◆◆ 第11篇 秋暁・想いの霧に惑わぬよう ◆◆

Chapter NINOMIYA4.二ノ宮 修吾



 ニの鳥居をくぐり、ガイドブックにも載っている定番の細殿と立砂が見えた。
 柚子は一の鳥居をくぐったあたりから周囲の景色を記憶に留めようと余念がない。
 はじめは持ってきていたスケッチ帳にスケッチをしていたが、修吾を待たせるのが申し訳ないと感じたのか、それ以降はバッグにしまってしまった。
 修吾は景色をカメラに納めながら、時折柚子にカメラを向ける。
 気が付くと激しく拒否されるが、脳内スケッチをしている柚子はほとんど撮られていることに気が付かなかった。
 ずいぶんと図々しくなったなぁ。
 心の中で、そんなことを思う。
 夏休み前の自分だったら、絶対に無断で写真を撮るなんて芸当はこなせなかったろう。
 ”恋人”という照れくさくなるような響きの称号が与えられて、初めて厚かましくなれる自分自身の、なんと情けないことか。
「あとで描くの?」
 ようやくこちらを向いた柚子に対して、穏やかに尋ねる。
 すると、柚子はこっくりと頷いた。
「ここの景色、1回描いてみたかったの。でも、写真じゃなくて、自分の目で見たものを描きたかったから。我儘聞いてくれてありがと」
 嬉しそうに小首を傾げて笑う柚子。
 結婚式を芸能人がここでやることも多いので、テレビに映る機会も多く、縁結びでも有名な神社だ。
 修学旅行生で賑わう境内には、やはり女子高生が多い。
 スケッチ目的で来る修学旅行生なんて、そうそういないだろう。
 彼女の生活は、絵を描くことを中心に廻る。
 彼女が絵を描いている姿は、ひたすらそれに没頭していて、自分の存在など忘れているかのようだ。
 一抹の寂しさを覚えながらも、絵に夢中な彼女の表情を見て、つい微笑んでしまう自分がいる。
 彼女の絵への取り組みは、自分が小説を書くこととは、少しだけ異なるものがある。
 最近は、そう感じるようになっていた。
 だからこそ、守ってあげたい。
 彼女の心も、彼女が見つめる先の夢も、守ってあげたいと、そう思う。



「…………」
 お参りを済ませて、引いたおみくじを開いたところで、柚子が黙り込んだ。
 それまでにこにこと楽しそうだった表情も、固まっている。
 修吾は『中吉』と書かれたおみくじに軽く目を通して、胸のポケットにしまった。
「……大凶……」
「え?」
「うぅ……はじめて見た」
 ガックリうなだれて、柚子がはぁ……とため息を吐く。
「大凶って、本当に入ってるんだね」
「……何それ?」
「一応、客商売だから、そんなの入ってないんだと思ってた。まぁ、これで厄払い出来たと思えばいいんじゃないかな?」
 修吾は慰めるようにそう言って、柚子の肩に優しく手を置いた。
 柚子は唇を尖らせつつも、おみくじに書かれている内容に目を通す。
「諍い……見守るべし。じき治まる」
「 ? 」
「願事……叶う。腰を据えて取り組め」
「ユズさん……?」
「運勢悪くても、書かれていることすべてが悪い訳ではないんだね」
「そりゃそうだよ」
 柚子の言葉に、おかしくなって修吾は笑った。
「結んでくるね」
「ああ。ここで、待ってるから」
 柚子が小走りでおみくじを結びに向かう。
 修吾は人が来ない場所を選んで移動し、大きく息を吐き出す。
「人多いなぁ……」
「あ、はつみの友達のカレシくん」
「 ? 」
 声がしたほうに視線を向けると、ひなとはつみが立っていた。
 柚子が脳内スケッチをしながら進んできたので、戻るタイミングが一緒になるとは思いもしなかった。
「ども。結構、ゆっくり見て回ってたんですね」
「はつみが、次はここの絵を描きたいって急に言い出してぇ」
「絵?」
「あ、見えないかもしんないけど、あたしら美術部なんだぁ」
 美術部。
 柚子とはつみの接点が、ようやく見えた気がした。
「はつみ、あたし、お守りとか色々頼まれてるから買ってくんね」
「え、あ、うん……」
 颯爽とひなが列に並びに行き、はつみと修吾がその場に残された。
 柚子が戻ってくる様子も今のところない。
 修吾は沈黙を嫌って、何か話を振ろうかと考えたその時、はつみが髪を押さえながら口を開いた。
「ユズ、上手くやれてますか? あの子は、心の壁が高すぎて、理解できる人が少なすぎるから、心配してたんです」
「……一応、笑顔で毎日過ごしてます」
「そう、ですか。それなら良かった」
 修吾の言葉に、はつみは本当に嬉しそうに笑みを浮かべた。
