◆◆ 第9篇 星祭り・キミノヒカリ ◆◆
Chapter5.二ノ宮 修吾
日が落ちて、商店街に飾られていた提燈に一斉に灯りが燈った。 もちろん、火ではなく電球による光なのだけれど、暗くなった町に燈る提燈とそれらに照らし出される七夕飾りは、それだけで幻想的な雰囲気をかもし出している。 ”ケンタウルス、露を降らせ” 心の中、そんな言葉がゆらりと響いて、綺麗に消えた。 柚子が嬉しそうにそれを見上げ、うっとりと目を細める。 けれど、それに気を取られすぎたのか、前に立ちはだかっている(正式には上から吊られている、だが)吹流しの存在に気が付かない。 修吾はそれに気づいて、そっと彼女の袖を引いた。 「え?」 驚いたように柚子が立ち止まって、こちらを見た。 フワフワの白いシュシュが、黒を基調とした浴衣によく映えている。 絶対、舞は狙ってこれを付けたに違いない。 どうしようもなく、可愛い。 好意という贔屓を取り払ったって、絶対にこの子は可愛いだろう。 そんなことを考えたせいか、表情が上手く動かない。 「ど、どしたの、かな?」 「や……その、ぶつかる、から」 素っ気無い声でそれだけ言って、すぐに袖から手を離す修吾。 柚子はそう言われて、ようやく前方の様子に気が付いたらしく、あははと笑った。 「昔から、気をつけなさいって言われてるにも関わらず、これに突撃してたなぁ」 「そそっかしそうだもんね」 「あはは。まぁ、そうなんだけど。なんていうか、この風景が綺麗で、いろんな色に囲まれていて、ふんわりとファンタジーの世界みたいで、見逃しちゃうのが勿体無くって、自分なんてものの存在を忘れちゃうくらい、夢中になっちゃってたんだよね」 「……そっか。渡井らしいね」 七夕祭りのことで、あんなにも楽しげな顔をしていたことにも、納得がいった。 「わたしにとっては、きっと、この風景が『幸せ』のイメージだったんだと思う」 「うん」 「でも」 「ん?」 「家族じゃない人と歩く七夕祭りも、楽しいものだね」 にっこりと笑った顔はほんのりと上気しているように見えた。 それは、暑さのせいか、それとも、少しは自惚れてもいいのだろうか。 「”銀河ステーション、銀河ステーション”」 「え?」 「『銀河鉄道の夜』で、主人公のジョバンニが、親友のカンパネルラと一緒の銀河鉄道に乗った時、直前に、そんな声がしたんだ」 「…………。そう、なんだ?」 「子供の頃、あれを読んで、とても心が沸き立つような気がした。ケンタウル祭と呼ばれる星祭りの風景描写がとても綺麗で、……鉄道に乗る際の演出も、唐突だけれど、とても惹きつけられたから」 「……うん」 「この風景を見て、その星祭りの光景が過ぎったよ」 「もしかして、修吾くんは、来たことなかったの?」 「人ごみは、苦手だから」 「小さい頃も?」 「……うん。だって、父さんは絶対に来ない人だったから」 子供2人を連れて、母1人で歩き回るには、きっと荷が重かったろう。 別になんとも思っていなかったつもりだったが、そう言った瞬間、少しだけ表情が震えてしまった気がして、修吾は柚子から目を逸らした。 「行こうか。クレープとイカ焼きゲットしないといけないし。急がないと、シャドーに嫌味言われるよ」 「修吾くん」 「ん?」 「楽しい?」 「ああ、楽しいよ。渡井は?」 「……修吾くんが楽しいのなら、きっと、わたしも楽しい」 その声は、ちょうど鳴り出した盆踊りの音楽にかき消されて、修吾の耳には届かなかった。 「あれ? もう、山車の時間?」 「ううん。たぶん、スピーカーチェックだよ。急ごうか」 柚子が笑って、修吾の袖を引いた。 自分にだけ向けられる笑顔。 真っ直ぐに彼女は、修吾を見てくれる。 「渡井」 「ん?」 「……なんでもない」 自惚れてもいいのだろうか。 キミのその笑顔を一心に受けることの出来る男は、自分だけなんだと。 そう、自惚れても。 