◆◆ 第8篇 白球・涙雨の日は相合傘で ◆◆

Chapter10.塚原 勇兵



 長い試合が終わった。
 心の中でずっと揺らいでいた嫌な澱が、今は跡形もなく消えている。
 良かった……。
 まだ、先輩たちと試合が出来る。
 部活が出来る。
 本当に、良かった。
 ほっと息を吐き出した途端、涙が溢れ出した。
 相手チームと互いに礼を交わす。
 力強く、相手が勇兵の手を握った。
「ぼく達の分まで、頑張ってきてくれ」
 負けたにも関わらず、その相手は晴れやかな笑顔でそう言ってくれた。
 これでは、どちらが勝者かわからない。
 勇兵はゴシッと涙を拭って、いつも通り朗らかに笑い返した。
「うす。良い試合が出来て、楽しかったです。ありがとうございました」
「こちらこそ」
 ペコリと礼をして、ベンチへと戻る。
 ベンチに控えていたチームメイトたちが晴れ晴れとした笑顔で迎えてくれた。
「なぁに、泣いてんだよ、勇兵! らしくねぇぇぇ」
 そう言いながらも、光は目を潤ませている。
 守はニコニコ笑って、戻ってきた勇兵の肩にタオルを掛けた。
「お疲れ様。やっと、肩の荷が下りたね」
「……ああ」
 守の言葉に、勇兵は静かに頷き、ズビッと鼻をすすった。
 ベンチ傍の扉が開いて、そっと拓が顔を覗かせたのが見えた。
 勇兵と目が合い、気まずそうに目を逸らす拓。
 勇兵よりも先に先輩たちが彼の元へ走っていって取り囲み、バシバシとふざけるように頭を叩いた。
「お前、さぼってんじゃねぇよ」
「お前のせいで、塚原泣いちゃったろーが! 謝れ!!」
「なぁにが、”おれが許さない”だよ。それはこっちの台詞だぁ、バッキャロ!」
 口ではけなしながらも、先輩たちは笑っていた。
 それを受けて、拓もおかしそうに笑う。
「うっせぇ、心の風邪だ! 嘘はついてねぇよ!!」
「コイツ、開き直りやがった」
「ダイキ、何か言ってやれよ」
「明日から鍛え直し」
「うあ、マジかよ」
「ぎゃはは、ザマーミロ」
「お前、3日休んだら元に戻るところ、何日さぼってたかわかってんのか? 県大会までにきっちり戻してもらうからな」
「……筋トレと走りこみは欠かしてねぇよ」
「だったら、来いよ、このバカタレ!」
「……す、すまん」
 珍しく、小さい体を更に小さくして謝る拓。
 拓は、大樹にだけは頭が上がらないのだ。
 勇兵は間を見計らってから、その輪に近づく。
「……拓先輩、すみませんでした」
 深々と頭を下げる勇兵。
 拓はそれを見て、すぐに勇兵の肩を激励するようにはたいた。
「やめろ。お前が謝るとこじゃねぇだろ」
「け、けど……俺が無神経だったから」
「……おれは自分のことしか考えてなかった。お前は色々考えてた。お前のほうが凄いんだから謝るな」
「……?」
「おれみたいにひがみ根性入ってるヤツの言うことなんて気にしなくていいっつってんだよ。実際、お前すげーもん。ふん、でも、負けねぇからな。県大会はおれが出る」
「…………。は、はい」
「はいじゃねぇよ、負けねぇって言えよ、張り合いねぇな」
「……はい。負けないっす」
「ったくよぉ。お前、おれの技盗む気あるなら、もっと聞きに来い。じゃねぇと、胸糞悪いんだよ、変なコピー君がいるみたいで」
「…………。す、すみません」
 単純に、いつも怖い顔をしているので話し掛けづらかっただけなのだが、そう言う訳にもいかず、勇兵はペコリと頭を下げた。
 勇兵にも、苦手な人間はいるのだ。
「塚原」
 拓を囲んで話している部員たちのことを気にも留めず、監督が脇を通る時、いつも通りの落ち着いた声で勇兵を呼んだ。
「ちょっと来い」
「は、はい」
「お前たち、30分後ミーティング。それまでクールダウン」
「はい!」
「糸峰、明日罰走10キロ」
「げ」
「おれは塚原しか使わないなんて言った覚えはない。お前らのコンディション見て決めただけだ。不満があるなら、おれに言え。おかげで、肝が冷えただろーが」
「……す、すみません」
「塚原を意識しすぎてフォームが崩れてた。自覚あったか?」
「……いえ」
「そういうことだ。……気が付いたことがあれば、県大会で出せ」
「はい!」
 拓の返事を受けて、監督は僅かに笑みを浮かべ、そのまま外へ出て行く。
 勇兵はその後に続いた。
 グラウンドでは、体育の授業でも行われているのか、工業高校の生徒たちが野球をしていた。
 監督は3段程度の階段に腰を下ろし、静かにこちらに視線を寄越す。
「塚原、1年過ぎたな」
「へ?」
