◆◆ 第11篇 秋暁・想いの霧に惑わぬよう ◆◆

Chapter9.南雲 秋行



『秋行くん』
 朝食後、外出の準備もそこそこにひと眠りしている勇兵を横目に、修吾が秋行のベッドまで歩いてきて腰掛けた。
『なに?』
『さっきの話。口を挟むなって言われてたから、あの時は何も言わなかったけど……』
『うん』
『僕は、流れをよくわかっていなかったし、あんな噂があったことも知らなかった。でも、あのやり方は違うんじゃないかな?』
『…………。そう?』
『違うと思う。正しい方法がこれだっては言えないけど、南雲くんの方法は、正解じゃなかったと思う』
『…………』
『その生き方を選んださっちゃんに、あんな嘘を持ちかけるなんて。僕は、さっちゃんの幼馴染として、シャドーの友達として、間違っていると思う』
『……あの子、困った顔してだんだよね。ボクが協力するって言った時……』
『…………』
『でもさ、それが何?』
『え?』
『たとえ、嘘だどしても、それでその場が治まって、2人が一緒にいられるなら、何も問題ないんじゃないの?』
『それは……』
『自分たちが幸せであるために必要な嘘は、存在するとボクは思うんだけど。差別や区別で言ってるんじゃない。世の中の誰だって、生きるために嘘をついていない人はいないと思う』
『…………』
『好きだからこそ真っ直ぐなのも結構だけど、それだけではどうにも出来ない現実がある。2人で一緒にいるための嘘なら、つけるんじゃないの? ボクは、そう思ったから、あの提案を遠野さんにしたんだよ』
 いつも朗らかな秋行が、真面目な表情で、憤りを隠しきれない語調でそう言った。
 修吾は少々その勢いに気圧された様子だった。
『だけど……』
『ふぁ〜あ! ん? そろそろ時間?』
 修吾が言い返そうとした時、勇兵がむくりと起き上がり、大きな声で欠伸をした。
 邪気のない声に、修吾は毒気を抜かれたように口を噤む。
『そろそろ時間だね。行ぐべが?』
『ほいよ』
 勇兵は勢いよくベッドから降り、ウェストバッグを肩から提げて、準備万端と言いたげな笑みを浮かべる。
『修ちゃん』
『先、行っていいよ。柚子さんとの待ち合わせ、みんなより遅めだから』
『そ? じゃ、行ってくるね』
 勇兵は元気よくそう言うと、ヒラヒラと手を振って、秋行の肩に腕を回してきた。
 押されるように部屋を出た後、勇兵がため息を吐いた。
『旅先で喧嘩とか勘弁してよねぇ』
『……もぅさげね。でも、ボク、これだげは譲れねがったんだ』
『アキちゃん?』
『みんな、健康で、好きな人ども上手ぐ行ってるのに……嘘ひとつで円滑に進むなら、つけるはずじゃないか。みんな贅沢だよ』
『……アキちゃん……。何? 何かあったの?』
『……なんにも。なんにも、ねぇ』
 秋行は勇兵の腕を優しく振り解いて、早足で歩き出した。
 どうせ、小柄な自分の早足なんて、すぐに追いつかれてしまうのは分かっていたけど、そうでもしなければ、自分を保てそうになかった。



 野宮神社までは竹林を抜けていく。
 ガイドブックにも写真が載っている有名な道だ。
 青々とした竹が両側に壁のようにそびえたっているのを見上げるのはなかなか壮観だった。
「竹林……すっげぇなぁ」
 寺神社寺、とつまらなそうにしていた勇兵も、嵐山の風光明媚な景観には感動したらしく、今日ばかりは退屈な素振りを見せなかった。
 舞と一緒というのも、元気な理由のひとつかもしれないけれど。
「緑が多いのは見慣れてっけど、それでも、地元と違って、計算された景色だよなぁ。京都ってどこもこんなんなのか? なんだっけ? 昨日見た金閣寺じゃ、借景? とかいうのの説明してたよな」
 頭の後ろで腕を組んで楽しそうにまくしたてる勇兵。
 秋行はその様子に思わず笑みがこぼれた。
 持ってきていたデジカメでパシャパシャと写真を撮っていた舞が、色々な構図でひととおり撮った後にそう言って2人にカメラを向けてきた。
「2人ともこっち向いて」
 勇兵がすぐさま白い歯を覗かせて笑い、秋行と肩を並べる。