 その表情を見て、修吾は疑問に思っていたことを尋ねることにした。
「ユズさん、中学の話はしたがらないんですよね。はつみさん……みたいな友達がいたのなら、なんで? って思う部分が大きいんですけど」
「……あたしが、ユズを登校拒否にしちゃったんです」
「え?」
 突然の告白に目を丸くする修吾。
 柚子が戻ってこないことを確認するように、はつみは周囲を見回してから、言葉を続けた。
「ホント、無知だったんです。何にも理解してあげられなかった。だから、あんな無神経な言葉、言えたんだと思います」
「……一体、何が、あったんですか?」
「…………。あたし、画家になるのが夢で、自分には特別な才能があるんだって、信じて疑わなかったんですよね。誰でもあると思うんです。これだけは、誰にも負けない! とか根拠の無い自信を持っちゃう時期って……。てゆうか、あるって思わないと、自分が辛くて……」
 はつみは恥ずかしそうにまぶたを伏せ、すぐに気を取り直して言葉を継ぐ。
「そんな時期に、突然、自分の自信やらプライドを木っ端微塵に破壊しちゃう子が現れたんですよ。……それが、ユズ。絵の話が出来ることが嬉しくて、自分から声掛けて」
「ユズさん、引っ込み思案だから、嬉しかったんじゃないでしょうか」
「ええ。それだけは、自分でも自信持てる部分です。……でも」
「 ? 」
「あたしは、彼女の持ってる絵の才能に嫉妬してしまって。今なら方向違いだったって、分かるんですけどね。あの時は、余裕もなかった。冷静に考えたら分かることなのに。だって、1日1時間描いてる人間と、当然のように4時間も5時間も絵ばっかり描いてる人間なんて、差があって当然じゃないですか」
「……そう、ですね」
「あたしは、責任を転嫁して、勝手に疑心暗鬼になってしまったんです。……毎日5時間も絵を描く気力なんて、持てなかったし」
「やることがたくさんある中で、それだけに注力するなんて、誰だって出来ないですよ」
「ええ。でも、あの子は、それが出来ちゃうんですよね」
 修吾の言葉に、はつみは優しい目でそう言って笑った。
 なので、つられて修吾も思わず微笑んでしまった。
「あの頃はそれが理解できなかった。彼女の全てが未知過ぎて、気持ち悪いとか、勝手に思うようになってしまって」
「…………」
「あたし、絵のことで切磋琢磨し合える友達が欲しかったんですよね。意見を言い合ったりする良好な関係。でも、ユズは自分の絵にも、他人の絵にも、一切感想や意見を言わない子でした。持っていなかった訳ではないと思うんです。ただ、言う程のことではないと、あの子自身が思ってたんじゃないかな」
 はつみは過去に思いを馳せるように目を細め、修吾に視線を寄越した。
「カレシさんは」
「二ノ宮って言います」
「あ、ニノミヤくんは、絵を描いたりする人ですか?」
「いえ」
「そう。それなら、ヘーキかな」
「平気?」
「…………。あの子の絵への姿勢を疑問に感じて、壊れたりはしないかなって。それだけです」
「…………」
「絵を描くこと自体が、ユズの生活の一部なんですよね。呼吸をするのと一緒。お腹が空くのと一緒。……だから、吐いた息について、とやかく言われても、あの子にとっては煩わしいだけだったんだろうなぁって……ようやく、想像できたんですよね。あの子が、いなくなってから」
「…………。ああ、なるほど」
 彼女に言われて、修吾はなんとなく納得できた気がした。
 文化祭で柚子の絵を見ても、何も言わない修吾に対して、柚子は何も感じないようにただ笑っていた。
 彼女にとったら、絵に対する感想なんて、不要だったのだ。
 たくさんの時間を使って、一生懸命描いた。
 だから、それを知ってくれている人に素っ気無くしてしまった時間の分の結果がこれなのだと、見せたかっただけで、感想は一切求めない。
 そういうことだったのかもしれない。
「……で、自分もそうだから、周囲の人だってそうだろうと、あの子はあの子で思ってたんだろうなぁって。まぁ、勝手な想像なんですけど」
「いえ、合ってるんじゃないかな。特に、ユズさんは、自分の考えを、他人に伝えるのが得意じゃないから」
「ですよね。……そういうとこが可愛いって思ってたはずなのに、あたしったら……酷いことしてしまって。でも、こぉんなカッコいいカレシくんがいるんだったら、もう、ヘーキかぁ」
「え……」
「照れてます?」
「や……その……」
「ふっ……もしかして、ニノミヤくんも可愛い人?」
「……勘弁してください」
 顔が熱くなるのを感じて、修吾は前髪を直すふりをして、顔を伏せた。
