◆◆ 第13篇 天泣・見つめる先にいる人は ◆◆

Chapter 1.丹羽 日和子



 あの人は心ここにあらずな様子だった。
 自分のことなど見ていないな、と感じられる眼差し。
 それでも、その顔に馴染む笑い方はいつもどおりで、神社の紙袋と思しきものを手渡してきた。
『? なんですか?』
『お土産』
『わざわざ、私に? 先輩方からのお土産だったら、昨日いただきましたよ?』
『丹羽ちゃんはトスの師匠だから特別〜』
『…………。不公平になりますから、いただけません』
 中も確認せずに、日和子はそれを勇兵の胸に押し付けた。
 勇兵はつまらなそうにそれを受け止め、唇を尖らせる。
『ほんっと、丹羽ちゃん固いなぁ……』
『固くて結構です。こういうので贔屓が出るのが、いちばん良くないんです』
『贔屓って……友達に土産買ってくるのが贔屓なの?』
『友達……?』
『先輩後輩の前に、俺はそのつもりでいたんだけどなぁ……』
 大きな手で紙袋を弄びながら、そう呟き、はぁ……とため息を吐いた。
 その様子を見ていると、なんだか申し訳ない気持ちになった。
 心がそこになくても、元気に尻尾を振り、無邪気な眼差しを向けてくるのが常のこの人は、そういう面で大きく得をしていると思う。
 それに、修学旅行の限られたお小遣いで自分のものを買ってきてくれたことは、純粋に嬉しかった。
 とはいえ、日和子の性格上、それ以上に、悪いな……という気持ちが先に立ってしまう。
『……な、何を買ってきてくださったんですか?』
『ん?』
『お、お土産……』
『あー、縁結びのお守り。ちゃんと相手の分も買ってきたよ』
 勇兵はそう言いながら、紙袋から青と朱のお守り2つを覗かせた。
 日和子はそれを見つめて、複雑な気分になる。
 視線の先の人は、よく出来たでしょうと言わんばかりに満足げな表情だ。
 嬉しくない訳ではないが、このお土産は、嬉しくない。
『……あれ? あんまり嬉しくない? 女の子なら、これは鉄板だと思ったんだけど……』
『い、いえ、嬉しいです……けど、渡す相手がいる訳でもないので……』
『出来たら渡せばいいじゃん』
 勇兵は白い歯を覗かせて笑うと、日和子の手を取り、有無を言わさない様子で紙袋を握らせた。
『…………』
『丹羽ちゃん?』
『本気で言ってるんですか?』
『へ? 俺、なんか不味いこと言った?』
 日和子の言葉に、勇兵は目を白黒させる。
 普段の距離を感じさせない振る舞いと相俟って、この人のこういうところが、ひどく残酷だと感じる。
 ミャオ先輩はからかうように『お似合いだ』と言うけれど、自分が求めている距離と、この人が求めている距離が違うのなんて、他でもない自分がよく分かっている。
 それでも、ここ1ヶ月程は何かが変わってきたような、そんな感触があったのに、修学旅行から帰ってきたら、以前の彼に戻ってしまっていた。
『……旅先で、何かありましたか?』
 彼の質問には表情だけで答えて、すぐにそう尋ねた。
 勇兵がその言葉にぐっと息を飲み込んだのが分かる。
『……俺がどう……って訳じゃないんだけど』
『……はい』
『シャド……舞が』
『はい』
 わざわざ言い直したのを察して、日和子は心が痛むのを感じた。
 元々の呼び方はこちらなのだろうと、なんとなく分かった。
 それだけ、この人は自分に対して、心を開いてくれている。そう思えば思うほど、自分の心の中を抉られる心地がした。
『舞が、別れたみたいなんだ』
『え?』
『その……相手と……』
 勇兵は辛そうに目を細めてそう言うと、すぐに暗い空気を飛ばそうと不自然に笑った。
『だから、どう……って訳じゃねぇけどさ、なんか、後味の悪い旅行になっちまったんだ』
『……そう、ですか』
 目の前の彼は、とても大きいのに、その話をした瞬間、急激に萎んでしまったように感じた。
 日和子は目を細め、俯く。
 ひどい人。
 こちらの気持ちには気付きもしないで、愛想ばかりが上等だ。
 心がここにないのなら、そんな一切合財の振る舞いも、無くしてくれたほうがどんなに楽だろう。