「お前がリベロやりたいって言い出してから1年だ」
「あ、ああ。はい」
「おれには、お前にこれ以上、リベロとしての伸びしろを感じられない」
「…………」
 あまりにもはっきりとした声に、勇兵は動揺して黙り込む。
 監督は、こういうところが容赦ないのだ。
 だからこそ、チームを支えるのに必要不可欠でもあるのだけれど、言われたその瞬間は、いつでも辛い。
「部活動は、いろんな奴らが集まる。目的もモチベーションも違う。それが悪さでもあり、良さでもあると思う」
「そですね」
「塚原、お前、自分の才能、ちゃんとわかってるか?」
「え?」
「単なる学生生活の一環。そう思っているならそれでもいいが、おれは正直、勿体無いと思うぞ」
「…………。その、勿体無いっていうのは、どういう?」
「県大会、リベロは糸峰で行く」
「え?」
「お前は、明日からスパイカーとしての基礎練中心」
「そんな……」
「面白そうってだけで自由にやらしとくには、お前の能力は分不相応だ」
「納得行きません」
 勇兵は真面目な顔で、しっかりと監督を見据え、そう言い切った。
 けれど、監督も真っ直ぐに勇兵を見上げ、物静かな目を細める。
「”楽しいバレー”がいいなら、このまま、リベロをやればいい」
 静かな声。
 勇兵はその声に奥歯を噛み締める。
「でもな、塚原。”負けて、楽しい”バレーなんてのは、絶対にないぞ」
「…………」
「骨にヒビが入ってようが、構わずに試合に出ようとしたお前の負けん気」
「ッ……」
「自分のためじゃなく、チームのために使えよ」
「……それは……」
「勝ったほうが楽しい。そんなのは、お前もよくわかってるはずだ。そして、勝たなきゃ、来年お前はこの時期に引退だ」
 返す言葉もなく、勇兵はただ監督を真っ直ぐに見ることしか出来なかった。
「3年には、3年のバレースタイルがある。だが、お前ら2年には、お前らなりのスタイルがある。これから先は、それを創っていかなくちゃならん」
「わかります、けど……」
 けれど、それでは、勇兵の引き継ぎたい全てが、消えてしまうような気がした。
「2年のスタイルを形成するには、お前が必要だ」
「…………」
「リベロ、セッター、センター、スパイカー」
「 ? 」
「お前の興味の広さが、お前の武器だと思う」
 珍しく、監督の声は優しかった。
「お前のオールラウンドさを活かしたチームを作りたい。お前の変幻自在なプレーを中心に、まとまった良いチームになる」
「監督……」
「俺の甘い飴はここまで。あとは、お前たちで考えろ」
 そこまで言うと、監督はゆっくりと立ち上がり、勇兵の脇をすり抜けて行ってしまった。
 スタイルは変わっても、引き継ぎたいものは消えない。
 それを全て活かして、形作っていくチームの形。
 自在にコートの中を動き回る自分の姿が、自分の背中が、見えた気がした。
 鼓動が高まる。
 武者震いが止まらなかった。
「先輩……?」
 立ち尽くして曇り空を見上げていると、後ろのほうから自分を呼ぶ澄んだ声がした。
 ゆっくりと振り返ると、バレー部専用ジャージ姿の日和子が立っていた。
「あれ? なんで、こんなとこに?」
「……ミャオ先輩に、無理やり、引っ張ってこられました」
「ああ、タッチーが。それは納得だなぁ。ホント、アイツ、考えなしだよね」
「それ、先輩にだけは言われたくないんじゃないかなぁ」
「えぇ?! そりゃねぇや、丹羽ちゃん」
「ふふ……」
 彼女があまりにも素直に笑ったので、勇兵は少しばかり戸惑った。
 でも、すぐにそれを振り払って笑う。
 だって、この子はやっぱり笑ったほうが可愛い。
「で、タッチーは?」
「他の先輩たちと話してます」
「そっか」
 勇兵は優しく笑って、ゆっくりと日和子に歩み寄る。
 日和子は思い出したように目を丸くして、素早く頭を下げた。
 意味が分からなくて、勇兵は立ち止まる。
「どした?」
「県大会出場、おめでとうございます!」
「……あ、ああ。ん。ありがと」
「あれ?」
「ん?」
「反応、薄くないですか?」
 日和子が不思議そうに小首を傾げつつ、頭を上げた。
 勇兵はその顔を見下ろし、小さくため息を吐く。
「……まぁ、男にも色々あるのですよ」
「……そですか」
「ん。聞きたい?」
「言いたくないなら、聞かないです」
 日和子は静かに目を細め、優しくそう言うと、空を見上げた。
「降りそうですね」
「……ああ、ホントだ。傘忘れたわ」
「先輩、もう梅雨の時期ですよ?」
