◆◆ 第10篇 筆の海・未完成の肖像画 ◆◆

Chapter4.二ノ宮 修吾



 文化祭まで1週間を切った。
 印刷は学校のコピー機を借りるから、前日まで融通は利くけれど、それでも、提出が遅れて部に迷惑をかけていることは確かだった。
 どうしても、必要なワンシーンの台詞が思いつかなかったのだ。
 ストーリーはなんとか決まったが、その大事なシーン次第で、良し悪しが決まる。
 その決断で躊躇し、なかなか完成に至れなかった。
 書くことが決まってしまえば、あっという間だというのに。
 こういう葛藤の時間を、とてももどかしく感じる。
「二ノ宮くん」
 台詞1つで印象が変わる。
 そんな重要なシーンで、用いるべき台詞は……。
「ニーノ! ニノの番だよ!」
「え……?」
 我に返り、周囲を見回すと、部員と清香が自分のことを見つめていた。
 それで、今何をしているかを思い出す。
 舞が腰に手を当て、呆れた表情でこちらを見据えてくる。
「あ、ご、ごめん……」
「……ホント、あんた、大丈夫なの? 読む練習は出来てる?」
「大丈夫だよ。頭には入ってる」
「……ならいいけどさぁ、部外の人にも手伝ってもらってるんだから、しっかりしてよね」
 舞がちょいちょいと指し示す先で、清香が心配そうにこちらを見ていた。
 申し訳程度に微笑んで、すぐにオルガンに指を置く清香。
「二ノ宮くんのところからでいい? くーちゃん」
「え? あー、うん。それでお願い」
「二ノ宮くん、しっかりお願いしますね」
 舞とは反対側の隣に立っている鳴が物静かに言って、確認するようにカンペに視線を落とした。
 受験生の時間を拘束しているのに、何をやってるんだ、自分は。
「す、すみません。気をつけます」
「責めてる訳じゃないから、謝らなくていいです」
 責めている訳ではないのは分かっているのだが、普段からつんとした物言いの目立つ人なので、どうしても、自分に対して言われてしまうと萎縮してしまう。
 清香がゆっくりと物静かな曲を弾き始め、修吾は静かにタイトルを発する。
「『永訣の朝』」



