◆◆ 第12篇 無言歌・歩くような速さで ◆◆
Chapter 2.丹羽 日和子
寒々しい体育館の中、バレー部員の表情が完全に曇っている。 それはそうだ。 いつまで経っても、言いだしっぺのあの人が来ないのだから。 日和子ははぁ……と白い息を吐き出す。 この中で、いつもどおりきゃろきゃろ明るいのは、女子バレー部キャプテンのミャオ先輩だけである。 「せっかく体育館来たんだし、みんなでバレーしながら待たない?」 「ミャオ、それより呼びに行ったほうよくない? 塚原くん、絶対忘れてる……」 「んー。まぁ、勇ちゃんならありえる話だけど……。そうだなぁ。じゃ、ぴわこ、呼んで来て?」 「……え?」 日和子がその言葉に、ミャオ先輩に視線をやると、彼女はボールをシュルルルと投げ上げ、そのままジャンプサーブをした。 ボールは向こう側の壁にぶつかって、勢いよく戻ってくる。 戻ってきたボールが日和子の足元に転がってきたので、素早く拾い上げてミャオ先輩に返す。 「ありがと♪」 ああ、この人、笑顔だけど怒ってる……。 日和子は背中が寒くなるような心地がし、慌てて踵を返した。 「すぐ呼んで来ます。すぐ!」 ……全く。最近、こんな役回りばっかり!! 「だぁかぁらぁ、ごめんって。謝ってんじゃん」 「わたしに謝られても困ります。わたし、別に怒ってないし」 「怒ってんじゃん……」 「待たされたことに対しては怒ってません。いつものことだし」 「ふむ……じゃ、何、むつけてんの?」 勇兵は不思議そうにへの字眉毛にして、日和子の顔を覗き込んできた。 驚いて、日和子は足を止める。 その反応に、勇兵のほうも気恥ずかしそうに視線を逸らした。 ああ、この人でも、照れるようなことあるのか。そんなことを考えた。 気を取り直して歩き出すと、勇兵も同じようについてきた。 「先輩呼びに行く係みたいになってることに、微妙な心地がするだけです」 「んー。それは、毎度、手を煩わせてて悪いなぁとは思うけども」 「だったら、もっとしっかりしてくださいよ」 「……はぁい」 気のない返事。 どうせ、返事だけで、そうする気持ちもないだろうなと感じさせるような声だった。 日和子は小さくため息を吐く。 「んー。じゃ、断ればいいのに」 不服そうに勇兵の声。 日和子は思いも寄らない言葉に驚いて目を丸くした。 まさか、勇兵がそんなことを言うとは思わなかったのだ。 「だって、そうじゃない? 1年なんて他にもいるし、男バレの奴でいい訳だしさ。嫌なら、嫌だって言えばいいんだよ。それとも、俺が言っとこうか? 今後は、日和子じゃない奴を寄越してくれって」 「…………」 「日和子?」 「……そうですね。そうしてくださると、助かります……」 「日和子、俺、なんかまずいこと言ったか?」 「……別に。早くしないと、昼休み終わっちゃいます。先輩、話すこと、ちゃんとまとまってるんでしょうね?」 「あ、それは大丈夫。大丈夫大丈夫♪」 日和子は平然と「お前じゃなくてもいいよ」と言われた気がして、非常にご機嫌斜めな訳だが、そんなこと、目の前の人に、絶対に言ってやるもんかと思いながら、やや嫌味気味に問いかけた。 その問いかけにすら、彼は陽気に笑って頷く。 全く。いつか、誰かに騙されて泣いても知らないんだから。 その笑顔を見て、思わず、そんな言葉を心の中呟いた。 「みんな、今年の春高は勿論のこと、見たと思うんだけども!」 体育館に入った途端、男バレ全員から、半ばジョークに近い形でタコ殴りを食らったにも関わらず、彼はいつも通り陽気な調子で、そう切り出した。 一応、相手が満足行く分まで殴られてあげるあたりが、勇兵らしかった。 若干頭をさすりながら言っているので、カッコはついていない。 「……正月シーズンになったからなぁ。見たよ」 「一応、見た」 「全部録画しといた」 勇兵の言葉に、みんな口々にそう返した。 その声に、勇兵は満足そうに白い歯を覗かせて笑い、ビシッと背筋を伸ばして立った。 「発表しむぁす!」 彼の大きな声が体育館に響き渡る。 その声に驚いて、みんなビクリと肩を震わせた。 「今年は無理だったが、来年、我々は、あの舞台に立つ! もっちろん、男女ともにだぁっ!」 勢いよく叫ぶ勇兵。 部員のほとんどが、彼の言っていることの意味がわからないように、ぽかんとした表情で見上げていた。 それは日和子も例外ではなかった。 その様子がおかしかったらしく、ミャオ先輩だけが楽しそうにきゃらきゃらと笑った。 「タッチー、何笑ってんだよ! ジョークじゃねぇぞ?!」 