◆◆ 第11篇 秋暁・想いの霧に惑わぬよう ◆◆
Chapter NINOMIYA3.二ノ宮 修吾
「あれ?」 「どったの? 修ちゃん」 「え、いや……なんでもない。あ、勇兵、あそこで試食やってるよ。行ってくれば?」 「お、ホントだ! アキちゃん、アキちゃんも行こうぜ!」 「了解〜」 勇兵と秋行が試食コーナーとのぼりの立った一角に歩いていったのを見送ってから、修吾は気になった先に視線を向けた。 柚子と、垢抜けた雰囲気の見慣れない制服を着た少女。 レトロな白セーラーと、現代的なデザインのブレザーは、とても対照的だった。 彼女が誰かと話している、という状況自体が珍しかった。 周囲には舞もいないようだ。 もしかして、絡まれている? そんな考えに至って、自然と体が動いていた。 けれど、修吾が柚子のところに辿りつく前に、相手の少女は柚子に対して親しげに手を振り、歩いていってしまった。 柚子もワンテンポ遅れて手を振り返し、そのまま考え込むように俯く。 その様子が、まるで高校1年初期の頃の彼女のようで、修吾は一瞬ドキリとした。 今だから分かる”話し掛けづらい”というオーラ。 柚子には確かにそれがあった。 外界の情報をシャットアウトするように、物静かに、穏やかにそこにいるだけ。 怯むな。 心の中、そう呟いて、修吾は柚子の傍に歩み寄る。 顔を覗き込み、声を掛けると、彼女はいつも通りの笑顔で応えてくれた。 ふんわりと暖かな笑顔にほっとした。 先程の少女は、中学時代の友人らしい。 彼女がそう話してくれた。 表情は少し冴えなくなったけれど、それでも、彼女は自分に話してくれた。 苦しいことなら言わなくていい。 自分だって、話せないことはあるから。 ただ、苦しんでいる彼女の傍に、そっと寄り添えればそれでいいはず。 いいはずだ。 自由行動の日。 柚子とバスを待っていると、彼女が悲しそうな顔で話し出した。 舞と清香が別れることになりそうだ、と。 修吾はそれを聞いて目を丸くする。 どういう流れでそういう話になったのかは、正直展開についていけていない修吾には理解できなかったが、”自分のことは二の次”な舞であれば、そういうことも言えてしまうだろう。 そのことにだけは思い至った。 実のところ、今回の件は修吾が最も懸念していた事柄だったのだ。 それが起こった時に自分は何をしてあげられるのか。彼女たちはどうするのか。 考えてみたけれど、答えなんか出なかった。 ただ、友達として傍にいること。 それは答えだけれど、答えでない気がして、すっきりしないのだ。 それでも、それしか出来ないのなら、出来ることをやるしかない。 「僕たちは、見守ろう」 修吾は静かに柚子に告げた。 柚子はその言葉に戸惑うように目を細めたが、数秒してからコクリと頷いた。 「……他に」 「え?」 「他に、出来ること、ないのかな……?」 「…………。分からない。好き同士だけど、手を離すしかない、って状況を、僕には想像できないから」 「……そう、だよね……。でも、わたし、2人の力になりたいって……思うの。舞ちゃんにも、清香ちゃんにも、笑ってて欲しい」 「……うん。それは、僕も、みんなも一緒だよ」 「……凄いことなんだよ」 「え?」 「拒絶されて、それでも、また繋がって、その繋がりを段々太くして……。それって、本当に凄いことでしょ? わたしだったら、怖くて出来ない。拒絶されたら、そのままで……繋ぎ直そうって、踏み出すこと、出来ないと思う」 「……僕は2人の成り立ちを知らないから、ユズさんの話していることは、よく分からないけれど……。互いを必要としているからこそ、出来たことなんだろうね」 「だったら、どうして、こんな結末なの……? 2人が傷つくなら、わたし、余計なことなんて、しなければ良かった……」 「ユズさん……?」 「1年の時……」 「うん」 「清香ちゃんにお願いしたの。舞ちゃんのこと、拒絶しないで。もう1回考えてあげてって」 「…………」 「わたし、中学の時に、ううん、子供の頃からずっと……自分を理解してもらえないことで、凄く苦しかったから……。