◆◆ 第11篇 秋暁・想いの霧に惑わぬよう ◆◆

Chapter11.南雲 秋行



『秋行』
 碁を打っている最中、ずっと無言のままだった祖父が秋行を呼んだ。
 なので、秋行は次の手を考えながら視線だけ碁盤の向かい側へ向ける。
 祖父は穏やかな表情で、けれど、少し迷うように目を細めてみせた。
『何ですか?』
『本当にいいのが? 別に、今の調子だらば、高校を卒業してがらでもいいんだべ? せっかぐ、友達が出来だなら、今でねくても』
『んー……早いほうがいいがなって思って』
『…………』
『進路の話が出る前に、答えを出してしまったほうがいいごどのように感じだがら』
『そうが……』
『友達は勿論大事だよ。でも、それ以上に、ボクはこれから先を大事にしねくちゃいげねぇって思う』
『ふむ』
『そのためには、この心臓が邪魔なんだ』
『…………』
『じいちゃんが元気なうちに、もっと学びてぇし』
『たわけ。わしはそんなヤワでね』
『わがってる』
 秋行の言葉に憤慨したように祖父が言い放ち、その様子がおかしくて秋行は笑った。
 自分のやりたいことのために、この道は避けては通れない。
 完全に治るかどうかは別として。
 手術が成功するかどうかは別として。
 自分らしく生きるために。
 みんなとの今を手放してでも、秋行は、これからの未来を求めることに決めたのだ。
『……ちょっとね、心配なごどもあるんだけどさ』
『ん?』
『友達の1人が、思い詰めだまんまなのが気がかりなんだ』
『……信じでやれ』
『え?』
『周囲の人間と、当の本人を』
『……そうだね……』
『抱えた悩みの大きさは本人にしかわがんねぇごどだべし、それが一生の悩みになんのが、考え込めば一晩で解決するものなんだがも本人次第だ』
『じいちゃん、見できたみでぇに言うなぁ』
『誰しも一度は通る道だべ』
 悠々自適に暮らす祖父にさえ、そんな悩み事があったのだろうかと思いを馳せたら、なんだかとても面映くなって笑ってしまった。