 なので、秋行も合わせるように笑顔を作った。
「はい、チーズ」
 すかさずシャッターを切り、舞はカメラから手を離した。
 ネックストラップが少し揺れて、舞の胸でカメラが小さく跳ねて止まる。
「しっかし、女子多いなぁ」
 周囲を見回して勇兵がぼやく。
 その言葉につられて、秋行も辺りを見回した。
「ま、縁結びで有名らしいから仕方ないんじゃない?」
「遠野さん来ねぇけど、シャドーは用事あんの?」
「…………。従姉妹のお姉さんが欲しがってるって言ってたし、買ってってあげようかと思って。それに、ツカも日和子に買ってくんでしょ? モグも買ったら? 一応、独り身なんだし」
「ボクは芸能上達の神様にお参りするよ」
「あれ? 良縁の神様がメインじゃないの? 野宮神社って」
「ううん。有名は有名だけど、学業成就の神様がメインらしいよ。んで、鎮火勝運、芸能上達、子宝安産、交通安全・財運向上、縁結びの神様がいるって。ガイドブックに書いであった」
「……そうなんだ。あ、じゃ、ツカは勝運の神様にお参りしなきゃね」
「ん? ああ、そうだな。せっかく来たし、一応祈るだけ祈っとこうかな。あんま、神様とかって信じてねぇほうだけど」
「シャドーは財運向上が?」
「ああ、うん。そうかな。せっかく行くんだし、参拝しないと勿体無いよねぇ。しかし、誰も、学業成就のお参りを挙げないとは」
「それはだって」
「神頼みで頭はよぐなんねぇもんなぁ」
「運気向上とかならご利益期待出来るかもしんないけどなぁ」
「ま、それ言ったら、芸能上達も一緒だけど」
 学生らしからぬ向学心のなさに、全員が失笑を漏らす。
 けれど、ここを自由行動の目的地としている大半の生徒たちの目的も、みな似たようなものだろうから、これが普通なのだと思う。
 秋行は舞の様子を気にして、横目でチラリと横顔を盗み見る。
 話している時は元気だけれど、静かになると同時に、心ここにあらずな表情になる。
 清香が来ない理由について、ここまでの道程では誰も触れなかった。
 なんとなく、触れてはいけない空気を感じ取ったからだと思う。
 舞自身が話してくれるようならいいけれど、彼女も彼女で触れたい話題ではないようだ。
 秋行に至っては、2人が付き合っていることを知らないことになっているのだから、仕方ないだろうか。
 けれど、別行動はあからさますぎるのではないか。
 ……まさか、あんなことで壊れたのか……?
 そんな言葉が頭を掠めて、心なしか目を細める。
 これをそのまま彼女に言ったら、抑えているものを秋行にぶつけかねないだろう。
 事態を面倒にしてしまったのは、自分自身の行動だったという自覚がある。
 自分がああいった口の挟み方をせずに、清香が舞に素直に相談すれば、何も面倒なことにはならなかった。
 結局、動じなくてもいいことに対して、嘘に嘘を重ねようとしたから、余計に土台が脆くなってしまったのだ。
 修吾に言い返したことも本心だったけれど、ホテルのロビーに1人で現れた舞を見て、事態の大きさを嫌というほど感じ取ったのも事実だった。
 ”野宮神社”と刻まれた石碑と、黒木の鳥居が見えてきた。
「お参りは別々にしよっか」
 舞がそう言い、パシャリと鳥居の写真を撮影してからスタスタと歩いていってしまった。
 鳥居をくぐる時に礼をすることは忘れない。
 そういえば、夏祭りの時もあの行動だけはきちんとしていたな、なんてことを思い出した。
 勇兵がその背中を見送り、ため息を吐いた。
「……調子狂うなぁ」
「やっぱ、いづものシャドーじゃないよね?」
「……なんだろ。喧嘩したくらいかなって思ってたけど、別れたんかな? 縁結びの神様の話した後にその展開って……正直大丈夫かよ、この神社」
「ちょ、勇兵クン……この神社は全然無関係だべ。こんな目の前まで来て言うのはいぐねぇよ。誰が聞いでるがわがんねぇべ」
「冗談だよぉ。……でも、これでいいのかなぁ?」
「いぐねぇよ」
「だよなぁ……。俺、アイツがらしくないのは、嫌だわ」
