◆◆ 第13篇 天泣・見つめる先にいる人は ◆◆

Chapter 5.車道 舞



 同性同士の恋愛は、今の日本では、現実的な問題を多く抱えることになる。
 不慮の事故で、彼女が死に瀕しても、その場に立ち会えない。
 法的に家族になれなければ、大事な時に彼女のために印鑑のひとつも捺してやれない。
 だいぶ薄らいできたとはいえ、偏見の多い世の中で、生活するには充分すぎる気配りが必要だろうし、何よりもお金が必要だ。
 若い世代が就労するのに苦労する現代では、男女でそこまでの差はつかないような気もするが、それでも、平均年収を並べてみた時、そこには大きな差が見える。
 ……とはいえ、あくまで、平均の話ではあるけれど。
 と、いう風に、ここ3ヶ月ほど、舞は綺麗に深みにはまっていたのだった。
 自分の感情の整理が上手く出来ないから、逃げるように、現在考えられる要素を調べてはリストにまとめ、どれだけの問題が立ちはだかるのかを考えるといったことを繰り返していた。
 そこまで出来る時点で、お前のやりたいことなんてひとつしかないだろ、と柚子や勇兵だったらさっぱり突っ込めてしまえることなのだが、彼女は自分で絡ませすぎた糸に目隠しされて、そんなことにも気がつけなかった。
 自分の視界がゴチャゴチャしていれば、それはイライラするだろうし、周囲にシンプルな荷物を持った人がいれば羨ましくもなる。
 気が付けばいいのに気が付かない。
 自分自身の中がいちばん混沌としているのだから、この不器用な女の子は、どこまでも苦労が絶えない性質なのだろう。
 そんな彼女に、進路相談の時、助言をくれたのは設楽先生だった。
『なりたいものだけ考えてもね、なれなかった時、息切れしちゃうから。自分がどうしたいのかをまず考えてみたほうがいいと思いますよ。どうしたいっていうのは、どういう人生設計があるかってことね。幸い、車道さんは成績も優秀だし、先生方の評判も良い。選択肢の幅はかなり広いです。……こんなに早く相談に来てくれて嬉しいなぁ。みんな、僕なんて頼ってくれないから』
 自分の周りには、やりたいこと・なりたいものがある人ばかり。
 自分は持っていないものだから、それで悩んでいた部分があった。
 そういう不確かさが、自分自身に自信を持てない理由でもあった気がする。
 だから、相手がどんなに自分のことを好きだと言ってくれても、心のどこかで”本当にそうなのか?”という言葉が浮かんでは消える。
 自分自身に価値を見出していないから、そんな言葉が浮かんでしまうのだ。
 舞にとっての確固としたアイデンティティなんて、”この人の傍にいたい”という想いくらいだった。
 恋愛に依存した想いしか持てないのかと思うと、自分自身が空っぽなような心地がして、鳥肌が立って、眠れぬ夜を過ごしたこともある。
『まだ見つかってないだけなんだから、探せばいいだけだよ。答えが出てないなら、きっとどこかに素敵な宝物が埋まっているかもしれないよ』
 舞が送った手紙に、秋行は優しくそんな返事をくれた。
 文字として書く、というだけのことなのに、どうして、言葉よりも素直に気持ちが伝えられるのだろう。
 修吾たちには言えなかったことも、手紙でだったら、すんなりと書けた。
 持っていないことが駄目なことだなんて、誰が決めたのだろう。
 持っていない分、自分の手は空いているはずだ。
 その空いた手があれば、掴もうと思った時に、掴める何かもあるかもしれない。
 遠回りをしながら、それでも、舞が辿り着いた進路に関する答え。
 やってみなければ分からないのだから、やってみよう。
 やってみて駄目だったら、また考えよう。
 あの人が向いているかもしれないといった、あの職業。
 選択肢に入れて。視野に入れて。
 まずは、自分自身の足で、しっかりと立つための準備をしよう。