「わかっちゃいるけど、朝晴れてたし……、色々テンパってたし? ハハ」
 冗談めかしく笑って言ったけれど、彼女はそう言われて、困ったように目を細めた。
 ああ、そうだった。
 この子は真面目で、冗談を冗談として処理できない子だった。
 ふと、そう思い出されて、勇兵は慌てて更に明るく笑う。
「過ぎたことだから、もう大丈夫だよ」
「……そですか」
「うん。丹羽ちゃんのおかげかもね」
「え?」
 勇兵の言葉に、驚いたように日和子がこちらを見る。
「あの報われなかった頃暴露の話聞いて、いたたまれなくなって、自分まだマシかぁってマジ思わされたからね。ハハハ♪」
「…………」
「丹羽ちゃん?」
「塚原先輩は、本当に失礼な人ですね」
 笑顔でそう言う日和子。
 その笑顔に、かなりの薄ら寒さを感じて、勇兵は思い切り身構えた。
 けれど、日和子は急にゴソゴソとバッグの中を漁り出した。
 意味が分からずにその姿を見守っていると、彼女のバッグから折り畳み傘が出てきた。
 小さな手がこちらに差し出されて、勇兵の手に触れた。
 手の冷たさに一瞬ドキリとした。
「使ってください」
 そう言って、引き上げた勇兵の手に傘の柄を握らせる日和子。
「でも……」
「学校にも置き傘してあるんで。ミャオ先輩の自転車なら、降る前には学校まで行けると思いますし」
「……そう」
「はい」
「なぁんだ」
「え?」
「どうせなら、一緒に帰りたかったなぁ」
「……またそういうことを。先輩、ホント……」
「ん?」
「いえ、なんでも」
 日和子は落ち着かなげに前髪を直すと、俯いて、ひとつ深呼吸をした。
「いやぁさ、この前、カラオケじゃなくてたこ焼きにすればよかったなぁって思ったんだよね。だから、今日行けないかなぁなんて思ったんだが」
「たこ焼き?」
「ん。俺のたこ焼きは絶品ですよ、お嬢さん」
「……駄目ですよ」
「へ?」
「私は後片付けあるし、先輩はミーティングでしょう?」
「あ、ああ」
「でも」
「ん」
「また、機会があれば、是非」
 日和子が照れくさそうに目を細めて言った。
 その表情が、あまりにも可愛くて、勇兵まで照れくさくなって、思わず意味もなく笑ってしまった。
 日和子が怪訝そうにこちらを見上げる。
「いひー。俺にそう言うと、絶対にそのイベントは消化されるからね。後悔しても遅いぜ?」
 笑顔のままそう言ってみたら、日和子はおかしそうにクスクスと笑ってくれた。
 なんだろう、この感じ。
 すごく、すごく懐かしい感じがする。
 ほっこりと和やかになる自分の心に、勇兵は心の中で、そう呟いていた。



 学校近くのバス停で降りて、パンと折り畳み傘を開いた瞬間、勇兵は絶句した。
 開かないでいれば、水色が綺麗な傘でしかなかったのだけれど、ワンポイントでプリントされたゆるキャラの絵が、あまりにも少女趣味過ぎて、すぐに女の子のものだというのが分かってしまうからだ。
 光がすぐに男物の大きい傘を差しつつ、それを見て笑った。
 その笑い声で、他の部員たちもこちらを見た。
 まずい。
 部の女の子から借りたなんてバレたら、微妙な空気になる。
 うちの部は女マネを欲しがる積極性は持っているものの、なかなか女子にモテない男の集まりでもある。
 一応、そのへんだけは勇兵だって、気は遣う。
 特に、自分は良いとして、相手にまで迷惑が掛かるのはよろしくない。
「なんだよ、勇兵。もしかして、それ、妹のか?」
「……え。あ、ああ、うん。そう。そうなんだよ!」
「そんな力入れるとこかよ……。しっかし、大男にその傘……映えねぇなぁ……」
「うっせ」
「まぁいいや。さっさと片付け終わらして帰ろうぜ。……はぁぁ。明日から、また授業かぁ」
 光のつまらなさそうな声。
 勇兵はそれに対して笑いを返すだけ。
 授業は得意じゃないが、みんなと馬鹿がやれる喜びのほうが大きいから、あまり気にならない。
 光が守に絡みに早歩きで前に行ってしまった。
 話す相手がいなくなって、勇兵はゆっくりと息を吸い込んだ。
「あれ?」
 石鹸か何かの匂いがした気がして、勇兵はもう一度、息を吸い込む。
 香水か何か振ってあるのだろうか?
 清涼感のある匂いが鼻をくすぐった。
 なんだか、彼女と一緒に歩いている気分になる。
「ふ、む。やばい。俺、変態っぽい……」
 頭を掠めた言葉を振り払うようにそう言って、勇兵は首をフルフルと振った。



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