『あ、け、けどさ! そこの神社のお守りはご利益あるって話だから、疑わないで使ってくれよ?』
『……わかってます』
 勇兵はお土産にふさわしくない気配りに欠けた話題だったと感じたのか、すぐにそう付け加えた。
 方向違いの気配りに、思わず日和子は笑ってしまった。
 しょうがない人。
『ありがとうございます』
『受け取ってくれるの?』
『はい』
 こんなに心許ない様子の彼に、これを突き返すことなんて出来るはずもない。
 日和子は心の中でため息を吐き、紙袋をショルダーバッグにしまった。
『先輩みたいな人って』
『ん?』
『朴念仁って言うらしいですよ』
『ボク……何?』
 意味の分からない人には、嫌味にもならない言葉だったが、このくらいの嫌味ぐらい言わせて欲しい。そんな気分だった。



「なぁんで、勇ちゃんにチョコあげなかったの? チャンスだったのに」
 バレンタインからもう1週間経ったというのに、未練がましく、ミャオ先輩はそう言った。
 走りこみの真っ最中だというのに、息もほとんど切れていない。超人かこの人は。
 日和子は周囲を見回して、呼吸を整える。
 ミャオ先輩のペースに引きずられるように走ってきたから、女子部員の大半は遥か後ろだった。
「その言葉、何回目ですか?」
「さぁ? 何回目だろう? 5回くらいは言ったかな?」
 可愛らしく小首を傾げてそう言う先輩。
 背は高いけれど、決して男勝りでもなく、しなやかな可愛らしさのある人だ。
「本人が要らないって、言ってる、のを聞いた、ので、渡す必要、も、ないかな、と思った、だけ、です」
「…………。そうなの? 勇ちゃん、昨年は色んな人におねだりして回ってたんだよ? そりゃもう、挨拶みたいに軽い感じでさぁ」
「そうする理由が、無くなった、んじゃないですか?」
「そうする理由?」
「……なんとなく、そう思う、だけです」
「んー? なぁんか、意味深じゃん?」
 日和子の言葉にミャオ先輩が目を細める。
 すぐに脇に手が伸びて、こちょこちょとくすぐってくる。
 日和子は身軽にかわして、仕方なくペースを上げた。
 それを追ってくるミャオ先輩。問い詰められても何も答えられないのに。
 ただ、理由がないからしなくなったんだろうと、そう思うだけだ。
 その理由まで、日和子に分かる訳がない。だって、昨年の彼なんて知らないのだから。
「ぴわこ、何もしないから、ペース落としなさぁい」
「絶対、嘘、ですね。元々、いじられ位置なので、そういう、ことには、敏感なんです!」
「なぁんだ、騒がしいと思ったら……」
 だいぶ先を走っていたはずの勇兵が、呆れたように声を発した。
 いつの間にやら追いついてしまったらしい。
 ミャオ先輩のペース配分は、間違いなくおかしかったようだ。
 勇兵は1人だけ別メニューで、走り込みを追加している。
 そのピッチの速さに、突如、陸上部から引き抜きの話が来たくらいの健脚の持ち主なのに。
「あるぇ? 勇ちゃんに追いついちゃった?」
「……うるせぇ。なんだよ、タッチー、なんならやるか? 何か賭けるか?」
「お。上等じゃん。ぴわこ、このうすらとんかち沈めて、裏の喫茶店のプリンおごらせようぜ〜」
「え? む、無理ですよ。私、もう既に、息、切れてるんで、やるなら、お2人で」
「ああ、日和子は無条件でおごってやるよ」
「およ〜。贔屓かぁ? 勇ちゃん」
「は? だって、確か、もうすぐ誕生日だろ?」
「……勇ちゃんって……たらしか何か? それとも、ホストにでもなるの?」
「は? 歌枝……妹が言ってただけだっつーの。アイツ、イベントとかお祝い事大好きだから」
「……ふーん。ぴわこ、いつなの? アタシからも溢れんばかりの愛を贈ろう」
「……2月、28日、です。どちらも、丁重に、お断り、します」
「え〜……」
「…………。あいっかわらず、固いなぁ……。歌枝からは貰ってあげてくれよ? アイツ、前、幼馴染に要らないって言われた時、泣いて帰ってきたことあんだからな」
 幼馴染とは、舞の弟の楽のことだろうか?