『チョコレート、清香ちゃんから』
 柚子が静かな声でそう言って、舞の手に小さな包みを乗せた。
 それはバレンタインの朝のこと。
 受け取った舞は驚きを隠せずに数秒固まった。
 柚子はその様子を見上げ、少しつれなく言った。
『わたしからはないからね』
『えー……』
『情けない人にあげるものなんてないんだから』
 相変わらず、そこ周りだとご立腹なんですね。
 舞はため息を吐いて、渡された包みを見つめた。
 そこまで派手なものではない。シンプルで、洗練された印象。
 ラッピングのセンスまで、舞好みだった。
 それが逆に自分を責め立てているようで、舞は胃が痛むのを感じた。
『昨日』
『ん?』
『修吾くんの家で、春花さんと一緒に作ったんだって』
『…………』
 なんで、修吾の家で?
『渡したい人がいるけど、何も用意してないって話したら、春花さんが作ったほうがいいよって言ってくれたって』
『…………』
『清香ちゃん、今年は本当にそれ以外作ってないみたい』
 その言葉にどう言葉を返せばいいのかわからず、舞は丁寧にバッグに包みをしまった。
 責めている訳でも、急かしている訳でもないのだろう。
 彼女が素直な心で出した答えは、それだったのだ。
 自分が、彼女の誕生日に腕時計を贈ったのと同じ。
 ただ、相手のために、何かしたい。
 きっとその気持ちだけだ。
 それは、この包みのようにシンプルで、明快な答えだった。
 考えれば考えるほど深みにはまる。
 ただ、感じればよいだけの答えが、そこにある。



