◆◆ 第11篇 秋暁・想いの霧に惑わぬよう ◆◆

Chapter7.車道 舞



『車道先輩、受け取ってください!』
 中学最後のバレンタインデー。
 呆れるほどたくさんの後輩に、そう言ってチョコを差し出された。
 彼女たちは恋に恋している。
 自分のことなどは見ていない。
 チョコをあげるために頑張るその時間を楽しんでいるだけだ。
 もしも、自分の好きな相手が遠野清香という女の子だ、と公言したら、こんな反応は絶対にしてくれないだろう。
『……ありがと』
 舞は静かに礼を言って笑顔を返す。
 頑張って作ってくれたものは受け取るのが礼儀だと思う。
 しばらくのお菓子代も浮くし……。
 でも、浮いた分でホワイトデーのお返しか。結局、トントンか。
『あ、くーちゃん、ちょっと待って』
 3つほどチョコを小脇に抱えて廊下を歩いていると、後ろから声を掛けられたので振り返る。
 パタパタと追いついてきて、おっとり微笑む清香。
『大人気だね』
 包みを見て楽しそうに笑うと、風船型のシールを差し出してきた。
『なに?』
『担任の石倉先生、今年で異動かもしれないって噂が流れてるんだよね。ほら、結構長くいらっしゃるし』
『寄せ書き? 確定してからのほうがいいんじゃないの?』
『……まぁ、そうなんだけど、ね。3月はバタバタしそうだから、シールを渡しとくのだけでも早めにしようかって。違ったら違ったで、お別れの寄せ書きでいいと思うし』
『ふぅん……』
 シールを受け取って、じっと見つめる舞。
『はぁ……』
『どうしたの?』
『いや、中学生活ももうすぐ終わりかと思っただけ』
『くーちゃんでも、感傷に浸ったりするんだね』
『ん……そりゃね。そういえば、清香は志望校変えてないの?』
『うん。変えてないよ。高校も一緒だね』
 本人にとっては何気ないひと言だろうけど、そんな言葉でさえ、舞の心はドキリと跳ねる。
 一緒の高校に行ったって、何にも変わらないのに。
 彼女はいつも通りの仲良しグループでつるんで、舞はたまにふらふらとそのグループの中に遊びに行くだけだ。
 不特定多数の友達の中の1人。
 その立ち位置はきっと変わることはない。
『くーちゃんは、高校もバスケ部?』
『んー……? 面倒くさいから運動部は入らないと思う』
『ふふ。面倒かぁ……』
『あたしさ、本気になるの、面倒くさいんだよね』
『……そうなの?』
『本気になったからって、何が起こる訳でもないんだし』
『……そうかな?』
『そうだよ』
 舞の言葉に清香は少し考えた後に、そっと舞の小脇に挟まれているものを指差した。
『それは、くーちゃんの本気の結果なんじゃないの?』
『……こんなの、ただの悪ノリじゃん』
『どうしてそう思うの?』
『え、だって……』
『その瞬間、渡したいと思った気持ちは、私は嘘じゃないと思うけど。愛情って、色々な形があるんだから』
 何がきっかけだったろうと、最近考えていた。
 高校に入学しても、きっと距離なんて変わらない。
 ただ、いつも通りの立ち位置で、彼女の笑顔が見られればそれでいいと思っていた。
 それなのに、自分は入学してひと月もせずに告白に踏み切った。
 きっかけは何だったろう。距離を変えたいと願ったのは、なぜだったろう。
 その答えは、この日にあった。
 もしかしたら、受け入れてもらえるのかもしれない。
 抱えたままでは、分からないものが、あるのかもしれない。
 そんな淡い期待が胸の中に広がった瞬間は、この時だったような気がする。



