◆◆ 第13篇 天泣・見つめる先にいる人は ◆◆
Chapter 4.車道 舞
『まい! ちがう。かっこいいしろつくるんだぞ! くずすなよ!』 砂場で思い切りキックして舞が崩してしまった残骸を指差して、幼い頃の勇兵が叫んだ。 そう言っても、もう手後れだ。 我ながら見事なキックだった。 舞は靴の中に入った砂を出すために、片方の靴を脱いだ。 『バッカみたい。それより、ブランコやろうよ。たちこぎスピードしょうぶ』 『それこそ、ばかだろ。おまえがこのまえおっこちたから、ねえちゃんにどやされたんだぞ。だめ』 『べつにけがしてないし』 砂場で言い争う子ども2人の元に、慣れた調子で勇兵の姉・芙美がやってきた。 『こぉら、ちびども。喧嘩すんなって言っておいたよね? なに揉めてるの?』 『ゆうへーがすなあそびしてるんだもん』 『コイツがブランコであそぶっていうから』 『……あー、もう毎日毎日そんなくだらないことで……。そろそろ、夕飯の時間だから迎えに来たんだよ。帰るよ』 『え〜……!』 『まだあかるいじゃ〜ん!』 今の今まで言い争いをしていたガキ2人が、自分たちの自由な時間を奪われると知って、あっという間に結束を取り戻す。 芙美は困ったように笑うが、いつものことなので、特に気にもせずにベンチに腰掛けた。 『じゃあ、好きなので5分遊んだら終わり。その代わり、絶対危ないことすんなよ。あたしが怒られるんだから』 『はぁい……!』 勇兵の大きく素直な声。 舞はすぐに公園内の遊具に視線を動かした。 『なににする?』 『何で遊ぶかで揉めてる時間も、5分に含めるからねー』 見越したように芙美が言ったので、2人は少しばかり焦って、あーでもないこーでもないと言葉を交わし、思い思いに駆け出した。 今思えば、あんな単純な遊具の何が楽しかったのだろうと、思ってしまう瞬間もあるのだけれど、きっと、友達と遊べるあの時間が好きだったのだろう。 1人で遊んだって、きっと、あの遊具たちは、自分を楽しませてはくれなかったはずだ。 舞はパチリと目を開けた。 ああ、帰宅してすぐに布団に入ったのだった。 結構、眠りが深かったのだろうか。体がだいぶ楽になった気がする。 冬時、夕方に寝こけると、時間の感覚は一切なくなってしまう。 真っ暗すぎて、何時なのかさっぱりわからない。 車道家は、家族が揃わなかろうとなんだろうと夕食を敢行する。 寝た子を無理に起こさないのが家風だった。 「ん……お腹空いた」 舞は静かに呟き、むくりと起き上がった。 電気も点けずに立ち上がり、慣れた調子で戸を開けると、楽がノックのポーズでそこに立っていた。 「起きた?」 特に表情も変えず、それだけ聞いてくる弟。 姉の寝起きの悪さは重々承知している。彼の生存本能的に、その対応は正解だった。 舞はコクリと頷くだけ。 楽は姉の様子を分析するように間を置いたが、考えてもしょうがないと思ったらしく、人差し指で玄関を指し示した。 「なに?」 「勇兄が来てる」 「は? 今何時?」 「21時半過ぎ」 「…………。何の用だって?」 「さぁ? ただ、急いでるみたいだったから呼びに来た。明日にしてもらってもいいよ? きっと、帰り道寄っただけだろうから」 「んー……。部屋片付けるから、ちょっと待ってもらって」 「え? 部屋に上げるの? 珍しい」 「この寒い中、外で立ち話って訳にもいかないでしょ。あたし、これでも、具合悪いし。勇兵に風邪ひかれても寝覚め悪い」 「……律儀だなぁ。帰れくらい、おれが言ってやんのに」 「アンタは年上を見下げた発言、もう少し控えなさい」 「…………。別にいいじゃん、勇兄なら。おれ、舞泣かしたの、まだ根に持ってるんだからな」 「……何年前の話よ。しかも、それ、勇兵だけが悪いんじゃないのよ」 くだらない話を思い出したように持ち出してきた楽を尻目に、舞は部屋に戻った。 元々、それほど酷い惨状にはしていないから布団を畳んで、コタツを置けばいいだけだ。 きっと、あの頃だった。 勇兵にバレンタインのチョコを渡した、あの時期。 自然と男子と女子の派閥みたいなものが出来始めて、気が付いたら、舞は男子の輪の中で遊べなくなった。 