◆◆ 第10篇 筆の海・未完成の肖像画 ◆◆

Chapter2.車道 舞



 高校生活も秋に入って折り返し地点。
 文化部所属の舞は、文化祭前なのもあり、学校では常に忙しい。
 部の準備は人数が増えたおかげもあって、着手は遅れたものの、あとは部誌を刷るだけに落ち着いた。
 修吾が1人書けないと苦しんでいる以外は、何も問題はなかった。
 クラス準備も順調なようで、みんな楽しそうに作業を進めている。
 そんな中、ようやく部活の文化祭準備から解放された舞は、自席でぐったりと突っ伏していた。
「……文化祭、修学旅行、体育祭……。どうすりゃ、こんな殺人的なスケジュールでオッケーになるの」
 不機嫌な声でぼやくと、その頭を優しく撫でる手があった。
「大丈夫?」
 おっとりとした柔らかい声。
「……うん……」
 放課後の教室、今日は部活が休みだそうで、清香もクラス準備に参加していた。
 教室内は賑やかで、準備をしながら、修学旅行で回る先について、相談している声もチラホラ聞こえる。
「でも、なんだかんだで、清香にもあたしらの手伝い押し付けちゃったよね。文化祭回れないかもしれないよ? いいの?」
 今回の催しは、1年の女子の提案で、童話と詩の朗読をすることになっていた。
 午前1回、午後2回の構成。
 文化祭自体が1日しかないので無理やりねじ込んだ。
 静かな中朗読を聴かせられるほどの力のある部員は1人もいないため、朗読中に軽いBGMとして、清香にオルガン演奏をお願いしたのだ。
 清香は舞の言葉に、にっこりと笑い、頷く。
「別にいいよ。くーちゃんと回れないなら意味ないし」
 またこの子は、そんな言葉を照れもせずに。
 という言葉は飲み込んで、舞は持っていた文庫に視線を落とした。
 それを見て、清香が楽しそうに目を細める。
「宮沢賢治を選んだのは、やっぱりシュウちゃん?」
「ううん、あたし」
「へぇ……」
「夏休みに全部読んだのよ。詩集と小説」
「なるほど」
「音にしたら綺麗だろうなって、純粋に感じた」
「確かに、そうかもしれないね」
「オープニングが『星めぐりの歌』で、『雨ニモマケズ』『月夜のでんしんばしら』『異途への出発』『永訣の朝』『風景とオルゴール』『告別』、で、エンディングにまた『星めぐりの歌』」
「選んだ基準ってなに?」
「部員それぞれで好きな詩を選んだ。だから、定番なのが揃ってると思う」
「くーちゃんはどれ?」
「『月夜のでんしんばしら』」
 舞が答えると、清香はおかしそうに笑った。
 『月夜のでんしんばしら』というのは、夜、外を出歩いていた少年が電信柱が歩いているところに出くわすという不思議な話だった。
「1人だけ童話選んだんだね。他は詩、だよね?」
「うん、そう。でも、これ良いんだよ。子供の頃さ、テレビでアニメかなんかやってたんだよね、確か。あの頃はただ怖いだけだったけど、いざ字で読んでみると、楽しいの」
「そっか。楽しみだな、くーちゃんの朗読聴くの」
「明日から練習も入るしねぇ。部活休んで平気?」
「うん。大きな大会も終わったし、文化祭前だから、掛け持ちでやってる子なんかは時々抜けるんだ。だから、平気」
「なら、いいんだけど……」
「『永訣の朝』がシュウちゃんかな?」
「そうそう。よく分かったねぇ」
「ん、好きそうだもん。それに、まさに定番、じゃない?」
「確かにねぇ。ガクは読むのすらボイコットしたんだよ。で、一番有名なのを選んだ」
「『雨ニモマケズ』?」
「そ。アイツ、宮沢賢治は合わないってさ」
「あはは。素直に言っちゃうところが楽くんらしい」
「ま、好みはしょうがないしね。『告別』が鳴先輩」
「部長さんだよね? 最後だからかな?」
