◆◆ 第9篇 星祭り・キミノヒカリ ◆◆

Chapter8.渡井 柚子



 涙を見られたくなくて、修吾の前から逃げ出してしまった。
 これでは、自分が泣かせてしまったものと、修吾が気に病むかもしれない。
 そうは思っても、涙は止まらないし、修吾の彩が突然見えなくなって、不安を隠せないし、どうすればいいのかわからない。
 下駄の音をさせて、パタパタと走っている自分を、山車行列を観覧に来ていた人たちが不思議そうな目で見ていた。
 少しだけ冷静になった頭で、それを認識して、今度はひやりと心が冷える。
 ぐるりと世界が回る。
 見ないで。
 気持ち悪い。
 見ないで。
 わたしなんていないのと一緒なんだから、見ないで。
 呼吸が速くなる。
 柚子は立ち止まって、ふらりとしゃがみこんだ。
「い、や……」
 突然しゃがみこんでしまった柚子を心配して、近くにいたおばさんが何か話しかけてくれたが、柚子の耳には、その言葉は届かなかった。
 後ろからポンと、柚子の肩に誰かの手が置かれる。
「しゅ……」
 逃げてきたくせに、頭の中に真っ先に浮かんだのは、修吾の名前。
 けれど、そこに立っていたのは勇兵だった。
 赤い半被姿で、頭にはねじりハチマキ。
 おかしいほどに似合っていた。
「こんなとこでどうしたぁ? 渡井」
「あ、はは。迷子に、なっちゃった……」
「迷子ぉ? 修ちゃんもシャドーも何やってんだ」
「あ、わ、わたしが勝手に1人で動いたの。2人は悪くないよ」
「にしたって、アキちゃんだっているんだし……。何か、あった?」
 柚子の様子を変に感じたのか、勇兵はそう言うと、ひょいと柚子のことを抱え上げた。
 突然抱き上げられて、状況が掴めない柚子は、ただ目をパチクリするだけ。
「え? あ、あの……」
「ここ、邪魔になるから移動しよ」
「で、でも、塚原くん、山車行列……」
「ああ。いいのいいの。あとで合流するから」
「でも、いなくなったら困るんじゃ……」
「俺より馬力あるおっさん、たくさんいるからヘーキだよ。あとで、ちょっと怒られるくらい」
「そ、それはヘーキじゃないよ……」
「にひひ。気にすんなって。泣きそうな顔して、ポテッと落ちてんだもん。ほっとけないじゃん」
「……だったら、せめて下ろして。恥ずかしいよ……」
「気にすんなって」
「気にするよぉ」
 あせあせする柚子が面白いのか、勇兵はからかうようにそう言い、柚子の言うことなど無視をして、通りの人ごみをひょいひょいとかわしてゆく。
 というよりも、人を1人抱えているので、何かあったのかと心配して、みんなが道を開けてくれている、というのが正しいだろうか。
「あれ、お兄ちゃん、どこ行くの? ……ぇっと、その人は……」
「おお、歌枝。これ、親友のカノジョ。はぐれたってから、送り届けてくるとこ」
「カッ……ち、ちがっ! 違うよッ! そんなこと言ったら、あっちにも迷惑掛かるでしょ?!」
 人ごみを抜けたところで、カキ氷を食べながらまったりしている歌枝と日和子に会った。
 歌枝は面白いものでも見るように、じぃっと柚子を見つめ、にひっと勇兵そっくりに笑った。
「へー。二ノ宮さんって、そういう人が好みなんだぁ」
「そそ。あ、丹羽ちゃん、浴衣似合ってるね。黄色柄……にひひ」
「……今、ますます、ひよこって思いませんでしたか? 先輩」
「んー。思ってないよ。可愛いなぁって思っただけ」
「え?」
「どした?」
「い、いえ……」
 日和子が照れくさそうに俯き、歌枝がその様子をやれやれと言いたげに横目で見ている。
 勇兵は相手に対する好意の示し方を、相変わらず理解できていないらしい。
「あ、お兄ちゃん。今日、日和ちゃん、うちに泊まるから」
「ああ、そうなんだ。…………。え?」
 それまでは余裕そうに話していた勇兵の表情が、そこで珍しく強張った。
「あの、ご迷惑なら、帰りますけど……」
「迷惑じゃないって。お兄ちゃんが知らなかっただけだし」
「そ、そうだよなぁ。丹羽ちゃんの家までじゃ、祭り終わった後、帰るの厳しいよな」
「あ、は、はい」
「ゆっくりしてってね。祭りも。あ、お化け屋敷入った? ここの祭りのお化け屋敷、結構頑張ってるから、是非入ってってね」
 勇兵は朗らかに笑いながら、ヒラヒラと手を振ってから、柚子の体を抱え直して歩き始める。
「塚原くんでも、ドキッとすることあるんだね?」
「へ?」
「さっき、動揺した」
「…………。そ、んなこと……」
 人気のない通りに入ったところを見計らって、柚子は勇兵に話し掛けた。
 勇兵が恥ずかしそうに唇を尖らせ、柚子から視線を逸らす。
 そして、ゆっくりと柚子のことを下ろした。
 柚子は下駄を履き直して、勇兵を見上げる。
 頭1個分以上の身長差。
 たぶん、柚子が一生懸命伸びをして、ようやっと頭のてっぺんくらいの高さに届くくらいではなかろうか。
「他人のことよか、渡井は自分の心配をしなさい」
