◆◆ 第11篇 秋暁・想いの霧に惑わぬよう ◆◆

Chapter NINOMIYA1.渡井 柚子



「柚子、あのお土産、超ネタ系だよ。ウケる」
「あ、本当だ。ちょっと欲しいかも」
「え? 欲しいの? ……あれ?」
 修学旅行日程3日目。
 京都での団体行動の日。
 清水寺を見学し終えて、30分程、お土産を買う時間が許可されたので、柚子は舞や清香と一緒に、学生で賑わう土産物屋さんを冷やかしていた。
 シュールなネタ系のお土産を指差して笑っていた舞が、柚子が欲しがっているのを見て、怪訝な表情をした。
「くーちゃん、あそこで試食できるみたい」
「あ、ホントだ。行こう、柚子」
「え?」
 舞が指差していたグッズに手を伸ばしかけていた柚子を尻目に、舞と清香が試食コーナーと書かれたブースへ歩いていってしまった。
 グッズを手に取り、慌てて舞を追いかけようとしたその時。
 ちょうど前から歩いてきた女子高生とぶつかって、柚子は慌てて頭を下げた。
「ご、ごめんなさい……!」
 グレーのブレザーにタータンチェックのスカートが目に入る。
「柚子……?」
 覚えのある声に、柚子はすぐに顔を上げた。
 思い出すことも放棄してしまった、中学時代、唯一親しかった人の顔が、そこにあった。
 忘れた訳ではなかったらしい。
 その顔を見て、少し大人っぽくなったな、と感じた自分自身に対して、そんなことをつい考えてしまった。
「……はつみちゃん……?」
 六条はつみ。
 それが彼女の名だった。
 はつみは戸惑うように目を細めたが、すぐに笑って口を開いた。
「久しぶり」
「……う、うん」
「すごい偶然。柚子も、修学旅行なの?」
「……う、うん」
 自分が縮こまっていくのが分かる。
 何を話せばいいのかわからない。
 あの頃の自分が戻ってくるような心地だった。
「中学も関西だったのに、高校も関西になっちゃってさぁ。見るとこも一緒とかどんだけって感じだよ。柚子もそう……? あ、そっか……」
「……中学の時、風邪で修学旅行来られなかったから……、わたしは色々新鮮かな」
「そうだったね。ごめん」
「ううん……」
 はつみが申し訳なさそうに顔をしかめたので、柚子は慌てて首を横に振った。
 何か言葉を探すように目を泳がせていたが、はつみは一度目を閉じてから柚子を見つめ直した。
「元気……?」
「う、うん……」
「なら、いいや」
 はつみはそう言って笑い、更に何か言葉を続けようと口を開きかけた。
「はつみ〜! もう行く時間だってぇ!」
 けれど、その声で開いた口を閉じ、振り返る。
「わかった。今行く」
 はつみはそう返した後、もう一度柚子を見た。
「もう行くようみたい。それじゃ」
「あ、……うん。ばいばい」
「あの、さ」
「え……?」
「……ううん。やっぱり、なんでもない。その制服、柚子によく似合ってるね。柚子は昔から可愛かったから」
 はつみの言葉に、柚子はどう反応していいか分からず、立ち尽くしたまま。
 けれど、はつみが手を振ってくれたので、なんとか手だけは振り返すことが出来た。
『ユズって、自分の絵にしか興味ないんだよ。あたしの絵なんて、1回だって誉めてくれたことないもんね』
 中学時代。
 美術室で、彼女はとても冷めた声でそう言った。
 彼女は歩み寄ってくれていたのに、自分はそれに対して、何も努力をしなかった。
 何を言われたって、自分がどうこう言えることじゃない。
 今は、そう考えることも出来るようになった気がする。
「ユズさん……?」
 名前を呼ばれて、柚子は我に返った。
 覗き込むようにして、修吾が隣に立っていた。
「どうしたの?」
「あ、ううん。このキーホルダー可愛いから買おうかどうしようかって迷ってたところ」
「どれ……?」
「これ」
 柚子は持っていたキーホルダーを顔の高さまで掲げて笑った。
 得意そうに柚子が笑ったのもあってか、修吾は舞曰くシュールなネタ系キーホルダーを見せられて、困ったように目を丸くした。
 キョトキョトと目が泳ぐ。
「あ、そ、うだね……可愛い、かも?」
「ホント? じゃ、一緒に買わない?」
「え……そ、それは……」
「嫌?」
「…………。ううん。嫌ってことはないよ」
「嬉しい! じゃ、お揃いだね! 舞ちゃんにありえないって顔されたからさぁ……買うの迷っちゃって」
「なるほどね。……ところで」
 柚子は肩でリズムを取りながら、もう1つキーホルダーを手に取った。
「さっき、他校の子と喋ってたみたいだけど、知り合い?」
 修吾の問いに、柚子は一瞬手を止めた。
 すぐに誤魔化すように笑って、2つのキーホルダーを並べて掲げてみせた。
「少しだけ顔が違うみたい。面白いね」
「え? ああ、そうだね」
 話をはぐらかされたのが嫌だったのか、修吾が少しだけ不機嫌な声でそう言った。
 なので、柚子はすぐに言葉を続ける。
「……さっきの子ね」
「うん」
「中学の頃のお友達」
「……東京の?」
「うん、そう。とっても良くしてくれた子だったの」
「……そう、なんだ」
「元気そうで良かった……って」
「え?」
「そんなこと、言ってもらえると思わなかったから、ちょっとビックリしちゃった」
 柚子の言葉で、修吾が怪訝な表情でこちらを見る。
 中学時代のことは、誰にも話していないのだから当たり前だ。
 ただ、辛くて悲しいことがあった。
 それだけは、舞も修吾もなんとなく察してくれている。
 修吾は少しの間黙っていたが、腕時計に目をやって、柚子の持っているキーホルダーを奪い取るように取った。
「修吾くん?」
「買ってくる。2人と合流して、店の前で待ってて。こっちも勇兵たち連れて出るから」
「で、でも、お金!」
「あとでいいよ」
 修吾は爽やかに笑うと、スタスタと軽やかな足取りで歩いていってしまった。



