◆◆ 第13篇 天泣・見つめる先にいる人は ◆◆
Chapter 2.車道 舞
『あ、塚原く〜ん。今大丈夫?』 『ん? なになに? 丹野ちゃん』 教室を出たところで呼び止められた勇兵が、陽気に声を発した。 呼び止めた女子は、周囲を気にするように見てから、普段どおりの笑顔を作る。 『塚原くんさ、昨年、チョコちょうだいって言って回ってたじゃない? 今年も、ついでに用意しようかなって思ってるけど、いる?』 『ん〜……。くれるんなら嬉しいけど……無理しなくていいよ?』 『え? む、無理とかじゃない……けど』 勇兵の反応に困ったように、丹野と呼ばれた女子は複雑な表情をした。 珍しい。あの男が、チョコくれくれ言わないなんて。何か悪い物にでも当たったのか? そんなことを考えながら、廊下をスタスタと歩いていく。 『ツカ、そこにいると邪魔』 丹野さんの隣まで行ったところで、いつもどおりのテンションで言うと、勇兵は何も言わずにこちら側にどいた。 距離が近くなったことに驚いて、丹野さんが後ずさってふらつく。 すぐに、舞がそれを支えた。 『ツカ、なんで、こっちに避けんのよ。どう考えても、そっちでしょ』 『はいはい……すみませんね』 舞はその返答に心の中で舌打ちをしつつ、そんなことよりも、自分の腕の中の子のフォローが先だと思い直した。 『大丈夫?』 『あ、私が勝手にふらついただけだから。ありがとう、車道さん』 『ん。だったら、いいんだけど』 目を細めて微笑みかけると、丹野さんのほうが照れくさそうに目を逸らした。 舞は全く気にも留めずに、勇兵の脇を通るついでに、足を踏んづけてやった。 『痛ッ! 何すんだよ!』 『それはこっちの台詞よ! 女子に優しいのだけがアンタの良いとこでしょーが』 ついでに睨みつけてやると、勇兵はそう言われたことが不服だったのか、何か言いたげに、睨み返してくる。 けれど、肝心の言葉は返って来なかった。 『なにか言いたいことがあるならちゃんと言いなよ』 舞はさすがに勇兵のその態度にカチンと来て、それだけ言い放ち、そのまま教室に入った。 なんだかよく分からないが、ここ最近、あの調子だ。 自分が何かしたのだろうか。と思うけれど、特に覚えもなかった。 「あー……寒い……ごめん、ニノ、今日帰っていい?」 「……ストーブ弱いかな? 強くする?」 「ん……具合も悪いし、帰る……。今日の部活は任せるから」 「了解」 頼もしく返事をくれるから、何も考えずにそう言える。 本当に、部活においての二ノ宮修吾は頼りになる。 「あ、ちょっと待った」 「なに?」 「カイロ、使ってないのあるから、やる」 そう言いながら、ビニールを破って取り出したカイロを放り投げる修吾。 それを両手でキャッチして、すぐにポケットにしまう。 「サンキュ」 「いや。あんまり具合悪そうにしてると、ユズさんも心配するから」 「え? 別に、今日はたまたまだけど……」 「体調のことだけじゃなく」 「…………」 「……今年のバレンタインは、人気者だったみたいだね?」 「……くれるものは断れないもの」 「本当に欲しい物だけ欲しいって言うのは、僕はわがままじゃないと思うよ」 カノジョが出来たことで、無記名チョコレートさえ、なりをひそめた男が言う。 勇兵も欲しい欲しいと言って回らなかったようだし、仲良しグループの中で、今年いちばんチョコをもらったのは、なんだかんだで舞だった。 「…………。帰るね」 「ん……。気をつけて」 修吾は優しく微笑んで手を振ってくれた。 この男の最近の余裕はなんだろう。 進む道も決まって、迷いがなくなったからだろうか。 時々、彼を見ていると、無性にいらいらする自分がいることに気が付いていた。 羨ましく感じることに、いらいらしている。 たぶん、修吾に対してじゃない。これは、自分自身に対してだ。 日和子と橘さんと話をして別れた後、なんとなくおかしくて舞は肩を震わせた。 身長差がありすぎて、でこぼこだったのが主な理由だけれど、いつも堂々としているイメージの橘さんが挙動不審だった。 ああいう子でも人見知りはするのだな、と思うと、つい笑みがこぼれてしまう。 可愛い人は、男女問わず、好ましい。 「なぁに、にやついてんだよ。気色悪ぃ」 校門のところで声を掛けられて、舞は足を止めた。 最近、舞の前ではずっと不機嫌な顔をしている腐れ縁の幼馴染だ。 今日も見事なまでに不機嫌。 面倒くさいから話し掛けてこなくていいのに。 内心思いつつ、無視も出来ず、舞は勇兵の傍まで歩いていって、見上げた。 コイツ、また大きくなりやがった。心の中で舌打ちする。 「部活サボって何してんの?」 「サボってねぇし。ラントレの最中」 「ふーん……日和子達も?」 「あいつらは1セットだけ。しかも、ペース、俺に合わせたから、他の部員まだゴールしてきてない」 「ふーん……日和子と橘さんって仲良いの?」 「ん? ああ、やたらと、タッチーが日和子に懐いてるからな」 「普通、逆じゃない?」 「や、だって、本当にそうなんだからしょうがねぇだろ。話しやすいからな、日和子。礼儀正しいし。頭は固いけど」 「アンタの相手、まともにしてくれるんだから、相当良い子よね」 「ん? それ、どういう意味だよ」 「別に。