◆◆ 第11篇 秋暁・想いの霧に惑わぬよう ◆◆

Chapter4.遠野 清香



 1日目、晩御飯の時間。
 3人が指定されていた座敷に着く頃には、もう半分以上席が埋まっている状態だった。
「やば、ちょうど3人分空いてる席って、まだある?」
 まだそんなに顔色の良くない舞が、慌てたようにそう言って、スリッパを脱いだ。
 3人分とは言ったものの、舞が気に掛けているのは柚子のことだろう。
 楽しい旅行にしてあげる、と彼女は言った。
 だから、柚子を1人きりには絶対にしない。
 バスの件だって、柚子には茶化して惚気てみせたようだけれど、本当は違う。
 柚子が1人ぽつんと席に残るのが気掛かりだったからだろう。
 残念ながら、そういうところだけはわかるようになってしまった。
 ……しょうがないか。
 自分は、呆れるほどに、外ヅラだけがよく出来すぎている。
 とはいえ、うまく立ち回れても、いないのだけれど。
 清香は小さくため息を吐いた。
 昼間、トイレ休憩で会ったユンとの会話が頭を過ぎる。

『なんかさ、サーちゃん、女子の間で、嫌な噂が流れてるみたいだけど、大丈夫?』
 清香は全く把握していなかったので、ユンの言葉に目を見開いた。
 周囲を気にしつつ、ユンは小声で、その中身を教えてくれた。
 内容としては、かいつまむとこんな感じだった。
 ”色目を使うのだけは上手いあの子が、また3年の先輩を袖にしたらしい”。
 ”「付き合っている人がいるから」と断られたと聞いたけれど、それらしい相手が見当たらない”。
 ”そういう相手がいるなら、それはそれで態度を改めるべきじゃないのか”。
 ”断る口実なのか、それとも、その相手というのが、もしかしたら、男子じゃないのではないか”。
 相も変わらず、暇な人というのは存在するものだ。
 ユンの言葉を聞きながら、思わず、そんな冷めた言葉が心を掠めた。
 他人に全く関心のない人間というのもどうかと思うけれど、他人に関心を持ち過ぎるというのは、自身の中が満たされていないからだろう。
 自分自身もそういう経験はあるから、分からないでもないけれど、久々の女子の噂の類に触れて、具合が悪くなった。
 心配してくれているユンに、これ以上、心配は掛けたくないので、清香は笑ってそれを受け流してみせた。
 噂に対しては何を言っても無駄だ。
 特に、悪意の塊は手に負えない。
 無視するに限る。
 たとえ、その結論が、噂の出元である人物がふざけて作ったにも関わらず、本当の解を示してしまっていたとしても、だ。
 面白い……?
 自分と少しでも異なるものを、指差してせせら笑うのは、そんなに面白いの?
 そうすることで、傷つく人の存在を、想像することも出来ないの……?

「清香、あそこ空いてる。あそこにしよ」
 屈託のない笑顔で、舞が清香の袖を引いた。
 柚子がひと足早く、場所を確保するために早歩きで歩いていく。
「……あの」
「ん?」
「今日は、ユンちゃんたちと、食べるね」
「え? なんで……?」
「あ、の……、座敷で食べるのは今日くらいなものだから、1回くらいは一緒に食べたいねって、その、話したの。さっき」
「…………」
 舞が清香の言葉に、ひどくがっかりしたように目を細めた。
「……そう。それならしょうがないか」
 それでも、すぐに清香の袖から手を離して、そう呟く舞。
 離された袖が静かに肌を締め付ける。
 彼女の潔さに、いつも寂しさを覚えるけれど、言ってしまったのは自分だからしょうのないことだった。
「それじゃ……」
「……怒ってる、わけじゃないよね?」
 不安そうに舞が言う。
 それはない。絶対に。
 そう言おうと思ったけれど、ぞろぞろと女子の集団がやってきたので、清香は頷きだけ返して、スリッパを脱ぎ、ユンの元に向かった。
 ユンの傍には、中学の頃から仲良くしているグループの子たちがいる。