「違う違う! 本当に、勇ちゃんは気持ちいいくらいバカだなって思ってさぁ」 「なっ! バカって……バカだけど、そんなはっきり言うことねぇだろ?!」 「はいはい、怒らない怒らない」 勇兵をなだめつつ、すっくとミャオ先輩は立ち上がり、隣に座っていた日和子の頭をポンと撫でるように叩いた。 「私は大賛成。だって、せっかく、サッカーと同じく、3年も出たければ出ていいシーズンに移動してくれた訳だし。狙わない手はないでしょ?」 勇兵の笑顔に負けないくらいの強気な笑顔で、ミャオ先輩はそう言い、勇兵の隣に並んだ。 「お前ら、正気かよ? 全国狙うってことだろ?」 「全国どころか、優勝狙うって言うんじゃないかなぁ、この人」 光の言葉に、ミャオ先輩は平然とそう返し、勇兵に視線を向けた。 その視線に応えるように、勇兵は頷く。 「もちろん、やるからには、テッペン目指す!」 勇兵は人差し指を立てて、真顔で言い切った。 次の瞬間、体育館がしんと静まり返った。 ミャオ先輩は笑いを堪えるように口を押さえ、こちらに視線を寄越す。 ホント、この人、面白いよねぇ……とでも言いたいのだろう。 だが、そんなふざけた一面を見せながらも、きっと、ミャオ先輩も、勇兵と気持ちは一緒だ。 「最悪秋で終わるけど、もし行ければ、冬までバレー続けるってことだから、……その、2年にとってのリスクは充分分かってる。だから、お前らに、強制をするつもりは勿論ない……。ないけど、出来れば、俺と一緒に、同じとこ目指して、頑張ってほしいんだ! 頼む!!」 勇兵は強く言い放つと、思い切り頭を下げた。 部活動だから、それぞれ、目的意識に差がある。 バレー強豪校でもないのだから、その差は歴然だ。 その言葉にドン引きする部員だって勿論いる。 それを分かった上で、この人は、こうして頭を下げているのだろう。 本当は、今年の春高も狙っていたのではないだろうか。けれど、きっかけがなくて、言い出せなかったのかもしれない。 「さっきも言ったけど、私は大賛成♪ 嫌だ、ついてけないって思ったら、早めに手を挙げたほうがいいよ。民主主義だから、そんなんやってられるかって人が多ければ、そっちに従うしかないもん。ね? 勇ちゃん?」 「お、おう。そのとおり」 「んー……ぼくは、勇兵がやりたいなら、付き合ってもいいけど」 守がいつも通りのおっとりした声でそう言った。 守はこう見えて、試合中の仕事はきっちりこなすし、学業もバレー部員の中では珍しく抜群に良い人だ。バレーを続けながらでも、受験に支障をきたさない自信があるのだろう。 そんな守の言葉に、光が慌てたように守と勇兵を交互に見た。 「……部活なくなったら、退屈なんだろうな……とは、思うけど、……オレは、守みたいに勉強できないし、勇兵みたいにバレー上手い訳でもないからな……。たぶん、夏には、部活は引退する。……けど、ハードな練習付き合えってことなら、全然、問題ないぜ? それでいいか?」 「光……。勿論だよ! サンキュー!」 「みんなの言葉聞いてる時間もないから、とりあえず、多数決でいいかな? 時間置いてもしょうがないだろうし」 ミャオ先輩はあっけらかんとそう言い、明るい声を張り上げる。 「練習レベル上げることに、異議ない人。挙手プリーズ!」 手を挙げながら、周囲を見回すミャオ先輩。 勇兵の手が挙がり、守・光がそれに続く。その後、まばらに手が挙がるが、半数にはギリギリ届かない。 日和子は周囲を見回して、みんなの空気が重たいことを感じ取る。 勇兵もそれを感じ取ったのか、表情が固くなった。 ああ、ミャオ先輩が自分の頭を叩いたのは、きっとこういう意味でだ。 ミャオ先輩は分かっていたのだ、この空気が生まれることを。 あと1人で、ちょうど半分。 日和子はグッと唾を飲み込み、勇気を出して、手を挙げた。 手を挙げていないのは、2年よりも、1年が多かった。 2年の先輩は、先程の光の言葉もあって、時期自体は任意で構わないことが分かった分、手を挙げやすかったのだと思う。 それに、間違いなく、2年の先輩たちのほうが、厳しい3年の先輩たちにしごかれていた分、根性がある。 「ぴわこ、サンキュ♪ アンタがいないと、話になんない」 「……いえ。ようやく、練習にもついていけるようになってきましたし。レベルが上がっても、何とかできるかなって、思っただけです」 「……ちょうど、半分か……。割れちまったな」 「それじゃあさ、監督にメニュー組んでもらって、1ヶ月試してみるってのはどう?」 