「シュウちゃん、大丈夫?」
 帰り道、清香が心配そうにそう尋ねてきた。
 そんなに表情に出てるのかと思い知らされ、答えに窮する。
 すると、舞がまたもや呆れたような表情でこちらを見た。
「清香、勝手に悩んでる奴はほっとけばいいのよ。悩むのが好きなんでしょ」
「くーちゃんってば、男子には手厳しいんだから……」
 バッサリとした物言いに、清香が苦笑を漏らす。
 それでも、修吾が何も言わなかったのがいけなかったのか、舞がため息をひとつ吐いた。
「柚子はまだ助けてあげたいって気になるけどさ、こんなしみったれた表情のイケメンは助けてあげたくならない。だって、柚子が笑ってくれたら、最上級の癒しになるけど、この忠犬が笑っても、あたしは癒されないからね」
「くーちゃん……」
「どこで詰まってんのか知らないけどさぁ」
「くーちゃん、やめなって」
「あんた、今、柚子が大スランプで苦しんでるって、ちゃんと気付いてる?」
 舞にそう言われて、修吾は驚いて、顔を上げた。
 表情で察したのか、更に舞がため息を吐く。
「救いようないわね、あんた。……自分の彼女でしょ? 少しは気遣ってあげなさいよ」
 柚子が大スランプ?
 絵が描けなくなったら、死んでしまうと豪語していた彼女が?
 修吾は思っていた。
 彼女の手は描くことをやめない。と。
 無限かのように、色々な絵を生み出せる、そんな人だと。
 ……そういえば、昨日、「修学旅行といえば、修吾にとっては何か?」というようなことを訊かれた気がする。
 参考にしたかったのだろうか。
 それでは、あの回答はあまりにも素っ気無さ過ぎだ。
 自分は修学旅行を楽しみにしている。そう伝えれば、彼女に想いは伝わると、勝手に思い込んでしまっていたのかもしれない。
 楽しみという感情さえ、修学旅行というイベントに持つことが出来ないかもしれないのだ、彼女は。
 本人がそう言っていたじゃないか。
「ひとまず、そろそろ放っておけないから、柚子にはあたしから声掛けるからさ、修吾はさっさと上げちゃいなさい」
「……う、うん……ごめん」
「ごめん、は、柚子に、言って」
「……はい」
「ふふ」
「何、清香?」
「くーちゃんってば、またまたお姉ちゃんみたいだなぁって思って」
「しょうがないでしょ。この頼りないの放っておける?」
 舞がうんざりした表情でそう言うと、清香がおかしそうに笑う。
「シュウちゃんにそんな風に言えるの、小母様とくーちゃんだけだと思うなぁ。なんだかんだ言って、シュウちゃん、同年代の男子よりしっかりしてるし」
「……これ以上手が掛かるのか、他は」
「分かんないけど、印象としてはさ、そうじゃない? 手を焼かせない良い子だよ」
「殊、恋愛ごとに関してはそうではないのであった。残念」
「くーちゃん、シュウちゃん、結構デリケートだからそのくらいで……」
「さっちゃん、いいよ」
 遠慮のない舞の物言いに、フォローを入れる清香。
 けれど、フォローを入れられると、逆に複雑な気分になるもの。
 ようやくそこで修吾は口を挟んだ。
 ここまで言われたら、さすがに黙ってはいられない。
「よし。良い顔になった」
「舞、お願いがあるんだけど」
「よっしゃ来たか……って、びっくりしたぁ」
「ん?」
「忠犬のくせに、飼い主を呼び捨てとは」
「どこから突っ込めばいい?」
「あ、面倒くさいやり取りノーセンキュー」
「……シャドー」
「あ、言い直した」
 2人のやり取りを見て、清香がおかしそうに口を押さえた。
 修吾が言わんとしていることがわかったのか、舞はすぐに清香に視線を移す。
「清香」
「何?」
「先帰ってて」
「え?」
「これから、ニノの家行って、原稿読ませてもらうから」
「……私、待っててもいいよ?」
 清香が様子を伺うように小首を傾げてそう返す。
 けれど、舞はにっこりと笑って、首を横に振った。
「ニノ、今日お兄さんいるんでしょ?」
「たぶん、直帰だからそうじゃないかな」
「だってさ、清香」
「…………。信用ないなぁ……」
 舞の言葉に、清香が俯いて、ポツリと呟いたが、修吾はその声は聞き取れず、首を傾げた。
「善は急げ。ほら、走るよ、ニノ」
「え? マジかよ。じゃあね、さっちゃん!」
「うん。また明日」
 修吾が律儀に手を振ると、清香も笑顔で手を振り返してくれた。
 心なしか、寂しそうな表情だった気がする。
「ねぇ、シャドー」
「何?」
「シャドーの相手って、もしかして……」
「はい、そこまでぇ」
「……了解」
 状況は理解できた。
 成程。
 であれば、今後サポートはしやすいかもしれない。
「今回の借りは、いつか返すよ」
「借りになるかは、仕上げてから言いなさい」
「そだな」
 舞の返しに、思わず、頬がほころぶ。
 ああ、久々に憑き物が落ちたように、心がすっとした気がする。
 作品は……たった1人で作るものではないのだ。



