◆◆ 第11篇 秋暁・想いの霧に惑わぬよう ◆◆

Chapter3.南雲 秋行



 京都から奈良に向かう途中のトイレ休憩まで、少しだけ時は遡る。
「勇兵クン、よく食べるなぁ」
 トイレ休憩なんてほんの15分程度だというのに、目の前の大型犬は、右手に宇治抹茶ソフトクリーム、左手にジャンボフランクを持っている。
 ちょうど右側を歩いている修吾はソフトクリームの大きさを見ただけで、具合悪そうに目を細めた。
「よくそんな甘いの、大盛りで食べられるよね」
「? 美味いものはたくさん食ったほうがいいじゃん。甘いの嫌いな奴って、人生の半分は損してると思うなぁ」
 修吾の反応も物ともせず、勇兵は無邪気に笑う。
 秋行はそんな2人のやり取りが微笑ましくて、目を細めた。
 勇兵の人懐っこさはどこでも遺憾なく発揮される。
 目の前のソフトクリームだって、本当は大盛りなんてものは存在しない。
 売店のおばちゃんがおまけで作ってくれたものだった。
 秋行は普通サイズのソフトクリームを舐めながら、そっと遠くに目をやる。
 そこら中に、学生たちの笑顔の花が咲いている。
 勉強から解放され、仲間たちと無邪気に過ごせる1週間。
 高校生活で1度しかない非日常的なイベントに、みんなの心は弾んでいる。
 これが、今まで自分が来たくても来られなかった修学旅行。
 この雰囲気の中に立てただけで、もう、お腹いっぱいな心地がした。
「損してるかは知らないけどさ、お願いだから落っことさないでね」
 修吾は落ち着いた調子でそう言い、持っていたチュロス入りの袋を持ち直す。
 バスから降りられない柚子への差し入れだと言っていた。
 なんだかんだ、2人はきちんと彼氏彼女している。
 それを見ていて辛くないかと訊かれたら、正直辛いけれど、でも、今までもっと辛いことはたくさんあったから。
 だから、堪えられる。
 そんな風に、自分をなだめすかして、日々を過ごしている。
 修吾は秋行の気持ちを知っていても、決して姿勢を曲げることがなかった。
 遠ざかることもなかったし、だからと言って、気を遣う訳でもない。
 自分が同じ立場だった場合に、やられたら嫌なことを、彼は絶対にしない。
 目の前の線の細い少年は知らないのだ。
 そんな彼に、秋行はどれほど憧れたかを。
「……1年の時から一緒のクラスだったらな……」
「ん? どした? アキちゃん」
 秋行がぼぉっとそんなことを呟くと、隣で騒いでいたはずの勇兵が耳ざとくこちらを向いた。
 すぐに秋行は小さく首を横に振った。
「なんでもない」
「そか?」
 ベチャッ。
「あ!」
 勇兵が余所見をしている間に、嫌な擬音と修吾の潰れた声がした。
 勇兵の顔が青くなっていくのが面白いくらいに分かった。
 2人で修吾に視線を向けると、見事に緑色に染まった学ラン。
 ソフトクリームが修吾の胸元に当たってしまったようだ。
「勇兵〜……」
 さすがに堪えきれないように修吾の怒りの声。
「あー! 俺のソフトクリームー!!」
「他に言うことないのかッ?! シャツならまだしも、学ランだぞ? どうすんだよー!!」
「そんなん、修ちゃんが、学ラン、きちっと締めてるから悪いんだろ?! 俺のソフトクリームー……」
 悪びれることなく勇兵が言うので、修吾は怒るだけ無駄とでも思ったのか、大きく息を吐き出した。
「この展開を予想してたのに、避けられなかった自分に腹が立つ……」
 それは予想していながら、信じていたということだろうか。
「ま、まぁまぁ。とりあえず、ティッシュ。あと、まだ時間あるし、洗ってくっぺし」
「うん。行ってくる。先にバス戻ってていいよ」
「あ、いや。ボクついてくよ。そういうの落とすの得意だがら」
「けど……」
「修吾クン、不器用だべ? 任して」
「……ありがと」
 秋行の言葉に、修吾が照れくさそうに目を細めた。
 勇兵もそのやり取りを見て、少しだけ冷静になったのか、ポリポリと頭を掻いた。
「ごめん、修ちゃん」
「最初にその一言が欲しかったなぁ」
「う……だって、ソフトクリームが人為的に破壊されれば誰だってさぁ……」
「やったの、自分だろ?!」
 本当に、修吾の神経を逆撫でするのが上手い人だ。
 違うか。それだけ、修吾が勇兵に気を許しているのだ。
 修吾は持っていた袋を勇兵に押し付けて、早足でトイレに向かう。
「え? 修ちゃん、これ……」
「ユズさんに渡しといて。一応、シャドーの分も買っといたから」
 それだけ言い捨てて歩いていく修吾。
 秋行は持っていたソフトクリームを、「食べかけでよければ」と言って、勇兵に手渡した。
 修吾の後を追って小走りでついていく。
 ちょうどそこで清香とすれ違った。
 修吾の汚れた学ランを見て、目をパチクリさせる。