 日程は進んで修学旅行4日目。
 京都見物2日目は、自由行動の日。
 朝食を食べながら楽しそうに修吾と柚子が、回るコースの最終チェックをしている。
 舞はそれを隣で眺めつつ、時々茶々を入れる。
「柚子の保護者なんだからしっかりお願いねぇ」
「な、なんだよそれ」
「はぐれたりしたら承知しないって言ってんの」
「だいじょうぶだよ。ちゃんと手繋ぐから」
 柚子が邪気のない笑顔でそう言い、元気よくご飯を口の中に放り込んだ。
 言うようになったなぁ……。
 そんな言葉が頭を過ぎる。
「シャドーたちって、どご回る予定なの?」
「嵐山のほう。清香が野宮神社に行きたいって言うから。そのへん回って、最後に渡月橋見て帰ってこようかなぁって思ってる」
「はぁ……寺神社寺……」
 勇兵がつまらなそうにそう言ってため息を吐く。
「野宮神社って縁結びで有名だよね?」
「そうなのか?」
 食いつきの悪かった勇兵が、そのひと言で少しだけ態度が変わる。
 この男にも、神に参ってまで縁を結びたい相手が出来たのだろうか。
「なんか、ツカ、今の意味深じゃん?」
「……い、いや。後輩の、お土産、どうすっかなって考えてただけだよ」
「あー。あたしは、八ツ橋買ってく予定だけどな。あ、もしかして、日和子?」
「トス教えてもらってるからな。良縁を願うのは先輩として当然だろ」
 勇兵は少々目を泳がせながらもそう言い切り、ムシャムシャと鮭の塩焼きを口の中に押し込む。
「私も、親戚のお姉ちゃんにお守り頼まれたんだ。それで……」
「あれ? そうだったの? どうしても行きたいのかと思って、そこ中心で考えたのに……」
「あ、行きたいよ。源氏物語にも出てくる神社だし」
「あと、トロッコ列車あるんだよね。乗る気満々だけど、みんな平気?」
 舞の問いに、全員コクリと頷く。
「俺、全然下調べしてなかったから助かったわー。アキちゃんは、行きたいとこないの? 合わせちゃって平気?」
「え? うん。遠野さんと一緒ならどごでもいいよ」
 にこちゃんと笑ってサラリと言ってのける秋行。
 その言葉に、周囲の空気がピシリと凍りついた。
 修吾が気に掛けるように秋行を見たが、結局何も言わずに食事を続行する。
 困ったように目を細める清香。
 舞は少々不機嫌な調子で秋行を見た。
「どういうつもり?」
「何が?」
「こういう場で言うことじゃないと思うけど。清香、困ってんじゃん。ただでさえ、いっつも貧乏くじなのに」
「こういう場で言っとけば、誰も手出ししないど思って」
「……あんたねぇ」
「シャドーって、過保護だよね」
「は?」
「柚子チャンにしても、遠野さんにしても。友達だがらって、口出ししていい話とそでない話があるど思うんだげど」
「…………」
「ただの友達なら黙ってくんない? ボクはボクなりに、真剣な話してっから。それを受げでけるがどうかは、遠野さん次第でしょ?」
「それはそうね。でも、みんなのいるところで言うのは、もうやめてちょうだい」
「なして? こうしたほうが、歪んだ情報になんねくて、遠野さんに害は及ばねどボクは思うけど?」
 あたしが言い返せないからよ。という言葉は言えずに飲み込む。
「あの……」
 清香が静かな調子で口を開いたので、言い合いをしていた2人は同時にそちらに視線を動かした。
「私、やっぱり、南雲くんと付き合うの、想像できない」
 その言葉でしんとする。
 聞こえる範囲の生徒たちが確実に興味津々な話題であることは、明白だった。
「付き合っている人がいるのは本当だし、それがどこの誰ですって大っぴらにしたいかしたくないかは、人によると思う。私の好きな人は、そういうことを声を大にして言う人じゃないの。相手を見なきゃ納得いかないと言われても、それはプライベートなことだから、そこまで突っ込まれる筋合いが、私にはないと思ってる」
 清香は堂々とそう言うと、ゆっくりと箸を置いた。
 清香の言っていることがよくわからず、舞は首を傾げた。
「ご馳走様」
「清香?」
「先、戻ってる……」
 清香は小さい声でそう言って、タタタッと早歩きで座敷を出て行ってしまった。
 本人がいなくなって、周囲の空気が一気に軽くなる。
「あー、やっぱ、いんのかぁ……告白してねぇのに玉砕じゃん」
「ヒロトは眺めてるだけのストーキングラブじゃねぇか。何を今更」
「う、うっせぇな! しょうがねぇだろ。見てるだけで幸せになるんだから」
「じゃ、玉砕しても何も変わんねーじゃん。眺めて幸せになってろよ」
「く……お前なぁ……」
「画面の中のアイドルだとでも思ってりゃ、気も楽じゃん」
「……面白がってんじゃねぇよぉ」
 堂上ヒロトとその友達のやり取りはそれなりに微笑ましいものだったが、清香が出て行った出口を見つめたまま、事態がよく分からずに呆然としていると、女子たちの声が耳に入ってきた。
「ねぇ、今の、完全に噂流したあたしらへのあてつけじゃない?」
「か、考えすぎだって。誰が流したかなんてわかんないように流したんだし」
「……でもさぁ、わたし、今回のは、ちょっとやりすぎたかなぁって、思うんだけど……」
 噂?
 今回の?
 何のことだ……?
 ねぇ、さっきの清香、凄く泣きそうな顔してたんだけど、それも、今の話に関係ある訳?
 頭の中でプツンと糸が切れる音がした気がした。
 箸を置き、素早く振り返って、声の主を探す。
 舞の斜め後ろあたり。該当する女子は何組かあったが、声の感じからそれほど遠くないと判断した。
 カマを掛けて、ポンとその中の1人の肩を叩く。
 ビクリと跳ねるその子の肩。
 ゆっくりと3人がこちらに視線を寄越した。
 地味な印象の女子3人。
 どれも別のクラスで、名前は残念ながら分からない。
「今の話、どういうことか聞かせて欲しいんだけど?」
 さぞ自分は怖い顔をしていたことだろう。
 それだけは、彼女たちの表情を見れば、何も考えなくても判断が出来た。



 清香の旅行初日からの腑に落ちない行動にも、彼女たちから噂の内容を聞いて合点がいった気がした。
 あの後、秋行にも話を聞いた。
 上手いこと、付き合っている人を表面化させることで、真偽の分からない噂話を煙に巻こうとしたのだという。
 そのための芝居を打とうとしたのだが、彼女はその芝居すら嫌だったみたい。
 そんなことを、特に傷ついた様子も見せずに、気さくに笑って彼は言った。
 けろっとしたものだった。清香はあんなにも傷ついた顔をしていたのに。
 けれど、それにしたって……。
 舞は大きくため息を吐いた。
 とにかく、本人と話さないと。
 話は、それからだ。



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