『渡井さん、初めまして。こんな時期に転校なんて珍しいね』
 東京の中学に転入した初日。
 自己紹介が終わって席に着くと、ホームルーム中なのも気にせずに、前の席の子が話しかけてきた。
 名前は、六条はつみ。
 人懐っこく天真爛漫なタイプだった。
『お父さんが、急に転勤になっちゃって』
『へぇ……地方から東京ってことは、出世?』
『さぁ……お仕事のことはよくわからないから……』
『あ、あたし、六条はつみ。これからよろしくね』
『う、うん……』
『おぉい、六条。元気なのもいいが、先生の話は聞いてくれよ』
『あは。ごめんなさぁい。だって、渡井さん可愛いから、早くお友達になりたかったんですもん〜』
『わかったから。そういうのは、休み時間にやりなさい』
『はぁい』
 先生の言葉に元気いっぱい応えて、『またあとでね』と小声で柚子に言うと、はつみは真っ直ぐに前を向いた。
 それが初めて彼女と話した時のこと。
 もし、席が近くなかったら、はつみとあそこまで仲良くなることもなかったかもしれない。



『あれぇ? 渡井さん、絵描くんだ? ねね、見せて見せて』
 休み時間中、スケッチブックを広げて絵を描いていると、すぐにはつみが声を掛けてきた。
 柚子が言葉を返す前に、ちゃっかり柚子のスケッチブックを取り上げ、パラパラと中を見た。
 正直な話、他の人にそれをやられたらとても不快だったろうと思うのだが、不思議なことに、はつみのその行動は全然嫌ではなかった。
『すごぉい。渡井さん、絵上手なんだねぇ。ね? 美術部入らない?』
『美術部? そんなのあるの?』
『あるよぉ。どしたの? 不思議そうな顔して』
『地元いた時は、そんなのなかったから。高校にあるものだとばっかり思ってた』
『そうなんだ。ね、入ろうよ〜。渡井さん、入ってくれたら嬉しいなぁ。今、部内、大人しい人ばっかりでさぁ……話がね、合わないの。なんか、美術部っていうより、漫研って感じの雰囲気でさぁ』
『そう、なんだ……』
『でも、渡井さんはイラストっていうより、絵って感じするし! 絶対、入ったほうがいいよ』
 にこにこと人懐っこく笑う彼女を見ていると、なんだか引き寄せられるものを感じて、ついつい頷いてしまった。
 小学校時代も、一応友達はいたけれど、こんな風に絵の話をしてくれる人はいなかった。
 みんな、テレビや漫画、ゲームに恋愛の話がメインで、すべて柚子にとっては無縁な話ばかりだったのだ。
 今でこそ、バラエティ番組くらいは見るようになったのだけれど、あの頃はそういったものの面白さが全く分からなかった。
 絵ばかり描いてる子だったのに、よくまぁ、周囲の子達は何も言わずに、輪の中に入れてくれていたなと思う。
『入って、いいのかな?』
『入りたいって思うなら入って〜。一緒に絵描こうよ〜。絵の話しよう』
 そうして、誘われるまま、柚子は美術部に入部し、あっという間にはつみとも親しくなった。
 画材を売っている店も教えてくれたし、休みの日には渋谷や原宿にも連れ出してくれた。
 なかなか他の子と親しくなれない柚子のことも、しっかりと理解してくれている。
 そんな風に感じていた。



