◆◆ 第11篇 秋暁・想いの霧に惑わぬよう ◆◆

Chapter12.車道 舞



「ボクさ、修吾クンのごど、たぶん、柚子チャンの次ぐらいに大好きだど思うんだよね」
 秋行を部室に案内した後、勇兵曰く姉弟喧嘩なやり取りを、修吾と繰り広げていたら、突然、秋行がそんなことを言い出した。
 修吾がポカンとした表情で秋行を見る。
 舞は頬杖をついて、いつも通り茶々を入れた。
「そんなに素直に想いを打ち明けられちゃうと、お父さん、困っちゃうんじゃない? モグ」
「ほんでも、本当のごどだがら仕方ねぇよ」
「だってさ。ニノ。何か言うことないの?」
 舞の言葉に、修吾は開いた口を閉じて、そのまま尖らせた。
「言うことって言われても……」
「修吾クンの、『そのタイミングでそういうごど言っちまうのがぁ』って感じが凄く好きなんだ。ボクには出来ねぇがら、羨ましくて羨ましくって」
「……それは、僕からしても、同じだけど?」
「へ?」
「秋行くんみたいに器用に色んな人と仲良くできないし、ユズさんにも、上手いこと優しい言葉なんて掛けてあげられないし」
「意外だ」
「え?」
「修吾クンでも、そんな風に思うんだ?」
 秋行はあっけらかんとそう言って笑った。
 修吾がその笑顔に照れたように、うなじの辺りを掻く。
「当たり前じゃないか」
「モグ、買い被りすぎ。コイツ、いちいちモジモジして、腰がすっごい重たいんだから。そのくせ、ビックリするくらい行動が速いこともあるしねぇ。訳わかんない」
「訳わかんないって何だよ」
「頭でいちいち考えすぎなのよねぇ」
「人のこと言えないだろ、それは」
「あはは。勇兵クンの言うとおり、ホント、姉弟みでぇだなぁ……」
「絶対無い!」
「ありえない!」
 綺麗に声がはもる2人。
 お互いを見合って、もう一度秋行に向かって叫ぶ。
「似てなんかないよ!」
「誰がこんなやつと!」
 秋行はその様子を見て、余計おかしくなったのか、クックッと笑った。
 ひとしきり笑った後、秋行はゆっくりと立ち上がる。
「もう行くの?」
「ん。言いでがったごどは言えだし」
 穏やかに微笑み、踵を返すが、すぐに思い出したように振り返った。
「あ、もう1個あった」
「ん?」
「みんな、それぞれ大変だろうけど、柚子チャンのごど、ちゃんと見でであげでね」
 その言葉に、2人とも何と返していいか分からず、数秒沈黙が流れた。
 だいぶ遅れて、修吾がコクリと頷き返す。
「こうやって話せる機会、もうなさそだがらさ。言えっ時に言っとごうど思って」
「え?」
「休学の話聞きつけて、色んな子がらお誘いが入っちまったの。んだがら、いづものみんなどのお別れ会は、出来そにねぇがら」
「そうなの? ツカとか考えてそうなのに」
「んーん。最初に断っといだがら大丈夫だど思う。勇兵クンは勇兵クンで、今、キャプテンで大忙しだもん」
「……そういえば、そうだったね」
「手紙は気が向いたら書ぐつもりだがら、気ままに待ってでけらっせん」
 軽い足取りで出口まで行くと、クルリと振り返り、秋行は朗らかに笑った。
「んじゃ、また明日!」
 秋行は元気いっぱいに手を振って、部室を出て行った。
 修吾はそれを見送りながら、小さくため息をついた。
 舞がチラリと見ると、寂しそうに目を細める。
「寂しがってるのは、こっちだけみたいだ」
「……そんな訳ないでしょ。そうだったら、わざわざ、あんなこと言いに部室まで来ないよ」
「そうかな?」
「そうよ。彼なりに、色んな人にけじめつけてんでしょ、きっと。一緒に卒業できるのか、まだわかんないんだから」
「一緒に卒業したいよな。出来ることなら」
「……ええ」
「……なんか、最近、色んなことが一辺に起こってるような気がする」
「ニノが気がつかなかっただけで、色んなところで、色んなことが起こってたってことなんじゃない?」
「そう、なのかもなぁ……」
「何? お父さん、お疲れモード?」
「いや。ただ、修学旅行だけでも、色々あったなぁって思って」
「お騒がせしてます」
「別に、気にしてないよ。シャドーが良いようになるなら、それでいいことだと思うから」
「良いように……かぁ」
「うん。散々、人の尻叩いといて、自分の時だけは尻まくって逃げるのだけは勘弁してよ?」
「……嫌われちゃったから、これで終わりよ」
「そ?」
 舞の言葉に、修吾は素っ気無く言葉を返して、持っていた文庫本を開き、部長席の大きな机に腰を下ろす。
 その素っ気無い素振りに、少しだけ寂しさが湧き上がる。
 別に、構って欲しい訳でも、触れて欲しい訳でもないつもりなのに。
 あれ以降、柚子も若干余所余所しいし、自分のいるべき場所がどこなのか、よく分からない心地になる。
 以前は、いるべき場所なんて存在すらしていなかったはずなのに、今はそれが普通ではなくなってしまったから、こんな気持ちになるのだろうか。
「行儀悪いよ」
「いいじゃん。今日は誰もいないし」
「……全く……」
 修吾の返しに、舞は呆れてため息をつく。
 時折、パラリとページをめくる以外、室内に音が無くなった。
 なので、舞も借りてきた文庫本を読むことにした。
 冒頭を読み始めたところで、修吾がパタンと本を閉じる。
 その音で、舞は視線を修吾に向けた。
「あのさ」
「なに?」
「遠ざけて、それで、答えは出るの?」
「…………」
 修吾の言葉に、舞は返す言葉もなかった。
 自分自身、これからのことが全然わからないのだ。
「口を挟む気は全然無いけど、気になって」
「……ボロボロに傷つく前に、手放したほうが相手のためなんじゃないかと思って」
「さっちゃんは、そうは言わなかったんじゃない?」
「ええ。言わなかったわ……」
「じゃ、シャドーの主観的意見だよね、それ」
「そうね」
「それが分かってるなら、いいや」
「え……?」
「でも、シャドー。これだけは忘れないで」
 修吾は真っ直ぐに舞を見つめて、穏やかな声で言った。
「手を繋げる相手がいれば、それだけで進める」
「…………」
「でも、どちらかにわずかでも躊躇する心があれば、進めるものも進めない」
 躊躇したのは、自分だ。
 相手を気遣ったつもりでいて、そのくせ、相手を傷つけたのも自分だ。
「シャドー。どうするべきかじゃない。大事なのは、どうしたいか、だよ?」
「……わかってる」
「うん」
「わかってるけど……あの子の将来まで考えると、どうしたいのか、自分でもよくわかんなくなるの」
「うん」
「刹那的なものであって欲しくない。でも、一緒に居ることを選んで、それでいいのかって。誰かが心の中でいつも蒸し返してくる」
 重く考えすぎだと言う人もいるかもしれない。
 けれど、次があると思ってする恋なんて、絶対に存在しないと、舞は思うのだ。
 今、目の前にあるものだけを必死に考えて、それでも迷子になってしまう自分に、次なんて考えは出ても来ない。
「だったら、答えが出るまで、考えてみればいいよ」
「え?」
「僕は変わりなくここにいるし、ユズさんだって、今はどうしていいかわかんなくて困ってるみたいだけど、……それでも、シャドーの親友でしょ?」
「…………」
「シャドーは1人じゃない。さっちゃんも1人じゃない。辛くなったら、声に出して言ってくれればいい。2人だけの問題じゃないんだから」
「あたしらだけの問題じゃない……?」
「そうだよ。勝手に心配しているだけだけど……シャドーだって、そういう風にして、僕たちに散々口を挟んできたんだからさ」
「……そうよね」
「たった1人、思いつめることだけは、絶対にしないでほしいんだ」
「…………。答えが出た時、そこに清香がいなくても……あたし自身がきちんと出来るように、してかなくちゃいけないんだなぁ……」
「シャドー。今はそれよりも、自分の気持ちと向き合うべきだと思うよ」
 修吾が心配そうに、優しい声で言った。
 どうしたいのか。
 自分のことなんだから、簡単なはずなのに。
 舞の場合、どうしたい? という問いに答えを返すことほど、難しいものはない。
 どうしたい?
 どうしたいって、どういう意味?
 自分がそう望んだら、すべてが叶ってくれるの?
 ひねくれ者の自分が言う。
 そして、その言葉に、舞の気持ちはいつも引っ張られていってしまうのだ。



