◆◆ 第11篇 秋暁・想いの霧に惑わぬよう ◆◆

Chapter1.遠野 清香



 部活中、いつも通りコート外に出たボールを探して、清香はふらふらとグラウンドを歩いていた。
 全く。器用にいろんなところに飛ばしてくれるものだ。
 心の中、そんなことを呟きながら、ふと視線を上げると、文科系の部室棟の傍で、秋行が立ち尽くしているのが目に付いた。
 何やら考え事をするように天を仰ぎ、そっと手を胸に当てる秋行。
 可愛らしい容姿とは全く異なる大人びた雰囲気が漂う。
 清香がいつも感じていた、南雲秋行らしさがそこにあった。
 彼もまた、周囲のイメージに合わせて、カメレオンになる。そんな特技が身についている人だった。
 実はちょっと苦手だ。
 いつも彼は清香を見透かすような目で見る。
 それでいつも居心地が悪くなるのだった。
 他の人は全く気が付かないようだが、彼はそうやって、いつでも相手を観察している。そんな感じがした。
 カメレオンになるのが精一杯の清香とは、少々毛色が違う。
 ボールを探しながら近づいていくと、こちらに気が付いて、秋行がいつもの笑顔で声を掛けてきた。
「お疲れ様。部活?」
「ええ、そう」
「テニス部だっけ?」
「ええ。マネージャー」
「なるほどぉ。似合うね」
 秋行はいつも通りだ。
 先ほどの物憂げな様子など、まるでなかったかのように振舞う。
 陽気な調子で、それでも、相手との距離を測るような素っ気無さが混じっている。
「南雲くんは何してるの? 部活?」
「ん? ボク、部活は入ってねがら」
「あれ? でも、この前……」
「ああ、あれは記念に出展さしてもらっただげ」
「記念?」
「ん」
 清香が首を傾げても、秋行はそれ以上を言わずにただ頷いただけだった。
「修学旅行」
「え?」
「楽しみだなぁ、修学旅行!」
「……そうだね」
「ねね? 自由行動、トリプルデートしね? って言っても、いづもの面子だけんども」
「……どうかなぁ……。シュウちゃんと柚子ちゃんは、もう予定決めちゃってるみたいだよ?」
「…………。あー、そが。そだよね……」
 清香の言葉に、秋行の表情が曇った。
 珍しい。
 いつもはこんなにストレートに、そのときの心境を表に出す人ではないのに。
 清香はその様子に、少しの間考え込む。
「…………。私とくーちゃんは、特に決まってないから、大丈夫だよ?」
 けれど、秋行はすぐに笑った。
「無理しねでいいよ」
「え?」
「邪魔するほど野暮じゃないがら」
「…………」
 なんでも見透かすように物事を見る人だとは思っていたけれど、まさか、ばれている?
 そんな疑念が過ぎる。
 けれど、秋行はそんな素振りは全く見せなかった。
「仲良い女子同士のほうが、落ち着くでしょ?」
「……あ、う、うん。まぁ……。でも、せっかくの修学旅行だし、一緒に回るのは全然……」
「勇兵クンにかもってもらうがらいいよ」
「ああ、確かに勇くんなら、ここ最近部活で忙しいみたいだし、予定決まってなさそうだね」
「だべ? 京都かぁ。どご行ぐべがなぁ……」
 少し体を弾ませるようにそう言うと、秋行は清香に手を振って、校舎へと戻っていった。
 清香はそれを見送り、ゆっくりと秋行の見上げていた方向に視線を向ける。
 文芸部部室の窓が見えた。
 ちょうど換気中なのか、窓は開け放たれており、修吾が窓枠に寄りかかるようにして本を読んでいた。
 もしかして、修吾に何か用でもあったのだろうか……?
 清香は小首を傾げて考えてみるが、当たり前のことで答えは出なかった。