 可愛らしい容姿に、その仕草はとても映えた。
 彼女をこの修学旅行で落としたいと目論んでいる男子は多い。
 秋行にも何件か相談を持ちかけてくる男子たちがいたが、丁重に断った。
 理由は簡単。
 正直、オススメできないのだ。面倒くさそうな女子だから。
 何かと噂話の中心にいるし、上手く行っても行かなくても、槍玉にあげられる。
 ある意味、不憫な子だと思う。
「シュウ……二ノ宮くん、どうしたの? それ」
 周囲の目を気にしてか、すぐに言い直す清香。
 堂々としていればいいところで堂々としない。
 そういう中途半端な振る舞いが、逆に一部の女子たちの神経を逆撫でしていることに、彼女はきっと気が付かない。
「勇兵にソフトクリームぶつけられた」
「えぇ……?! さ、さすが、勇くん……。大丈夫? 洗うの手伝おうか?」
 ベンチでジュースを飲みながら話していた女子たちが、その様子を見て、ヒソヒソと何か言葉を交わしたのが見えた。
 秋行は目ざとくそちらに視線を向ける。
 目が合ったことに気付いた子が、こちらを見てニコリと笑い、手を振ってきた。
 なので、秋行も笑って手を振り返す。
「すごいなぁ……」
 悪口を言いながら、男子に愛想よく出来るなんて。
「南雲くん……?」
 秋行の呟きに不思議そうに清香がこちらを見た。
 すぐに気を取り直して、修吾の背中を押す。
「ボクが手伝うがら大丈夫だよ。それより、自分の心配したら?」
 清香も修吾も、秋行の言葉に不思議そうに首を傾げる。
 ”見られる”立場の人間であることを意識せずに生きてきた人間というのは、どれもこれもこうなのだろうか。
 勇兵や舞のように、その星の巡りにピッタリ沿った気性の人間もいるというのに。
 ……清香の場合は、自覚はあっても気性が伴わないという、1番大変なタイプなのだけれど。
「またあとで」
 修吾が小さくそう言うと、清香もにっこりと笑って応えた。
 修吾にカノジョが出来たという事実が文化祭前に発覚して、今現在トップネタとして君臨している。
 そういう状況を少しは読むべきだと、秋行は思う。



「秋行くん、どこか調子悪い?」
 秋行がテキパキとハンカチを濡らして、学ランをポンポンと叩くように拭いている様子を眺めながら、修吾が静かに尋ねてきた。
「別に。なして?」
「……ううん。なんとなく、そう思っただけ。そうじゃないならいいんだ」
 そっと視線を上げると、修吾はそれ以上何も言わずに、外の風景に視線を移した。
「こっちはあったかいね。ほんのちょびっとだけど」
「んだね」
「あのさ」
「ん?」
「僕、普段どおりにしか出来ないけど、これでいいんだよね?」
 修吾は秋行の目を見なかった。
 言い出しづらかった話題なのだろう。
 今はトイレ休憩もそろそろ終わりが近く、学生の姿もまばらだ。
 秋行はにっこりと笑って答える。
「やんたって言ったら、修吾クンどうすんの?」
「……どうするって訊かれると、困るけど」
「したらば、それが正解なんでねぇの?」
「…………」
「……これだけ、約束して?」
「え?」
「柚子チャンのごど、泣がさないって、約束してけらい」
「……努力する……」
 修吾の言葉に、秋行はクスリと笑った。
 本当に、正直で真っ直ぐな人だ。
「わがったって言うどこだべ?」
 笑いながら言い、あらかた汚れの取れた学ランを修吾に手渡す。
「もう少し叩けば取れるど思うよ。時間もないし、ボク、そこでお茶っこ飲んでるがら、取れだら言って」
「あ、うん。本当にありがとう」
「いやいや。だって、胸元緑色のまんまで、一緒に歩がれるのおしょすし」
「ハハ……」
 修吾の乾いた笑いを背中に聞きながら、秋行はトイレを出て、傍にあった自販機に小銭を入れた。
「ねぇ。それ、ホント? デマじゃないの? だって、さっきだってさ……」
 まだ、バスに戻ってない子もいたのか。
 時間も忘れて、話に花が咲いているらしい。
 秋行は日本茶のペットボトルのボタンを押した。
 落ちてきたペットボトルを取り出し、自販機の裏のベンチにいる子たちに声を掛けようと、自販機から顔を覗かせる。
 けれど……。
「遠野さんに限って、女子が本命は絶対にありえないでしょ?」
 という言葉に、つい頭を引っ込めてしまった。
 どうやら、聞いてはいけない噂話を、偶然立ち聞きしてしまったようだ。
 おそらく誰かの悪意によって流された噂のひとつだ。
 物分りがよく、話し上手な少年を演じてきた自分の経験上、それは聞いてはいけないものだ、と心が告げている。
 面倒ごとは嫌いだ。
 心臓にも良くない。
「でもさ、ほら、ここ最近、やたらベッタリな人いるじゃん?」
「えー。でも、普通じゃない? あれよりも気持ち悪いくらいベッタリな人たちなんて、山のようにいるよ?」
 ベッタリな人?
