◆◆ 第11篇 秋暁・想いの霧に惑わぬよう ◆◆

Chapter10.遠野 清香



「ねぇ、サーちゃん、舞と約束してたんじゃないの?」
 洛北の寺社を回っている最中、ユンがたまりかねたようにそう尋ねてきた。
 土産物屋が並ぶ通りなので、人通りが多かったが、その言葉で4人とも足が止まった。
 清香は静かに笑みを浮かべて、首を横に振る。
「ううん。お互いに予定が無かったから、一緒に行こうかって流れになってただけよ」
「…………。ホントに? 変な意味じゃなくさ、アタシ、2人が仲良くなったの、すごい嬉しかったんだよ? サーちゃんは、小学校の頃から変なやっかみ受けるタイプだったし。舞といれば、その心配もないかなぁって思ってたの。おかげでいい表情するようになったし。……喧嘩とかしてないよね?」
 本当に気遣うように優しい表情で、ユンは清香を見つめてくる。
 チラリと横を見ると、リーとタマも同様だった。
「喧嘩なんて……」
 清香はいつも通り笑って誤魔化そうと笑顔を作った。けれど、リーがすかさず口を開いた。
「サーちゃん、わたしたちには本当のところ教えて欲しいな」
 それは別に彼女の癖を責めているわけでなく、真摯で優しい声だった。
 なので、作りかけた笑顔がすぐに引っ込む。
「サーちゃんって、すぐ笑って誤魔化すよね。いや、アタシはそれが悪いとは思わないんだけどね……」
 いつになく冷ややかになった清香の表情を見て次の言葉が継げないリーの代わりに、タマがクールに言い放った。
 言った後にやりづらそうに目を細めて、短めの髪をカリカリと掻く。
「サーちゃん、あくまでも、アタシ個人の意見だけどさ、火のないところに煙は立たないと思うんだ。いや、火が無くてもボヤ騒ぎにする連中は、確かに中学時代からいたけど……。今回みたいな噂は、1個も湧いたことなかったし」
 ユンとリーが言い辛いのを察してか、タマがはっきりと言い切った。
 清香は目を細めて俯く。
 観念するしかないのか。
 ……本当は、この3人には話しておくべきだった。いや、話したいと考えたこともあったのだ。
 けれど、舞がそういったことを自分の知らないところで広まることを恐れているところがあったので、何も言えなかった。
 振られてみて、何故、彼女がそれを嫌ったのかはなんとなく分かった気もする。
 舞は自分のことではなく、清香にそういったレッテルが付くのを嫌ったのだ。
 そう考え至って、つい笑いがこみ上げる。
 くだらないよ、くーちゃん。
 どうして、2人で歩くと決めたのに、1人きりで背負おうとするのだろう。
 あの人は本当に愚かだ。
 どうして、荷物を半分分け与えてくれなかったのだろう。
 結局、自分たちは恋人ごっこをしていただけなのかもしれない。
 …………。
「違う」
「サーちゃん?」
「恋人ごっこなんかじゃないよ……」
 清香は冷えた手で自分の顔を覆い、溢れてきた涙を押さえる。
 突然泣き出した清香に、3人ともどうしていいか分からないようにあたふたと取り乱した。
 道の真ん中で泣く少女に、さすがに道行く人々もチラチラと視線を寄越して通り過ぎてゆく。
 ユンが意を決したように、清香の肩を抱き寄せた。
 舞と同じくらいの背で、幼子をあやすように優しく頭を撫でてくれる。
「大丈夫だよ。アタシはいつでも味方だから。小学校の頃からそうだったでしょ?」
 それ以上は言わなくていいから、とでも言うように、優しい声だった。
『清香、あたしはいつでもあなたの幸せを願ってる。いつでも味方だよ?』
 嘘つき。
 嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき嘘つき。
 くーちゃんの、嘘つき……!!
「さ、サーちゃん。好きなんだったら話さなきゃ。納得してないなら、話さなきゃ、だよ……」
 リーもなんとか平静を保った状態で励ますように声を掛けてくれた。
 タマだけが、覚悟していたけれど上手く受け止められないような表情で、泣いている清香を見つめていた。
 彼女は本心でないことを取り繕うことをしない。
 それがタマの良いところだと思うので、清香は特にそれに関しては気にも留めなかった。
 舞が言ったとおり、世の中には色々な人がいるのだ。
 それでも、彼女はそこに立って、必死に分からないものを分かろうとしてくれている。
 そうでなければ、あんな問いを口にはしなかったと思う。
「話して、それでも、拒否されたら……?」
 清香は嗚咽混じりの声で吐き出すように呟いた。
 その言葉に、3人とも言葉が出てこないように固まる。
「無理だよ……。要らないって言われて、それでも縋りつくような勇気……私には、無いもの……」
 清香は小声で搾り出し、グッと息を呑む。
 家に帰ったら泣くつもりだったのに。
 こんなところで泣いてしまったら、旅行気分が台無しだ。
 分かっているけれど、涙が止まらなくて、どうしようもなくて、清香はユンの肩に頭を置いた。