それを気遣って、たまに勇兵が入れてくれようとしたが、せっかく混ぜてもらえても、男子は何かと難癖をつけて舞の活躍を妨げたものだった。 それが面倒に感じて、小学校を卒業する頃には、男子の輪に混ざって遊ぶことを諦めた。 かと言って、女子の輪の中で素直に遊べるタイプでもなく、飄々と宙ぶらりんな学生生活を過ごし、今に至る。 コタツを部屋の中心に置き、コンセントを差した。 舞は、朝、机の上に放り投げておいたどてらを着て、廊下に出る。 洗面所に寄って顔を洗い、寝癖をちょちょっと直した。 夕方少し言い合いになったばかりなのに、一体なんだろう? 謝るとかそういうのは、あのタイミングですべて水に流したはずだ。 まだ、何か言い足りないことでもあったのだろうか。 いつも、勇兵がいくらかの力加減をして接してくれていることには気が付いている。 そこまで鈍感なつもりはない。 だからこそ、もし、本気で何か言いたいことを言ってくるという事態になったら、自分を保てる気がしなかった。 廊下に戻って玄関のほうを覗き込むが、誰もいなかった。 「あれ?」 「いやー、勇兵くん、ご飯はまだが? んだら、ほれ、舞のでよがったら食ってげ。あの子にはまた別で出すがら」 「いやいや! 家帰れば飯あるんで、大丈夫す! でも、おばちゃんの飯、相変わらず美味そうだなぁ」 「中学上がってからだっけ? 全然、来なくなっちまったからつまんねがったんだぞ?」 「ごっめんねー。俺、人気者で忙しかったからさー」 「まんずほに。その軽い口も相変わらずだぁ」 茶の間でくつろいでいるのは、両親と勇兵らしい。 舞は茶の間の戸を開けた。 「勇兵」 舞が声を掛けると、勇兵はすぐに立ち上がった。 「寒いから上がって待ってろって言われちまって」 「そうそう。あ、ご飯食わねなら、みかんだけでも持ってって。勇兵くんもだけど、舞も食ってねぇべ?」 「ん。ありがと」 舞は母親が差し出すみかん籠を受け取って、すぐに踵を返した。 勇兵が明るく何か言いながら、茶の間の戸を閉めてついてくる。 「お前、つれねーなぁ……」 「そんなことないでしょ」 「えー。でも、なんか、もう少しさぁ」 「単純に、友達の前で素で話すには気が引けただけ」 それに、寝起きであまり口を動かしたくなかっただけ。 両親なら、それくらいは分かってくれてる。いつものことだから。 「……そんな気遣う仲かよ」 勇兵は呆れたようにそう言ってため息を吐いた。 部屋の戸を開けて中に入り、コタツの上にみかん籠を置いた。 舞は奥の席に腰掛けて、勇兵に向かい側の席を促した。 勇兵は部屋の前で戸惑うように立っていたが、意を決して中に入ってきた。 「なに? どしたの?」 「いや、姉貴も歌枝も、勝手に部屋入ると怒るからな。女の部屋は、俺的には鬼門なんだよ」 「……そりゃ、勝手に入れば誰だって怒るでしょ。勇兵だって、やましいもののひとつやふたつあるでしょうが」 舞の言葉に、勇兵の顔が赤くなった。 意味が分からずに舞は首を傾げる。 そんなに深い意味はなかったのだけれど……。 「脱ぎっぱなしにした服とかさ」 「……あ、え、ああ、そういうのか」 「どういうの想像したのよ」 「ッ……別にいいだろ」 勇兵は振り払うようにそう言って、席に腰掛けた。 空気は冷えているが、コタツの中は暖かい。 ひと心地つけて、舞は背を丸くした。 「……猫みてぇだな」 「うるさいなぁ。寒いの嫌いなのよ」 愚痴る舞の様子を見つめて、勇兵がおかしそうに笑う。 なんだか、いつになく優しい眼差しが気持ち悪い。 舞は眉をへの字に歪め、勇兵に尋ねる。 「で? 何の用? わざわざ、こんな時間に訪ねて来るくらいだから、急ぎの用なんでしょ?」 その言葉に、勇兵が真面目な顔になる。心なしか姿勢が良くなった気がした。 舞は意味が分からず、首を傾げるばかり。 勇兵が真っ直ぐに舞を見つめてくるので、舞も丸くした背を、少しばかり正した。 「な、に?」 「今の今まで言えなかったことを、急いだってしょうがねぇけど、今言わねぇと決心が鈍っちまいそうだから。