◆◆ 第10篇 筆の海・未完成の肖像画 ◆◆

Chapter5.車道 舞



 二ノ宮家で夕飯をご馳走になり、煙草くさい賢吾の車で帰宅することになった。
 修吾もついてこようとしたが、賢吾がそれを止め、舞も同意したため、非常に気まずい車中である。
 助手席に腰掛けてすぐ、目の前にMDの束を差し出された。
「なに?」
 少々つっとがった態度で尋ねると、その様子がおかしかったのか、賢吾はクスリと笑い、ぶっきらぼうないつもの調子で言った。
「好きな曲あれば掛ける。音ないと気まずい」
 舞はそれを受け取り、MDに掛かれた綺麗な字を眺めた。
 エンジンキーを回したのか、車が微かに振動し、そのままゆっくりと前進を始めた。
「これ、あんたが書いたの?」
「……お前、もう少し敬語使うとかしろよな。サヤカとは偉い違いだ」
「敬語ねぇ……必要があれば使うけどね」
「おれには必要ないってか」
「うん。……ねぇ、本当にあんたが書いたの?」
「このガキ……。おれが書いたよ、悪ぃか?」
「いや、悪いなんて言ってないじゃん。ニノよりも字が綺麗だから感心しただけじゃん」
「ああ、そう」
「彼女が書いたとかじゃないの?」
「彼女ねぇ。いたことねぇな」
「え?」
「特定の女子と仲良くしたことは、生まれてこのかたないからな」
「うっそだぁ」
「学生時代は選り取りみどりだったのになぁ……あん時、いくらかでも付き合ってればなぁ」
「……その気にならなかったんでしょ?」
「そそ。おれ、理想高いからね」
 舞の言葉に素直に頷く賢吾。
 それがおかしくて、舞は笑った。
 お気に入りの歌手の名前が書いてあるMDを、賢吾に確認せずに、差込口に挿入し、再生ボタンを押した。
 1曲目ということもあってか、明るくテンポの良い曲が流れ始めた。
「理想?」
「自分が心から尊敬できる相手じゃねぇと無理なんだわ」
「…………」
「だから、年下は絶対にないな。甘えさせてやるなんて懐の深さはおれにはないから」
「ふーん……」
「あ、でも、サヤカは可愛いな」
「…………」
「ああいう子の頼みなら聞いてやるかって気になる」
「付き合ってる人いますよ?」
「知ってるよ。よかったじゃん、上手くいって」
 嫌味のつもりで言った言葉に、賢吾はとても頼もしい口調でそう言うと、指で曲のリズムを取り出した。
 舞はその返しが意外で目を細める。
 眼中にない。妹みたいなもの、とでも言いたいのだろうか。
「お前は?」
「え?」
「付き合ってる奴いるのか? あ、修か? お前よく来るもんなぁ」
「絶対にない」
「バッサリだな」
 舞の言い方がおかしかったのだろう。賢吾は楽しそうに笑うと、前を見据えたまま、静かに続けた。
「アイツもね、おれと一緒で不器用だから」
「…………」
「お前みたいに口やかましい奴がいると、色々助かるだろうさ」
「そうですかね」
「おれにはいなかったからな、お前みたいなの」
「……はぁ」
「同年代には、いなかったからなぁ……」
 賢吾は静かにそれだけ呟くと、それ以降は特に何も話すことなく、黙々と運転を続けるだけだった。
 音がないと気まずい、か。
 軽口だらけのこの男ならそんなことはないだろうと思ったけれど。
 当の本人も今言っていたが、以前、ニノの言っていたとおりで、不器用な人なのかもしれない。
 舞は曲に耳を傾けながら、窓の外に視線を移した。