 旅館に帰った後も、舞を避けるように、清香はユンたちの部屋などに行き来して、あまり自分の部屋に長居しなかった。
 明日は新幹線に乗って1日移動の日程だ。
 意識的に避けようとすれば、舞と会話しなければならない機会は極力減らせる。
 正直、今はどんな顔をして話せばいいのかわからない。
 あの答えに納得していないし、これからも、どれだけ考えてもきっと納得することはないだろう。
「さっちゃん」
 お風呂からの帰り道。
 廊下で修吾に呼び止められて立ち止まった。
 心配そうな表情。
 そして、穏やかな声。
「少し、話さない?」
 今日1日、柚子と一緒だったのだから、2人の状況はもう耳に届いている。
 そうでなければ、修吾が清香にわざわざこんな言葉を掛けることはなかっただろう。
 清香はコクリと頷き、2人は人気の少ない非常階段に出た。
 隣には、清香たちが宿泊しているホテルとは別のホテルが建っており、景観的には非常に殺風景なところだった。
 修吾は手すりに肘をつき、吹いてきた風を涼しそうに受ける。
 なので、清香も手すりを掴み、体重を前にかけた。
「大丈夫?」
「……大丈夫じゃない、かな」
 清香の言葉に、修吾は二の句が継げないように押し黙る。
 上を見上げると、殺風景な景観だけれど、夜空だけはきちんと綺麗だった。
 東京の親戚の家に遊びに行った時は、なんて星の見えない街だろうと思ったけれど、京都はまだマシなほうかもしれない。
「シュウちゃんは、誰から聞いたの? 私たちの関係。柚子ちゃん?」
「……いや。シャドーから」
「そっか……。最初聞いた時、どう思った?」
「え?」
「シュウちゃん、真面目だし堅いところあるからさ、以前の私と同じように、偏見のある目で見てたんじゃないかなって思って。他の3人はさ、正直、柔軟すぎると思うんだよね、私は」
「…………。シャドーが幸せそうだったから、それはそれでいいかと、思ったよ。勿論、色々疑問に思ったことも、世間体も考えたけど……。もし、ぶつかっても、支えてあげるのが、自分の役割だって思ったから……」
「へぇ……」
 清香は感心して修吾を見つめたが、その視線に負けたように、修吾はすぐに吐き捨てるように言った。
「嘘」
「え?」
「半分は本当だけど、正直、思考がまだついていってないんだ」
「…………」
「恋する気持ちは一緒だって言うけど、僕は、同性にそういう気持ちは一生抱けないと思うし。見守ることは出来ても、きっと僕は何の役にも立てない。だから、やめたほうがいいんじゃないかって、そんな言葉が頭を掠めたこともあったんだ」
「……うん……」
「でも、あんまりシャドーが幸せそうだから、言えなかった。今は、言わなくて良かったと思ってる」
「……それは、どうして……?」
「もし、言ってしまったら、僕は大切な親友を1人失うことになるから」
「シュウちゃん……」
「大切な人のことは、理解してあげたい。100%は勿論無理だろうけど、でも、否定はしたくない。その生き方しか出来ない人に、あなたの生き方は間違っているんじゃないか、なんて、無神経なことは言いたくない。シャドーは、僕やユズさんを、許容して、理解してくれた子だから」
 清香は静かに息を吸って俯いた。
 彼も、こちらから譲歩して、仲直りしてくれと、言いに来たのかもしれない。
 振られたのは、こちらなのに。
 振ったのは、あちらなのに。
「さっちゃんは、シャドーとたくさんの時間や気持ちを共有して、彼女なら、って思えたんだよね?」
「……ええ」
「さっちゃん以上の理解者って、シャドーには、いないと思うんだ」
 理解者……?
 どこが?
 理解できていたら、こんな風にはならなかった。
 今の時間だって、何も無ければ、部屋で3人、雑談に花を咲かしている時間だったろう。
「この結果を」
「…………」
「シャドーが望んだか望んでいないか、それを察してあげられるのは、さっちゃんだけだと思う。シャドーって、自分の欲求に対して、ひどく無頓着だからさ。だから、他の人の欲求を、上手いこと理解できないところが、あると思うんだよね……」
「シュウちゃんも、仲直りしろって言いたいの?」
「無理にとは言わないよ。でも、好き同士がわざわざ手を離す必要ってないと思う」
 修吾の言葉に清香は唇を噛んだ。
 そんなことは言われなくてもわかっている。
 それでも、手を離されて惨めな気分になっている自分にばかり、どうしてみんなそう言ってくるのだろう。
「今すぐに、なんて言わないからさ……。もしも、半年経っても、1年経っても、シャドー以上の人が現れなかったら、でもいいから、その時は、シャドーに言ってあげて欲しいんだ」
「……何を?」
「さっちゃんの、本当の気持ちを」
「…………」
「シャドーは、きっとどれだけ時間が経っても、さっちゃんのことを好きだと思うから。それでも、キミに対してだけは、不器用な答えしか出せないんだと思う」
「そんなの……」
「誰だってさ」
「 ? 」
「大切な人の心は、見えているようで見えないんだよ。分かりきっているのに、行動できないこともあるし。足がすくんじゃうんだよね」
 修吾は身に染みて感じていることのように苦笑しながらそう言って、姿勢を正した。
「僕は、シャドーにたくさん背中を押してもらった。足がすくんでも、アイツが無理やり進ませたから今がある」
「だから、くーちゃんの肩を持つの?」
「肩を持つ、っていうよりかは……シャドーは、今、自分がこの先、ちゃんと生きていけるのかどうか、それを考えている気がする。だから、無理に何かを言うことは、出来ないかなって思う」
「…………」
「さっちゃん、知ってると思うけど、シャドーはすごく繊細な子だよ?」
 修吾の言葉に、清香はぐっと息を飲んだ。
 分かっていたはずのことなのに、どうしてか驚いている自分がいた。
 修吾に指摘されてしまったことがとても悔しかった。
「さっちゃんなりの答えを見つけてからでいいから、これで終わりにしないで欲しいんだ」
 自分に答えが無いから、彼女を苦しめた……?
 彼女はいつも清香のこの先を考えて物を言っていた。
 結局、その答えが出ないまま元に戻っても、何も変わることはない。
 修吾は、そう言いたいのだろうか。
「シュウちゃん」
「ん?」
「私、そんなに移り気に見える? くーちゃんの心は変わらなさそうだけど、ってくだりのところ、ちょっと悲しかったんだけど」
「あ、そういうつもりじゃないって。ただ、シャドーはそのくらい意固地だと思うって、そういうことを言いたかったんだって」
 清香の問いに、修吾は失言をしてしまったと言いたげに目を泳がせ、言い繕った。
 清香は唇を尖らせて、彼をじとーと見据える。
 修吾が本当に気まずそうに唇を引き結んだのがおかしくて、清香は笑った。
「ありがと」
「え?」
「私、くーちゃんのことしか責めてなかった」
「…………」
「頭冷やして、自分と向き合う。覚悟して飛び込んだのに、この事態を招いたのは自分自身の甘さだったし。もっと、ちゃんと考えて、答え出すよ」
「さっちゃん……」
「それまで、あの人のこと、よろしくお願いします」
 清香は深々と頭を下げた。
 修吾がこちらに体を向け直し、落ち着かないように足を動かすのが見えた。
 清香は頭を上げるのと一緒に、踵を返して非常階段から廊下へと戻った。
 終わりじゃなくて、これが始まりなのだと。
 今は、そう思うことにしよう。