「…………」
「何があった? 場合によっては、俺様がパパッと解決しちゃるよ? 女心はさっぱり分からんが、男心なら任しときな。特に、修ちゃんのことだったらいくらでも!」
「……わたしって、そんなにバレバレかなぁ……?」
 勇兵が朗らかに、それでも真剣に言ってくれるので、照れくさくなって柚子は俯いてそう尋ねた。
 そう言われて、勇兵はすぐにニッと笑う。
「んーん。渡井は、正直わかりづらいかな。ちょっと近づきがたいオーラ発してるし、でも、そのくせ、誰と話すでもほわーんとしてるし? 俺、舞が気に掛けてなかったら、全然気が付かなかったと思う」
「じゃ、なんで……?」
「いるんだよ」
「え?」
「世の中にはさ、見てて幸せな気分になれるカップルっていうのが」
「……全然、そんなんじゃ……」
 そう。
 自分と修吾は、全然そんなのではない。
 現に、今だって、きっと他の人から見たら大したことのないことで、すれ違ってしまっている。
「渡井はさ、俺の失恋、見守ってくれたじゃない?」
「…………」
「その恩返しくらい、させてくださいな」
 見守った?
 そんな立派なものではないのに。
 彼が落ち込んでいるところに居合わせて、掛ける言葉もなく、そこにいることしか出来なかった。
 それなのに、そのことを彼は恩だと言って、こんなに真っ直ぐに笑ってくれるのか。
「……恐くて……」
「ん?」
「修吾くんが、急に何考えているのか、よく分からなくなって、恐く、なっちゃった……」
「…………」
「おっかない顔してたのに、いざ理由を聞いたら、”なんでもない”ってはぐらかされたの。それで、わたし、頭の中カァッと熱くなっちゃって……」
「置いてきちゃったの?」
 勇兵が優しい眼差しでこちらを見ている。
 なので、柚子はコクリと頷くだけでよかった。
「なんっか、渡井は状況説明上手くないから、細かいところは聞かないほういいのかなぁと思いつつ」
「ご、ごめんなさい……」
「修ちゃんが”なんでもない”って言う時は、大抵……」
「大抵?」
「相手を気遣ってるつもりの時」
「え?」
「”なんでもないから、僕のことは気に掛けないでください。それよりも、君の話が聞きたいな”って」
「…………」
「あ、これは結構オーバーに言ってるけど」
「う、うん」
「大方……渡井が泣きそうな顔してたから、”僕の気持ちなんてどうでもいいから、不安がらないで”って意味のつもりだったんじゃないかね」
「……どうでもよくないよ……」
「ぅん?」
「どうでもいい訳、ない、よね?」
「ん。でも、修ちゃんは、そういう人だから。渡井だって、似たようなもんじゃない?」
「え?」
「自分が楽しいかどうかよりも、シャドーや修ちゃんの笑顔見て、嬉しそうに笑ってるじゃん」
「…………」

『自分のごど、2の次にしすぎだべ』
 先程の秋行の言葉が、頭を過ぎった。
 2の次にして、何がいけないのか。
 その時は、当然のようにそう思ったけれど、勇兵にそう言われて、ようやく、彼の言葉の意味が分かった気がした。
 気の置けない仲間たちから見たら、どうでもいい訳がないのだ。
 自分のことを2の次にしているのがミエミエな人のことを、気に掛けるななんて、そんなの無理に決まっている。
「修ちゃんと渡井は、似てないようで、そっくりだから」
「え?」
「そういう、控えめで、不器用なところ?」
「……でも、さっきね?」
「ん?」
「修吾くんが、わたしのことを1番に気に掛けてくれないことに、腹が立ったの……」
「……そっか」
「足が痛いのに、無理やり引っ張られて、すごいスピードで歩かされて……」
「修ちゃんにしては珍しいこともあるなぁ……」
「それなのに、”なんでもない”なんて納得いかなくて……」
「きっと、修ちゃんも同じかもよ?」
「え?」
 意味が分からなくて、きょとんと目を丸くすると、勇兵は大人っぽく優しい笑みをたたえて、柚子を見つめるばかりだった。
 そして、ニッカシと白い歯を見せて笑いながら、人差し指を口の前に寄せる。
「こっからは、俺言わね」
「あ、あの……」
「今、俺に言ったこと、そのまま修ちゃんに言ってごらんよ」
「え? あ、の……」
「ふっふふー。俺、まじ、良いヤツ。あとで、修ちゃんに将観堂で何かおごってもらわねぇとなぁ」
 この男、ノリノリである。
「塚、原くん?」
「あ、あとさ、渡井」
「は、はい!」
「俺だけ、苗字はひどくね?」
「……舞ちゃんが、塚原くんはいいって……怒りながら言うから」
「……そう。まぁ、さ」
「ぅん?」
「修ちゃん、あの通り鈍感だから」
「…………」
「相当特別扱いしないと、気付かないと思うんだよね」
「と、特別扱い、し、してるつもり、なんだけどな……」
「んだから、渡井は分かりづらいんだって。まぁ、修ちゃんも女子から見たら、そうなのかもしんないけどね」
 勇兵はそこまで言うと、グィーと伸びをした。
 特別扱い?