 だから、きっと不自然ではないはずだ。
 たとえ、あなたの隣が、自分にとっていちばん自然であっても。



「柚子、ほっぺ。ついてる」
 ユンと食べると言ったのは良かったけれど、席取りの関係で、清香の斜め後ろにちょうど舞と柚子がいる配置になった。
 あんまり、意味がなかったかも。
 そんなことを心の中で呟きながら、向かい側で明るく喋っているリーに視線を向けた。
「サーちゃんと食べるの、久々だねぇ。中学の修学旅行さぁ、グループで食べてて、騒ぎすぎて怒られたよね。懐かしいなぁ」
 グループの中で、いちばん愛嬌のあるリーが本当に嬉しそうに顔をほころばせてそう言ってくれた。
 中学ではテニス部のマネージャーをやっていたけれど、今は野球部のマネージャーをしている。
 春休みに読んだ野球漫画に感化されて、甲子園を目指したくなったのだ、と言っていた気がする。
 中学でテニス部に入ったのも、漫画の影響と言っていた。
 ミーハーだけれど、とても真面目で、やると決めたらとことんやる子だった。
 そういえば、野球部のキャプテンと付き合い始めた、と教えてくれたのは、ついこの間のことだった。
「例の人とは上手くいってる?」
「んー? 上手く、はいってないかなぁ」
 そう言いながらも、表情は笑顔のまま。
 不満があるのではないようだ。
「上手くいくってのが、よくわっかんないや」
 あっけらかんと言うリー。
「元々野球やってる時しか声出さないような人だしさぁ」
「え?」
「普段、すっごい無口なの。あたしが勝手に喋ってるって感じ」
「……そう、なんだ?」
「でも、別にうるさいとも言わないから、まぁいいかって」
「リーらしいなぁ……」
「む。それ、どういう意味?」
「寛容って言ってるのよ。そうでしょう? タマちゃん」
「そそ」
 タマはクールに流して味噌汁を啜り、にんまりと笑った。
「いんじゃない? それでも、告白はあっちからだったんでしょ?」
 ユンが口に入っていたものを飲み込んでから、話を繋ぐようにそう言った。
「そう。正直、まともに会話したの、あれが初めて」
「……無茶苦茶だなぁ」
「だって、いつもあたしが話し掛けた内容に、頷くか首振るかで回答してくれるだけだったから」
「あははは! むしろ、それでやり取りが成り立ってたのがすごくない?」
「嫌われてるんだと思ってたって言ったら、何言ったらいいかよくわかんなくて、って言われたの」
「そういうもんかねぇ」
「そういうもんだよ。そうだって言うなら、そうかって受けるしかないじゃない? 世の中、いろんな人がいるんだから」
 細かいことを気にしすぎる清香を囲むには、この3人のバランスがとても合っていたのだと思う。
 頓着しないユンと、ナチュラルフラットなリー、それに突っ込み役のタマ。
「……うん。いろんな人がいるよね」
 清香が感慨深げに言うと、気遣うようにタマがこちらを見た。
 柚子と楽しげに話していた舞の声も、いつの間にか消えていた。
 あ、不味い。この位置でこの流れはダメだ。
 気を許していい相手に囲まれていたので、つい本音が出てしまった。
「サーちゃんさ、あのうわ……」
「あ、この釜飯美味しい!」
「ッ…………?」
「美味しいよ、ほら。タマちゃんも食べてごらんよ」
「ぇ、あ、う、うん?」
「あ、ホントだ。美味しいねぇ」
 リーが察したように話を合わせて釜飯を食べてくれた。
「タマちゃん、こんなところで話すことじゃないよ」
「ご、ごめん」
 小声で叱るリー。慌てて謝るタマ。
 グループの中で、清香とユンが仲が良いように、リーとタマも仲が良かった。
 それというのも、それぞれ同じ小学校出身、というのが大きい。
 この2人は、こういう時だけ、普段の印象と関係が逆転するのが面白い。
「舞ちゃん……? どうしたの? やっぱり、具合悪い?」