「……それもあるけど、ニノへの激励もあるかな」
「ん?」
「読んでみれば分かるよ」
 小首を傾げる清香がおかしくて、舞は軽く笑いながら、『告別』のページを開いて差し出す。
 手渡された清香はパラパラとページを繰り、ゆっくりと読み進めていく。
 読み終えて手を止めると、ほぅと息を吐く。
「シュウちゃんのこと、本当に気に入ってるんだね、部長さん」
「ええ。アイツがこれに気が付いてるのかどうかは微妙なところだけどね」
「人並みに過ごしつつ続けられると思うなって、こと、だよね?」
「ええ。そして、その大事な才能を、安易に腐らせるなってね。たぶんだけど。あの人は何も考えないで選ぶような人じゃないし」
「ふふっ。いいなぁ」
「え?」
「文芸部。部員は少ないけど、見えない絆に満ちてる気がする」
「そんなこと……」
「だって、昨年はあんなに苦手そうにしてたのに、今や仲良しじゃない」
「鳴先輩?」
「そう」
「人間ってホント第一印象で決めちゃ駄目だよね」
「ふふ」
「最後の年だから、全力でやりたいんだって」
「うん」
「照れながら、それでも真顔で言うところが、鳴先輩の可愛いところよ」
 笑顔で言う舞を見て、清香も満足げに笑った。
「そういえば……」
「遠野さ〜ん、頼んでた分出来た?」
 清香は何か言いかけたが、教室の前で作業している女子グループに呼ばれて、慌てて立ち上がった。
「う、うん! ごめん、出来てるのについ話し込んじゃった」
 タタタタッと駆けていく清香。
 クラスではビーズアクセサリやらレース編みなどの小物販売をすることになったそうだ。
 男子たちの半分からブーイングが上がったりもしたが、男性向けのチョーカーやブレスレットも作ることになり、痛み分けとなった。
 勇兵は新人戦の県大会出場が決まり、部活一筋なので、不満そうな男子グループをまとめたのは、秋行だった。
 彼の普段の行いには本当に頭が下がる。
「さてと、あたしも看板作っておかないと怒られるな……」
 舞は机に立てかけておいた段ボール箱を机に上げた。
 部の準備作業で忙しい生徒は、作業免除の形を取ってもいい形にしたため、限られた人数で作業を行うことになったのだ。
 手先が器用なグループは小物作成。
 細かい作業が苦手なグループは大道具作成や設営。
 当日余裕があるグループは店番と呼び込み。
 という割り当てになっている。
 3年に上がるとクラス参加は任意となるため、今年の内に楽しもうと考える生徒が多いようだ。
 清香と秋行が小物作成。
 舞は大道具作成で、柚子は店番。
 勇兵は部活で忙しいので、当日の呼び込みのみの作業割り当てになった。
 修吾はここ最近のスランプもあり、作業自体を断ったそうだ。
「あ、マジックないと書けないじゃん」
 舞はしょうがなく立ち上がり、教室の後ろ側で作業している男子グループの元に向かう。
 いちばん後ろの席で秋行が器用にレース編みをしていた。
 周囲には女子が2、3人いて、その様に笑いがこぼれた。
 モテると言えばいいのか、可愛がられていると言えばいいのか難しいところだが、本人は特に気に留めていないのだろう。
 楽しそうに会話している。
 女子に囲まれていても、特に男子にやっかまれることのないのだから、これも人徳か。
 舞が席の横を通り過ぎようとした時、秋行が声を掛けてきた。
「あ、シャドー。今日柚子チャンどうしたの?」
「修学旅行のしおりの絵描くんだってさ。美術部も慌しいから家で作業するって言って帰っちゃった」
「あ、そなんだ? 柚子チャン、もしかすて、結構苦戦してる?」
「かもねぇ。ま、あの子ならバッチリ良い物を提出するだろうから、放っておいてあげて?」