 小心者の自分からしたら、彼を名前で呼ぶことだって、十分勇気のいることだったのに、これ以上、どうすればよいのだろうか?
「さて、と。ひとまず、はぐれた時の集合場所に行ってみますか?」
「あ、う、うん。ぇっと、お化け屋敷の近くの、十字……」
「柚子!」
「……おやぁ、王子様の登場だぁ。なんて言ったら、遠野に背中つねられるか」
 勇兵は声のしたほうを見ながら、おかしそうに笑った。
 カランコロンと下駄の音。
 すごい勢いで走ってくる人影が見えた。
 街灯の明かりに照らされて、汗だくの舞が姿を現す。
「やっぱり、柚子だ。ふー……。ニノ! いた! いたよ!!」
「コイツ、どういう目してんだろね? 暗い上に、余裕で100メートル先から走ってきたぞ」
 勇兵が笑いながら、コソコソと柚子にだけ囁くので、おかしくてつい笑ってしまった。
「探したわよー……」
 舞は汗も気にせずに歩み寄ってくると、柚子のことを大事そうに抱き締めてくれた。
「ごめんごめん。あ、れ? くまさんは?」
「モグに預けてきた」
「えっと……」
「あたしとニノで柚子探し。モグは十字路のところで待ってる」
「あ、そうだよね。この暑さの中動いたら、身体に負担も掛かるし……」
「そんなの気にもしないで、探しに行くって利かなかったんだけどね。誰も残らないと、更に収拾つかなくなるから」
 舞は呆れたように息を吐いて、柚子の頭をヨシヨシと撫でた。
 別のところを探していたらしい修吾も、ようやく角を曲がって、こちらに駆けて来た。
 修吾も修吾で、どういう耳をしているのか。
 目が合ったかと思うと、すぐに逸らされてしまった。
 そして、そのまま修吾は勇兵の肩に手を置き、話し掛ける。
「勇兵が見つけてくれてたのか」
「ん? ああ。山車引いてたら、急に後ろから走ってきて、突然しゃがみこんだ子がいたから気になってな。そしたら、渡井なんだもん」
「そっか。サンキュ」
「いやいや。さって、俺はそろそろ山車引きに戻らにゃ」
 勇兵は修吾の肩を思い切り引き寄せて、ゴニョゴニョと何か耳打ちしてから、とても爽やかに笑って、タタタタッと駆けて行ってしまった。
 修吾が真っ赤な顔でその背中を見送っている。
「ニノ? どしたぁ?」
「え? や、な、なんでも……」
 舞の問いに、修吾は慌てて首を横に振る。
 そして、またもや柚子と視線がかち合って、困ったように目を細めた。
 それでも、柚子は負けないように、じっと彼を見上げたままでいた。
 特別扱いの仕方が、よく分からなかったから、そうせざるをえなかった、というのが本音だ。
「さ、モグも待ってるし、戻ろ。山車も見たいし」
 舞が自然と柚子の手を取って歩き出したので、柚子もつられて歩き出す。
 けれど、それを修吾の声が止めた。
「わ、渡井」
 舞がその声で察したように、柚子の手を優しく離した。
「先、行ってる」
「ぇ?」
 舞の笑顔は、とても優しかった。
「話があるんだ……。聞いて、くれる、かな?」
 彼は、真剣な顔で、そう言った。



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