 読むのが早い舞は、その短編をさくっと読み終え、すっと顔を上げた。
 修吾は少しばかり緊張で、唾を飲み込む。
「うーん、あたしは悪くないと思うけどな。……で、どこで悩んでるって?」
「3枚目」
「ここ? あたし、これでいい気がするけど。駄目なの?」
「なんか、もうひと言くらい欲しいかなって。ここで明確に提示することで、作品の物語性が出るかなって思うんだけど」
「……まぁ、書き手の自由だけどさ」
「それじゃ、相談の意味ないだろ」
 先程の頼もしい態度から打って変わるような、舞の無責任な言葉に、思わず苦笑が漏れてしまった。
「いや、だって、そこは自由であってしかるべきことだし。だから、勘違いしないで欲しいけど、これから言うことは、あたし個人の考え方ね」
「あ、ああ。そういう意味か……」
「技術的なことは、あたしにはよくわかんない。だから、物語性、とか言われてもピンと来ない訳。物語って、結局余韻が全てだと思うんだよね。明確な言葉でそれを形にするんであれば、それは小説である必要はないと思う」
「…………」
「言葉にされないからこそ、残る余韻。読者がいくらでも想像できる行間を作り出すことができるんじゃない? 読んでみた結果として、説明不足な箇所もない。かと言って、余計と思われる箇所もない。いつも通りの、ニノらしいバランスの取れた作品だと思う」
「……そこを崩して前に進みたいんだ」
「…………。そっかぁ。そう言われちゃうと、あたしはこれ以上、何も言えないなぁ」
「だよな」
「ね? ニノがそう思うのは、大きい賞を取ったから?」
「……それも、あると思う。というか、ほんの少し前までは、欲が出ているせいだと、そう思ってた」
「うん」
「でも、昨日、ユズさんと話してて気付いたんだ」
「何に?」
「僕、きっと、あの子に追いつきたいんだよ」
「……追いつく?」
「ユズさんは、僕とは全く違う次元にいるんだ。僕が駄目な原稿を投げて投げてため息を吐いている間、彼女は何本もの筆と、何色もの絵の具を使って、あっという間に作品を作り上げていく。そう、感じていたから。描くことに迷いがない。あの子の、そういうブレない心に追いつきたかったんだと思う」
「…………」
 どうして、柚子が苦しんでいることに気付くことも出来ずに、自分のコンプレックスと葛藤なんてしていたのだろう。
 本当にすべきことは、全然別にあったのに。
「ブレッブレだもんね、ニノは」
「うるさい」
「ふふ。まぁでも、あたしも、将来のこと聞かれると、ブレブレだから、何も言えないんだけどさぁ」
「僕、舞は教師になるんだって勝手に思ってたな」
「候補を増やすな」
「やってもいいって気はあるんだ?」
「あたし、好きな人以外のことには、一切欲がないからさぁ」
「…………。なんか、分かる気がする」
 修吾が妙に納得して頷いてみせると、自分で言ったくせに恥ずかしくなったのか、舞はすぐに話を戻した。
「あー、話逸れた。あたし、ニノはブレてないと思うよ」
「え? だって、さっき……」
「あんたは、どう行動すべきかわからなくて、態度がブレるだけ。根っこの部分は一切ブレてないよ。勉強も、創作も、柚子のこともさ」
「…………」
「葛藤するのは、それだけ大事だから。あたしから見たら、柚子もニノも、違う次元の人だよ」
「そう?」
「だって、ほんの一瞬触れられるだけかもしれない。たった10分やそこらで読み終わってしまうかもしれない。そういう物を創るために、あんたらは心から必死になれる。そして、その状況を、苦しいだろうけど、やめない。それって、その苦しさすら、自覚はないかもしれないけど、楽しんでるんだと思う」
「書き手の意思を、読み手がきちんと受け取ってくれるかもわからないのに?」
「そうそう。色んな解釈する人がいて、しょっぱい思いだってすることもあるだろうにさ。すごいなぁって思うのよ」
「……読み手には、10分の1伝わればいいと思ってるんだ」
「謙虚だねぇ」
「うん。だから、僕は10倍悩むって決めてる」
「……なるほど」
「それで、ようやくイーブンになると思うからさ」
「……だったら、ギリギリまで悩みなよ」
「……ああ」
「あたし個人の感想としては、これでも十分。それだけ」
「わかった。ありがとう」
「いやいや。無駄なお節介だったかも。やっぱ、ニノはやれば出来る子だわ。偉そうに世話焼かなきゃ良かった。清香と帰れば良かったわ」
「いや。感想聞けて、自信ついた。マジで、助かったよ」
「……なら、いいんだけどね」
 修吾の言葉に、安堵したように舞が柔らかく笑った。
 茶化し半分の言葉を多く連ねる彼女だが、誰よりも女性的なその優しさは、最も貴ぶべきものだと、修吾は思うのだ。
「舞ちゃん、ご飯食べてくー?」
 階下から母の声。
 舞は慌てて時計を見て、唸った。
「食べてけば? 兄貴に送ってもらえばいいよ」
「……そうね。きっと、春花さんのことだから、もう作っちゃってるだろうし」
「オッケー。食べてくってさ!!」
「わぁい♪ お皿お皿♪」
 嬉しそうな母の声が聞こえてきて、思わず、2人は合わせた訳でもないのに、同時に笑った。



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