だから、価値観の違いだけで、舞ちゃんが否定されるのを、見てられなかったの」 柚子は悲しそうに表情を歪めて、吐き出すように言い放つ。 バスが来たけれど、この状態で乗ってもどうにもならないだろうと、修吾は乗車しない意思を運転手に伝え、空いたバス停のベンチに柚子を腰掛けさせた。 「……ユズさんのしたことは、余計なことだったの?」 「だって……」 「仮に、ユズさんがきっかけで2人が繋がって、それで今があって、結果が悲しいことだったとしても、それはユズさんの行動から始まったことではないと思う。2人の気持ちがあったからこそだし、それで、キミが悔やむ必要はないよ」 理屈では分かっているであろうことは、修吾だって分かってはいたけれど、一応、穏やかに言葉にする。 音にするだけで、人は落ち着くことが出来るから。 「…………。でも、わたし、自分の価値観で、清香ちゃんを炊きつけたの。周りの価値観なんて、ひとつも考えていなかった」 「周りの価値観を、嫌と言うほど知っていたのは、2人だったろうね。それでも、一緒にいたんだ。事が顕在化することを恐れていたのは、シャドーだけだったかもしれないけど……」 「……修吾くんは、どうして、そんなに冷静なの?」 「ごめん。性分なんだ。こういう時は、落ち着かないと、何も出来ないから」 「…………。少し、頭冷やすね。せっかく、修学旅行に来てるんだし」 「ああ。楽しまないと、損だよ」 修吾の様子を見ていて、柚子も不安定になっていた部分が落ち着いてきたのか、そう言って笑った。 だから、修吾も笑い返す。 「よかったぁ! はつみ、次のバス、まだみたいだよ!!」 「マジ? はぁ……助かったぁ。やっぱりさぁ、実際の距離感も分かんない状態で、スケジュール組めとか言われても無理だよねぇ」 「確かに。ってか、あたしら、ちょっと欲張り過ぎたんじゃないかな」 「だってさぁ……団体行動、中学で行ったことあるとこばっかだったんだもん。自由行動で取り返さないと勿体無いじゃん」 「まぁ、そうだよねぇ……。はつみに至っては、崇くんの件もあるから、縁結び系は出来るだけ回りたいんだろうし?」 「ッ……大きな声で言わないでよ! あの馬鹿、神出鬼没なんだからさぁ!」 「この広い京都でバッタリなんて、それこそストーカーの域じゃないと無理だって」 騒がしい女子高生2人組が大きな声で会話しながら、バス停までやってきた。 賑やかしさにさすがに目を向けてしまう修吾。 見覚えのある制服だった。 確か、最近見たような気がする。 ふと、柚子に視線を向けると、柚子は修吾の学ランの裾を掴んで、背に隠れるようにピッタリとくっついていた。 それに気が付いて、修吾の顔が熱くなる。 さすがに近い。 不意打ち過ぎる。 心臓の音が聴こえてしまうのじゃないかと、ドギマギした頭で考える。 「ゆ、ユズさん、どうしたの……? ちょ、ちょっと……顔が近過ぎるんだけど……」 先程まで、悟りを開いたように落ち着いていた男とは思えない程の取り乱しよう。 しかし、柚子は先程やってきた子達に気を取られているようで、修吾の様子には全然気が付かない。 明るい茶髪の少女と、サラサラの黒髪ショートカットの少女が、修吾の隣に腰を下ろす。 「空いてるってことは、次のバスまで結構時間あんのかな?」 「かもねぇ」 修吾はその言葉で、腕時計を見た。 時刻表に目を向けると、あと数分で来るはず。 空いているのはたまたまだろう。 修吾は2人をチラリと見る。 茶髪の少女と目が合って、どういう表情をすればいいのか分からず、すぐに柚子のほうに向き直る。 すると、2人が何かコソコソ話し始めた。 いちゃついてるとでも言われてるのだろうか。 修吾はとりあえず柚子を自分の肩口からベリリと引っぺがした。 修吾のその行動で、ようやく柚子も我に返ったらしく、気恥ずかしそうに俯く。 「ご、ごめん……」 「いや。いきなり、どうしたの……?」 「えっと……その……」 柚子が修吾の肩を透かして、隣に座っている少女を見つめた。 2人はまだ何かしら話をしているようだ。 