◆◆ 第12篇 無言歌・歩くような速さで ◆◆
Chapter 7.遠野 清香
「あー、基礎練いい加減飽きたー。ボール打ちたーい」 ユンが本当につまらなそうにそう言って背伸びをした。 ここ最近、部活終わりはいつもこうだ。 冬は体力をつけるための走りこみ・筋トレ・素振りがメインになるので、仕方が無いのだけれど。 マネージャーとしてはボール拾いという、ゴールの見えない作業が減るので、少々ありがたい、とはさすがに言えない。 「そういえばさぁ」 「ん?」 「来月、バレンタインだけど、今年はどうする?」 清香はその言葉に、きょとんと目を丸くした。 ああ、そういえば、もうそんな時期か。 そろそろCMだって、バレンタイン仕様に変わる頃合だ。 いつもだったら、変わる前からどうしようかと手をつけていたのに、今年はそんなイベントの存在すら忘れてしまっていた。 ユンは至って真面目な表情だ。 修学旅行中にあんな失態を見せてしまえば、そうもなるか。 清香は別段気に留める素振りは見せないように笑った。 「どうしようねぇ……。今年も、部員全員に用意するかなぁ」 「……もしそうするなら手伝うけどさぁ。無理しなくてもいいんじゃないかなぁ」 「無理?」 「……あ……。えっと、リーちゃんとタマちゃんも同じこと言ってたんだよね。サーちゃんって、こういう時、自分のこと、二の次っていうかさぁ……」 「……そんなことないよ」 「え?」 「どう見られたいのか。そのために動いてるのは、きっと、二の次とは言わないもの。私は、自分のことしか考えてないよ」 「…………」 「最初は、お菓子作るのが好きで、みんなの評価が気になってただけだったんだけどね。繰り返してる間に、それが定番化しちゃった。やらなかったら、また、変に勘繰られちゃうよ」 「……だからさぁ……」 清香の言葉に、ユンが我慢できないようにため息混じりで口を開きかける。 「お。斉藤に遠野じゃん」 後ろから声を掛けられて、ビクリとユンが肩を揺らし、黙り込んだ。 清香は姿勢よく振り返って、にっこりと笑う。 勇兵と日和子が並んで歩いてくるところだった。 「勇くんたちも、今部活終わり?」 「ああ、そう。今日は練習量少なめな日だから」 「そうなんだ。……丹羽さん、お久しぶり」 「こんにちわ」 日和子が姿勢よく綺麗なお辞儀をする。 ユンもようやく振り返って、軽く会釈をした。 「なんだよ、斉藤。元気ないじゃーん」 「真面目な話してる時に来るもんだからスイッチが上手く……」 ごにょごにょ言うユンに、勇兵は分かりやすいほどに首を傾げてみせた。 「バス停まで一緒に行っていい?」 すぐに切り替えてそう言うと、勇兵はスタスタと2人の横に並んでみせる。 日和子がそれについてくるように、少しだけ後ろを歩く。 「? 何やってんの? 横来いよ」 「でも……」 「丹羽さん、こっちおいで。大丈夫だよ。誰か来たら避ければいいんだから」 歩道を占領することに気が退けているのを察して、清香はそう言って手招きした。 その言葉で、遠慮がちに清香の隣に並ぶ日和子。 勇兵のほうに視線を動かすと、ユンが居心地悪そうに、勇兵を見上げていた。 「今日、勇くん、自転車じゃないんだね?」 「ん? ああ。ちょっと調子悪くて修理中でさ」 「そっかぁ。あ、今ね、バレンタインの話してたんだ」 「? もう? 早くね?」 「私たちはいつもこのへんから作戦を練り始めるんだよ」 「作戦……。ああ、たくさん配るもんな、遠野は」 「そうそう」 勇兵は興味なさそうに目を細め、大きく欠伸をした。 「……なんか、今年は別にいいかなぁ。お返し面倒くさいし」 「そんなこと言っちゃっていいの?」 「ん? だって、友チョコ、そんなにたくさん貰ってもしょうがないし」 きっと、貰っている内の3分の2は友チョコではないと思うけれど、さすがに言えないので、笑って誤魔化す。 「勇にしては珍しいなぁ。面倒くさいとか」 「ん? あ、斉藤のはくれるなら貰うよ」 「……何それ。結局、そういうこと言っちゃうから、たくさん貰うことになるって、自覚しなよ」 「…………。なんか、機嫌悪くね?」 「変な期待持たせてるって自覚がないでしょ。女子としては迷惑なこと分かれって言いたいだけ」 「……え、あ、ごめん……?」 勇兵は分かったのか分からないのか、微妙な表情で小さく頭を下げた。 ユンは深くため息をついて、こちらを見る。 ああ、今のは、勇兵にだけじゃない。清香に対しての言葉でもあるのかもしれない。 「丹羽さんは?」 清香は少し空気を暖めようと、話題を日和子に振った。 この話題は失敗だったかもしれないと思いながらも、無理矢理違う話題を引っ張り出すほどの、回転の早さは備わっていなかった。 「え?」 静かに3人の話を聞いていた日和子は、急に話を振られて、驚いたのか目をパチクリさせた。 