 楽は1年女子の間で、密かに人気がある。
 おそらく、2年にとっての、二ノ宮修吾という人と同じようなポジションの人だと思う。
 日和子は話したことがないが、歌枝から時々話は聞いていた。
 せっかく、舞似のイケメンなのに、超のつく面倒くさがりで、非常に残念な奴だ、というのが歌枝の評価だった。
 超のつく面倒くさがりだから、やることがむしろ効率的なのだろうな、とは日和子の見解。
 たまに、歌枝が借りてくる教科書には、ぎっしりと予習の跡がある。
 少ない労力できっちりと仕事をするのは、お姉さんと一緒なんだろう。
「興が殺がれたけど、勇ちゃん、いざ尋常に勝負よ!」
「マジか。結局、何賭けるんだよ」
「んーっとねぇ……じゃあ、ぴわこ1日独り占め券発行でどうですか、お客さん」
「えっ?!」
 いい加減、速いペースについていけなくなってきている日和子の頭に、とんでもない言葉が降ってきて、日和子は顔を上げた。
 勇兵がその言葉に、じっとこちらを見つめてくる。
 ああ綺麗な顔してるな、この人。思わず、日和子はそんなことを心の中で呟いた。
 端正ではないけれど、男らしい綺麗さのある顔立ち。
 その顔がにやりと意地悪げに歪んだ。
「乗った!」
 その言葉と一緒に、2人が一気にスピードを上げる。
「ちょっと待ったぁぁぁぁぁ……! 勝手に何ですか?!」
「ぶはっ! 今の聞いた? 日和子の『ちょっと待ったぁぁぁぁぁ……!』とか初めて聞いた。あはははは!」
「ぴわこ、それが嫌なら、頑張って、いちばん取ってごらん♪」
 この人たちは、鬼か。
 日和子の心の中に、そんな言葉が過ぎった。
 大体、自分を1日独占して、あの2人に何の得があるのか、甚だ疑問だ。
 頑張って追いかけたけれど、2人との距離は開くばかりで、なんとか校門まで戻ってくると、勇兵がクールダウンしながら、こちらに得意げに笑みを向けてきた。
 だから。
 独占できたところで、何の得があるんですか?
 あなたが好きなのは……、あの人でしょう?
「日和子」
 拗ねる心と、その呼び掛けに弾む心。その2つが同居して、ひどく惨めな気持ちになる。
 大体、いつの間にこの人はこの呼び方をさも当然のように使うようになったろう。
「券ちょうだい。あとで使うから」
「…………。何のために?」
「へ?」
「意味もないし、面白がって、こういうことするの、やめてください。すごく、迷惑です」
 日和子が予想しないことを言ったので、休んでいたミャオ先輩が慌てて立ち上がって、日和子の口を塞いだ。
 むぎゅっと頭ごと覆われる。
「んんんんんんん!」
「いやー、アタシが悪かった! 申し訳ない、許してぴわこ〜! 怒らないで〜!」
「……あ、今の、タッチーに言ったの?」
「ん、そうそう。だよね? ごめんね〜。アタシってば、つい調子こいちゃってさぁ……」
「モガモガ……ん〜!」
 日和子はまだ言いたいことがあったけれど、口は大きな手で覆われるし、頭も自由に動かせないしで、結局黙るしかなかった。
 その間に、さっさとミャオ先輩が体育館に向かって歩き始める。
「んじゃ、アタシら先戻るから。勇ちゃんはもう1セットでしょ? 頑張って!」
「お、おう……。日和子、機嫌損ねること、言っちまってたならごめんな」
 声に反応してそちらを向くと、勇兵はすごく寂しそうな顔でこちらを見ていた。
 何なんだろう。
 あなたは、どうしたいの?