修吾は柚子の視線を追うように、振り返る。 そこで、柚子の見つめている少女でないほうが、意を決したように声を発した。 「君、カッコいいね! どこの人?」 「ひなちゃん……」 少女の行動を咎めるように、もう片方の少女が名前を呼ぶ。 どうやら、茶髪の少女は”ひな”、黒髪の少女は”はつみ”と言うらしい。 「だって、カッコいいじゃん。いきなしで申し訳ないんですけど、写メ撮らしてくれないですか? あ、別に、悪用とかしないんで。イケメン写メるの、あたし、趣味なんです」 そう言って、制服のポケットから携帯電話を取り出す少女。 修吾は突然のことで、事態についていけず、頭の上にはてなマークを飛ばす。 自分なんか撮って、何の得があるのか。理解が出来ない。 それ以上に、写真は苦手なので、勘弁して欲しい。 「ひなちゃん、やめなって。ほら、困ってるじゃん。ごめんなさい、この子、いっつもこうで。……ユズ?」 はつみが柚子を見つめて、困ったように目を細めた。 「はつみ、知り合い?」 「……同中の子。でも、今は岩手にいる」 「岩手?! って、どのへんだっけ?」 「本州の最北が青森。その南にある県だよ。ひなちゃん、小学校レベルだよ」 「地理は苦手だも〜ん」 「開き直るな」 2人の会話を見つめながら、ようやく、修吾は一昨日柚子と立ち話をしていた子であることを理解した。 チラリと柚子を見ると、少々顔色が悪い。 けれど、呼称からも、一昨日の様子からも、嫌な相手ではないように感じた。 彼女は何を気にしているのだろう。 「てか、カノジョさんのほうも可愛くない? すっごいお似合い」 「ん。ユズは、昔から全然変わってない。無垢な感じがそのまんま」 「久々に会ったにしては、反応薄くない? はつみ」 「一昨日……たまたま会ったから」 「それにしても、いつものテンションじゃないような……」 「気のせいだってぇ」 「ふぅん……あ、2人はどこに行くんですか?」 「上賀茂神社に」 「あ、じゃ、一緒だぁ。一緒に見て回りません?」 「ひなちゃん、無茶言わないの。お邪魔だよ」 「……そっか。久々に会ったなら、話したいことあるかなって思ったんだけど」 「…………」 ひなの言葉に、はつみが心当たりがあるように俯いた。 どうにも煮え切らない雰囲気に、修吾は落ち着かず立ち上がった。 ちょうど、そのタイミングでバスが来るのが見えた。 「バス、来ました」 「あ、ホントだ」 その言葉にひながすぐに立ち上がって、出来始めていた列の後ろに並んだ。 修吾も同じように並びに向かおうとしたが、後ろで2人が会話するのが聞こえたので、立ち止まった。 「ユズ」 「……なぁに?」 「あの時は……ごめん。教室、来られなくなったの、あたしのせいでしょう?」 「……違うよ」 「え?」 「わたしが、弱かっただけだよ。はつみちゃんは、何にも悪くないよ。わたしのほうこそ、不器用で駄目駄目で、迷惑ばっかり掛けてごめんなさい」 「ユズ……」 「あのね、はつみちゃん……」 「はつみー! バス乗るよ!」 「あ、うん、わかった。ユズ、行こう」 「う、うん……」 はつみが颯爽とひなの元に行ってしまった。 その背中を見送る柚子。 その後、慌しく立ち上がって、修吾の傍に来た。 「いいの?」 「え?」 「何か、言いかけたんじゃない? 言わなくていいの?」 「…………。そ、それより、乗ろう? バス、行っちゃう」 柚子に促されるまま、2人はバスに乗った。 それなりに車内は混んでいて、はつみたちと位置が近くなることもなかった。 手すりの傍に柚子を立たせ、人ごみから庇うように立つ修吾。 柚子は考え事をするように俯いており、修吾は静かにそれを見つめる。 「ユズさん」 「 ? 」 「さっき、拒絶されても、繋ぐ勇気なんてないって言ってたけど、それは彼女の事?」 「…………」 「僕には……彼女は繋ぎたがっているように見えたけど。本当に、このままでいいの?」 「いいよ」 「本当に?」 「謝れただけで、十分だよ……」 口ではそう言っているけれど、修吾には、全くそんな風には見えなかった。 |