 柚子の声に、清香は敏感に反応して、チラリとそちらを見た。
「あ、いや。これ以上食べると具合悪くなりそうだなぁって」
「……残せばいいよ。無理しないで」
「美味しいから勿体無くて」
「そうかな? わたし、薄味苦手かも」
「あたしはちょうどいい」
 舞は箸を置き、足を崩した。
 にっこりと笑い、柚子を優しい目で見る。
「 ? 」
「柚子が食べるのを見てる」
「…………。残り物、塚原くんにでもあげてくれば?」
 見られるのが苦手な柚子は、数瞬困ったように頭を動かした後、つれなくそう返した。
 柚子の困った様が見られて満足したのか、舞が楽しげに笑う。
「そうしよっかな。押し付けてくるね」
「うん」
 柚子の頭を軽く撫でて、舞は立ち上がり、お膳を持って遠くの席にいる勇兵の元へ向かっていった。
「舞も誘えばよかったのに」
 清香の様子を察してか、ユンが穏やかな声でそう言った。
「え?」
「言ってくれれば席取ったし。舞なら全然オッケーだよね? 2人とも」
「うんー。舞ちゃんは男前だから好きー」
「男前って。失礼だろ、リー」
「だって、カッコよかったんだもんー。”男子が雁首揃えて誰も出来ないわけ?”ってさぁ。王子役決める時、すっごかったの」
 素直な感想を口にするリー。
 中学の文化祭演劇で『シンデレラ』をやった頃の話だ。
 確かに、あの時の舞は本当にカッコよかった。
 あれだけの言い方をしても、後腐れを残さなかった。
 王子役の役目をきっちりと果たすことで、誰にも文句を言わせなかった。
 あの人は、いつでも自分で上げたハードルを乗り越えていく人なのだ。
「男の子は、ああいう子にお尻叩かれて強くなるといいと思うんだー」
「リーってば……」
「……ダメ」
「え?」
「それじゃ、くーちゃんが疲れちゃう」
「サーちゃん……?」
「あ……なんでもない。ごめんなさい」
 3人が困惑した顔でこちらを見たので、清香は慌てて、箸を持った手を振って取り消した。
 少し考え込むように、4人とも押し黙る。
 沈黙が続いたところに、ご飯を食べ終わって、部屋に戻るところらしい女子2人が通りがかった。
「あれぇ? 遠野さん、今日は車道さんと一緒じゃないんだねぇ? ここのところ、ベッタリだったのに」
 顔は見たことがあったけれど、名前も分からない子だった。
 清香のお膳の前で立ち止まり、構えるように腕組みをする。
 綺麗な黒髪にシャギーの入ったショートカット。
 少しチャラいせいか、レトロな作りの制服はあまり似合っていなかった。
 それなりに生徒も減り始めており、このタイミングを狙ったとしか思えなかった。
 ユンが不快そうにその女子を見上げる。
「変な噂流してるのって、もしかして、あなたたち?」
 それはない。面と向かって言える人は、そんな姑息な手段を使わない。
「なわけないじゃん。あんなの馬鹿みたいだし。ただ、確かに、不自然なくらい仲良いなぁって思ってさぁ。素朴な疑問?」
「特に偏見ないからさぁ、本当のところ聞かせてくんない? はっきりすれば、敵が減って大助かりなの、わたしたち」
 茶色で長い髪の女子も、屈んで清香の顔を覗き込んでくる。
 片割れと同じく、風貌のせいか、あまり制服は似合っていない。
 ただ、かなり綺麗な顔立ちをしていた。男子にも人気がありそうだ。
「きみらがつるんでるのど、大差ねんじゃねぇの?」
 後ろから声がしたことに驚いて、全員そちらを見る。
 ちょうど柚子と話に来たらしい秋行が、いつも通りの可愛らしい笑顔を浮かべたままで立っていた。
 慌てたのは絡んできた女子のほう。
「秋行君、いつからそこに」
「ちょうど今来たどご。柚子チャンが気にしてるみでぇだったがら」
 柚子が脅えるようにこちらを見て、もじもじと体を動かす。
 秋行はゆっくりとお膳を跨いで、清香の後ろに立った。
