポジションを取られただろうな」
「な……」
「アタッカーに来れば、オレの位置を取られてたかもしれない。コイツは、それくらい出来るヤツなんだよ。むしろ、本当はその意気で、オレとポジション争いして欲しかった。……でも、コイツが凄いと思ったのは、お前だったんだよ」
「ッ?! な、んだよ、それ……」
「勇兵は、お前からならポジション取れそうだから、リベロに行った訳じゃない。大体、リベロ枠なんて、場合によっては使わない場合だってあるんだぞ。仮に打算があるなら、そんなポジション、最初から選ぶ訳ない」
「…………」
「勇兵は、お前を心から尊敬して……」
「やめろ!」
「糸峰……」
「何を聞いたって、辛いだけだ! おれはダイキや他のメンバーみたいに、心が広くねぇんだよ!」
 拓は思い切り叫んで、そのまま体育館を出て行ってしまった。
 勇兵が後を追おうと、踵を返したが、すぐに大樹に止められた。
「ダイちゃん……」
「いい。アイツが自分の意思で戻ってこないなら、意味はないんだ」
「…………」
「オレがもっと早くに、お前ら2人、腹割って話させりゃよかった」
「……悪いのは、俺です」
「勇兵……頼りにしてるんだ。こんなことで、調子崩さないでくれよ?」
「……ウス」
 調子は崩さない。
 3年の先輩たちを、県大会に連れて行って、そして、そこで拓をコートに立たせてみせる。
 そう。そのはずだった。そのつもりだったのだ。
 もう、それしか、勇兵に出来る恩返しは、ないと思っていたから。



「やー、危なかったなぁ、今日。大樹が決めまくってくんなかったら、負けてたな」
「そんなことないって。調子良かったから、ガツガツ攻めただけ。良いじゃん。ポイントの取り合い。男子スポーツの醍醐味だ」
 原因なんて明らかなのに、大樹は一切気に留めないように笑ってそう言った。
 先輩たちも勇兵を気遣って、1番触れてはいけないところは避けてくれているようだった。
 その心遣いが、余計に胸に刺さる。
「しかし、拓のヤツ、大丈夫なんかね? 風邪」
「アイツ、1番練習熱心で、今まで風邪なんてひいたこともなかったのにな。よかったよ、あいつも人の子でさ。アハハ」
 大会前のイザコザを知らない先輩たちはそう言って、陽気に笑っている。
 勇兵のミスが多いのは、拓に気兼ねしてのことだろうと勝手に思っているようだった。
「ま、でも、その分、負けられないっしょ。アイツが出てくるまではさ」
「だよなぁ……。ったく、さっさと治して出て来いってんだよ」
 勇兵は先輩たちの会話を聞きながら、タオルでゴシゴシと汗を拭く。
「先輩たち、仲良いすよね」
「ん? そりゃそうだよ。だって、1人でも欠けたら、まともなチーム組めないかもしんなかったんだからさ。思った以上に、入ってきたお前らが上手かったから安心したもんだったけど」
「ずっと同じコートでやってきたんだぜ? 校内じゃ挨拶だけでもさ、やっぱ、繋がってるもんがあるよな」
「お前、今、自分で言って、照れてるだろ」
「……うるせーよ」
 勇兵は顔を上げて、その様子に笑った。
 先輩たちがその笑顔を見て、ほっとしたように目を細める。
「遠慮しなくていいんだぞ、塚原」
「え?」
「つーか、遠慮がちなお前なんて、見てて鳥肌立つよ。な?」
「選手ってのは、威風堂々。厚かましくあれ、ってな」
「拓は負けず嫌いで、どうしようもなく、先輩らしからぬヤツだけどもな」
「試合では最も頼れるヤツなんだ。威風堂々。厚かましくあれ、を地で通すヤツだからさ」
「…………」
「それを蹴落として出てんだから、そんなプレーされたら、拓が切れる」
「おれたちも切れる。ッハハ」
「……そう、ですよね……」
「そうそう。だから、明日以降は頼むぜー。こんなんじゃ、監督がフォーメーション自体変えるって言い出しかねないからな。俺たちは、試合に拓を出すこと、諦めてないんだからよ」
「ウス」
 勇兵は大きく頷いて、グッと奥歯を噛み締めた。
 気合を入れ直さないと。
 負けてしまったら、もうこの人たちとは、バレーが出来なくなるのだから。