「随分とすっきりした顔をしていますね」
 久しぶりに部室に顔を出してくれた鳴がそう言って笑った。
 昨日休んでしまった分を取り返そうと、部長席に腰掛けていたが、元部長の来訪に、素早く席を譲った。
 推薦合格も決まり、残りわずかな学生生活を気ままに過ごしている鳴のほうが、よっぽどすっきりした顔をしているけれど、彼女がそう言ってしまう程に、ここ数ヶ月の自分の表情はおかしかったのだろう。
 受験生にさえ気付かれるレベルであれば、相当重症だ。
 譲られた鳴は若干戸惑ったようだったが、何も言わずに腰掛ける。
「やっぱり、鳴先輩が座ってるほうがしっくり来ますね」
「そんなことありませんよ。あなたが部長にピッタリだと思って任せたんですから、そういうことは言わないでください」
「ニノのほうが向いてますよ。アイツ、よく働くし」
「あの子はエースですから」
「先輩、ホント、ニノ贔屓ですよねー」
「……書くために生きてる人は存在するんだなと思わされた1人ですからね」
 鳴の言葉に、舞は表情を硬くした。
 鳴は本気なのか冗談なのかわからない調子で、静かに笑みを浮かべて、眼鏡の位置を直した。
「書くために生まれたのなら、それだけに費やせればどれだけ楽なんでしょうね。とはいえ、苦しみも喜びも知らない人間の書いた作品になど、きっと何の魅力も感じないのでしょうけど」
「鳴先輩はホントに……ニノ贔屓だなぁ……」
 舞はもう一度そう言って、髪の毛をかき上げた。
 行く方向を決めてからの修吾は、確かに人が変わったように書く量が増えた。
 その様子を見ていると、柚子が絵を描いている時の横顔と重なるものがあった。
 ……こんな言葉は好きではないが、きっと、あの2人は導かれて出会ったのだ。それが、創作の神様なのか、恋愛の神様なのかは分からないけれど。
「……彼は、自分自身を削って書くタイプの作家です。車道さん、二ノ宮くんのこと、支えてあげてくださいね」
「……それは、あたしの仕事じゃないような……」
「渡井さん……でしたか? 客観的な意見ですけど、あの人は、そういう面では、きっと彼を支えられませんよ」
 鳴の言葉に、舞はさすがにむっとした。
 けれど、彼女は至って真顔だし、理由も聞かずに怒るのも失礼なので、次を促した。
「なんでですか?」
「あくまで、私の主観ですけど……。スタイルが違うからです」
「スタイル……?」
「先程も言ったとおり、二ノ宮くんは自分を削って書くタイプです。だから、自分の行き先が不明瞭になったり、自分自身が薄ぼんやりしたりしてしまうと、書くこと自体ができなくなってしまう。彼自身もおそらくはそれを自覚していて、そうなる自分と戦いながら書いている」
「…………」
「渡井さんは……天然ですよね。勿論、スランプや描けないことはあるかもしれないけれど、描くこと自体と戦わなければならない状況には、きっとならない人です。彼女にとっては、描くことが当たり前なんでしょうね。よく知りもしないのに言うことではない気もしますけど……。もうすぐ卒業だし、託せるものは託したいと思って」
「そう言われてもなぁ……」
 鳴の言葉に反論が出来なかった。
 今の修吾は柚子と被るほど、鬼気迫るペースで作品を書いているけれど、それがいつ途絶えるかをハラハラしながら見守っている部分も確かにあったからだ。
「いつもどおりでいいんですよ。恋人でなければ、支えられない訳でもないんですから」
「……いつもどおり、ですか」
「この席から」
「え?」
「この席から、あなたたち2人のやり取りを眺めているの、好きでしたよ」
「…………」
「まるで、足りないものを補い合っているかのような……そんな錯覚さえ覚える時もありました」
「先輩……」
「男女の友情って、成立するんだなぁって」
「なんか、そう言われると照れますね」
「……同性の恋愛が成立するなら、それは至極当然のことなのかもしれませんね」
「え……?」
 鳴が静かにそう言って立ち上がった。
 部長時代のように、窓際に立ってグラウンドを見下ろす。
 舞は言われた言葉が、確実に自分を指していると感じて、ドクンドクンとうるさい鼓動を落ち着けようと、静かに息を吸った。
「一度だけ、あなたのことを部室まで迎えに来たことがありました。帰る約束をしている相手は、親しくしている相手だと、あなたは言っていましたから、なんとなく、そうなのかなぁと」
 主語をぼかしているのは何に対する配慮だろうか。
「…………」
「そう思い出したら、やっぱり、目は離せないものなんですよね。受験で忙しかったけれど、2人が一緒にいないこと、気付いてました」
「先輩……」
「最初に彼女を部室で見た時、全然違和感がありませんでした。並べてみたら、綺麗な彩に混ざるんだろうなって、そんなことを感じましたよ」
 鳴が振り返る。優しい目でこちらを見て笑った。
「すっきりした顔をしているってことは、きっと、大丈夫なんですよね? ……なんとなく、このままの状態で卒業するのは、嫌だなって思っていたんです」
「……はい。大丈夫です」
「そうですか」
「はい。結果はどうあれ、あたし自身の答えは、もう出ましたから」
「そう」
「とゆうか、そうしないと、顔向け出来ない相手がいるんです」
「車道さんは、人気者ですからね」
「……そんなことはないですけど……。あたし、自分ではあんまり考えたことなかったけど、彼女がよく言ってた……誰かの望む何かに、自分はなれているのかどうかが不安だって言葉の意味、初めて分かった気がするんです。上手く言葉には出来ないんですけど」
「そう……」
 舞の言葉に、鳴は静かに頷く。
 しばらく、2人とも黙り込む。
 1年の文化祭準備の時は、この人とこんなに仲良くなれるなんて思ってもいなかった。
「私だけの文集」
「 ? 」
「もうそろそろ出来上がりますか?」
「送別用のですよね? はい。あとは、あたしの分だけです。……先輩の大好きな泉鏡花なので、かなりハードルが高くて」
「そう。楽しみにしてます。……思ってたんだけど、あなたも物書きになれば? エッセイなんか向いてそうですよ」
「無理です。あたし、大勢に向かって何か発するとか向いてないんで」
「そう思ってるのは、たぶん、あなただけだけど……」
「あたしが見て欲しいのは、たったひとりなんで。……のほうが、カッコつきますか?」
 舞の答えに、鳴が驚いたように目を見開き、数秒してからおかしそうに笑い出した。
 茶化し半分で言ったつもりだったが、そこまで笑われると照れくさくて、視線を落として前髪を直した。
「私に言ってもしょうがないじゃない」
「……確かに」
「でも」
「はい?」
「1・2年生の女子が、あなたを素敵だと言う理由は分かった気がする」
「…………」
「あの子も、気が気じゃないでしょうね」
「……だといいんですけど」



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