「女子同士の揉め事に口を挟むのはポリシーに反すけど、シャドーはあっちゃ行ってるし、修吾クンももう戻っちゃったし。しょうがねぇべ」
 それはまるで言い返せない清香を密かに罵っているように聞こえた。
「変な噂。ボクも聞いだよ? でも、そゆのに踊らされで、面白そうに絡んでる時点で、人を傷つける側に立ってるごど、自覚しねどダメだど思うよ」
「別に、傷つけるつもりなんて……」
 茶髪の女子が言い返すと、それまで笑顔だった秋行が、真面目な表情で2人を見据えた。
「ないなら、やめろよ」
 ニコニコ笑顔がトレードマークの秋行が、険しい顔をしたのが意外だったのか、ユンたちも、絡んできた女子2人も言葉が出ないように黙った。
「人の悪口ほど、耳にしてやんたごどない」
「……秋行くん、普段、そういうのに居合わせても、何も言わないじゃん。なんで、今回は……」
「だがら……」
 秋行はそっと柚子を見て、少し考えるように天井を仰ぐ。
 先程言ったとおり、(大好きな)柚子が気にしているから、だ。
 清香にはそれがよくわかる。
 もし、柚子がいなかったら、自分に助け舟なんか出さなかっただろう。
 秋行が不自然な素振りでポンと手を叩いた。
「ああ。今わがった」
「 ? 」
「遠野さんって、自分的に、絡み辛ぇなぁって思ってたんだけど、好きだがらがもしんねぇ」
「はぁ……?!」
 その声を発したのは、誰でもなく、自分自身だった。
 普段出さないような声を清香が発したので、ユンたちすら驚いたように清香を見る。
 いやいやいやいや。
 心の中、思い切り頭を横に振る。
 あなたが好きなのは柚子ちゃんでしょ?
 そんなの分かりきってるのに、何を言い出すの?
 頭の中では大混乱だが、何も言えずに、口だけがパクパク動く。
「南雲くん、意外と大胆だねぇ……」
 ぽやんとリーが呟き、それで空気が一変した。
「ん? おぉ、ボク、ナチュラルに告白してしまった」
 わざとらしい秋行の言葉に、清香は頭が痛くなった。
 ああ、そういえば、噂の中身をこの人は知っているのだった。
 であれば、これもお芝居か。
「ねね、遠野さん。この前、4人で回ろうか? って言ってくれた件、やっぱり、4人でいいかな?」
 無邪気な笑顔がこちらに向けられる。
 あなたが絡み辛いと思うように、こちらも絡みづらいのだけど。
 なんて言葉が言える訳もなく。
 秋行のとぼけた素振りに、すっかり毒気を抜かれた2人は、少々不機嫌そうな表情で去っていく。
 いなくなってから、清香ははぁとため息を吐いて、秋行を見上げた。
 ニコニコと無邪気な笑顔がそこにあった。
 黒い笑顔にしか見えないのは、自分の目が濁っているからだろうか。
「南雲くん、気持ちは嬉しいんだけど……その、敵が増えた……」
「え? 何の事?」
 念のためか、まだすっとぼける秋行。
 清香の言葉に、ユンたちはすぐに察したように笑顔になる。
「南雲くん、ありがとー。そういうことかぁ」
 ただし、1人を除いて、だ。
「そうだったんだ……。秋行くん、ごめんね、気が付かなくて」
「……え?」
 秋行の笑顔がそこで引きつる。
「そっか……。そういうことだったのかぁ。……でもなぁ、わたしは……の味方だしなぁ……」
 柚子は清香をジッと見て、葛藤するように目を細める。
「柚子チャン、今のは……」
「わ、わたし、応援できないけど、でも、うん。今まで良くしてもらったから、愚痴くらいなら聞くからね!」
 柚子の健気(?)な言葉に、秋行の周りの空気がどんよりと曇る。
 一応、覚悟の上だったかもしれないが、ここまで疑問を持たずに納得されるとは思っていなかったのだろう。
 ……ああ。私、自分より可哀想な人、初めて見た気がする。
 思わず、清香はそんなことを心の中で呟いてしまった。



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