◆◆ 第9篇 星祭り・キミノヒカリ ◆◆

Chapter1.二ノ宮 修吾



 8月に入り、夏休みも折り返し地点。
 東北の夏は短い。
 お盆が終われば、高校の夏休みはすぐに終わる。
 遅い夏の到来に、修吾は1人うなるように頭を抱えた。
 夏は苦手だ。
 無意味に暑いからだ。
 寒さは何枚も羽織れば、なんとか凌げるが、暑さはそうはいかない。
 全身脱いでもなお暑いのだから。
 ……もちろん、そんなみっともないことはしないけれど。
 自然と溢れてくる汗も得意じゃない。
 皮膚がかぶれやすいからだ。
 あと少しで終わる夏休みの課題に視線を落とし、額に浮かぶ汗を拭う。
 少し伸びた前髪が邪魔で、拭いがてら軽く除けた。
「……リビングでやろうかな……」
 しおしおと漏れ出た声はとても弱々しい。
 課題と教科書に参考書、筆記具を両手で持ち、気だるげに立ち上がった。
 階段を下りてゆくと、母が鼻歌を歌いながら、廊下のモップ掛けをしているところだった。
 この暑いのに、よくあんなに活発に働く気になる。
 夏休み、いつも母を見て思うのは、そんなことばかりだ。
「修くん、お勉強終わったの?」
「……暑いから、下でやる……」
「かなりへばってるわねぇ。大丈夫? 風邪はひいてない?」
「うん。暑いだけ……」
「ホント、修くんは暑さに弱いなぁ……情けなぁい」
「うるさいなぁ……」
 母の言葉に、少しだけ視線を鋭くしてそう言い、リビングに入る。
 そして、すぐにエアコンのスイッチを入れた。
 冷えるまでは若干時間が掛かるが、そのくらいの間なら我慢できる。
 母がドアから顔を覗かせて、優しく笑った。
「運転は除湿でね? 風は直接当たらない角度に設定しなさいね?」
「わかってるって……」
「そういえば、今年は柚子ちゃん、来ないの?」
「渡井?」
「昨年はたくさん来てたじゃない」
「ああ、あれは課題が終わらないって困ってたから」
「……昨年困ってたなら、きっと今年だって困ってるんじゃないかなぁ? なぁんて」
「…………。そのへんは、たぶん、シャドーが」
 そう言いかけた瞬間、狙いすましたかのように電話が鳴った。
 母がすぐに電話を取りに、スリッパの音をさせながら、慌しく駆けて行く。
「はい、二ノ宮です。あら、舞ちゃん?」
 その声に、修吾はすぐに立ち上がり、廊下に出た。
 冷え始めたリビングから出たせいか、廊下の熱気に一瞬眉が歪む。
「修くんね? 今、代わるわ」
 そう言って、母がこちらに受話器を差し出す。
 修吾はそれを受け取り、Tシャツの袖をまくってから受話器を耳に当てた。
「シャドー?」
「久しぶり〜。元気?」
「……元気じゃない」
「正直なヤツ」
 そう言って、舞が電話の向こうでおかしそうに笑った。
「用件は?」
「相っ変わらず、味気ないんだから。明後日、登校日じゃん? 帰りにさ、あんたん家行ってもいい?」
「シャドーだけ?」
「バァカ。そこは流れでわかるでしょ」
「いつもの面子?」
「うん。まぁ、都合つく子だけでいいんだけどさ。ほら、今週の日曜日、隣町の商店街で七夕祭りやるじゃん。それにさ、みんなで行かないかなぁって思って」
 東北地方の七夕祭りは、暦上の七夕からひと月遅れて行われる。
「……ああ、そういえばあったね、そんなの」
「うっわ。思いっきり興味なさそうね」
「暑いのも、人ごみも苦手だし」
「誘って正解ね」
「は?」
 呆れたような舞の声に、つい間抜けな声を返してしまった。
「あのさぁ、修吾」
「……いきなり、名前で呼ぶなよ」
 舞の声が少し真面目がかったのを感じ取って、なんとなく身構える。
「あんたはさ、柚子を恋人にする気があるのかね?」
「…………」
「キミからは、フラグを立てようって気力が一切感じられないのだよ。ワトソン君、しっかりしてくれたまえ」
「ワトソンって……」
「いやー、今、ホームズにはまっててさぁ。ま、そんなことはどうでもいいんだけど」
「……シャドー」
「ん?」
「フラグって何?」
「恋愛イベントよ、恋・愛・イ・ベ・ン・ト」
「そういうの」
「苦手なんだよ?」
「…………」
「何もしなかったら、何も起こらないわよ? わかってるの?」
「わかってる」