具合悪いって話、さっき、遠野としてたのも聞いてたけど、俺の都合で来た」 「……うん」 「今から言うことは、ジョークでもドッキリでもねぇから……からかってる訳でもねぇから。それだけは、きちんと分かって欲しい」 「……わかった……」 舞は静かに頷いてみせる。 この男が、自分に対して、これほどの表情をすることは初めてのような気がする。 だから、真摯に聞かなくてはいけない気がした。 舞は崩していた足を正座にし、背を綺麗に伸ばした。 「あ、さ、寒ぃからそこまでしなくていいよ」 「……大事な話なんでしょ? だったら、ちゃんと聞く」 勇兵が心配そうに舞を見たが、何を言っても舞が折れそうにないことがわかったのか、表情を緩めた。 「きっと……そういうとこだよな」 「何が?」 「俺、話上手くねぇから、ちゃんと伝えられるかわかんねぇけどさ……俺、お前のそういうとこが好きなんだ」 一瞬、彼の言っていることの意を上手く読み取れず、舞は呼吸を止めた。 先程、彼はジョークでもなんでもないとわざわざ付け加えた。……であるならば、これはそのままそういう意味なのだろう。 舞は飲み込めないまま、それでも、頭ではなんとか理解して、視線で次を促した。 「……気が付いたら一緒に遊んでたよな。保育園で、いちばんの近所がお前だったから。ほとんど毎日。馬鹿のひとつ覚えみたいに。いつからかは、もう、全然わかんねーけど……ガキの頃から、たぶん、俺は、お前のことが好きだった」 「…………」 「でもさ、俺は特に何も言わねぇことにしてた。お前が望まない関係なら、俺は何も言わないで、お前が笑ってんのを見守ろうって思ってた」 勇兵は一息つくように視線を落とした。 何も言えずに、その様子を見守る。 「相手が誰だって良かったよ。最初はびびったけど、別に遠野でも、別の奴でも、お前が笑ってるんなら、お前が幸せなら、それがいちばん大事だったから。なのに……」 勇兵の目から涙がこぼれた気がした。 顔を上げると、やっぱり、彼の頬には涙の跡があって、舞はきゅぅと胸を締め付けられるような心地がした。 こんな彼の表情、初めて見た。まるで、別の人みたいだった。 「なんで……」 「勇兵……」 「なんで、お前が泣いてんだよ? 違うだろ。俺、そんなん、全然望んでねぇ。お前に悲しい顔させるために、見守ることを選んだんじゃ、ねぇ」 「…………」 「本当は言いたかった。修学旅行のあの時、”馬鹿言うな。別れるなんてアホか”って、言いたかった……。けど、みんな、全然、そう言う空気じゃなくて……、見守ろうって言うから……。だから、空気読めてねぇの、俺だけかって思って、黙ったんだ」 勇兵が涙を拭って、大きく息を吐き出す。 舞はその様をただ見つめることしか出来ない。 なんて声を掛ければいい? 見返りが欲しくて、この言葉を並べ立てているのではないことがよく分かる。 彼は、付き合って欲しいなんて言葉は一切言わないで、ただ、その恋を手放すためだけに、話しているのだ。そう感じた。 ……これは、彼なりのけじめなのだ。 「幸せになることを望んでたのに、冴えない顔して、お前が歩いてる。俺には、そんなの堪えられねぇんだよ……!」 「……だから、ここずっと、ぶぅたれてたの?」 「そうだよ。……だって、お前程、自己アピールの下手な女が、欲しいって手伸ばした相手だぞ? その気持ちの強さなんて、俺がいちばん分かってる。欲しいなら欲しいで、そのまま持っときゃいいじゃねぇか。周囲なんか気にしなくていいから……!」 勇兵の心からの叫び。 それは憤りにも似た響きを放ちながら、それでも確かに優しかった。 目が熱い。たぶん、自分の目は潤んでいるかもしれない。 この気持ちは何だろう。 恋とは違う……。彼に対する情愛だろうか。 「きっとさ、修ちゃんや渡井にも言われたかもしんねーけど。大事なのは、お前のハートだ」 「…………」 「色々御託並べて、告白も出来ずに、カッコつけて見守るとか言って……前にも進めない……身動きも取れない……、そんなダサい奴に、お前はなるな!」 「ダサくなんてないよ、勇兵?」 「ダサいんだよ! 進もうと思ってた気持ちが、お前の別れ話で、一気にストップかかっちまうくらい。