「……シャドーは放任主義だなぁ」
「いやぁ、それほどでも」
「誉めてねよ。呆れでんの」
「あら残念」
「ねぇねぇ、アキ君。ここはどう編むの?」
 2人のやり取りを遮るように、秋行を囲んでいた女子の1人が口を挟んできた。
 なんだ、モテてるほうだったのか。
 舞は心の中で思わずそんなことを呟く。
「ん。そごはね! 貸して?」
 秋行は目配せだけで舞に「それじゃ」と言い、差し出されたレースを受け取って秋行講座を始めた。
 なので、舞も目的のマジックをもらうため、男子グループに声を掛けた。



「……はぁ……」
 詩を暗誦しているのかと思い、話しかけずにテレビを点けた舞の横で、楽が面倒くさそうにため息を吐いた。
「どうした、弟よ」
「これ、おれに最も似つかわしくない詩だなぁって思って」
「ぐうたら根性なしだもんね」
「…………。そこまでじゃねぇよ。合理的じゃないことをしないって言えよ」
「なにかっこつけてんだか」
「さすがに、そう言われて頷けるほど、プライドないわけじゃない」
 楽はそれだけ言うと、むくりと起き上がる。
「なんつーか、わざわざ苦労背負うとかおれには無理って話」
「ゆとりめ」
「1才しか違わないだろが」
「変えたいならさっさとしたほうがいいよ。本番、来週末だし」
「これ以外知らない」
「…………。お話にならないわね」
「オススメない?」
「自分の弟だと思うと腹立たしくなってきたわ」
 舞は笑いながらそう言い、こたつの上に置いてある文庫本に手を伸ばした。
「『冬と銀河ステーション』はどう? 少なくとも、あんたの苦手なあくせく系ではないと思うけど」
「なんか、キラキラしてる気がする。出てくる単語の印象のせい?」
 ページを開いて手渡すと、サックリと読んですぐにそんな感想を漏らす楽。
 自分もそれなりに速いが、楽は恐ろしく読むのが速い。
「注文が多い」
「……んー。オープニングが星関連だし、流れとしてはいいんじゃない」
「え? てっきり嫌だって言うかと思ったのに」
「食わず嫌いもよくないなと」
「そうそう。そういうの大事よ。むちゃくちゃ男前に読んでよね」
「……これ、女子が読んだほうがいい気がしてきた」
「読み方次第よ」
「了解……。そういや、舞の宮沢賢治紹介、読んだ」
「ああ、部誌の?」
「うん。ホント、舞は客観的に物事を捉えるよね」
「駄目だった?」
「ううん。読みやすかった。適任だと思う」
 楽はそれだけ言うと満足そうに立ち上がり、こたつの上に置いてある干し柿と、文庫本2冊を持って茶の間を出て行った。
 それを見送った後、舞はこたつに頬杖をつき、ため息ひとつ。
「あとは、ニノのだけなんだけどねぇ……。ま、コンクールで賞取った作品、全編載せるのは決まってるんだから、あそこまで肩肘張らなくてもいい気もするんだけど……。言ったところで無駄なんだろうなぁ」
 なんとなくではあるのだけれど、彼が今スランプになっている原因が、舞には見えていた。
 結果が1回でも出ると、人は欲張るものだ。
 おそらくではあるが、修吾は無自覚ながら、欲が出ている。
 良いものというのは、書こうとして書けるものではないことを、きっと忘れてしまっているのだ。
「アイツ、欲とは無縁だと思ってたんだけどなぁ……。ま、そんな訳ないか。人間なんだから……」
 舞は静かに呟き、優しく目を細める。
 ひとまず、明後日までは見守ろう。
 それでも駄目そうなら、こちらから何かしら提案をしたほうがいい。
 でないと、責任感の強い修吾のこと。
 何をしでかすか、想像もつかない。



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