◆◆ 第8篇 白球・涙雨の日は相合傘で ◆◆

Chapter9.丹羽 日和子



 結局、あの後、30分以上歩いてカラオケボックスへ行った。
 疲れない……?
 日和子はうーんと首を捻ったが、勇兵がこれ以上の譲歩は出来ないと言うので、しょうがなく従った。
 明日も試合であることなど、全く気にしないように、勇兵ははしゃぎまわって歌いまくった。
 意外なことに勇兵は歌が上手くて、日和子はその歌う様を見ているだけで、ボボボッと顔が熱くなってしまったほどだった。
『じょ、上手ですね』
『ん?』
『歌……』
 すっきりしたようにシートに腰掛けた勇兵に対して、ようやく日和子はそう言った。
 勇兵の歌う曲は、最近流行りの曲というよりかは、インディーズや洋楽がメインで、あまり音楽に詳しくない日和子も、はじめはノリに困ってしまうかと思った。
 が、勇兵が上手いので、知らない曲、なんてことは全く意識せずに聞けた。
『そう? 俺、声でかいからそう聞こえるだけじゃない? こういうのって堂々としたもん勝ちだからさ』
『いえ……そんなこと』
『そんなことよりさぁ、丹羽ちゃんも1曲くらい歌おうよ〜。せっかく来たのに、俺だけって!』
『ぇ……いえ、わ、私は……歌は苦手で……』
『歌枝から聞いてるよぉ。選択授業、音楽なんでしょ? それで、すっごい下手ってことは、ないと思うんだけどなぁ』
『上手い下手と、得手不得手は別物ですよ……』
 勇兵が電子パネルをこちらに向けて、人懐っこく笑うので、日和子は唇を尖らせて俯いた。
 カラオケなんて来たこと自体が初めてで、どう対応していいのか分からない。
『んー……嫌なら、しょうがないけどさぁ……』
 残念そうな勇兵の声。
『先輩って』
『ん?』
『色んな曲、知ってるんですね』
『あー。姉貴がね、色々レンタルしてくるから、ついでに俺もご相伴に預かってるんだわ』
『……なるほど』
『丹羽ちゃん、なんか好きな曲ない? あったら歌うよ?』
『好きな曲……ですか?』
『うん、分かる曲ならなんでも。付き合ってくれたお礼も兼ねて』
 屈託のない笑顔。
 誰にでも好意的に接することが出来る人というのは、本当に罪深いと思う。
 でも、それを分かっていながら、惹かれている自分自身が、一番情けない。
 ……うん……。
 心の中、思わず頷いた。
 認めよう。
 自分は、この人に惹かれている。
 それはもうしょうがない。
 どうしようも、ない。
『好きな曲……』
『うん?』
 日和子はふらふらと宙を見、搾り出すように有名バンドの曲を口にした。
 それを聞いた瞬間、勇兵が困ったように唇を尖らせる。
『マジ? あの人、むちゃくちゃ上手いじゃん。俺で大丈夫?』
 なんでもと言いながら、急激にわたつく彼の様子がおかしくて、日和子はクスッと笑った。
 きっと、わたついた理由は歌い手が上手いからじゃない。
 それが、熱烈的なラブソングだったからだと思う。



「よぉぉっし! 勝った勝ったぁぁ♪ 県大会県大会♪」
 コートが見渡せる2階通路で応援していた日和子たちのところに、ミャオ先輩が真っ先に戻ってきて笑顔でそう叫んだ。
 その後に続いて戻ってきたキャプテンが、パシンとミャオ先輩の頭を叩く。
「他の学校の人もいるんだから、迷惑を考えなさい。ホント、アンタ、女バレの塚原くんね」
「なんですかぁ、その”女バレの塚原くん”って。だったら、勇ちゃんは”男バレのミャオちゃん”ですか?」
「…………。ホント、アンタってバレー以外が……」
 哀れなものを見るようなキャプテンの眼差し。
 ミャオ先輩もその言葉に一瞬怯む。
 わざとらしくため息を吐くキャプテン。