「わかってる割には、ずい〜ぶん、サボってるわよね? 前回、進展があったように見えたのは……、そう。あれは、6月のことだったかしら。もう2ヶ月も放置ってことよねぇ。どうなのかなぁ、それ。どんだけヘタレなんだね、キミは」
「お節介」
「お節介でもなんでもいいの。あたしもいい加減、痺れが切れました」
「…………」
「修吾が誘わなかったら」
「 ? 」
「柚子はモグと行っちゃうかもねぇ」
「南雲くん? なんで、そこで南雲くんの名前が……」
「流れを読みたまえよ、流れを」
「…………」
「今の関係で満足するのは自由だけどさぁ……名前書いてない玩具は、誰に取られたって文句言えないんですからね」
「言いたかったのは、それ?」
「ん? いや、明後日と日曜の話をしようと思って掛けただけ。ここは蛇足」
「ふーん」
「当人いる前じゃ言えないしねぇ」
「まぁ、ね……」
「いっつも言ってるけど、あんたら2人が好きだから言ってんのよ」
「ああ、ありがとう」
「……素直に礼言われると、それはそれで気持ち悪いわね……」
「どうすりゃいいんだよ」
「柚子とくっついてくれれば、別に」
「…………」
 舞の言葉に顔が熱くなって、電話脇に置いてあった団扇で、パタパタと顔を扇いだ。
「んじゃ、明後日。登校日にね」
「うん。あ」
「なに?」
「わ、渡井……、課題大丈夫かな?」
「そぉんなのは、本人に聞きなよぉ」
「う」
 修吾の困った声に、舞は数秒間を置いてから、優しい声を発した。
「あたしの知る限り、あの子はこの夏休み、絵しか描いてないよ」
「……そう」
「今年も通ってもらえば? なぁんてね。んじゃ、今度こそ、切るね」
「あ、ああ。バイバイ」
 受話器を置いて、はぁとため息を吐くと、電話に聞き耳を立てていたらしい母が、すぐにこちらに声を掛けてきた。
「デートのお誘い?」
「なわけないじゃん」
「可愛い子に囲まれてるのに、何にもないと、それはそれで、お母さん心配だなぁ……」
 舞にしても、母にしても、だいぶ言いたい放題言ってくれる。
「課題終わらす」
 少しだけ不機嫌な声でそう言って、リビングのドアを開けた。
 冷たい空気が充満していて、その温度に、体の筋肉が弛緩する。
 ドアを閉めてすぐに俯いた。
 自分に勇気がないのか、それとも、気持ちのテンションが他の人と比べて低すぎるのか。
 彼女といると、安心しすぎて、何かを伝えるということが、とても無駄な行為のように思える。
 そうして何も出来ないまま、高校生活もいつの間にか、折り返し地点を過ぎようとしていた。
 彼女の心に、色とりどりの絵を咲かしてあげると言ったのは、自分だったのに。
 気が付くと、自分の尻を叩いて、色々動いているのは舞だ。
 このままじゃいけない。
 そんなのは、よくわかっている。
「告白……か」
 声に発して、1人気恥ずかしくなって腕を掻いた。



 登校日。
 約2週間ぶりに会ったクラスメイトたち。
 そのせいか、朝から教室は賑やかだった。
「修ちゃん、久しぶり〜」
 席に着くと同時に、陽気な声とともに、かなり日焼けした勇兵が、笑顔で修吾の肩を叩いた。
 休み前に席替えをして、今、修吾の席は窓際の1番後ろ。
 他の季節であれば、最高の席だけど、夏場は鬼門も同然だった。
 勇兵に返事をするよりも早く、カーテンを引いて影を作る。
 けれど、窓が開いているので、風で埃くさいカーテンが顔に当たった。
「けほ」
「はは。涼しくなればベストプレイスだよ、我慢我慢」
「……久しぶり。勇兵、だいぶ焼けたね」
「おう。修ちゃんは白いね」
「あまり外に出てないからね」
「もやしっ子〜」
「しょうがないだろ。夏得意じゃないんだから」
「ま、アキちゃんも白いしね。そんなもんなんかね。俺なんか」
 そう言って、Yシャツの袖を捲り上げてみせる勇兵。
 羨ましいくらいガッシリとした筋肉の付いた二の腕が、見事にガテン焼けしていた。
「すごいな」
「だっろぉ? ふははは」
「日焼けもだけど、なんか体つきが変わった気がする。気のせい?」
「ん? 気のせいじゃないよ、たぶん」
 勇兵は誇らしげに笑い、真っ直ぐな目で修吾を見た。
「修ちゃん」
「なに?」
「俺も、夢ってぇか、目標出来たんだ」