「……先輩のは、確かに紛らわしいかなって思いますけど……」 残念。そこじゃない。 「あ、いや。誰かにあげるのかな? って……」 「…………。お、おと、さん、に……」 話題の取捨選択を間違えたのが恥ずかしかったのか、その問い自体が恥ずかしかったのか分からないが、日和子は照れくさそうにそう言って俯いた。 「作るの?」 「い、一応。レンジで溶かして、固めるだけですから……」 「そっかぁ」 「でも、すごいですね」 「え?」 「遠野先輩、そんなにたくさん、あげたい人が、いる、なんて」 「…………」 日和子の無垢な言葉に、清香は返す言葉がなかった。 あげたい? ……作ってあげたい人なんて、1人しかいない。 「先輩?」 「……いないや」 「え?」 「そう言われてみると、あげたい人なんて、いない」 清香の言葉に、勇兵とユンが心配そうにこちらを見た。 その空気を感じ取ったのか、日和子だけが、落ち着かないように、3人を見比べる。 「あー、ごめんごめん。なんでもないんだ。私、イベントとして楽しんでるだけだからさ」 場を和ませようと、なんとか言葉を継ぎ足したけれど、事情を知っている人が2人もいるこの状況では、薄ら寒いだけだった。 約束の日曜日。 部活が終わってすぐのバスで帰り、昼食を済ませて、服を選んだ。 終わった恋だったとしても、初恋の人に会いに行くのだし、そこはきちんとしたかったのだ。 母に託された菓子折りを提げ、二ノ宮宅を見上げる。 ピアノの音がしている。 おそらく、ウォーミングアップで弾いているのだろう。 昔惚れこんだ、跳ねるように楽しげな音がする。 呼び鈴を押し、姿勢を正す。 ピアノの音は続いているが、すぐにドアが開いた。 「いらっしゃい、さっちゃん」 嬉しそうな春花の笑顔が清香を迎えてくれた。 「ご無沙汰してます。これ、母から……」 清香はすぐに袋の中身を取り出して、菓子折りを差し出した。 「あ、別にいいのにぃ。お母様元気?」 「はい」 「うちでも、お菓子作ってあるから、お土産に持っていってね」 「……すみません。ありがとうございます」 「ううん♪ わたし、ほら、暇だから」 春花は楽しげに笑ってそう言い、清香から受け取った菓子折りを大事そうに小脇に抱えた。 「清香? 来たのか?」 ピアノの音が止み、すぐにそんな声がした。 春花が叱るように口を開く。 「大事なお客様でしょ。自分で出迎えしなさい」 「ああ、母さんが出てくれたの? 悪ぃ悪ぃ」 賢吾が気だるそうな声で答えて、ピアノの置いてある部屋から出てきた。 「呼びつけて悪かったな。こっちだ」 ちょいちょいと手招きする賢吾。 清香は丁寧に靴を脱いだ。 すぐに部屋に引っ込んでしまったので、清香は後を追うように廊下を歩き、部屋に入った。 賢吾は椅子に腰掛け、こちらに対して笑みを浮かべる。 「適当に座れ。今日は、清香のためだけのミニリサイタルだ。何か弾いて欲しい曲はあるか?」 春花が”大事なお客様”と言っていたにも関わらず、呼びつけた当の本人は、相変わらずの不遜ぶり。 おかしくなって、清香は腰を下ろしながら笑いをこぼした。 「? なんかおかしいか?」 「いえ、別に」 「……そか? で、リクエストは?」 「ケンゴさんが、中学1年の時に弾かれてた……」 清香がそこまで言うと、賢吾はすぐに指を動かした。 懐かしい旋律が鼓膜を揺らす。 それだけで満足な心地がして、清香は聞き惚れてしまった。 「これか?」 「はい。それです」 「お前、よく覚えてるな」 「大ファンだったんです」 「……へぇ。おれは、全然覚えてないんだよね、お前のこと」 「それ、言わなくていいのに」 賢吾の言葉に失笑しつつ、清香はため息をついた。 賢吾は少し考えるように視線を動かしたが、特に言葉を継がず、前置きなしで弾き始めた。 大好きな曲ではあるのだけれど、彼に振られる前に聴いていた曲でもあったので、なんとも複雑な心地がした。 可愛らしい音色が特徴的で、彼の雰囲気には全然似つかわしくない。 その似合わなさが逆によかったのかもしれない。 そっと、清香の膝の前にお菓子の乗った皿とマグカップが置かれた。 そちらを見ると、春花が満足げに笑って膝をついていた。 「小母様……」 春花は口元に人差し指を当てると、ゆっくりと立ち上がった。 「ごゆっくり」 小声だったが、清香にはきちんと聞こえた。 きっと、賢吾は覚えていないけれど、春花は知っていたのかもしれない。 レッスン後、修吾と遊ぶ時間があったということは、春花と母が話している時間もあったということだ。 そう考えると、少しばかり気恥ずかしい。 1曲目を弾き終え、賢吾が振り向く。 満足そうな笑顔。上手く弾けたのだろう。 あの頃とは少し違う音のハリ。