やりたいことやったらいいって、言ってしまった手前、少し心配してたの。上手くやってるんだったら、それに越したことはないわ」 素直な気持ちをそのまま言って、舞は柔らかく笑った。 勇兵が複雑そうに表情を歪め、空を見上げて大きく息を吐き出した。 「お前はどうなんだよ」 「……え?」 「人にそんなこと言っておいて、お前はどうなんだよ」 勇兵は舞の顔は見ず、ぶっきらぼうにそう言った。 そのひと言で、ようやく、勇兵が自分に対して、随分な態度を取っていた理由が分かった気がした。 けれど、そこまで露骨に顔に出さなくたって、修吾のように生暖かく見守ってくれていたってよかったろうに。 これまでだってそうだったのだ。 いきなり、そんな風に態度に出されたって、何も察してなんてやれるはずがない。 「お前がもういいって言うなら、遠野に告白したがってる男子はたくさんいるんだし、オススメの奴、紹介する気満々だからな」 「…………」 「お前はお前で、”憂いを帯びた表情が素敵〜”とか女子に言われて、満更でもなさそうだし」 「はぁ? 何それ。満更でもない顔、あたしがいつしたのよ」 「それならちゃんと断ればよかっただろ。あんなにたくさん。野郎に対する嫌味か」 「手作りを断るなんて酷いこと出来るはずないでしょ」 「…………。お前は結局……」 「なによ?」 「嫌だ嫌だって言いながら、そういう、王子様ポジションが満更でもねぇんだよ。遠野も大変だよな。お前なんかのために遠回りさせられてさ」 「ッ……毎年、チョコくれっておねだりして回ってた奴に言われたくないわよ。アンタに、あたしの何が分かるって……」 「分かる訳ねーだろ」 勇兵の声はいつになく棘を帯びていた。 その鋭さに、舞は怯んでしまい、唇を噛む。 「修ちゃんみたいに、分かる分かるって全員が言ってくれると思ってるんなら、お前のそれは甘えだよ。分かる訳ねーだろ。口塞いで、耳も塞いでる奴のことなんか、分かる訳ゃ、ねーんだよ!」 勇兵が勢いよくまくしたて、その声の大きさに、ラントレから帰ってきた生徒たちが、不思議そうにこちらを見た。 グラウンドのほうでも、数名ほど、2人の口論に気が付いたのか、ちらちらとこちらの様子を窺っている。 舞はその視線に気が付いて、言い返そうとした言葉を飲み込んだ。 勇兵はまだ気が付いていないのか、更に何か口を開こうとした……のだが、ちょうどいいタイミングで、清香が2人の間に割って入ってきた。 彼女を間近で見たのは、随分久方ぶりのことだった。 舞に背を向けて、勇兵のことを見上げる清香。 清香の視線に、勇兵が怯んだのが分かった。 「勇くん、言いすぎだよ。くーちゃん、怖がってる。そのくらい、分からないの?」 その言葉に、勇兵は眉をへの字にして押し黙った。 清香が割って入り、勇兵が黙ったことで、騒ぎにならなさそうと察したのか、こちらに視線を向けていた生徒たちも、所定の作業へと戻っていった。 周囲の視線が気にならなくなったことを確認してから、清香が大きくため息を吐いた。 「……もう。なんで、こんなところで、口喧嘩なんかしてるの? 2人らしくもない。ただでさえ、目立つんだから、もう少し考えて行動して」 そうは言われても、売り言葉に買い言葉である。 喧嘩を売ってきたのは勇兵のほうだし、あんな風に言われて、流せるほど自分は大人ではない。 清香がこちらを向いて、心配そうに覗き込んでくる。 気まずさもあるけれど、正直照れくさいのが勝った。 舞はそっと視線を逸らす。 それでもめげずに、清香は口を開いた。 「……やっぱり、今日体調悪いよね? 朝から気になってた。バスの時間、もうすぐだし、急いだほうがいいよ」 「ん……」 「1人で大丈夫?」 「……大丈夫」 清香の言葉に頷き、すぐに脇をすり抜ける。 上手く言葉が出てこない。 勇兵は口を塞いで、耳も塞いで、と言ったけれど、そうじゃない。 自分自身、どうすればいいのか、まだ答えが出ていないのだ。 だから、動けない。それだけのことだ。 それさえも、良くないことなのだと言われてしまったら、自分はどうすればいい。 「くーちゃん」 「 ? 」 「私のことは、あまり、気にしなくていいからね」 清香の声に振り返ると、彼女は優しい笑顔でそう言い、踵を返して走って行ってしまった。 ほんの4ヶ月前、彼女は舞を罵って、そのまま別れた。 だというのに、今の笑顔。 彼女のほうが、よっぽど、先に進んでいる気がする。 そう思うと、情けなくなる。 「……舞」 「なに?」 「悪ぃ。言い過ぎた……」 「別に。アンタはアンタで、腹が立ってたんでしょ。そういうの、我慢するような仲でもないじゃん」 勇兵が言いにくそうに言ったので、舞はおかしくなって、片手をひらつかせた。 それだけ返して、スタスタと前へ進む。 自分だけの問題ではないのだと、誰かと関わる度に実感する。 自分ひとりで悩んでいるつもりでも、周囲だってやきもきしている。 そう知れることで、舞の視界も少しずつクリアになる。 自分自身がどうしたいのかを考えるには、山積みになっているゴミの山が多すぎるけれど、誰かが一緒に片付けてくれる。そう思えれば、こんなに心強いことはない。 |