「タッチー……」 「ついてこれそうなら続ける。駄目なら、今までどおりに戻す。目指したい人だけ、自主トレメニューを増やす。綺麗に割れちゃったし、これしかなくない?」 「……そう、だな。俺は、それでいいよ。みんなも、それでいいか?」 勇兵は寂しそうな表情でそう言うと、全員の顔を見回した。 手を挙げた面子は一様に頷いたが、手を挙げなかった側の反応は、それに関しても鈍かった。 「あーあ……。やっぱり、難しいなぁ、部活って」 放課後の練習が終わって、いつも通り、2人でトス練習をしていたら、勇兵がそう言った。 外は真っ暗だが、まだ18時過ぎだった。 ミャオ先輩も女バレ側のコートで、ジャンプサーブの練習をしているし、男バレの先輩も、何人か残って、自主練習をしていた。 日和子と勇兵のトス練習は、部内ではもう風物詩になりつつある。 勇兵のトスも、練習を始めた頃に比べたら、だいぶ精度が上がったようだ。 「……しょうがないですよ」 「わかってっけどさぁ……なんかさぁ……」 「勇ちゃん、女々しい〜。一応、お試し期間はオッケーになったんだから、それでよしにしないと、勇ちゃんが反感食らうよ?」 声が聞こえたらしく、ボールを拾いながら、ミャオ先輩が口を挟んできた。 「わぁってるよ。タッチーのおかげで、だいぶ助かったのも分かってる。俺、苦手だしなぁ。誰かに何かを強制すんの」 「勇兵のためだったらいいかなって思える人も、そこまで多くなかったみたいだね、今回ばかりは」 守も横から口を挟んできた。 勇兵はその言葉に、ガックリと肩を落とす。 「別に、その言葉期待してた訳じゃないけどさぁ……」 「今でも、結構、負担掛かってる部員はいるんだろうしね。代変わってから、メニューも少し変えたし。こればっかりはしょうがないんじゃないかな」 「……うん」 「でも、どうして、急に、あんな目標、言おうって思ったんですか?」 日和子は飛んできたボールをキャッチして、疑問に感じていたことを素直に尋ねた。 昨日、2人で練習している時だって、そんなことには1つも触れてこなかったのに。 「目標は、共有しないと、意味ないじゃん。団体競技なんだし。みんなの力がないと、成せないことだしさ」 「……勇ちゃんのことだから、みんな、大賛成してくれるって思ってたんだろうねぇ」 「そ、そんなこたねぇけど、もう少し、軽〜い雰囲気でオッケーになるかなぁって、思ってたんだけどなぁ……。そんなに難しいことか? 同じ時間使うなら、その分の結果は出したいって思わね?」 「私は思うよ。でも、みんながみんなそうじゃないから。勇ちゃんだって、それが分かってるから、今まで、色々遠慮してきた訳じゃない? 楽しい部活が出来ればそれでいいやって」 「……そうだけど……」 「そのカラを破ったことだけは、評価しちゃうけどね〜。ね、ぴわこ? 勇ちゃん、バカだったけど、カッコよかったよね?」 「……別に……」 「そ?」 「お2人に、ついていってもいいかなと、わたしはもう思ってますから、どうだったかはどーでもいいです」 日和子は唇を尖らせてそう言い切ると、ボールを持つ手に力を込めた。 ミャオ先輩が凄い勢いで走ってきて、日和子の体を思い切り抱き締める。 「ぐ、ぐるじ……」 「あー、素直じゃないけど、可愛いこと言ってくれるなぁ。ぴわこ、うちの子にならない? ならない?」 「な、なりません……先輩、痛いです」 日和子はミャオ先輩の腕をタップしながらそう言い、ケホケホと咳き込む。 その様子を微笑ましそうに見つめて、勇兵が優しい声を発した。 「日和子とタッチー、ホント、漫才コンビみたいだよな」 「そ? 私から見たら、勇ちゃんとぴわこ、超お似合いだよ?」 「なっ……!」 「先輩、変な冗談やめてください……!」 「そうだぞ。俺はいいけど、日和子に変な噂立ったらどうすんだよ!」 「……あー、それはもう手後れじゃ……」 「へ?」 「な〜んでもない♪ さてと、練習練習♪」 ミャオ先輩は笑って誤魔化すと、タタタタッと駆けて行ってしまった。 日和子はボサボサになった髪の毛を直しながら、ふぅ……と深くため息を吐く。 本当に、掻き回すのが好きな人なんだから。 ミャオ先輩の言いかけた言葉が聞こえなかった勇兵は、不思議そうに首を傾げて、こちらを見ていた。 その視線に、ドキリとする。 どちらかと言うと、こちらはいいけど、困るのは勇兵のほうだろう。 だって、叶わぬ恋と知りながら、この人はまだ……あの人のことを見ている。 それを知っていながら、自分も、この人のことを見つめているのだから。 |