「遅いから、告白の1発でもかましてくれちゃったのかと期待したのに、駄目な男だねぇ、キミはつくづく」 修吾の袖を握った状態で、隣を歩く舞がふてぶてしくそう言った。 彼女は、悪気なく言えば、なんでも大抵は許されると思っているに違いない。 他人の傷を、無意識にジクジクとほじくるのが趣味なのだ。そうに決まってる。 修吾はひくひくと口元を動かし、ため息を吐いた。 「……シャドーが急に、ペアで分かれて買い物って言って、南雲くんを引っ張っていったんだろ。もしかして、気を利かしたとでも言うつもりか?」 修吾の不機嫌な様子に、さすがの舞も、困惑したように目を細めた。 「あれ、怒ってる?」 「怒ってないけど。ぼ、オレはオレで頑張るから、余計なことはしないでくれって、前にも言ったじゃないか」 「……どこまでが余計なことなんだか」 「え?」 「あたしが誘わなかったら、お祭りに誘おうなんて、思いもしなかったくせに」 「う」 「ま、別にいいけどね。男のかんしゃくに付き合わされるのは、ガクやツカので慣れてるし」 「……シャドーって」 「 ? 」 「付き合ってるヤツいるんじゃなかったっけ? いいの? 今日ほったらかしで」 「……あー、このやり取り、いい加減面倒くさいな」 「は?」 舞が本当に面倒そうにため息を吐いたので、修吾は舞をしっかりと見下ろした。 白いうなじが覗いていて、うっかりドキリとした。 説明が遅れたが、合流した後、舞的表現で言うのであれば、”南雲秋行にやり返された”のである。 ゲットした物を食べ終え、通りがかったお化け屋敷の前で、思い出したように秋行は、舞が入りたがっていた件を持ち出した。 柚子があまり乗り気でなかったので、舞は入る気など一切無くなっていたのだが、秋行はニコニコ笑顔でこう言った。 『平気な人同士で入ってくればいいよ。その間、ボク、柚子チャンとお祭り見でっから。ほら、さっきと逆ペアってこどで』 そう言った秋行に、柚子は少々困ったように目を細めたが、舞を見てにっこり笑ったのだった。 舞が入りたがっていたことが、柚子なりに気がかりだったのだろう。 ……で、しょうがなく、今、彼女と2人、お化け屋敷の小行列に並んでいるというわけだ。 2人と別れてすぐの舞の呟きはなかなかに漫画チックだった。 『ちっ。あの腹黒策士が……』 思い出して、つい修吾は笑ってしまった。 さっきのドキリも、それで打ち消された気がして、余計におかしかった。 「何よ?」 「ん? いや、別に」 「ニノもさ、嫌そうな顔でもなんでもしなさいよね。あの子は、あたしよりあんたを優先するに決まってるんだから」 当然のように舞が言う。 「それはないな」 あっさりと修吾はそう返した。 「なんでよ……?」 「渡井は、きっとシャドーがいちばん大切だから」 その言葉で、舞の顔が赤くなったのがわかった。 修吾はしてやったり顔で笑う。 その顔がむかついたのか、舞は修吾を見上げた状態から、猫のような俊敏さで、修吾の頬を両方摘んだ。 「いて」 「生意気なこと言うのは、この口かー!」 「わ、わるかったって。ひゃめ、いて」 「そこのカップル、次、入れるよ」 舞にじゃれられて、必死にその手から逃れていたら、案内係兼料金受け取り係のバイトの兄ちゃんにそう声を掛けられた。 修吾よりも、舞が慌てたように叫ぶ。 「だから、違う! あー、このやり取り、面倒くさいー!!」 「……どーでもいいから、入ろ」 修吾のクールっぷりが余計に火を注いだのか、浴衣のくせに修吾のおしりを思い切り蹴飛ばしてきた。 一応、下駄を脱いで、という配慮はあったが、それでも痛かった。 「柚子だって、あそこで待って見てるのよ。どーでもいいわけあるか!」 だったら、頬を摘むな頬を。 と言いたかったが、その後、また蹴られそうな気がしたので、頬をさすって泣き寝入りすることに決めた。 中に入ると、ひゅうと冷気が漂ってきた。 「あー、涼しい〜」 気持ちよさそうな舞の声。 