 秋行は自分が普通すぎるくらい普通の男子だということがコンプレックスだった。
 周囲がよく見えるポジションを選び続けてきたからこそ、自分のそういうところもよく見えたのだ。
 自身で普通すぎるくらい普通だと思っているくせに、その実、そうではない評価を得ている二ノ宮修吾は、いわば天敵のようなものだった。
 彼は知らない。
 秋行にとって、彼は憧れだった。
 校庭から文科系の部室棟を見上げ、目を細める。
 修吾は今日も窓にもたれかかって本を読んでいるようだった。
 最近、そのポジショニングが定番らしい。
 部員が増えて席が無くなったからだと言っていた。
 文化祭後、部長を引き継いだのは舞らしい。
 代々、前部長が指名をするらしいのだが、その話を聞いた時は少し意外だった。
 修吾のほうが、『文芸部部長』という称号が似合う気がしたのだ。
 指名された舞はというと、静かに笑ってこう言った。
『鳴先輩は、ニノがお気に入りだからねぇ』
と。
 お気に入りだから、雑務はさせずに創作に集中させたかったのだろう。
 舞の見解は、そうだった。
『ニノは、光でできたパイプオルガンを弾ける子なんだよ』
『え?』
『文化祭の時、鳴先輩が宮沢賢治の『告別』って詩を読んだでしょ? それに出てくる言葉』
『ああ、そういえば……』
 秋行にしてみれば、あの詩は、隣で大人しく詩を聞いていた渡井柚子が該当したものだったけれど、そう言われてみれば、そうなのかもしれない。
「モグ?」
 ぼぉっと突っ立っていたら、後ろから声を掛けられた。
 驚いて振り返ると、舞が立っていた。手には数冊の文庫本。図書館から借りてきたものらしい。
「どしたの? こんなとこで。てゆか、珍しく、モグ、隙だらけだったね」
「そんなごど……」
「モグ、隙だらけに見せかけて、いっつも隙ないからなぁ」
「それは、シャドーだべ」
「ん? そうかなぁ……。部室、上がってけば? ほら、ニノいるし。つか、アイツ、またあんなところで読んでんの? 野次馬がひっそり出来上がるからやめてちょうだいって言ったばっかりなのに」
「ハハ……修吾クン、自覚ねぇがらなぁ」
「ホント、手が掛かるんだから……」
 舞は呆れたようにため息をつき、秋行の腕を引いて歩き出す。
「何?」
「え? 上がってくんでしょ?」
「ボク、まだなんも言ってねぇよ」
「上がっていきなよ。聞きたいこともあるし」
「でも、部室じゃぁ……」
「今日は活動日じゃないからいないんじゃないかな」
「んなの?」
「それぞれ、定位置が決まっちゃったから落ち着かなくて、あそこに立ってるんだと思うよ。お父さんかっつーの。さっさと、ニノの椅子もどっかから持って来ないとなぁ」
「お父さん……」
 舞の1人突っ込みがおかしくて、秋行は肩を震わせて笑う。
 そのまま舞に引きずられるように歩く秋行。
 舞は部室棟に入ってから口を開いた。
「なんで、いきなり、休学してまで入院なの? そんなに、酷いの?」
「聞きたいごどってそれかぁ」
「それ以外に何があるのよ。急なことで、みんな心配してるよ? 特に、柚子なんて超キョドってんだけど。アンタ、柚子に何かした?」
「……ああ、うん。ちょっと」
「ちょっとって何?」
 秋行の回答に、舞の表情が険しくなる。
 けれど、秋行は特に怯まずに笑顔を返した。
 答えたくない、という意思表示なのが分かったのか、舞もそれ以上は言及しなかった。
「中学まではそんなに珍しいごどでもねがったよ」
「そうなの?」
「小学校までは、入退院の繰り返し。中学入ってからは、自分でもセーブするようになったのもあって、手術の時に入院するぐれぇだった」
「それじゃ、なんで、いきなり?」
「よぐはなっても、健康な人に比べたら全然なんだ。球技大会の時も醜態さらしたし、わがっぺ? ちょっと興奮するだけでも、駄目な時がある。そんなレベルなんだ」
「…………」
「完全には治んねぇだろうけど、ボク、やりでぇことでぎだがら。んだがら、今、このタイミングで、少しでもまともにしとぎでぇの」
「安全な手術なの?」
「んな訳ねぇべ。成功率は五分五分だって。でも、数年前に聞いた時は、30%以下だったんだ。だったら、賭げでもいいがなってさ、思って」
「それだったら、もう少し待てば、もっと確率だって上がるんじゃないの?」
 酷い状態でもないのに、無理して手術をする必要はないのでは?
 舞はそう言いたいらしい。
 確かにその通りだ。だから、祖父にも聞かれたし、両親にも何度か説得された。
 でも、秋行は今のタイミングしかないと、そう思ったのだ。
 思い立ったら、立ち止まれるような性分でもない。
「……ボクには、産まれだ時がら制限時間がついでだんだ」
「…………」
「環境や、金銭的に恵まれでだおかげで、その制限時間は徐々に延びで、17になっても元気な状態で過ごせでっけど、爆弾は爆弾なの。いづ、爆発すっかわがんねぇんだ」
 秋行の言葉に、舞は言葉もないように口を噤んだ。
 どちらともなく、足は止まっていた。
「どうせだったら、進路選択の前に、ケジメつけたくてさ。だって、ボクにとったら、この手術が、進路選択そのものみでぇなもんだがら」
 秋行はにっこり笑って、舞の肩に触れる。
 舞の表情が泣きそうなものに変わったからだった。
 涙なんて見せるような子ではないけれど、秋行の境遇を想像して、心が苦しくなったのだろう。
 思えば、いつも、彼女は少し秋行から距離を置いたところにいる人だった。
 それは、修吾と柚子を付き合わせようとしているからもあったけれど、おそらくは、秋行の重い境遇を自身では受け止められないと感じていたからだろう。
「この話は、シャドーにしかしねぇどぐね」
「なんで?」
「だって、みんなに五分五分なんて話したら、大騒ぎになりそうだし」
「……確かに。わかった。黙っとく」
「ん。お願いします」
「……モグさ」
「ん?」
「嵐山で、あたしに軽く説教したじゃない?」
「説教のつもりはねがったけど……そだね」
「自分でそういう選択をしたからこそ、言えたの?」
「んがもしんねぇ。なんか、シャドーのやり方見でだら、口出ししてぐなっちまって」
「……そっか」
「ゆっくりでいいがら、ちゃんと答え出してね?」
「……ぅん。ありがとう」
 秋行の言葉に、舞は頷き、トロッコ列車の中では見せてくれなかった笑顔を返してくれた。
 彼女のことが、気がかりは気がかりだけど、その笑顔に、少しだけ心が晴れた気がした。