 誰のことだ?
 舞のことか?
「秋行くん。汚れ取れたよ」
 秋行がグルグル考えを巡らしていると、ひょっこりと修吾が顔を出し、横から話しかけてきた。
 その声で、女子たちの声が止む。
「お茶買えた? 時間ギリギリだし、そろそろ行こう」
「あ、ほんとだ」
「どうしたの?」
「ん、いや、ちょっと」
「 ? 」
 立ち聞きしてたのがバレたうえに、ホシの名前まで言っちゃったんだよ、君が。
 とは、キョトンと首を傾げている、目の前の男前に対して言えるわけがない。
「ちょっと眩暈がして、気が遠くなってただけ」
 気が遠くなったのは嘘ではないし、これで少しはあちらにも誤魔化しが利くかな、と少しだけ思ったのでそう言ってみた。
「え?! 大丈夫?!」
「ん。だいじょぶだいじょぶ。いづものごどだがら」
 思いのほか、修吾がおろおろし始まったので、丁度良いとばかりに、少し弱った声でそう言い、修吾の背中をポンポンと叩いて歩き出す。
「ほ、本当に平気なの?」
 眉を八の字にして、本当に心配そうな表情で覗き込んでくる修吾。
 さすがに心が痛んだ。
「修吾クンって、間が悪いよねぇ」
「え? 何? 唐突に」
 ぽそりと言った言葉に対して、怪訝な表情をする修吾。
「んぃや、別に。そう思っただけ」
「……何か、不快な思いさせた?」
「違うって。そういう意味でないがら」
「な、なら、いいけどさ……」
「修吾クンはさ」
「? うん?」
「シャドーのごど、好き?」
「友達として?」
「そう」
「……好きな部類だと思う。話しやすいし。おせっかいだなぁとは思うけど」
「遠野さんは?」
「好きだよ。幼馴染だし。……実は結構意地っ張りだしね。ほっとけないんだ」
「ふぅん……」
「2人がどうかしたの?」
「ん? ううん。別に。なんとなく、訊いてみただけ」
「そう。南雲くんは?」
「え?」
「2人のこと、どう思ってるのかなって」
「…………。正直、あんまり興味ないかな」
 だから、2人のやり取りを見ていても、別段違和感を覚えたことはなかった。
 秋行の言葉に、修吾が少しだけ寂しそうに目を細めた。
 自分の好きな人を、そういう風に言われれば、そういう表情にもなるだろう。
「2人って付き合ってるの?」
「え?!」
 何気なく口にした質問に、修吾が動揺するようにわたついた。
 周囲には誰もいない。
 けれど、その反応でなんとなく悟った。
 どうやら、先程の噂話は、火のないところから立った煙でもないらしい。
 それを知っていて立てた噂なのか、あくまで、悪意の塊として広められようとしている噂なのかが、分からなくなった。
 たとえどちらであったとしても、自分と仲の良い人たちが悲しむ話題には違いないようだ。
「あ、あの……秋行くん、今の話は……」
「だいじょうぶ。ボク、そういうのに対して、偏見ないがら」
「……そ、そう。羨ましいな」
「え?」
「僕は、正直、よく分からないから」
 修吾は珍しく自信なさげに俯いて、ぼやくように言った。
「自分らしぐ生ぎるごどは、悪いごどじゃないべ?」
「うん。わかってるんだ。上手く言葉に出来ないけど、僕の頭の中では、上手く切り分けられない問題で……。力になってあげたいとは思ってるんだけど」
 修吾の言いたいことも、なんとなく分かる。
 何かあった時に守ってあげられないかもしれないという想いがあるのだろう。
 世間の常識は、時に鋭い刃になりかねないから。
「…………。修吾クン」
「なに?」
「もし、旅行中、ビックリするようなごどをボクがしたどしても、口を挟まないで欲しいんだけど、いいかな?」
「……? うん。わかった」
 そんなことにならないことを、祈るばかりだけれど、ね。



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