 舞が新幹線の席を女子たちと交渉してくれたため、柚子と舞が両隣の席に来た。
 彼女は、こういう手回しが本当に上手い。
 窓側の席に着いた舞はごく自然に清香の手に手を重ね、体を預けるようにもたれかかると、「眠い」とひと言残して眠りについてしまった。
 肘掛けが間にあるのなんて全く構わないその行動に、清香は失笑するしかなかった。
 持ってきていたカーディガンを掛けてあげて、ひと息つく。
「眠れなかったらしいよ」
 暇つぶし用に持ってきたのか、小さなスケッチブックを片手に柚子が笑った。
 揺れる車中で、器用に絵を描いている。
「……もう。小学生みたいなんだから……」
 おかしくて、清香も笑う。
「舞〜。お菓子食べる〜?」
 後ろの席からそんな声がして、反射的に清香は舞に握られていた手を引いた。
 それで、舞がパチリと目を覚まし、清香を見てからゆっくりと声の主へ視線を上げる。
「お菓子よりも睡眠が欲しいのでほっといておくんなまし」
「あ、ごめん、寝てたのか〜。遠野さんと渡井さんは? 食べない? この前出たばっかのやつなんだけど」
「ありがと〜。私はいただきます」
 清香は愛想良くそう言って、差し出されたスティック菓子を摘んだ。
 柚子が丁寧に断ったのが聞こえ、清香は1人かじりつく。
「美味しい?」
 柚子がおどおどしながら聞いてくる。
 気になるのなら貰えば良かったのに。
 相変わらず、慣れない人相手だと上手く言葉が選べないらしい。
 清香は菓子を半分に折り、柚子に差し出す。
「半分いる?」
「え? あ、そういう意味じゃ……」
「貰えるものは貰っときな、柚子」
 気が付くと軽くなっていた左肩。
 そちらを見ると、舞は窓側に重心を移動して縁に肘をつき、頬杖をついていた。
 眠いのも手伝ってか、ご機嫌斜めなのが手に取るように分かる。
 文化祭の振替休日にも失言をしてしまったし、舞の我慢もいい加減ピークに達している気がした。
 柚子も舞の表情に鋭さを感じ取ったらしく、少々びくつきながら、清香の差し出した半分を受け取ってくれた。
 大きく欠伸をして、清香の掛けたカーディガンを頭から被ると、すぅすぅと寝息を立てて舞は眠りについた。
 困った。
 初日から、こんな調子で大丈夫だろうか……?