「塚原くんのほうが気が利く分、マシかしらねぇ」
「なんですとぉっ?!」
 応援グループだった1・2年生たちは、そのやり取りに笑いつつ、口々に「おめでとうございます」と言って、彼女たちの労を労った。
 日和子も少し遅れたが、ミャオ先輩にドリンクホルダーを差し出した。
 どこかの親御さんから差し入れが入ったので、持参したドリンクが用無しになってしまったため、彼女の分を預かっていたのだ。
「お、ぴわこ、サンクス〜☆」
 屈託のない笑顔。
 日和子はすぐにミャオ先輩から離れるように身を引いた。
「 ? 」
「ミャオ、その大量の汗をまず拭く! 風邪引くよ!!」
「あっはっはっはぁ。そういうことか。ホント、ぴわこツンデレ」
「ホント、ミャオは……」
「キャプテン、もう1回言ったらアタシ泣きますよ?!」
「泣け泣け。もう試合も終わったからいいわよ、別に」
「ヒドッ!」
 試合の功労者が誰なのかなんて、キャプテンがきっと1番よくわかっているはず。
 彼女なりの……ミャオ先輩に対する労いなのだということは、その場にいる誰もが察していた。
「……ひどいなぁ……。もうホント、ひどいよなぁ……」
 ……目の前の、背の高いこの人以外は。
 しかし、いじけていたかと思いきや、すぐに思い出したように彼女は顔を上げて、日和子の手を取った。
「な、なんですか?」
「男バレの試合、まだやってるかな?! 見に行こう!」
「え? で、でも、あっちの会場、結構遠い……」
「自転車の後ろ、乗せたげるって!」
「それに先輩、これから、試合後のミーティングですよぉぉぉぉ?!」
 すごい勢いで、日和子を引っ張って走ってゆこうとするミャオ先輩。
 日和子は頑張ってその場に踏ん張り、助けを求めるように周囲を見る。
 けれど、その様子を眺めて、3年の先輩たちが楽しそうに笑った。
「丹羽さん、いいよ、その子言っても聞かんし」
「え? え?」
「先生には上手く言っとく」
「ちょ、え?」
「汗拭いて、ジャージ着せといてくれればいいから」
 そう言って、ミャオ先輩のバッグを日和子に手渡すと、ヒラヒラと手を振るだけだった。
 もう完全に、ミャオ先輩のお世話係扱い。
「ぴわこぉぉぉ! あんた、小さいのに結構頑張るじゃない……!」
「わ、分かったので、もうそんな必死にならないでください。ついていきますから!」
「よし、それでよい。ついて参れ☆」
 バカ殿。
 思わず、心の中、そんな単語が過ぎった。
 日和子は彼女に従って走りながら、バッグからタオルを取り出し、手渡した。



 2試合激しく動き回った後にも関わらず、2人乗りですいすい自転車をこぎ、あっという間に5、6キロ離れた会場である工業高校にたどり着いた。
 自転車置き場に自転車を止め、ミャオ先輩は肩に掛けていたタオルで汗を拭う。
「いやー、漕いだ漕いだ!」
「先輩……帰りは私バスで帰るんで、あんまり無理しないでください」
「無理? 無理なんてしてないよぉ」
 ミャオ先輩を見上げると、彼女はいつも通り溌剌とした顔で笑った。
 背も高くて、スタイルもいいし、それなりに美人。
 なのに、中身が残念なのだ、この人は。
 それはもうキャプテンの言ったとおりに。
 ……けれど、この快活さがあればこそ、ミャオ先輩なのだということもわかるから、日和子はただ優しく目を細める。
「行きましょうか」
「うん♪ 勝ってるといいねぇ」
「……だと、いいですね」
 弾むように歩いていくミャオ先輩に従うように小走りでついていく日和子。
 けれど、見覚えのある顔とすれ違って、日和子だけ足を止めた。
 糸峰先輩。
 どうして?