 勇兵が穏やかな調子で言うので、つい秋行はじっと彼を見上げてしまった。
 その視線に、勇兵が不思議そうに首を傾げる。
「なに?」
「時々、勇兵クンってすっごい男前なごど言うよね」
「なっ……時々ってなんだよ!!」
「だって、キミの気持ちも考えるど、よぐそんな言葉が出てくんなぁって思うもん」
「……ああ、そういうことか。別に。俺だって、前に進んでんだよ。進む前にこんな事態になってたら、何か違ったかもしんねぇけどなぁ……。まぁ、どのみち、俺らが上手く行くことはないと思うけど」
「そうがな?」
「本人が言うんだから間違いないの! さ、俺らも行くぞ」
「あ、ボク、龍神の井戸に用があるんだ」
「井戸?」
「うん。1人で行ぎでぇがら、勇兵クンも1人でお参りっこしてきてけらい」
「…………。わかった。はぁ……何のために3人で来たんだかわかんねぇな」
「ハハ。でも、そんなに広い場所でもねんだがら、バラバラでも一緒に回っても、大して変わんねぇべよ」
 ぼやく勇兵の背中を押して、秋行は元気よく前へと歩を進める。
 緑に囲まれた境内には、木漏れ日が差し込んで、とても神秘的な光景だった。
 観光客で埋まっていなければ、もっと神聖な空気を味わえただろうに。
 そんなことを思うくらいに。



 舞の希望通り、3人はトロッコ列車に揺られながら、山々の景観を楽しんでいた。
 パラパラと学生の姿は見えるが、どれもうちの高校の生徒ではなかった。
「ね、あの制服、どこだろうね? 白セーラーって生で初めて見た〜」
 女子高生の4人組が舞をチラチラ見ながら、コソコソ話をしているのが秋行の耳に聞こえてきた。
 舞は見られていることにも気付かずに、外の景色に目を奪われている。
「シャドー、めんこいってさ」
 秋行は正面に座っている舞にポソリとそう言い、同じように景色に目をやる。
 若干色づき始めた木々の彩りに、やんわりと表情が緩んだ。
「なんか言った?」
 少しの間を置いて、舞が問いを返してきた。
 勇兵も窓際が良かったらしく、秋行と背中合わせの後ろの席にいた。
 時々、無邪気にはしゃぐ声が聞こえてくるが、1人でリアクションしているので、どうにもおかしかった。
「ん。制服、めんこいって」
「誰が?」
「あそこの子達」
 秋行はあちらに気がつかれない程度にちょいちょいと指で示した。
 舞がその指の先をチラリと見て、興味なさそうにふぅん……と呟く。
「清香はこの制服が着たかったんだって」
「え?」
「高校の志望理由。邪気の無い笑顔で、ユンたちと話してたことあった」
「……ふぅん」
 若干興味の湧かない話題に戸惑ったが、何か話してくれる気になったのかと思い、秋行はすぐに言葉を次ぐ。
「シャドーは?」
「え?」
「シャドーは、なして、うちに来たの?」
「……距離が遠いのは無理だったし、大学には行きたかったから、とりあえず、このへんでいちばん頭良いところがいいかなぁって思ったんだよね」
「そなんだ。てっきり、遠野さんが行ぐって言ったがらがど思った」
 秋行の言葉に、舞の呼吸が止まる。
 落ち着こうとしているのか、長くて綺麗な髪を指先で弄び、目を細めて息を吐く。
「モグも知ってたの」
「うーん。成り行き上?」
「ああ。だから、あんな変な話を清香に持ちかけたの?」
「ん。だって、困ってるみでぇだったし?」
「そう。ありがとう」
 舞は静かな声でそれだけ言って、視線をまた外へ向ける。
 少し強い風が吹いて、舞はそっと髪が乱れないように頭を押さえた。
 秋行は一瞬迷ったが、唇を引き結んで息を飲み込み、切り出した。
「そごは、ありがとうって言うどごが?」
「え?」
 秋行の言葉に、舞の視線が戻ってくる。
 綺麗な顔がこちらを向いた。
「ボク、遠野さんのごど、困らしたべ。その挙句、別れだんでねぇの?」
「…………」
「シャドー。物事にはなんだって理屈があるんだよ?」
「理屈?」
「ごめんでも、ありがとうでも、それを言うのにはそれなりの意味がある。でも、今のシャドーのありがとうには、意味がねぇよ」