 次の日の朝、バス停で清香に会った。
 様子からして、ふてくされているように見える。笑顔で挨拶した舞に対して、返事すら返してこないのだから間違いない。
 昨日の自分の言動が逆鱗に触れたのだろう。
「珍しいね」
「おはよう」
「くーちゃん、いつもギリギリなのに」
「おーはーよー」
「…………」
「おはようは?」
「……おはよう」
 ようやく返された挨拶に満足して、舞はコクリと頷き、にっこり笑う。
「怒ってると思ったから、早いうちに解決しちゃおうと思って」
「だって、昨日のはないよ。酷い」
 清香は至って真面目な顔でそれだけ言い、唇を尖らせた。
 舞は茶化して済まそうと考えていたが、当人はそれを許してくれそうになかったので、考えを改めた。
 表情を正して、ペコリと頭を下げる。
「ごめん。……電話も出来ないからさ。あたしなりに気にはしてたの。ごめん」
 6月以来、清香の母親が舞に対して、随分と敏感になってしまったため、遊びに行くのは勿論、電話も出来ない状態にあった。
 学校や外で会う分には問題ないだけ、まだ救いはあるものの、いずれは解決していかなければならない問題だろう。
「……シュウちゃんの問題は解決したの?」
「うん」
「だったらいいよ」
 つんとすましたまま、それでもそんな優しい言葉でチャラにしてくれるらしい。
 舞のお姫様は随分と聞き分けが良い。
「問題って程の問題じゃなかったよ。あたし、なんにもしてない」
「……そんなことないと思う」
「そ?」
「私にはよく分からない分野だけど……。他人に見せたいから、書くものだと思うし。相手がいなかったら、成立しないよね。私だって、作ったお菓子が美味しいって言ってもらえたら嬉しいもの」
「そうだねぇ……」
「くーちゃんは分からない?」
「ん? あ、ごめん。柚子はどうなのかなぁって」
「え?」
「柚子は……なんで、絵を描いてるのかなぁって、考えてたの」
「……うん」
「なんというか、あの子は理屈でなく、気が付いたら絵を描いてたような子だろうからさ。躓いたら立ち上がるのが大変そうだなぁって」
「でも、くーちゃんが立ち上がらせてあげるんでしょう?」
「出来るかな?」
「出来るよ。柚子ちゃん、嬉しそうに話してたよ」
「え?」
「くーちゃんが泉になってくれるって言ってくれたって」
 七夕祭りの時の話だろうか。
 柚子と清香のパイプラインは、舞がいない時にどんな話をしているのか、少々怖くなる時がある。
「……世話の焼ける子の多いこと」
「ふふ」
 わざとらしい舞の呟きを聞いて、清香がおかしそうに笑った。
 軽く体を寄せて、トントンと肘で舞の腕をつつく清香。
 なので、同じように舞もつつき返した。
 それで満足したように、清香はにこにこと笑い、遠くを見つめたままで言った。
「私は見てるから」
「ん?」
「もう少し頑張っておいで」
 舞のお姫様は、恋人の扱いをよく心得ているようだ。