「舞ちゃん、機嫌悪いみたいね」
 トイレに行く途中、柚子が心配そうに呟いた。
 分かっていたことでも、そこまでストレートに言われるとやはりドキリとする。
 清香は苦笑を漏らして、髪の毛をいじる。
「眠い時のくーちゃんは、いつもあんな感じ」
「……眠いだけかな?」
「…………」
「舞ちゃん、何か困ってても言ってくれないからなぁ……」
「……あの」
「なぁに?」
 その声に不思議そうに柚子が首を傾げた。
 前方から販売用のカートを押して乗務員がやってきたので、清香は柚子の手を引いて、乗降口のドアに寄った。
 車輪がレールを蹴る音が直に響くけれど、内緒話をするにはちょうどいい気がして、清香はそのまま壁に寄りかかる。
 乗務員のお姉さんは2人をそっと見て、よく出来た会釈をし、慣れた調子で中へ入って行った。
「お母さんにばれたこと、確か、まだ柚子ちゃんに言ってなかったよね?」
 柚子の袖を掴んだまま、すがるようにして、清香は声を絞り出した。
 その言葉に動転したのか、柚子が呼吸を止めた。
「え?」
「私のお母さんに、だいぶ前に……その、6月に、ばれちゃって……」
「え、ど、うして……? そんな簡単に気付かれるようなことじゃないよね?」
「……それは、ちょっと、言い難いことだから、パスしたいんだけど……」
「…………。あ、う、うん。言いたくないことなら、仕方ないんだけど……」
 清香が言い淀んだことで、柚子があらぬ想像をしたのか、顔を真っ赤に染めて、慌しくコクコクと頷く。
 しまった。はっきりと言ってしまったほうがいかがわしくなかったかもしれない。
「それ以来、くーちゃん、すっごい神経質になっちゃったみたいで……」
「そ、そりゃ、なるよぉ……。だって、……舞ちゃんは清香ちゃんとずっと一緒にいたいんだから」
 周囲に誰もいないことを確認してから、小声で、清香に耳打ちするように言った。
 その声で、清香の頭の中がクリアになる。
 分かっていたつもりだったのに、柚子の声でそれを聞いて、ようやく納得出来た気がした。
「……ありがと」
「え?」
「私でも、くーちゃんでもない人から、その言葉、聞きたかったから……」
「…………。うん」
 清香の言葉に、柚子は満足げに微笑む。
 窓の外に視線をやると、ちょうど富士山が見えた。
 彼女も見てるかな? それとも、眠ったままかな?
 そんなことを思いながら、清香はここずっと抱えていた不安をそのまま口にした。
「それならどうして」
「ん?」
「どうして、くーちゃんは……いつも、いつか来るかもしれない……終わりの話をするのかなってね?」
「…………」
「終わりの話なんて、今したってしょうがないよって言っても、彼女は真面目な顔で言うから……どうすればいいのかわからなくなるの」
 そう言って、自分の腕を抱えるように抱き締める清香を見て、柚子が困ったように目を細めた。
 修学旅行初日にするような話ではない。そんなことはわかっている。けれど、せずにはいられなかった。たぶん、こんな機会でもなければ、清香は誰にもこの不安を吐露することは出来なかったと思うから。
 舞に言っても、舞に聞いても、彼女がどのように反応するかなんて目に見えている。
 彼女はずっと、光ではなく、闇を見ている。
 今ある光が眩しすぎて、その先には闇しかないと、勝手に思い込んでいる。
 清香は、隣で笑っていられる、今を大切にしたいのに。
 彼女は勝手に想像上の未来ばかりを見ているのだ。
 ずっと隣で笑っていられるのはいつまでだろう?
 喧嘩しても仲直りのキスをして、勝手気ままにじゃれあえるのはいつまでだろう?
 清香だって、そう考えることはいくらだってある。
 けれど、それは進路が分かれ、2人が離れ離れになった後の……大人と呼ばれる年代になってからの話だ。
 物質的に、ずっと一緒にいることが叶わないのは分かっている。
 だからこそ、今、当たり前のように与えられている時間を大切にしたい。
 そう思っている自分に対して、どうして、彼女は……『清香は結論をまだ出さなくていい』と寂しそうな笑顔で言うのか。
 結論はとっくに出ている。
 好きだと何度言えば届くのか。
 どうして、そんなに冷めた目で、あなたは世界を……私を見るの?
 始まりがあれば終わりがある。出会いがあれば別れだって。
 使い古されたセンテンスが、頭を過ぎった。
 そんなの分かっている。
 でも、分かっているからこそ、大事にしなくてはいけないものは、その中間にあるものじゃないの?
「わ、わたしね?」
 しばらくの沈黙の後、柚子が小さい声で切り出してきた。
 清香は頭の中でグルグル渦巻いているもやもやした感情を振り払って、柚子に視線を向けた。
 柚子は思い悩むように小首を傾げていたが、決心したように口を開く。
「わたし、清香ちゃんのこと好きだけど、何かあったら、絶対に舞ちゃんの味方する」
 はっきりと澄んだ声で彼女はそう言った。
 清香はその言葉に、目を細めるしかない。
「舞ちゃんのこと、泣かせたら絶対に許さない……と思う」
「うん」
 分かっている。柚子にとって、彼女の存在は絶対だ。
「知っていると思うけど、舞ちゃんは本当はとっても繊細で、だけど、揺らぎようのない彩を持ってる人だから……」
「うん、分かってる」
「不安で不安で仕方ない、って、清香ちゃんにだけ言うのなら」
 柚子は清香の表情を確認するように見上げて、ゆっくりと息を吸い込んだ。
「それはあなたにしか見せない彼女の本当の姿だから、きちんと受け止めてあげて欲しい」
「……ッ……」
「怖いのは誰だって一緒。いつまで続くかなんて分からない。だからこそ、今を大切にしようって、そう思うべきなのは分かるよ……。だけど、理屈は分かっても、心は正直だもの」
 心許なさそうに両手をすり合わせながら、柚子はそれでも清香から視線を逸らさない。
 清香はコクンとだけ頷いた。

『清香、あたし、あなたが受け入れてくれた事実さえあれば、きっと何があっても生きていけるよ』
 彼女は笑ってそう言った。
 いつもは頼もしい彼女が、その話をする時だけは、とても頼りない1人の女の子の顔になる。
 清香はそれを見て、どうすればいいのか分からなくて、ただ、舞の手をぎゅっと握り締めて、『大好き』と伝える。
 その言葉をくすぐったそうに受け止めて、彼女はとっても優しく、嬉しそうな笑みを浮かべる。
 その笑顔が好きだった。
 どんな彼女でも好きだと言える自信があった。
 けれど、その中でもひと際好きなのは、清香の手を引いてくれる頼もしい舞だったから、……だから、たぶん、甘えられる度に感じる違和感を、上手く受け止め切れていないのだと思う。



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