 風邪で休んでいると聞いたのに、なんでこんなところに私服姿でいるんだろう。
 勇兵が肩を震わせて泣いたあの日のことを思い出して、気が付いたら日和子は彼を追い、腕を掴んで引き止めていた。
 驚いたように振り向く糸峰先輩。
 日和子は言葉に困りながらも、彼を真っ直ぐに見上げた。
「……1年の……」
 糸峰先輩が怯むようにそれだけ言って、考えるように目を細めたが、名前が出てこなかったのか黙り込んだ。
「試合」
 日和子は必死に声を出す。
「 ? 」
「終わったんですか?」
「……終わってないよ」
「じゃ、ど、して?」
「見てられなくなった」
「え?」
 その言葉にドキリとする。
 それは、負けているということだろうか?
 勇兵が悲しむところだけは見たくなかった。
「あいつら、馬鹿だよ」
「…………」
「おれなんかのために、必死になって。おれ、いい先輩でも、いいチームメイトでもなかったのに、なんだよ、あいつら」
「先輩?」
「困らせてやろうと思って休んだのに。あんなプレイ見せられたら、なんで、おれ、あそこにいないんだろうって……歯痒くなるじゃねぇか」
 糸峰先輩はそう言って、ぐっと奥歯を噛み締めた。
「結局惨めじゃねぇか。見になんか来なきゃ良かった」
「……塚原先輩が、言ってました」
「え?」
「楽しくバレーボールがしたかったんだって。2年生には……守備の上手い人がいないから、だから、自分がそこのポジションになれば、もっと総合力が上げられるんじゃないかって。糸峰先輩は、すごい守備が上手だから、塚原先輩はお手本にしたかっただけなんじゃないでしょうか」
 2人で練習をしている時、彼は朗らかな笑顔で、それでも少しだけ真面目な話を日和子にすることがあった。
 コートの中で1人きりになってしまいがちな日和子にとって、チームのことを考えて、ポジションを選んだ勇兵も、ミャオ先輩も、それだけで尊敬できる存在だ。
「塚原先輩は、やるからにはトコトンな人です。でも、こんな風になりたくて、今までやってきた訳じゃないと思うんです」
 あの日の、彼の悲しそうな声が甦ってくる。
 彼の涙の原因は、きっとこの人だ。
 日和子は真っ直ぐに糸峰先輩を見据える。
「力があるのに、逃げるなんて卑怯です」
「逃げ……?! おれは逃げてない!!」
「逃げてます! 応援だって大事な仕事だし、いつだって出られるように準備をしておくべきじゃないんですか。それなのに、どうして、こんなところにいるんですか!」
 出たくても出られない人の気持ちが、日和子にはよく分かる。
 だけど、それでも、日和子は今まで逃げたことはなかった。
 いつだって、どんなに惨めでも、試合の日、誰よりも声を出して応援してきた。
 だから、許せなかった。
 実力があるのに、レギュラーから外れただけで、いじけて試合に来ない人なんて、許せなかったのだ。
 勇兵はあんなに真っ直ぐに、この人のことを案じていたというのに。
 強い語気で言い放ってしまった言葉を、少しばかり反省しながら、日和子は優しく声を発した。
「バレーは、1人じゃ出来ない」
「ッ……」
「塚原先輩が言ってました」
 日和子は静かに目を細める。
 全部。
 全部受け売りの言葉だけれど、彼の言葉を借りなければ、自分自身の言葉では、糸峰先輩を傷つけてしまいそうで、日和子は必死に言葉を探す。
「私も、そう思います。そして、バレーのチームは6人、だけじゃなく、それを支えてくれるたくさんの人で成り立つんです」
 どんなスポーツだって、それは同じ。
 だけど、ふとした時に、それを忘れてしまう。
「……先輩は、塚原先輩のプレーを、いえ、先輩たちのプレーを見なくちゃ駄目です」
「…………」
「それからどうするかは、先輩が決めればいいです。でも、今日は……今日だけは逃げないでください」
 今日は、大事な日。
 きっと、あの人も、頑張っている。
 どうせなら、あの人の、笑顔が見たい。
 勝っても負けても、せめて、わだかまりだけは残らないように。