「柚子」
 放課後、最近いつも慌しく帰ってしまう柚子に、それよりも早く声を掛けた。
 柚子は荷物を鞄に詰めていたが、舞の声で顔を上げた。
「なに? 今日もわたし急ぐんだけど……」
「リハーサル見てかない?」
「え?」
「さすがに本番いきなり人が入るんじゃ緊張しちゃうだろうからさ。何人かに、文芸部のリハ見学してもらおうと思って」
「……で、でも……」
「ニノの『永訣の朝』、最高に良い出来だよ。元々良い声してるんだから、いつもあんな風に話せばいいのにさぁ」
 乗り気でなさそうな柚子の心を無理やりにでも盛り上げようと、舞は軽い調子でポンポンと言葉を繋ぐ。
「舞、なに面白そうな話してんの。それ、あたしも見に行っていい?」
 ちょうど通りがかったクラスメイトがそう言って、舞の首に抱きついてきた。
 少し首が絞まったので、その腕を軽くタップする。
「ああ、うん。全然オッケー。むしろ、多いほうがいいから、遠慮なくどうぞ」
「じゃ、友達にも声掛けてみるわ。何時から?」
「16時半から」
「了解〜」
 返事とともに背中が軽くなる。
 柚子に視線を戻すと、柚子は迷っているのか、舞を見上げたままふらふらと視線を彷徨わせていた。
「わたし、行かなくても大丈夫そう」
「あたしが来てほしいんだけどなぁ」
「…………。それどころじゃないし……」
「家に帰れば、絵が描けるの?」
「…………」
 自分で考えていた以上に、きつい口調でそう言ってしまったことに、自分で驚いた。
 けれど、返事が出来ないということは、柚子の中でもイメージが固まっていない証拠だろう。
 柚子が答えてくれるのを静かに待っていたら、秋行がひょっこり横から顔を覗かせた。
 わざとらしく、ふらふらと頭を振る。
「なに? モグ」
「それ、ボクも行っていいんだが?」
「勿論」
「やた♪ 柚子チャン、一緒に行ぐべし」
「え?」
「ボクも行ぐがら行ぐべ。修吾クンのかっこいいとこ、特等席で見っぺし」
「…………」
 明るい笑顔で無邪気に柚子を誘う秋行。
 その調子に押されるように柚子が俯いた。
「”ボクが一緒”だがら大丈夫だよ。なんもないよ」
 そう言って、柚子の手をナチュラルに包み込んだ。
 背は舞と同じくらいだが、彼の手は柚子のそれと比べたらガッシリとして大きい。
 ここまで自然に恋人でもない女子の手を取れる男子も、そういないだろう。勇兵ですら、こんなに無邪気な行動はできないはずだ。
 柚子は秋行の手をジッと見つめていたが、数秒してようやく頷いた。
「分かった。でも、今日は美術室に置いてる道具も持って帰ろうと思っていたから、先に行っててくれるかな?」
「わがった」
「それじゃ」
「うん、またあとで」
 バッグを肩に掛けて、柚子は2人に手を振ると、教室を出て行った。
 舞はそれを見送ってから、秋行に目を向けた。
 相も変わらず、ニコニコと笑みを浮かべて、こちらを向く秋行。
「恋人でもないのに、なかなか堂々とやらかすわねぇ、モグ」
 開口一番は嫌味になってしまった。
 さすがに言い方が悪かったと反省する。
「恋人じゃなくても、ボクの大切な人だからねぇ」
 少し気障ったらしく、訛りのない口調でふざける秋行。
 こういう堂々としたところが修吾にもあればいいのに。
「シャドー、駄目だべ」
「え?」
「柚子チャンは人見知りで、慣れない人がいる空間にとってもストレスを感じる子だぁ。そんなの、シャドーがいちばん分がってることだべ?」
「…………」
「そんな子に、1人で来いって言ったって来ねぇよ」
 いつも笑顔の秋行の目に、その瞬間だけ、真剣な光が宿った。
 柚子のためを思ったつもりが、相手に無理を強いてしまったようだ。
 ”ボクが一緒”を強調したのはそのためか。
「……そうね。フォローありがとう」
 舞の言葉に、秋行はすぐにいつもの笑顔に戻った。
「彼女は、選ばれた人なんだ」
「え?」
「だがら、この困難だって、きっと必要なもんなんだべ」
 いとも容易くそう言い切る秋行に、舞は一瞬動揺した。
「……あんたは、そういう割り切りが出来る人だよね」
 クールな彼の言葉に、舞はそう返すしか出来なかったが、秋行は舞の言葉を受けてケタケタと軽く笑った。
「……そう思わねど、ボクはこれまで生きでこれねがったもの」
「あ……」
「ジョークだべ。真に受げねでよ」
「……じゃ、柚子のこと、お願いね」
「ん! ようやっとごさ、ボクの出番だべ!」
 張り切ってガッツポーズを決める秋行。
 その様子に舞は思わず笑ってしまった。
「一緒に座ってリハ見てればいいだけだよ?」
「んだって、最近、柚子チャン、周り全部眼中なしだったもの。修吾クンとシャドー以外、認識すらしてねがったよ?」
「……それホント?」
「あはは。当人は知る由もなしってが。リハ頑張ってな!」
 ポンポンと励ますように舞の肩を叩いて、秋行は自席に駆け戻っていった。



Chapter4 ← ◆ TOP ◆ → Chapter6


inserted by FC2 system