◆◆ 第11篇 秋暁・想いの霧に惑わぬよう ◆◆

Chapter6.遠野 清香



『遠野さん』
 部屋に戻る時、後ろから秋行に呼び止められた。
 秋行はわざとらしいほど親しげな笑顔でこちらにやってきた。
 何があったか知らないけれど、彼なりに自分のことを気遣ってくれているらしいから、邪険にもできない。
『急にあんなことして驚いたよ』
『んだってぇ、目の前で柚子チャン怯えてんの、見でらんねがったんだもの』
『だろうね。南雲くんはいつだってそう。なのに、よかったの? 誤解されるようなことして』
『誤解もなんも、どう思われでも、ボクの存在は柚子チャンの中ではなんも変わんねぇしぃ』
 秋行はおどけた調子でそう言うと、周囲を気にするように見回してから、自販機と壁の間に清香を押しやった。
『え? なに?』
『ボクの告白、この旅行中に受げだごどにして』
『え……なんで?』
『いいがら。今度の自由行動、一緒に回って、そん時にオッケーする流れで。いい?』
『……け、けど……、その後を誤魔化すのがすごく大変になるよ。南雲くん、私のこと、あんまり好きじゃないでしょう?』
『誤魔化す必要はねぇがら平気だよ』
『…………? それ、どういう……?』
『とにがぐ、ボクの言うごど聞け』
 いつものニコニコ笑顔はなりを潜め、鋭い眼差しで清香を見上げてくる秋行。
 別にその表情に威圧感は覚えなかったけれど、あまりにもはっきりした物言いに、つい頷いてしまった。
『好きな人と一緒にいられるのはとっても幸せなごどだべ。でも、でぎるなら下手な勘繰りのない世界で過ごしてぇ。誰だってそれは一緒だ。ホントは柚子チャンにもそうであってほしいけど、修吾クンが相手じゃ、そうもいがねぇべな』
 秋行は寂しげにそう呟くと、人気のなくなった廊下を颯爽と歩いていってしまった。



