◆◆ 第9篇 星祭り・キミノヒカリ ◆◆
Chapter7.二ノ宮 修吾
「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなの幸(さいわい)のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」 「うん。僕だってそうだ。」 カムパネルラの眼にはきれいな涙がうかんでいました。 「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」 ジョバンニが云いました。 「僕わからない。」 カムパネルラがぼんやり云いました。 「僕たちしっかりやろうねえ。」 ジョバンニが胸いっぱい新らしい力が湧くようにふうと息をしながら云いました。 「やぁ、坊や。きみの言う幸せの欠片は見つけられたかね?」 以前、星空の停車場で会ったおじいさんです。 おじいさんは、優しい笑みを浮かべて、男の子にそうたずねました。 男の子はうつむいて、ふるふると首を横にふります。 「どこにも」 「ん?」 「ぼくの求めたものは、どこにもありませんでした」 「そうか……。それは残念じゃったね」 「でも」 「ん?」 「まだ、ない。それだけの話です」 「…………」 「きっと、おじいさんが言ったように、そこかしこに、幸せの欠片は存在していて」 男の子はしっかりとしたまなざしで、おじいさんを見つめました。 「ぼくは、まだ、その存在に気がつけていないだけなのかもしれません」 「そう、思うかね?」 「はい。だから、ぼくはそれをがんばって探そうと思います」 「そうかそうか」 男の子の笑顔を見て、おじいさんもうれしそうに笑いました。 「この先、つらいこともあるじゃろう。苦しいこともあるじゃろう。けれど、その気持ちをどうかわすれるんじゃないぞ? 色とりどりの幸せの欠片は、そんな苦なんの欠片とともにある。どちらか一方が存在する世界など、どこにもない。あってはおかしいのじゃ」 「…………」 「少年よ、しっかり生きなさい」 読み返すと、顔から火が出そうになる。 昔書いたその作品は、まさに『銀河鉄道の夜』に感化されて書いたもので、そして、子供心に解釈できた内容をやんわりとこめることしかできていない……今の自分からしてみれば、恥じ入るべき内容だった。 よくこんなものを先生はコンクールに出そうと薦めてくれたものだ。 しかも、ちゃっかり賞まで取ってしまっているのだから、手に負えない。 ……それでも、恥ずかしさとともに、過去の自分への羨望の気持ちが湧き上がる。 どうして、こんなにも、自由に、繕うことなく、ただ、書きたいという気持ちだけで、話を書けたのだろうと。 そんなことを思ってしまうのだ。 お祭りの前。 花火の買出しに出た時のことだった。 秋行はしばらくだんまりを決め込んでいたが、ふと思い立ったようにこう切り出してきた。 『柚子チャンって可愛いよね』 修吾はその言葉にどう反応してよいのか分からず、チラリと秋行を見て、そのまま歩き続けた。 それがおかしかったのか、秋行はクスクスと笑う。 『修吾クンは見てて分かりやすいべ。でも、相手に伝わんねがったら、想ってないのど一緒だと、ボクは思うんだよね』 『…………。何が言いたいの?』 『修吾クンはニブチンだがら教えといたげようと思って。フェアじゃないの、嫌いだしね』 『何を?』 『ボク、柚子チャンのごど、結構気に入ってる。んー。語弊ありそうだがら言い直す。大好き』 『え?』 『ボクみたいに、ストッパーだらけで生ぎできた人間には、ああいう好きなごどに一生懸命な子は眩しぐって仕方ねぇんだ』 修吾は何も言えずに、秋行を見る。 『そんで、ストッパーかげる必要もねぇのに、気持ちブレーキ踏みがちな修吾クンタイプは、見ででイラつく』 彼はなんでもないように笑いながらそう言った。 グサリと秋行の言葉が突き刺さる。 『大好きだけど、イラつくよ? 勿体ねぇっていっつも思う』 前も確かそんなことを言っていた気がする。 それに、勇兵も時々勿体無いと言う事があった。 修吾には、その言葉の意味は一切理解できなかったけれど、同じようなことを、数少ない友人に言われてしまうとは、なんと不甲斐ないことだろう。 修吾は秋行を見つめたまま、静かに息を吐いた。 『教えてくれて、ありがとう』 『ん?』 『だから、僕も、ちゃんと言うよ』 『…………』 『僕も、好きだ』 『…………。ちょ』 『 ? 』 『このひとコマだげ切り取ったら、とんでもなぐ誤解されるべ。変なごど言うなよぉ」 『え?』 『んでもって、言うなら本人に言えってぇ』 秋行はあまりに不意を突かれたのか、クスクスと笑いながら、バンバンと修吾の肩を叩いた。 修吾は意味が分からずに、秋行の様子をうかがった。 すると、彼は嬉しそうににっこりと笑った。 『これで、恨みっこなしだべ。はぁ。すっきりしたぁ』 そういう風に割り切れる彼が、心底羨ましいと思った。 自分は、そんな簡単には心を動かせない。 現に、柚子に気安く触れているところを見た瞬間、容易に我を失ってしまった。 修吾にとっての幸せの欠片は、渡井柚子、彼女以外にはありえないのだ。 賢治の示す”ほんとうのさいわい”とは全然方向違いだけれど、それでも、それは確かな光を持って、修吾を照らしてくれている。 それなのに……、どうして、キミは突然泣き出したりするんだ? 