暗がりなのでよく見えず、ひとまず目を慣らそうと、その場に立ち尽くした。 「ニノ? 早く行こうよ」 「シャドーは、見えるの?」 「ええ」 「待て。こっちがまだ見えてないから」 「……そんなん、あたしの帯でも袖でも……」 「よし、見えた。行こう」 「はいはい」 修吾が歩き出すと、それに続くように舞がついてくる。 そして、修吾の袖をしっかりと握った。 「あのさ」 「なによ?」 「列に並んでた時から、一体なんなんだよ」 「なにが?」 「これ」 立ち止まって、人差し指で舞の手を指差してみせると、舞は悪びれもせずに笑った。 「……もしかして……」 「なに?」 「お化け駄目とか言わないよね?」 「お化け屋敷”は”好きよ」 「…………。ん?」 修吾はよくわからずに首を傾げた。 すると、舞が気まずそうに目を逸らす。 「だって、柚子のおばあちゃんが……、お盆だし、みんな帰ってきてるでしょうねぇ、なんて言うもんだから……」 「…………」 「その上、柚子のおばあちゃんまで、弁天山で、狐に化かされたことあるとか言うし……」 不安そうな顔でそう言って、舞は恥ずかしそうに俯いた。 「わ、悪かったわね。あたし、怪談の類、駄目なのよ」 「……へー」 ああ、そういえば、清香が舞の弱点がどうのと言っていた気がする。 もしかして、あれはこのことだったのだろうか。 涼むためにひと席設けようとしたところで、舞が慌てて耳でも塞いだのだろうか。 「まぁ、実際田舎の七夕祭りは、祖先の霊を迎えるお盆の意味合いのほうが強いしね」 「う……」 「『銀河鉄道の夜』のケンタウル祭も、烏瓜を川に流すんだよね。あれって、精霊流しだろ?」 「…………。ほんっと、もういい。あんたの雑学はいちいち面倒くさい」 「あ、ごめん。つい……」 どうやら、恐怖を煽ってしまったらしい。 「でも、本物に会うことなんて、そうそうないって」 「会う会わない、じゃないの。存在を感じるっていうのが、怖いのよ」 「……ああ。それは、いいことじゃないかな」 「何が?!」 「畏れを持つことで、人は人でいられるんだよ。年に1回、霊を祀るのもそのためだ。日本人にとって、亡くなった方は、みんな神様だからね」 「…………」 「不思議だよねぇ。お帰りなさい、どうぞお入りください、って開けっぴろげなところなんて、日本くらいじゃないかな」 「はぁ……」 「どうした?」 「和んでる場合じゃなかった。行こ」 「は?」 「柴犬のくせに」 悔しそうな舞の声。 修吾はよくわからずに首をひねる。 「あんたさ、柚子といる時も、そのくらい話しなさいよね」 「え?」 「あたしに『可愛い』で、柚子に『似合ってる』ってなんなわけ? 柚子はなんでもない顔してたけど、繊細なんだからね。愛情表現は真っ直ぐにしなさいよ、シャイボーイ」 「……そ、んな簡単に言えたら……」 苦労なんてしない。 好きだからこそ、心の中に色々な言葉があふれすぎて、頭が真っ白になるのだ。 どんなに女子が真っ直ぐに言われることを好む性質だとわかったところで、それをすぐに行動に移せる男子なんて、そうそういるものじゃない。 そう。 出来るものなら、とっくにやってる。 言われるべくもないのである。 結局、怖がっていた舞は、お化け役の人が出だした途端、元気になって、修吾のことなぞ忘れたように、サクサクと進んでいってしまった。 楽しそうに、お化け役の人をおどかそうと叫ぶ舞は……、癪なので本人には言ってやらないが、なかなかに可愛らしかった。 「お化け役の人も気が気じゃなかったろうな」 「なんか言ったー?」 「なんでも。さ、戻ろ」 「あー、叫んですっきりしたー。一緒に入ったのがニノじゃなければ、もっと楽しかったのに」 「ああ、そうですか。悪かったね、彼氏じゃなくて」 「…………。ニノならいっかな」 「え?」 振り返ったら、舞の顔が度アップであって、修吾は慌てて1歩引いた。 どんなに修吾に強いフェロモンガードがついていようと、一応、美人なことは評価しているので、率直に体が拒否したのだ。 