 日和子はそんな言葉がせり上がってくるのを感じて、必死で飲み込む。
「ごめん、デリカシー無かったね」
 ミャオ先輩が耳元で静かに言った。
 いつものおふざけモードとは全く別の声に聞こえた。
 日和子が驚いて、ミャオ先輩を見上げると、彼女は真面目な表情で前を向いていた。
 手の力が緩んで、ようやく、拘束から解放された。
 視線の先に何があるのだろうと、その先を追うと、厚手のコートにマフラーをグルグル巻きにし、ポケットに手を突っ込んだままで歩いてくる美人がいた。
 舞だった。
「先輩、さようならぁ」
 声を掛けられると、舞はすぐに笑みを浮かべて、ヒラヒラと手を振り返した。
 けれど、すぐに”誰だっけ?”と言いたげな表情で小首を傾げる。
 おそらく、一方的に知っている類の子に声を掛けられたのだが、彼女は特に気にもしないように、その後も、誰かに声を掛けられれば、笑みを返していた。
「出た〜、学園のマドンナ」
「先輩、その表現、古いです……」
「ん? 古いけど、ピッタリじゃん? 難攻不落の攻略不可能キャラだもん」
「…………」
「あのオーラはきついよねぇ。告白も満足に出来ず、眺めるだけで幸せな信者を増やし続ける恐ろしい子なのよ」
 1学期にお世話になったのもあり、ミャオ先輩の見解には、噴出しそうになった。
 そんな変なイメージが貼り付けられているのか、あの人。
「気さくなのに、恋愛領域には踏み込ませないそんな雰囲気がある。……アタシは、どっちかというと、遠野ちゃん派だねぇ」
「テニス部の?」
「うん〜。あの子は可愛い。一部嫌ってる子もいるけど、アタシには理解できん。あの、ナチュラルに溢れ出す嫁臭がたまらないねぇ……」
 ミャオ先輩の発する言葉は、時々、理解できない領域に行くので、日和子はただ苦笑した。
 なんとなく言えることは、先輩がどちらかというと男子目線だということだろうか。
 歌枝とは好みが真逆のようだから。
 舞がこちらに気が付いて、ニッコリと笑い、歩み寄ってきた。
 それにびびったように、ミャオ先輩が日和子から離れる。
 そんなに怖がらなくても。
「久しぶり。部活?」
「はい。先輩は、今お帰りですか?」
「ええ。あー、寒い。よくそんな薄着で平気だね」
「走ってきたので。動いてる分には、気になりませんよ」
「……あたしは無理だわ」
「寒いの、苦手なんですね?」
「そそ。バレンタインはチョコじゃなくて、ホッカイロくれたらいいのにねぇ」
 舞は冗談交じりにそう言い、日和子の脇に立っているミャオ先輩に視線をやった。
 身長に惚れ惚れするように見上げ、いちいちポケットから片手を出して、自分と比べた。
「橘さん、だっけ? 羨ましいなぁ。身長いくつあるの?」
「え? 177、かな? バレーやるにはまだ足りないくらい」
「20センチも違うのか……」
 舞は本当に羨ましそうに見上げている。
 ミャオ先輩が落ち着かないように、首を小刻みに動かした。
 借りてきた猫、とは、今の先輩の状態だな、と、日和子は思った。
「じゃ、部活頑張ってね」
 舞は柔和に笑ってそう言い、日和子の脇を通って行ってしまった。
 すぐに、ミャオ先輩が日和子の肩に手を掛ける。
「ぴわこ、あれと知り合いなの?」
「い、一応……。とゆうか、あれって、失礼ですよ、先輩」
「あんまり急でびびったんだよ〜。美人を至近距離で見るのは、やっぱり体に悪いね。少し距離を取って、眺めるのがいちばんだ」
 ミャオ先輩も美人のくせに何を言っているのだろう。
「前から気になってたんですけど、先輩って女の人が好きなんですか?」
「へ? アタシは可愛いものが好きなだけだよ。ほら、このタッパだから、小さいものとか好きすぎてたまんないの〜。ぴわこなんか、激ツボだよ、マジ」
 私はキャラグッズでもなんでもないのですが。思わず、そんな言葉が浮かんだが、言っても、相手が喜びそうなので黙った。
 振り返ると、まだ校門には勇兵がいて、ちゃっかり舞と立ち話をしていた。



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