言える訳ないじゃないか。 安っぽい嫉妬なんかで、キミの手を無理やり引っ張って、可愛い足を痛めさせてしまった、なんて。 そんなこと、情けなくて、言える訳がない。 柚子を見失ってしまい、30分ほど探し回ったけれど、結局見つけることが出来ず、一縷の望みにかけて、修吾は舞たちとの約束の場所に戻った。 そこには秋行はおらず、舞が大きなくまのぬいぐるみを小脇に抱えて待っていた。 「……ゆ……渡井、戻ってないの?」 「戻ってきてないけど……どうかしたの? すごい汗よ? ほら、タオル貸したげるから拭きなって」 修吾の慌てた様子に、舞も少々驚いきながら、それでも、どこかで配っていたらしいタオルを袖から出して差し出してくれた。 なので、それを受け取って、首筋の汗だけ軽く拭った。 「南雲くんは?」 「薬飲むための水貰いに、そこの広場行った。それよりどうしたの? はぐれたの?」 修吾はその問いに上手く答えられず、どもり気味で答える。 「う、うん……」 「…………。本当に?」 「え?」 「はぐれたんだったら、見つけるまで戻ってこないでしょ。あんたなら絶対に」 「戻ってないか確認したほうがいいかと、思って……」 しどろもどろで煮え切らない修吾に苛立ったのか、修吾の肩に掛かっているタオルごと、グイッと引き寄せた。 綺麗な顔が怒りの炎で揺れているのが分かる。 こういう時の舞は、修吾の父以上の迫力がある。 「柚子に何したの?」 「な、何も、してないよ……」 何もしていない。 それは嘘ではない。 修吾からしてみれば、柚子に対しては何もしていないのだ。 無理やり引っ張りまわしたことを除けば、嫉妬での方向違いの憤りをぶつけることもしなかったし、勢いに任せて告白することも出来なかった。 けれど、それで彼女は泣いてしまったのだ。 意味が分からなくて泣きたいのはこちらのほうだ。 「何もしてないわきゃないでしょ? あー、もう! 柚子連れてってから先のこと、全部話しなさい!!」 すごい剣幕でそう怒鳴られて、修吾は仕方なく、事の顛末を自分の分かる範囲で話した。 それを聞きながら、舞は考え込むように何度も頷いたり、宙を見たりしていた。 「ほんっと、修吾使えない」 バッサリである。 話が終わってすぐにそう言われては、破壊力がありすぎて、何も言い返せない。 舞は柚子のことになると、他の人間の気持ちなど考えなくなるところがある。 今のがまさにそれである。 「”なんでもない”じゃないでしょうが。あんたね、いきなり引っ張って連れ回されて、相手は怖い顔してて、おっかなびっくりしてる時に、”はは♪ なんでもないんだ♪”なんて誤魔化すように言われてみなさい。想像つかない訳?」 「…………」 「あたしだったら、張っ倒すわね、そんな男。要するに、あんたよあんた」 「不安そうな、顔してたから……安心させたくて……」 「安心させたかったら、そのヘタレた根性叩き直すことね」 取り付くシマもない、とはまさにこういう状況のことを言うのかもしれない。 「人ごみのないところで、話がしたかったんだ。それで、つい……」 「そりゃ、話をするには向かない環境だし、あんたが人ごみ苦手なのも重々承知だけどさ」 舞のタオルを握る手に力がこもった。 「柚子だって、人ごみ苦手なのよ? 苦手どころの話じゃない、大っ嫌いなのよ!?」 「……え……?」 「対人恐怖症っぽいところあるの、気が付いてなかったなんて言わないでよ?」 そういえば、仲良しグループでつるむことが増えていたから忘れがちだったけれど、彼女は人見知りで、他人と関わるのを出来るだけ避けている人だった。 「で、でも……お祭り、好きだって……」 「みんなで回れるからでしょ。そのくらい分かれ」 「じゃ、じゃあ……」 「ひとりっきりの柚子に、この空間はストレス以外の何物でもない」 「…………」 「あんたになら、柚子を任せられると思ってたけど、前言撤回する」 「ぇ……?」 「今のまんまじゃ、任せらんない。シャイだのなんだの、そんな言葉で全部済むと思うなよ、この度ヘタレ!」 引きつけられていたタオルが離されて、修吾の体がガクリと後退する。 その後、パシン、と頬が鳴って、痛みがじわりと広がった。 数秒遅れて、それが自分の頬が叩かれて鳴った音なのだと理解した。 舞が悲しそうに自分の手を見つめ、目を細める。 「ひとまず、柚子探そ」 「……ああ」 「柚子も直さないといけないとこあるけど、あんたもたくさんあるわ」 「……面目ない」 「でも、あたし、言ったでしょ?」 「え?」 「考え方も価値観も違うから、話し合うことにしてるって」 「……ああ」 「感性で生きている柚子と、口下手な修吾。交わしてない言葉は、山のようにあるんじゃないの?」 「…………」 「相手を理解した、と、勝手に思うことは、とっても傲慢なことだよ。分かる?」 舞は心許なさそうに、くまのぬいぐるみを抱きしめ、そう言った。 他人に偉そうにそんなことを言いたくはなかったのだろう。 先程のビンタで怒りが収まったのか、それはいつもの舞だった。 「さっきのなしだから」 「さっきの?」 「任せらんないとか、そういうのは、なしだから」 恥ずかしそうに舞が言う。 修吾はそれを聞いて、静かに返した。 「選ぶのは、渡井だろ」 と。 ※このChapterでは、「宮沢賢治『銀河鉄道の夜』」を一部引用させていただきました。 作者様、作品に対し、心から敬意を表します。 |