それが、清香が知らない彼の数年間の集大成なのかもしれない。 「まだ、ピークの時には程遠いがな。なかなか良かった」 自画自賛をした後、畳に置かれたお菓子皿につられるように胡坐をかいて座った。 清香は座布団に座っているうえに正座をしているので、視線の高さがほぼ同じになった。 「どうだった?」 「……私が知ってるのは、中学3年までのケンゴさんなので、すごく嬉しいです」 振られてからすぐレッスンの日はずらしたけれど、彼がピアノ教室を卒業するまでの間、市内の音楽発表会で彼の勇姿は見つめてきた。 傷口が痛んでも、彼のピアノはやっぱり綺麗で、惹かれるように見入ってしまったことを覚えている。 「嬉しい、ねぇ。清香の知ってるおれと、今のおれはどっちがいい?」 「…………。今、ですかね。音色が優しくなった気がします」 「……そか。さんきゅ」 賢吾は皿の上のお菓子を口に放り込み、もぐもぐと口を動かす。 清香は落ち着かなくなって、マグカップに口をつけた。 偶然なのか、修吾に聞いておいてくれたのか、清香の好きなミルクティーだった。 「あ、そうだった。今日は、お招きありがとうございます」 「……聴きたいって言葉は、原動力になるんだなぁ」 「え?」 「お前、聴かせてくれって言ったろ?」 「…………。はい」 「家族以外で、そういうの、素直に言ってくれたの、お前が初めてな気がする」 「そう、なん、ですか?」 「すげぇとは言われてたけど。そんなん、当たり前だろって思ってたし」 「……はぁ」 初恋の人だったという贔屓目で見ても、なんとも大人らしくない人だ。 「4年前、父親に反対されて、受かってた音大に進学できなかったんだ」 「…………。そう、だったん、ですか」 「あの時はすっげー恨んだんだけど、今となっては当然だなって思う訳よ」 「どうしてですか?」 「何のライフプランもねぇ。親父を言い負かすだけの度胸もねぇ。ただ、能書きだけ垂れて、キャンキャン吠えてるガキじゃなぁ。反対されても、それでも押し通すくらいの根性見せなきゃ、そりゃ、アイツだって、納得しねぇよ」 「…………」 「金は後で返すから、今は援助してくれって、土下座するとか、縁切ってでも進学するとか、やりようはいくらでもあったじゃんってさ。今考えてみると思う訳よ」 「……なかなか、難しいかな」 「ん?」 「私は、運良く、親に反対されない進路なんで、そういうのよく分からないですけど、反対されて、今まであったものすべて失ってでも、なりたいもののために進んでいくって選択は、なかなか出来ない気がします。……だから、しょうがないんじゃないですかね」 「……だよなぁ。しかも、成功するかどうかなんてイチかバチかだしな。なんだってそうだけどよ」 「はい……」 「……そっか。清香は、反対されないのか」 「はい」 「んなら、よかったなぁ……。おれ、結構びくついてんだ」 「え?」 「きついぜ? 親に可能性を否定されんのって……。4年経っても、親父に話さないといけねぇのかと思うと、冷や汗出んもん。トラウマみてぇなもんか?」 「…………」 「修には悪い例見せちまった」 「シュウちゃん?」 「アイツが良い子に育っちまったのはさ。たぶん、おれのせいでもあんのよ。おれが好き勝手やって、その癖、壁にぶつかったらそのまま泣き寝入りだろ? そんなん見せられたら、良い子にするしかねーじゃん? しかも、アイツ、自覚ねぇけど、親父のこと、好きだしなぁ」 「……そう、なんだ?」 「うん。親父にも母さんにも、悲しい顔させたくねぇんだよ。だから、板挟み。ま、おれの想像だけど?」 なんとなく、困ってるのではないかなということだけは察せたけれど、家庭事情のことは分からなかったので、賢吾に言われて、清香は納得した。 修吾はそれなりになんでもそつなくこなせる人なので、小説家になれなくても、きっとそれなりに生きていくことが出来ると思う。 だけど、柚子みたいな子が傍にいるから、触発されて、1つのものに固執せざるを得ない状況になってしまっていて、それが無くなったら自分はどうなるのか、という先の見えない不安感に押しつぶされそうになっているのかな、と考えていたが、それだけではないらしい。 二ノ宮修吾という男は、なかなかに面倒くさい。 「だから、今度こそ、兄貴らしいことしなくちゃなぁ……なんて」 「頑張ってください」 「おう。さて、そろそろ2曲目行くか。何が良い?」 「もしかして、全部、私のリクエストで弾く気ですか?」 「もちろん。清香のためのミニリサイタルだからな」 賢吾は得意そうに笑って、指慣らしに音を鳴らす。 清香のためのミニリサイタルは、そんなこんなで3時間ほど続き、終盤、賢吾の指がへたってきて終わった。 相当弾くのが楽しかったようで、清香がストップを掛けなかったら、まだ弾き続けそうな勢いだった。 |