 はつみは落ち着かなげに制服の裾を直し、キョロキョロとまた周囲を見回す。
 修吾はその様子に気がついて、静かに尋ねた。
「謝っただけで、いいんですか?」
「え?」
「……本当は、もっと、言いたいことがあったとか」
「……ありますけど、でも、そんな資格、あたしにはないかなぁ……。あの子が元気なのは、たまにコンクールで名前を見かけるので知ってたんですよね」
「だったら……」
「いいんですよ。過去は過去。あの子にちゃんとした今があるんだったら、あたしはそれでいいって思います。余計なこと、しないほうがいい」
「じゃ、どうして、オレに話してくれたんですか?」
「ユズの、傍にいてくれる人なら、知ってて欲しいって思ったから、かな?」
「 ? 」
「ちゃんと大事にして欲しいって思うから」
「…………」
「大切に、してあげてください」
 照れることなく、はつみは笑ってそう言い、風で乱れた髪を直した。
 2人が互いを見合っていると、先程よりも荷物が増えた状態で、ひなが戻ってきた。
「はつみぃ。お待たせ」
「はい、待ちました」
「なによぉ、あいこでしょ?」
「分かってるって。じゃ、ニノミヤくん、あたしたち行きますね」
「あ……、ユズさん、もう少しで戻ってくると思うけど……」
「ううん! あたしら、急ぐんですよ! 良縁は、待ってくれないから!」
「別に、ちょっとくらいならいいのに……」
「いいから、行こ!」
 はつみはひなの手を引っ張って、さっさと歩いていってしまう。
 ひなが引きずられるようにしながら、修吾に対して、ヒラヒラと手を振ってくれた。
 なんというか、人懐っこい……いや、物怖じしない人たちだった。東京の人って、ああいう人ばかりなのだろうか。そういえば、兄の知り合いの悠もそうだった。
 手を振り返しながら、修吾はそんなことを考えて、ふぅ……と息を吐いた。
 登校拒否になるほど、辛かったのだ。
 それだけ、彼女のことを信頼していて、大好きだったのに違いないのに。
 互いに遠慮しあって、遠巻きのまま、終わりにするつもりなのか。
「ごめんっ。ついでにお手洗い寄ったら、すごく混んでて……。たくさん待たせちゃったね。ごめんなさい!」
 息を切らして駆け寄ってきたかと思うと、柚子が両手を合わせて、修吾に向かって頭を下げた。
 修吾はすぐに笑って、右手を軽く振る。
「気にしなくていいよ」
「でも……」
「それより」
「 ? 」
「さっき、はつみさんたちに会ったよ」
「え……」
 修吾の言葉に、柚子の表情が固くなった。
「本当にいいの? この機会逃したら、もう、巡って来ないかもしれないよ」
「…………」
「ユズさんは、もう知ってるはずだよね?」
「え?」
「言葉にしないと、何にも伝えられないってこと」
 柚子は目を細めて俯く。
 迷っているのが分かるので、柚子が頭の中を整理するまで待つことにした。
 柚子の目が小刻みに震える。
 そして、意を決したように顔を上げた。
「どっち?」
「え?」
「はつみちゃん、どっちに行った?」
「僕たちがくぐってきた鳥居のほうだよ。たぶん、バス停に戻るんじゃないかな」
 修吾の返答を聞いて、柚子は急くように駆け出した。
 とはいえ、運動音痴の柚子のダッシュではタカが知れていて、修吾が追いかけると、すぐに追いついてしまった。
 合わせて走るよりも、先に行って呼び止めたほうが良いだろうか。
 そんなことを考えて、すぐにスピードを上げる。
「先に追いついて、待っておいてもらうから、転ばないように来て!」
 修吾は珍しく声を張り上げてそう言い、更にスピードを上げた。
 はつみが行ってから、柚子が戻ってくるまでの時間はそれほど長くはなかった。
 運がよければ、一の鳥居までの間で捕まえられるはずだ。
 周辺を歩いている人たちが、駆け抜けていく修吾に視線を寄越すが、そんなことは気にしていられなかった。
 昔の自分だったら、きっとこんなことしていないだろう。
 こういうことをするのは、舞の専売特許だった。
 一緒にいるうちに感染ったかな。
 そう思い至って、思わず、口元が緩む。
 一の鳥居が見えてきて、ようやく、はつみとひなの背中を見つけた。
 修吾は歯を食いしばって、ラストスパートをかける。
 息が切れるけれど、そんなことは気にせずに、2人の前に回りこむ。
 はつみとひなが、急に前に躍り出てきた修吾に驚くように目を丸くした。
「ニノミヤくん……?」
「ちょ……っと、待って……」
 上手く呼吸が出来ず、言葉が上手く音にならない。