「塚原先輩?」
 早く帰って、何も考えずに休んで、と言われたのに、なんとなく、校門で日和子を待っていた。
 ニッカシと白い歯を覗かせて笑い、手を高々と掲げる。
「よぉ、丹羽ちゃん。駅まで乗ってく?」
「……いえ。今日は歩いて帰ります」
「へ?」
「先輩はレギュラーですから、そんな疲れることさせられません。それに、間違いがあって、転んで怪我でもしたら大変です」
「……丹羽ちゃんって、本当に、真面目だねぇ」
「融通が利かないとはよく言われます」
「ハハッ。うん。そだね」
「それでは。お疲れのようでしたから、今日はゆっくり休んでください」
 日和子は軽く会釈をして、勇兵の脇をすり抜けていく。
 勇兵はそれを追いかけて、自転車を引きながら、日和子の隣に並んだ。
「え? な、なんですか?」
「一緒に帰ろうよー」
「……甘えた声出されても」
 素っ気無くそう言って、日和子はそっと勇兵から視線を外し、俯いてしまった。
 それが面白くなくて、勇兵は目を細める。
「疲れたけどさー、今日は人とあんまり会話をしてないから話したい気分なんだよー」
「そ、そういうのは、歌枝ちゃんとか、車道先輩とかにお願いしてください。私は話し下手なので、そういうのには向きませんよ」
「うーん……あの2人とは、話してると疲れるからなぁ……」
「え?」
「だって、気付くと言い合いになってんだもん。疲れるじゃん?」
「……はぁ」
「ね? 送ってくからさ。ちょっとだけ寄り道付き合って?」
「……しょうがないですね」
「いい?」
「だって、いいって言うまで、ついてきそうなんですもん」
 ため息混じりに日和子はそう言い、肩に掛けていたスポーツバッグを掛け直した。
「それで、どこ行くんですか?」
「んー。バッティングセンター?」
「……却下です」
「なんで?」
「疲れなくて、怪我する心配もないところにしてください」
「……なんだか、丹羽ちゃん、マネージャーさんみたいね」
「そうですか? 先輩があんまりにも考えなしなだけだと思いますけど」
「だってよぉ、女の子と2人で行くんだから、カッコいいとこ見せたいじゃんよ」
「運動神経抜群なのは知ってますから必要ないです」
 冷めた表情でそう言う日和子。
 さすがに面白くなくて、勇兵はポリポリと頭を掻いた。
 話題を探すように空を見上げる。
 しばらく歩いていると、日和子のほうからぼんやりと話を振ってきた。
「……今日、どうかされたんですか?」
「へ?」
「なんとなく、様子がおかしい気がして」
 チラリと日和子を見ると、日和子は本当に心配そうにこちらを見上げていた。
 頭1つ半の身長差があるので、その自然な上目遣いに、少しばかり心臓が跳ねた。
 たぶん、弱っているから。
 あまり他人のことに土足で踏み入ってこないこの子と話すのが楽だと、思ったんだろう。
 待っていた理由なんて、自分でもよくわからない。
「試合でミス連発しちった」
「……そうですか」
 勇兵が茶化し口調で言っても、日和子は神妙な面持ちでそれを聞いていた。
 それがおかしくて、クスリと小さく息が漏れる。
 その音が聞こえたのか、日和子が不思議そうにこちらを見た。
 この子は律儀で、真面目で、だから、簡単に慰めの言葉なんて出してこない。
 その温度が、とても楽に感じた。
 勇兵はぼーっと考えながら、軽く首を回す。
 ……ああ、そうか。
 日和子は、修吾と温度が似ているのだ。
『そろそろ暑苦しいから、抱きついてくるの、やめてくんない?』
 冷めた声で彼が言う。
 野郎に抱きつかれるのが気持ち悪いと言えばいいのに、修吾はいつも”暑苦しい”とだけ言う。
 そのへんの感覚のズレがおかしくて、つい、その彼の冷めた声を聞くために、いつもの振る舞いが崩せない。
 自分が彼女になんとなくの興味があるのは、修吾に興味を持った時と近いものがあるのかもしれない。
「丹羽ちゃんは何にも言ってくんないんだなぁって思って」
 日和子の不思議そうな表情に対して、勇兵は少し間を置いてから返した。