 眠気に勝てないように舞が眠った後、修学旅行の夜恒例の暴露大会が始まった。
 一応付き合いとして、みんなの話を聞く。
 うつぶせで頭を枕に乗せた状態にしているので、いつの間にか眠ってしまうかもしれないが、別にいいだろう。
 舞の手は布団の下で清香の手を握っている。
 どうも、今日の舞は甘えっ子モードのようだ。
 触れている手から微かに鼓動が伝わってきて、不思議な心地がする。
「ねね、遠野さんは気になる人いないの?」
 1人がそう言ってこちらを向いたので、みんなこちらに視線を寄越した。
 どうやら、あの噂は聞いていないらしい。
 例え聞いていたとしても、本人に言うようなデリカシーのない人がいないだけかもしれないけれど。
「あんた、怖い者知らずねぇ」
「だってさ、うちの学年で告白されてる回数、ダントツトップでしょ、きっと。モテる人の話は興味あるじゃん」
「あ、それだったら、好きな人の話より、肌の手入れについて聞きたぁい。外部活なのに、その白さってありえないし」
「それは別に教室でも聞けるじゃん」
 そう言いながら、徐々に清香に近づいてくる女子たち。
 あんまり近寄られると、手繋いでるのばれちゃうかも。
 心の中で1人焦り、舞の手を軽くトントンと指先でノックする。
 すると、意味が分かったのか、舞は手を引っ込めて寝返りを打った。
 ……寝たふりしてるのか。
 あまりの反応のよさに清香は苦笑しながら、ゆっくりと起き上がる。
「遠野さんさ、二ノ宮くんたちとよく話してるじゃない?」
「うん。くーちゃんが仲良いからね」
「こんなこと言うと、気分害すかもしれないんだけど、わたし、てっきり、あの3人の中に本命がいるんだと思ってたんだ〜」
「ううん。特には」
「だよね。二ノ宮くんと渡井さんが付き合ってるって話も、はっきり言ったの遠野さんだったって聞いたし」
「でも、うち的にさ、二ノ宮くんと遠野さん、お似合いだなぁなんて思ってたから、ちょっと驚いたんだよね」
「あ、それ、わかるかも」
「でしょ?」
 清香を囲んで盛り上がる女子たち。
 お似合い……? 考えたこともなかった。
「えっと、暴露大会だし、言っちゃうけど」
「え?」
「なになに?」
「二ノ宮くん、幼馴染なの」
「…………」
「え? え? どゆこと?」
「子供の頃、通ってたピアノ教室に、二ノ宮くんのお兄さんが通ってて、そのお迎えにお母さんと一緒に来てたシュ……二ノ宮くんと仲良くなったの」
「へぇぇぇ。そうなんだ。だから、二ノ宮くん、結構慣れた調子で話しかけてたんだねぇ。納得かも」
「ねぇねぇ、それってさぁ、どっちか初恋の相手、だったりしないのぉ?」
 面白い話を聞いたと悪ノリする子が1人。
 こういう場ではよくあることだ。
「私は特にはないよぉ」
 清香は軽く受け流そうと笑顔でそう返す。
「あ」
「なになに? どしたの?」
「そういえばさぁ、お風呂の時、南雲くんが遠野さんに告ったって話を耳にしたんだけど……これホント?」
 カチンと清香の表情が固まる。
 後ろの空気が急激に重くなったのは気のせいじゃない気がする。
「あ、あれは……その……」
 どうしよう。
 付き合っている人がいる、という噂になっているようだから、あの行動自体で煙に巻くのは難しいだろうけれど、否定してしまうと、噂(女性と付き合っている)避けのために動いてくれた秋行の行動が無駄になる。
 けれど、何も言わないと、後ろの人が黙っていないだろう。
 こういう時って、どう対処すればいいの……?
 1人、心の中で右往左往する清香。
 後ろで衣擦れの音がして、ムクリと舞が起き上がった気配がした。
 慌ててそちらを見ると、舞が少々不機嫌な様子で清香を一瞥した。
「あ、ごめん、舞。うるさかったぁ?」
「んー……。うるさいのは別にいんだけどさぁ……。モグに限って清香はないんじゃないかなぁって。でしょ? 清香」
 話しかけた子に言葉を返しながら、舞は最終的に清香に視線を寄越した。
 はっきり否定しなさい、と言わんばかりの視線に、グッと奥歯を噛み締める清香。
「え、えっと……よくわからないんだけど、告白、みたいなのをされたのはホント」
 舞が意外そうに心なしか目を見開いた。
 清香の言葉に、話に参加していた女子の様子が急激に賑わった。
「でも、本当に、よくわからない感じだったから、返事も何も、してないよ? 未だに、告白だったのかどうかもわかんないし」
「…………」
 舞が意味が分からないように目を細める。
「そ、それで、どうせだし、自由行動は勇くん・くーちゃんも混ぜて4人で回らないか? って誘われた」
「へぇ。で、どうするの?」
 舞が不機嫌なことには気が付かない子たちは普通に次を促してくる。
 清香は一瞬躊躇ったが、あの後、秋行に言われた言葉を思い出して、笑顔で言った。
「元々仲は良いし、それだったらいいかなぁって私は思ってるんだけど」
「……その話、あたし、聞いてないんだけど」
「あ、うん。ごめん、タイミング逃しちゃって……」
「…………。ふぅん。まぁ、清香がいいならいいよ。柚子とニノが別行動でつまんないと思ってたし」
 むちゃくちゃ怒ってる。
 清香は背中に汗を掻きつつ、なんとか笑って頷いた。
「じゃ、あとで話しとくね」
「……おやすみ」
 舞はまだ何か言いたげだったが、みんながいるこの状況では何も話せないと思ったのか、すぐに布団を被ってしまった。
「みんなも程々にね。まだ初日なんだし」
「大部屋なの、今日だけだしなぁ……少しボリューム下げるね。ごめんね、舞」
「いや、いいんだけどさ。……清香もさっさと寝たら? あんた、いっつも無理して付き合うんだから」
「大丈夫。もう少ししたら寝るから。寝てていいよ」
 清香の言葉に舞は特に返事をせず、そのままこちらに背中を向けた。
 どうせ、また寝たふりだろう。
「でも、遠野さん、本当にどうするの?」
「え……?」
「付き合ってる人いるって聞いたよぉ? はっきり断るんでしょ?」
「南雲くん、人気者だしさぁ」
「……まぁ、似合いっちゃ似合いだけど」
 思い思いに言葉を口にして、清香を見る女子たち。
 清香はただ笑ってはぐらかすだけだ。
 ……あ。こういうのがいけないんだったっけ……?