「…………」
「ボク、シャドーのそういうどご、好きだ。相手への謝意の言葉がすぐに出てくるのは、すごく良いごどだど思う。シャドーは優しい。でも、自分に対する執着みでぇなものが、時々見えねぇなって思うごどもある」
「何? 突然……」
「2人が幸せなら、ボクはそれでいいど思った。だがら、嘘つけばいいがなって思った」
「ついちゃえば良かったんだよ。清香もあんなに頑なにならずにさ」
 舞が俯いてそれだけ言った。
 頑なになった理由は、本人が痛いほど分かっているだろう。
 だからこそ、秋行の顔を見て言わないのだ。
「嬉しがったんでねぇの?」
「……ッ……」
「遠野さんが嘘を選ばながったごど。だって、あそこで嘘を選んでだら、彼女は、キミの存在を否定するのど一緒だったべ」
「……そんな綺麗事じゃ成り立たないことは、分かってるから……。事情さえ分かれば、あたしだって、その嘘に協力したよ」
「2人でいるための嘘だがら?」
「でも、清香は綺麗で正直だから、それが出来なかった。あたしは、あの子には普通に、好きな人のことでのろけたり愚痴ったり、そういう生活をして欲しいんだよ。でも……あたしと付き合ってる限り、それは永遠に無理でしょ」
「……ボク、シャドーの言ってるごど、よぐわがんね」
「え?」
「2人でいるごどが大事なのに、なして、そごに他人が出でくんの?」
「…………」
「確かに、遠野さんは色んな意味で人気だがら、変な噂もいっぺぇ立づよ。でも、今回のはたまたまだべ? ましてや、高校卒業すれば、そういう変なしがらみは無ぐなるんでねぇの? ある程度、エチケット的なものはあっかもしんねぇけどさ……」
「……親に、好きな人の紹介も出来ないんだよ? そんな道を、あの子に歩けって?」
「シャドーは……誰に対して言い訳してんの?」
「なっ」
「言い訳だ。カッコつけでるつもりなの? 今のシャドー、すっげぇカッコ悪ぃ! ッ……」
 勢いよくまくし立てたせいか、急に心臓がドクリと跳ねた。
 秋行は胸を押さえて背を丸める。
「モグ?」
「大丈夫だがら心配しねぇで」
 舞の心配そうな声に、秋行はその言葉と手で制し、呼吸を整える。
 興奮するとすぐこれだ。
 この痛みと発作で、自分はどれだけのことを諦めてきただろう。
 だからかもしれない。
 諦めようとしている舞を見て、無性に腹が立つのは。
 こんな身体じゃなかったら良かったのに。
 子供の頃から発作のように湧き上がってくるその言葉。
 様子がおかしいことに気が付いたのか、勇兵がこちらの席へやってきて、秋行の隣に腰掛けた。
 大きな手が背中に触れた。優しくさすってくれている。
「大丈夫か?」
「大丈夫大丈夫。大したごどねぇがら……。ボクは……ちゃんと、みんなど同じように生ぎるごど、もう、諦めねぇって決めだんだ。柚子チャンに、教えでもらったがら……」
 彼女の笑顔が浮かぶ。
 強い人だから出来ると思っていた。
 才に溢れる人だから出来ることだと考えるようにしていた。
 でも、本当は違う。
 世界は、手を伸ばした者にしか、光を与えてはくれないのだ。
 秋行はそっと顔を上げて、舞を笑顔で真っ直ぐに見つめた。
 舞がその視線にたじろぐように視線を泳がせる。
「なぁ、シャドー。約束してけらい」
「約束……?」
「今悩んでるごどが、たとえ一生涯付き纏うようなごどだどしても、逃げねぇし、諦めねぇって。自分のごどで卑屈になんのだげはやめでほしい」
 秋行の言葉で、舞の表情が険しくなった。
 別に、怒っているわけではない。それは分かる。
 ただ、本当のことを言われて、心が素直になれないだけだ。
 彼女の中にはきっとこんな言葉がある。
 ”どうせ、理解してもらえない。どうせ、幸せになれない。どうせ……”
 そんな舞の気持ちを分かってあげられるのは、他の誰でもない自分のような気がした。



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