 修学旅行から帰ってきた休み明け。
 それは、本当に突然のことだった。
 朝のホームルームで、担任の志倉先生に呼ばれ、前に出た秋行は、いつもの屈託のない笑顔で、ペコリと頭を下げた。
「東京の病院にしばらぐ入院するごどになって、来週末で、休学すっこどになりました。みんなにはすっげぇよぐしてもらって、本当に楽しい学校生活を送れだど思います! あど、2週間ばかしになってしまうけど、今までどおり仲良ぐしてけらい」
 突然の秋行の言葉に、クラス中がざわめいた。
 勿論、それは修吾や勇兵、舞に柚子も同様で、狐にでもつままれたように驚きを隠せない表情をしていた。
「なんで、もっと早く言ってくんなかったんだよ、南雲ー! そしたら、俺、一緒に回ろうってもっとしつこく言ったのにさぁ」
「ごめんな。いっつも通りの空気の中で、修学旅行を体験してみでがったからさ。おかげで、人生初の修学旅行は、すんげぇ楽しがった!」
「休学っていつまでぇ? 一緒に学年は上がれるのぉ?」
「それは、今学校と調整中。休学も、いづまでがは、はっきりはわがんねぇがら答えらんね! でも、元気に戻ってきます。これだげは、約束すっから」
 秋行はハキハキとみんなからの声に応え、席に戻った。
 志倉先生が静かにと何度も声を掛けるが、ざわめきはなかなか治まらない。
 秋行はなんともないように、いつも通り笑っていた。



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