 2週間はあっという間に過ぎ、秋行は学年中に惜しまれながら、学校を後にしていった。
 あれだけの人に別れを惜しまれれば、秋行も自分のやってきたことを実感できたんじゃないだろうか。
 別れ際までずっと笑顔で、最後の最後まで涙は絶対に見せなかった。
 体は弱いかもしれないけれど、とても気持ちの強い男だった。
 そんなことを考えながら歩いていると、目的地にはあっという間に着いた。
 清香の家の前。
 静かに2階を見上げ、目を細める。
 土曜の早朝だ。
 この時間ならば、きっと誰も出てこない。
 舞は肩に掛けていたバッグから小さな紙袋を取り出した。
 清香のために準備していたバースデープレゼントと、野宮神社で買った縁結びのお守りが入っている。
 新聞が投函されているポストに、無理やり押し込んだ。
 カコンと中に落ちた音がして、舞はすぐに手を引っ込める。
 朝、新聞を取りに出るのは清香の仕事だと言っていた。
 だから、きっと見つけてくれると思う。
 どう言っても許してはもらえないかもしれない。
 でも、誕生日だけは、どんなに遅れたとしても、きちんとお祝いしてあげたかった。
 自分の中の、どうしたいのかに耳を澄まして、出た結論はそれだった。
 舞はゆっくりと踵を返す。
 暦では立冬もとうに過ぎた。早朝は肌寒い。
 それでも、毎日眠れぬ夜を過ごして、火照っている舞の頭には、その肌寒さが丁度よく感じられた。
 小さく息を吐くと、白い湯気が薄く浮かぶ。
 もう冬がそこまで来ているのだ。
 空を見上げると、まだ月が見えた。
「帰ったら、もうひと寝入りしようかな……」
 舞は欠伸交じりでそう言うと、冷えた手をジャンパーのポケットに突っ込んだ。


”Dear さやか
  少し遅れてしまったけど、17回目の誕生日おめでとう。
  今年はきちんと祝ってあげられなくてごめんなさい。
  それでも、何かしたかったので、プレゼントだけ用意しました。
  要らなかったら捨ててください。
  あ、でも、野宮神社のお守りは……従姉妹のお姉さんが欲しがってたって言ってたものだと思うので、きちんと渡してあげてくださいね。”


 白い湯気がふわりと舞って消えていく。
 舞は冬の訪れを楽しむように息を吐き出し続けた。



Chapter11 ← ◆ TOP ◆ → Chapter NINOMIYA1


inserted by FC2 system