 勇兵の言葉に、修吾はつい目を丸くしてしまった。
 勇兵は、いつだって、自分の向かう先を見据えて我武者羅に走れる人だから、そんな言葉を、今更聞くことになるなんて、思ってもいなかったのだ。
「楽しいだけじゃ面白くないって……、ようやく気付いたからさぁ」
「……バレー?」
「うん。俺、全国、絶対行くよ」
「そっか」
「おう」
「頑張れ」
「…………。おう!」
 勇兵の言葉にはエネルギーがある。
 やると言われたら、本当に貫き通してしまうのだろうなと、こちらが考えてしまうほどに強い力だ。
「ツカ、暑くなるから、その暑苦しい声やめて」
「あひゃぁ!」
 突然、勇兵の脇に白い手が触れたかと思うと、勇兵が思い切り飛び上がった。
 勇兵の影からひょっこりと舞が顔を出す。
 勇兵が脇を押さえてすぐに抗議した。
「急にこちょがすな!」
「だって、あんまり無防備だったから」
 舞はおかしそうに笑いながらそう言うと、こちらに視線を向けて、にっと笑った。
「ニノ、あたしと柚子、放課後行くから」
「あ、ああ」
「……? 放課後? みんなで集まんのか?!」
「ええ。ツカも来る?」
「おう! 行く行く!! ……あ、もしか、宿題やるとかか? それだったら、勘弁だけど」
「違う違う。七夕祭りの打ち合わせ」
「ああ。俺、いとこに頼まれて、山車引くわ」
「……そっかぁ。じゃ、ツカは無理ね」
「……こらこら。山車引くの終わったら合流できるよ。その後、弁天山で花火やろうぜ」
「弁天山かぁ……頂上の公園まで結構しんどいのよねぇ」
「はっ。なに、ばばくさいこと言ってんだよ。どうせ、お参り行くんだろ? ちょうどいいじゃん」
 弁天山の頂上には神社があり、小さな公園が付設されている。
 七夕祭りからお盆にかけては、道筋にぼんぼり提燈が飾られて、遠目から眺めると結構綺麗な夜景が楽しめる。
「あ、そういえばさぁ……あの辺りって、お狐様出るっていうよな」
「え?」
 勇兵が思い出したようにそう言うと、舞の表情が一瞬強張った。
 修吾はそれを不思議に思いながらも、勇兵の話に乗っかる。
「うちの祖父さん、昔化かされたって言ってた。本当かは知らないけど」
「マジで? うちの祖母ちゃんも言ってたよ!」
「…………」
「シャドー? どうした?」
「え? なんでもな……」
 舞が慌てて顔の前で手を横に振った。その瞬間、後ろに清香が立って、楽しそうにジュースの缶を舞の頬に当てた。
「ひゃっ! ……っこいなぁ。……清香ぁ……? ビックリさせないでよ!」
 ビビッたように目を白黒させたが、舞はすぐに冷静になって、憎々しげに清香を睨んだ。
「ふふ。久しぶり、勇くん、シュウちゃん」
「おう!」
「久しぶり」
「ねぇ、2人とも聞いて聞いて」
「さや!」
「くーちゃんの弱点、見つけたんだよ」
「え? なになに?」
 清香の言葉に、勇兵がすぐさま食いつく。
「なんとね……むぐ」
 が、舞が素早く清香の口を押さえて、”弱点”とやらを聞くことは出来なかった。
 舞が照れくさそうに目を細め、清香に言い聞かせるように唇をつっとがらせて言った。
「ニノはともかく、ツカは駄目! 絶対、駄目。いやがらせされるから」
「お前……なんだよ、その言い草」
「ふん」
「清香ちゃん、駄目だよ、意地悪しちゃぁ」
 かなり遅れて柚子がやって来て、おかしそうに笑った。
 いつも通り、綺麗な三つ編みがユラユラ揺れる。
 外で絵を描いているのか、夏休み前よりも若干日に焼けたように思う。
「元気だった?」
 修吾と勇兵の顔を、ちろちろと見てから、にっこりと笑って柚子はそう言った。
 夏なのに、春の風が吹いたような、そんな柔らかさがあった。
 勇兵はニッと笑い返すだけで、修吾に気を遣ったのか、何も言わなかった。
 なので、修吾はコクリと頷く。
「うん。バテ気味だけど、元気だよ」
「そっか」
「渡井は?」
「絵を」
「ん?」
「毎日のように描いてた」
 そう言って、彼女はとても満足げに笑った。
 2日前の舞との会話が頭を過ぎって、修吾は少しばかり気恥ずかしさを覚えながら、そんな彼女の笑顔に見惚れていた。



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