 せめて、あの人が糸峰先輩のことで心を痛めることがないように。
「お願いです。最後まで、いて、ください」
 日和子は深々と頭を下げる。
「な、んで、そこまで……」
「チームって言葉を信じていたいから」
「…………」
「塚原先輩や、みゃ……橘先輩の頑張りを、信じていたいからです」
「……キミ、名前、なんだっけ?」
「……丹羽です。丹羽 日和子」
「塚原と、仲良いんだっけ」
「……よく、練習に付き合っていただいてます」
「あ、いつ」
「 ? 」
「おれのこと、何か言ってた?」
「…………。すごいって」
「え?」
「一流の動きだって。だから、引継ぎたいって」
「…………」
 糸峰先輩は静かに考えるようにゆっくりと呼吸を繰り返す。
 そして、しばらくしてからゆっくりと踵を返した。
 日和子は慌てて頭を上げ、後を追う。
「……ずっと」
「え?」
「コケにされてるんだと思ってた」
「……そんなこと、する人じゃ……」
「だって、アイツ、他のヤツには素直に教えてくれって言いに行くのに、おれには、来ないから」
「…………」
「教わらなくても出来る、って、言われてる気分だったんだ……」
 糸峰先輩は悔しそうに表情を歪めてそう言うと、徐々にスピードを上げ、猛ダッシュで体育館の中へと消えていった。
 日和子も懸命に後を追う。
 階段を上がって、2階通路から下を見下ろす。
 他校の生徒がたくさんいるので、1階からではきっと誰がいるかなんて見分けもつかないだろう。
 ミャオ先輩がこちらに気が付いて、笑顔で手招きをしてくれた。
 すぐにそこに駆けていく。
「どうですか?」
「かなり接戦。てゆうか、ぴわこ、どこ行ってたの? 振り向いたらいないからびびった」
「……ちょっと」
「お花摘み?」
「……はい」
 ミャオ先輩はおかしそうに笑うと、コートに視線を落とした。
 試合は確かに接戦で、サーブ権は相手側。
 勇兵の背中に目をやると、少し大きめのユニフォームが汗でピッタリとくっついてしまっていた。
 相手の弾丸サーブを勇兵が拾い、トス、アタックで返すも、素早い攻撃でボールが戻ってきた。
 拾い切れずに悔しそうに床を叩いてから立ち上がる勇兵。
 そこで監督がタイムアウトを申告したのか、笛が鳴った。
「先輩、頑張って。日和子はここで見てますから」
「勝手にアテレコしないでください」
「だってぇ、すごい可愛い顔で見てるからつい……」
「…………」
「うわぁ、無視は悲しい」
「私」
「ん?」
「塚原先輩と並んでても、大丈夫だと思いますか?」
「…………。んふ〜」
 日和子のらしくない問いに、ミャオ先輩がだらしなく表情を緩ませた。
 その反応に、日和子は顔が熱くなって、彼女から目を逸らした。
「前から言ってるじゃん」
「 ? 」
「アタシはお似合いだと思うって。アタシと相性が良い。イコール。勇ちゃんとも相性が良いってことよ♪ なんせ、女バレの塚原くんですから、アタシ」
「先輩と相性が良いつもりはなかったですけど」
「コラコラァ」
 日和子のつれない返しにミャオ先輩がすかさず突っ込みとチョップを入れてきた。
 つい、笑みが漏れる。
 ……あの人が、誰を好きだって関係ない。
 確かに今、心のベクトルが誰に向いているか、自分自身でしっかりと感じ取れてしまっている。
 それだけで、きっと十分なのだ。
 タイムアウト終了間際、野次に近いような応援の声が飛んだ。
「お前ら、嘗めたプレイしてみろ! おれが許さねぇぞ!!」
 その声はよく通って、会場中がそちらに視線をやる程だった。
「おやぁ、拓ちゃん来てたんだぁ」
「先輩、一応、3年生です」
「いいのいいの。本人の前で言わないから」
 日和子の突っ込みも気に留めず、お茶目に笑うと、頬杖をついて下を見る。
「勇ちゃん、ようやく良い顔になった♪」
「…………。そうですね」
 暑い体育館の中、タイムアウト終了と同時に、勇兵は勢いよくコートへと飛び出していった。



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