 朝早くに目が覚めた。
 結局寝たのは夜中の2時を少し過ぎた頃だったけれど、基本的に出先では早く起きてしまう。おそらく、気持ち的に落ち着かないのだと思う。
 隣を見ると、舞の姿がなかった。
 トイレにでも行ったのだろうかと少し待ってみたが、戻ってくる気配はなかった。
 まだ寝ている子達を起こさぬよう、静かに布団から出て、部屋着のままで部屋の外へ出た。
 廊下には、まばらだけれど、目が覚めてしまったらしい学生たちの姿があった。
 部屋の中では落ち着いて話せないからか、廊下の腰掛けに座って話している人の姿もあった。
 別のクラスの男子たちが清香に気が付いて、そわそわとコソコソ話を始めた。
 さすがに起きてそのままは不味かったかな、と思いながらも、一応笑顔を作って挨拶する。
「おはよう」
「お、おはよう。遠野さん、早起きなんだね」
「うん。旅先じゃ、あんまり寝付けなくて。あなたたちも?」
「俺たちは朝ラン。運動部は結構多いんじゃない?」
「あー、そっか。テニス部はやらないって言ってたな」
 言葉を返しながらも足は止めずに彼らの前を通り過ぎる。
 きょろきょろと辺りを見回すが、舞の姿はなかった。
 階段を下りてロビーに出る。
 そこでようやく舞の背中を見つけた。
 それなりに座り心地の良さそうな1人用のソファに座って、天井を見つめている。
 清香は声を掛けようと若干早足になったが、舞の向かい側に勇兵が座って何か話しているのが見えて、思わず隠れてしまった。
「そんなに不機嫌になんなくてもいいだろ? 一緒に回るったって、基本的にお前らの邪魔はしねぇからさ」
「邪魔とかそういうのじゃなくて、モグが何考えてんのか、よくわかんないんだけど」
「…………。アキちゃんは考えなしに動くような奴でもないし、なんかあるんじゃないの? そんなに気になるなら遠野に聞けば?」
「清香も時々何考えてんのかよくわかんないんだよね」
「はは。そんなん、人間誰だってそうだろうがよ。俺だって、シャドーの考えてることなんかわかんねーぞ」
「そう、だけどさ……。わかんなくて不安になるかなんないかの差じゃないの。あたしにとっては、清香だけはどーにも……」
「……まぁ、しょうがないべや。好きなんだもんな」
「…………」
「体調良くないからデリケートになってんじゃねぇの? 好きな相手の文句は良くないぞ」
「文句言ってるつもりは……」
「ああ、そうだな。惚気だな」
「惚気てるつもりもない」
 舞の取り付く島もない物言いに、勇兵は苦笑して、ゆっくりと立ち上がった。
「そろそろ朝ランの時間。まだ少し時間あるし、二度寝でもすれば?」
「……ここでボケッとしてるわ。女子ばっかの部屋、どうも落ち着かないのよね」
「ふぅん。じゃな」
「頑張って」
 舞がヒラヒラと手を振って送り出すと、勇兵は小走りで外へ出て行った。
 少し間を空けてから、清香は静かに舞に忍び寄って、ポンと両手で彼女の肩に触れた。
 舞が上を向いて、清香の顔を見上げてくる。
 吸い込まれてしまいそうな切れ長の眼差し。
 清香は先程の話など聞いていなかったように笑顔を作った。
「おはよ、くーちゃん。眠れなかったの?」
「…………。隣にあんたが寝てりゃ、そりゃ、落ち着かないよ」
「あの、昨日のことなんだけど……」
「昨日?」
「南雲くんの件」
「…………。いいよ、別に。4人で自由行動でしょ? わかったから。それに、モグはあたしらのこと知らないんだしね。しょうがないんじゃない?」
 舞は先程の愚痴などおくびにも出さずに、理解を示すようにそう言った。
 はっきりと言ってくれないことに、少しばかり寂しさを覚える。
 秋行は2人のことを知った上で、そういう話になったのだと、彼女に伝えるわけにもいかず、清香は目を泳がせた。
「清香?」
「あ、ごめん。まだちょっと眠くて」
「……寝てればよかったのに」
「だって、起きたらくーちゃんがいなかったから」
「探してくれたんだ? ……嬉しいなぁ」
 彼女は他人に優しい。
 勇兵に愚痴っていたことのひとかけらでも、こちらにぶつけてくれたらいいのに。
 時にはぶつかって、じっくりと話し合うこともあるけれど、触れたくない話題は分かりやすいほどに彼女はスルーしようとする。
 そんなのは解決にも何もならないのを分かっているのに。
 あの噂のことを、彼女に話してしまえば、すんなりと話は進む。
 それはよく分かっているけれど、彼女が傷つくのじゃないかと思うと、切り出し方が分からなかった。
 正直、自分はどう言われてもいいのだ。
 陰口は今まで山のように言われてきたし、今好きな人が女の子であることも事実だから。
 でも、そんな噂が出回っていることを彼女が知ったらどうなるか。それを考えるのが怖かった。
 この時話してしまえばよかったのに、などと後悔することになるなんて、この時点では予想もしていなかったのだ。



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