『渡井さん、賞取ったんだって? 俺、絵のことわかんないけど、全校生徒の前で表彰とか、すげーね』
 美術室で絵を描いていたら、突然話し掛けられて、柚子は驚いてカチコンと固まった。
 はつみの幼馴染で、名前は確か、才仲崇(さいなかたかし)。
 はつみは元気でノリが軽いが、見た目や雰囲気は、大事に育てられた箱入りという感じがあった。
 けれど、崇はノリも軽ければ見た目も少しチャラいので、柚子はあまり得意ではなかった。
『あ、ありがと』
『あれ? びびられてる? あー、はつみいないのに話し掛けたから?』
『はつみちゃんは、今、職員室に行ってるよ』
『ああ、そうみたいね。さっき、廊下で会った』
『はつみちゃんに用事じゃないの?』
『ん〜。どっちかってーと、渡井さんに興味があって来ました★』
『興味? わたしに?』
『うん。ちょっとお話しない?』
『……絵、描きながらでいいなら』
『うん。全然オッケー。俺、人が絵描いてるの、見んの好き。はつみもさ、絵描いてる時は良い顔してるし』
 崇は屈託なく笑うと、柚子の邪魔にならない程度の距離を保って、椅子に腰掛けた。
 机に頬杖をつき、満足そうにこちらを見ている。
『はつみ、優しい?』
『うん。はつみちゃんは優しいよ』
『はつみの絵ってどう思う? 今回、はつみも出展してたはずなんだけどさぁ。審査する奴、見る目ないんじゃねぇのかね』
『はつみちゃんの絵は、本人の雰囲気が素直に出てる良い絵だと思う。……でも、それは、わたしたちがはつみちゃんを知ってるから言えることなんだと思う』
『……そっか。はつみさぁ、画家になんのが夢なんだよね。だから、今回のこと、結構気に病んでるみたい。まぁ、今回に限ったことじゃないけどね。アイツ、意外とせっかちだから、結果出ないとこっちに当たりが来るんだ』
『……賞なんて』
『ん?』
『賞なんて、運でしかないのにね。審査する人の心に響くこと。技術レベルの高さ。テーマに沿っているかどうか。芸術系の評価なんて、水物だよ。そんなのに一喜一憂したって、しょうがない』
 柚子がクールに言い放つと、崇は驚いたように目を見開いて、こちらを見ていた。
『どうしたの?』
『あ、いや、渡井さん、そういうこと言う人に、見えなかったもんだから。でも、確かに、そうだよな……。で、渡井さんは、ただ描きたいものを描いただけのことなんだな』
『……そう、だね。わたしは、描きたいから描いてるだけ』
『……そっか』
 崇は考え込むように天井を見つめ、静かになった。
 柚子がキャンバスに鉛筆を走らせる音だけが、室内に響く。
 しばらくしてから、崇がぼんやりと言った。
『それって、俗に言う才能ってやつじゃないの?』
 崇の言葉に柚子は言葉を返さず、ただ鉛筆を走らせ続ける。
 才能なんて言葉には興味がなかった。
 描きたいから描いているだけだ。
『柚子〜! 戻ったよぉ。絵、はかどってる? ……って、タカちゃん何やってんの?』
『タカちゃんって呼ぶなって何度も言ってんだろ。ちょっと、賞取った人の話聞きに来ただけ。ほら、俺、これでも放送部だから』
『ああ……聞きに来たんなら、柚子の絵見た? すっごい緻密でさー、カッコいいんだよ? コンクリートジャングルとやらが、あんなにカッコいい絵になるもんなんだなぁって感心しちゃった』
『あ、そういや、まだ見てねぇや』
『……アンタ、何しに来たのよ』
『だから、渡井さんの話を聞きに来たの』
『…………。変な意味じゃないでしょうね……?』
『へ?』
『……なんでもない。絵描く邪魔だから出てってくんない?』
『え〜。いいじゃん、見てるぐらい』
『集中できないの!』
『あーそうかよ。俺がいるくらいで集中できないんじゃ、その程度の集中力ってことだろ。渡井さんなんて、超寛容だったのに』
 いてもいなくても一緒のことだっただけなのだけど。
 崇の言い様に、はつみが唇を尖らせて、2人を見比べて俯いた。
 思えば、彼女の態度がおかしくなったのは、あの時からだったような気がする。



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