『柚子チャン、たまげねぇで聞いでね?』
 それは、修学旅行4日目の夜のことだった。
 秋行は意を決して、柚子をロビーに呼び出した。
 こっそり外に出て、京都の空を2人で見上げた。
 きっと、秋行にとって、柚子と過ごしたあの短い時間が1番の宝物だ。
 星空を見上げていた柚子がその言葉でこちらに視線を寄越す。
 その瞬間、秋行の心拍数と体感温度が上がる。
 柚子は人見知りな割に、仲良くなると、相手の目を真っ直ぐ見てくるような人だった。
 だから、余計に照れが湧き上がる。
 心臓がドッコドッコと音を立てるが、それでも、構わずに息を吸い込んだ。
 後悔しないと決めたのだ。
 これも、自分なりのけじめだ。
『柚子チャン、気付いでねぇど思うけど、ボク、柚子チャンのごどが好きです』
『わたしも好きだよ?』
 秋行の言葉に、ほわぁんとした笑顔で返してくれる柚子。
 あまりの無防備さに、秋行は立ちくらみを起こしそうになった。
 その『好き』が秋行の『好き』と一緒でないことは分かりきっているけれど、その言葉は率直に嬉しかった。
 けれど、秋行の表情がおかしくなったのを見て、柚子はようやく秋行の言葉の意味を悟ったようだった。
『あ、ご、ごめん……えと、あの……今のって……』
『……うん。告白』
 秋行は出来るだけ平静を装って、穏やかに笑った。
 柚子は落ちつかないように体をゆらゆらさせながら、言葉を探すように俯く。
 なので、すぐに秋行は言葉を続けた。
『答えは要らねんだ。わがってっから』
『…………。ごめんなさい』
『ん』
『でも、……気持ちはとっても嬉しいです』
『んなの? んだったら、言ってよがったなぁ!』
 それは心からの言葉だった。
 嫉妬の気持ちも、切ない心地も、ない訳ではないけれど、それでも、秋行なりの答えが見つかったから言ったのだ。
 だから、そこに悔いなんて1つもない。
 その上、嬉しいと言ってもらえたんだから万々歳だ。
 彼女は嘘をつけるような人じゃないから、その言葉は本物だ。
 柚子は申し訳なさそうにおずおずと秋行を見上げてくるが、秋行は屈託のない笑顔を返す。
 それを見て、柚子がぽつりと言った。
『不思議だね』
『ん?』
『秋行くんは両想いじゃなくても笑ってるのに、両想いでも自分から壊して泣いてる人もいる』
『……シャドーのごど?』
『うん。今回ばっかりは、わたし、舞ちゃんの味方になれる自信ない』
『優しい言葉だげが、味方になるってごどではねぇど思うけど?』
『え……?』
『思ったまんま言ってみればいんじゃない?』
『……文化祭前に、秋行くんが言ってくれたみたいに?』
『……ボク、何が言ったっけ?』
『うん。言ってくれたよ。わたしに、絵を描き続ける自信をくれた』
『そだっけ……?』
『君が忘れても、わたしは忘れないから』
 柚子の言葉に秋行は鳥肌が立つような心地がした。
 嬉しくても、鳥肌って立つんだな。そんなことを思った。
 確かに色々言った気はするけど、彼女の心の琴線にどの言葉が響いたのか、それは分からない。
 けれど、目の前で彼女は可愛く笑っていて、自分も振られた後のくせに清々しい気分でいっぱいだ。
 彼女に恋して、真っ直ぐ生きると決めて以降、本当に世界は彩を変えた気がする。
 どうか、彼女の笑顔が曇ることのないよう。
 光に溢れた日々が、これからも続きますように。
 そんなことを、星空に願った。



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