 涼しい時期になったというのに、額から汗が噴き出してきた。
「ユズさん……もうすぐ来るから、ちょっと待って」
 修吾はようやくそれだけ言い、膝に手をついた。
 自然と肩が動く。
 そんな修吾の様子を見て、ひながはつみの脇をつついた。
「なに?」
「無理しないで、言っちゃえばいいんじゃない? はつみらしくないんだよねぇ。言いたいこと言わないのって」
「だって……」
「はつみちゃん……!」
 柚子の叫び声が周囲に響いて、道行く人たちが彼女に視線を向けた。
 ひなとはつみも振り返る。
 大勢の人に見られることが苦手な柚子も、この時ばかりは、全く気にしなかった。
 真っ直ぐにはつみを見据え、駆け寄ってくる。
 跳ねる三つ編み。上下する肩。
「あの、はつみちゃん……あの、ね」
「ユズ……」
「絵を」
「え?」
「絵を描いてもいい? 今度こそ、ちゃんと、はつみちゃんに気に入ってもらえる絵を描くから……!」
「…………」
「被写体の気持ちを無視した絵なんて、意味なんてないの。あの絵だけは、はつみちゃんに気に入ってもらえなかったら、意味なんてなかったの!」
「ユズ……」
「はつみちゃんの絵、大好きだった……! はつみちゃんの心が、そこに見える気がして、柔らかであったかくて、わたしなんかと正反対で!」
 はつみが手で顔を覆った。
 柚子はそれには気が付かず、ただ、懸命に自分の頭の中にある言葉を吐き出す。
「言葉にしないと伝わらないのに、受け取ってばかりで、何も渡せなかった……! 本当に、あの時はごめんなさい! わたし、はつみちゃんとは、友達でいたい」
「はつみ」
 ひながはつみの背中をポンと押した。
 それで、はつみは1歩踏み出し、柚子に近づいていく。
 そっと目の辺りを拭ったように見えた。
「あたしも」
「はつみちゃん?」
「友達でいたい。そして、絵のことでは、ライバルでいたい。……実力差、ありすぎだけどさ」
「実力なんて……」
「誰が測るの?」
 柚子が言いかけた言葉に被せるように、はつみが言った。
 その言葉に、柚子は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに嬉しそうに笑った。
「描いてもいい?」
「ええ」
「出来たら、送ってもいい?」
「うん。住所、前のまんまだから」
「……ありがと」
「うん。じゃ、柚子も、住所教えてくれない?」
「あ、うん。えっと……」
 慌ててスケッチ帳を取り出し、柚子はサラサラと文字を書いて、豪快に破り取った。
 柚子からその紙を受け取り、コクリと頷くはつみ。
「ふふ。筆不精なユズと、ペンフレンド。なんてね」
「わ、わたしは……絵しか送らないよ?」
「そっかぁ。あたしはそれだけじゃつまらないから、近況も書くね」
「あ、才仲くん元気?」
「崇? 元気だよぉ。あれが元気じゃなくなったら怖いじゃん」
「……愛称呼びじゃなくなってる」
「あっちも嫌がるし、周りに色々言われるから」
「なんだぁ……まだくっついてないのか」
「え?」
「ううん。なんでもない」
 不思議そうに首を傾げるはつみに対して、柚子はにっこり笑って、小さく手を振った。
 ひなが携帯電話を開いて時間を確認する。
「バス、次のでもいっかなぁ……」
「大丈夫なんですか? 良縁がどうのってさっき言ってましたけど」
「別にぃ。あたし、イケメンは好きだけど、恋愛キョーミないんですよぉ。はつみを全面的に応援してるだけなんでぇ」
「そうなんですか?」
「はい。2人は次どこ行くの? 目的地一緒だったら面白いなぁ」
 あっけらかんと言い切るひなに、修吾は思わず、笑みを浮かべてしまった。
 その瞬間、カシャリと携帯電話が音を発した。
 意図を察して、修吾はひなを見据える。
 ひながおねだりするような眼差しで、見上げてくる。
「ほんとーに、悪用しないからぁ、今のだけオッケーもらえません? すっごい良い笑顔だったしぃ」
「…………。どーぞ。好きにしてください」
 撮られたものをわざわざ消せと言えるわけがない。
「まじで? ありがとう〜」
 本当に嬉しそうに笑い、携帯電話をカチカチいじるひな。
 修吾はため息を吐きつつ、柚子に視線を向けた。
 緊張の解けた表情ではつみと話す柚子に、心がほんのり暖かくなる気がした。
 見守るだけじゃなく、きちんと動いてよかった。
 心の底から、そう思えた。



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