 日和子が考えるように目を細め、その後、サラリと前髪に触れた。
「知ってますから」
「え?」
「自分がミスしまくって自滅した後に掛けられる言葉が、どれだけ辛いか」
「…………」
「優しい言葉でも、厳しい言葉でも……、惨めになるだけって、知ってますから」
 整然と、それでも、優しい声で彼女は言った。
 胸の奥がザワザワと騒ぐ。
 鼻がツーンとする感覚。
 不味い。
 泣く。
 こんなところで……。
 みっともない。バカ、止まれよ。
 心の中、必死に自分をなだめすかす。
 けれど、目頭が熱くなって、どうしようもなかった。
 勇兵は顔を背けて、指で浮かんだ涙を拭う。
「先輩?」
「……惨めだね」
「…………」
「ミスでボロボロだった試合も、自滅した試合も、経験してきたはずなのに……、よりによって、こんな大事な大会で……って思えば思うほど」
「……はい」
 声が震える。
 きっと、日和子は勇兵が泣いていることに気が付いている。
 顔が見れないから、どんな表情でこちらを見ているかは分からないけれど。
「俺、出たい人蹴落として出てんのにさ」
「はい」
「情けねぇなぁって」
「はい」
「……なんで」
「…………」
「俺は、みんなで楽しいバレーがしたかっただけなんだけどなぁ……」
「志を引き継いで、技を引き継いで?」
「そう、だね」
「中学の引退試合」
「 ? 」
「私、試合、出られなかったんですよ」
 勇兵はそこでようやく日和子を見た。
 日和子は姿勢よく歩きながら、俯いてポソポソと話していた。
「私が出ると、試合ボロボロになっちゃうから、2年の子が出て……、私は、それをコートの外で見ていました」
「…………」
「物凄く、惨めでした。でも、代わりに出た子を恨めしくなんて思いませんでした」
「うん」
「その子も、先輩の最後の大会だっていう気負いがあったんでしょうね。全然良いところが無くて、試合はあっという間に終わってしまいました。その子、あまりにショックだったのか、私に会うと、本当に気まずそうな顔をして……」
 日和子がこちらに顔を向ける。
 とても凛とした眼差しだった。
「レギュラーって、相手の人を蹴落としてなるものでしょうか?」
「え?」
「そうじゃないと思います。頑張った結果が評価されるだけ」
「…………」
「そりゃ、駄目だった人が頑張ってなかった訳でないのは確かですけど、それでも、蹴落として出ている、なんて、塚原先輩には考えて欲しくないです。だって、先輩は一生懸命やっただけなんですから」
「丹羽ちゃん……」
「まだ、負けた訳じゃないんだし、それに、そんなに暗い顔でいられたら、他の先輩が調子崩しちゃいますよ」
「俺、そんな暗い?」
「はい。いつもの3分の1くらいしか、大型犬オーラが出てないです」
 日和子は至って真面目な顔でそう言った。
 ボケているつもりはないらしい。
「…………。丹羽ちゃん」
「はい?」
「俺は犬じゃないよー」
 そう言って、日和子のほっぺをむにっと摘む。
 彼女の皮膚の冷たさが指先に伝わって、ドキリとした。
 日和子が素早く身を引いて、ほっぺをさすり、唇を尖らせる。
「車道先輩が前に……」
「みんなしてなんだってんだよ、ホント」
「でも、塚原先輩の話をしている子って、大体、そんな感じの解釈で話を……」
「人間ならまだしも、犬ってさぁ! あー、俺がモテない理由が分かってきた気がする!」
「……先輩、自覚無いんですか……?」
「は?」
「いえ。なんでも」
 日和子はふるふると首を横に振ると、チラリとこちらを見て笑った。
「ん? どした?」
「元気、なりましたね」
「……あ」
 ……ボケだったのか。
 全然、そんな感じがしなかった。
 ポーカーフェイスっていうのは、こういう時に役に立つのか。
「あ、そういや、どこ行こうか?」
「……ぇっと」
 勇兵が思い出したようにそう言うと、日和子は少々困ったように小首を傾げた。



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