俺は、中途半端で、カッコ悪い……」 勇兵はそこまで言い切り、グッと唇を噛んだ。 舞は言葉を返さなければいけないと思い、口を開きかけたが、その前に、勇兵が続けた。 「……頼むよ。進ませてくれ」 「え……?」 「俺のけじめだけじゃなく。お前も、けじめつけて、進ませてくれ。……一緒に進もう? 俺は、みんなみたく、長い目で見てやれねぇよ。恋愛ごとだから口を出さないほうがいいとか、そんなの、わかんねぇ。だって、ずるずる先延ばしにすればするほど、きっかけなんて無くなるんだ! タイミングなんて無くなるんだよ! そんなの、俺が、いちばんよく分かってる……!!」 彼の叫びは掠れて、切なく響いた。 舞の目から涙が零れ落ちた。 欲しかったのは……こういう言葉だったかもしれない。 待っているとか、気長に、気楽に、とかではなく。否応なく進まなくてはいけないと、背中を押してくれる言葉。 その言葉を、10年来の親友が、言ってくれた。 あんなに邪険に扱ったのに。 決して、自分は良き幼馴染ではなかったのに。 「……なぁ、舞? 答えなんて、もう出てるんだろ?」 「……うん……」 頷いてすぐに鼻をすする。 どうしよう。涙が止まらない。 どう言えばいいのかわからない。 告白だけでも、情報量が多いのに……。何に対して、まず答えを返すべきか分からないじゃないか。バカ勇兵……。 舞はティッシュで鼻をかみ、呼吸を落ち着けてから、真っ直ぐ勇兵を見つめた。 勇兵は言い切ったことで、すっきりしたように笑った。 「結構、言ってみたら簡単に過ぎちまうもんだなぁ」 けろっとそんなことを言う。 「自分の気持ちを伝えたのは、なんつーか、おまけみたいなもんだから。だから、気にしないでくれ。俺が言いたかったのは、どちらかと言えば、後半で……」 「ありがとう」 「え?」 「ずっと見守ってくれて……ありがと。気付いてあげられなくて、ごめんね?」 「…………」 勇兵の顔が赤く染まった。 「バッカ。せっかく、上手く隠し通してるのに、気付かれてたら、それこそだせぇっつーんだよ!」 「ふふ。あ、そっか。確かにそうだ」 「……遠慮すんなよ?」 「え?」 「世の中には、遠慮しなきゃいけなくても、俺は、いくらでも聞いてやるから。だから、今までどおり、遠慮すんな」 「……ん。ありがと」 ようやく、すんなりと笑えた気がした。 彼に対して、きちんと感謝の気持ちを乗せて、笑えた気がした。 舞はほっと胸を撫で下ろして、頬杖をつく。 「アンタも頑張んなさいよ」 「は? 何がだよ」 「……前に進むアテがあるんでしょ? あたしの背中ばっか押してる場合じゃないって言ってんの」 「……ッ……。バッ……」 「まぁあ。鈍感なあたしでも、なんとなく、察しはついてますけどぉ?」 「うっさい、黙れ!」 「アンタってさー、柴犬系が好きなの?」 「それ以上言うな!」 「……そんなんで、一緒に進めるの? アンタって意外と、慕ってる相手のポイント稼ぐの下手そうね」 「ぐぬぬ……。どーせ、嫌いって言われましたよ」 「へ?」 「だっさい俺なんて嫌いって言われました」 勇兵が可愛らしく頬を膨らませてそう言った。 思わず、舞はそれで噴き出す。 「……嫌いって言われるのが嫌で突っ走ったんなら、アンタも相当ぞっこんじゃん。これなら、失恋の傷は心配しなくていい?」 「……失恋は失恋で痛いけど、分かりきってたことだから、今更気にしなくていいよ。1年前に、傷自体は置いてきたつもりよ、俺も」 「…………。そっか」 「うん」 「然らば、同志よ。共に進もうぞ。……そして、数十年後、縁側で、茶でも飲もう」 舞は茶化すように、それでも凛々しくそう言い切った。 すっと右手を差し出す。 勇兵は一瞬意図が分からなかったようだが、すぐにその手を握り返してきた。 大きな手。 子供の頃、舞と同じくらいだった手も、こんなに大きさを変えてしまった。 想いに手を振って、想いを手繰り寄せて、人は、先へ進もうと足掻く。 きっとこれから先も、足掻く日々は続くけれど、同志よ、共に進もうぞ。 いつか、飲み交わす一杯のお茶のために。 |