まったく、そんなことを意識していない無防備っぷりは、昨年から一切変わらない。 危険な女だ。 修吾があまりにびびったのを見て、舞も少々自覚したのか、今度は近づいてこなかった。 チラリと周囲を気にするように見てから、そっと目を細め、綺麗な声で言った。 「あたしの相手、男じゃないの」 「……え?」 「大丈夫。柚子ではないから、心配しないで」 可愛らしい笑顔で、舞はそう言った。 上手く思考がついていかない。 それでも、彼女はなんでもないように笑うから、きっと、それは大したことではないのだ。 そんな風に、誤魔化されてしまうほどに、彼女は一切の迷いのない表情で、こちらを見ていた。 不器用な修吾は、整理しきれない頭で上手く笑うことは出来なくて、ただ、そっか、と返すのが精一杯だった。 その返答では、カミングアウトしてくれた彼女が不安になることが、よくわかっていたにも関わらず。 これで、本当にいいのか。 「さ、戻ろ。モグに柚子取られちゃうよ」 舞はそんなことは気にも留めないように笑う。 いや、おそらく、笑ってくれたのだ。 修吾から見ても、とても、気の回る優しい子だから。 「シャドー」 「なに? ほら、急ご」 「困ったことあれば、聞くから。それだけしか、出来ないかも、しれないけど」 真っ直ぐに、舞を見て、修吾ははっきりと言った。 「…………。ありがと。でも、今は、困ったことあったら、まず当人同士で話すことにしてんの」 「そう、か」 「価値観やら考え方がズレてるからね。別の方向見て、うんうんうなってても、噛み合わないんだよね」 思い返したらおかしかったのか、舞は愛しそうにクスクスと笑った。 「幸せなんだな」 「ええ。薄ぼんやりだけど、あたしの幸せの欠片は、彼女なんだって、そう思えるの」 「幸せの欠片……」 「柚子の好きな言葉」 前も、そう言えば、2人が言っていたのに居合わせた気がする。 「ねぇ、修吾」 「ん?」 「これだって思ったら、向き合わないとさ」 「…………」 「ひたすら玄関叩いたって、名乗らなかったら、誰も入れてはくれないよ?」 「…………」 「特に、柚子は小心者だから、二重三重に鍵を掛けてて面倒くさいしね」 大人っぽく、幼子を見守る母親のような笑顔。 「自信持ってよ」 「…………」 「あんたは、あたしよりも早く、柚子の心の鍵を開けたんだから」 「え……?」 舞の言葉の意味がわからず、修吾は首を傾げる。 「あー、怖かったー。結構迫力あったねー」 「つか、追跡範囲広すぎだろ。最後のほう、笑い漏れたわ」 次のお客さんが出てくる気配がして、舞は修吾の袖を引いて歩き出す。 「さ、頑張ろう!」 「お前、最初っから、今日、告らせる気満々だったろ……?」 「だってぇ、もう高校生活も半分過ぎるんだもん。時間ないじゃん」 「時間ないって……」 「修吾」 「何?」 「柚子、留学するんだよ」 「え……?」 「元々、中学卒業と同時にって、話があったんだって」 「そう、なんだ……」 「あたしも、ようやく、この前聞けたんだ。だから、居ても立ってもいられなくなっちゃって」 「…………」 「まぁ、色々囃したけど……あんたに任せるわ」 修吾の困った顔を見て、舞は優しい声でそう言った。 舞から前方へ視線を動かすと、人通りの少ない塀の近くで、柚子と秋行が待っていた。 柚子が泣きそうな顔で、秋行にペコペコと頭を下げている。 秋行がそれを笑顔でなだめて、ポフポフと優しく柚子の頭を撫でた。 その瞬間、ドクンと心臓が跳ねた。 舞の手を優しくどかして駆け出す。 「あ、おかえり。修吾くん。楽しかった?」 柚子はそんなことを気にも留めないように、おっとりとした表情で笑う。 秋行の腕をそっとどかし、睨みつけた。 ※このChapterでは、「宮沢賢治『銀河鉄道の夜』」を一部引用させていただきました。 作者様、作品に対し、心から敬意を表します。 |