◆◆ 第13篇 天泣・見つめる先にいる人は ◆◆
Chapter 7.塚原 勇兵
「ふーん……じゃ、仲直りしたんだ? 学校じゃ、あんまり変わったように見えなかったけど」 テスト勉強のため、いつものとおり、修吾の家に押しかけて、春花お手製のクッキーを頬張りながら、勇兵は言った。 修吾もさすがにその話題になると、手が止まった。 柚子が少し落ち着こうと、ジュースを飲んでから、話し始める。 「ずっとべったりだったのに、別れ話してからはずっと口を利かない状態になってたし、急にまた前の状態に戻ると、変なこと言う人も出てくるだろうからって、舞ちゃんが」 「ふーん……そこまで気にしなくていいのに」 「……大事なことなんだって。2人が一緒にいるために」 「そんなもんかね……」 「……まぁ、さっちゃんのお母さんなんか、典型的な教育ママって感じがするし、しょうがないんじゃないかな。さっちゃんも結構しっかり線引きするタイプだけど、あのお母さんはその意識が相当高いよ。子どもの頃から、少し厳しいところあったから」 「……そうなんか。あれ? でも、春花さん、遠野ママと仲いいんだよな?」 「ああ……母さんは、誰にでもすぐ懐くところあるから。それと、大学の頃は東京にいたって話だから、そこで少しは話が合うところもあったんじゃないかな。さっちゃんのお母さん、東京生まれの東京育ちらしいから」 「へぇ……」 修吾の言葉に、柚子と勇兵は感心するように小さく頷いた。 中学から一緒程度では、親のことまでは正直よく分からない。 修吾の話で、初めて清香の母親のことを知った気がする。 「前途多難なんだなぁ……」 「……むしろ、僕からしたら、そういうことを全然頭に入れないで、応援するって言えちゃうキミたちが相当羨ましいよ」 「んー。だって、恋愛なんて当人同士の問題じゃん。渡井もそう思うだろ?」 「うん。だから、周りの人のことなんか、正直どうでもいいっていうか……」 元々、色々どうでもいい人にそう言われると、なかなか破壊力のある言葉だなと思わず感心してしまった。 以前よりはマシになった気はするけれど、柚子にとって、大切な人以外は、やっぱり”どうでもいい”なのだ。 「僕たち世代はそういう考え方の人も多いけどね、僕たちの親世代は、まだまだそうじゃないから。結婚は家同士の問題」 「恋愛イコール結婚にはならなくね? 俺ら、まだ高校生じゃん」 「…………。さっちゃんのお母さんみたいな人は、そういうところも気にするってことだよ。あの2人は、同棲は出来ても、結婚は出来ないわけだし、戸籍上独身で過ごすんだよ?」 勇兵の言葉に、修吾は若干照れくさそうに目を細めてから、そう言い切った。 ああ、この人は、もう結婚まで考えてしまっているタイプの人なのか。 そこまで考えられるというのも凄い。笑う以前に、感心してしまった。 「……わたしたちが死ぬまでの間に制度が変わるかもしれないじゃない。それに、そんな枠組みなんか気にしてたら、一生、何も出来ない気がする。修吾くんが、2人のことを心配しているのは分かったけど、そういう難しい話は、別に良いんじゃないかな? 2人がぶつかった時に考えれば」 「……ごめん。僕はみんなみたいに、まだシンプルに考えられないんだ。……シャドーが、ちゃんと自分の答えを出せたこと。さっちゃんがそれにきちんと応えられたこと。それは、よかったと思ってるよ」 修吾は静かにそう言うと、小さくため息を吐いた。 柚子がその様子を横目で見つつ、ニッコリ笑って、勇兵のほうを向いた。 「ありがとうね、塚原くん」 「へ? 何が?」 「塚原くんが、舞ちゃんの背中押してくれたって聞いたよ。わたしや修吾くんは見守ることしか出来なかったから。本当にありがとう」 「ああ……。別に感謝されるようなこと、俺はひとつもしてねぇよ。自分なりに、ケジメつけただけだし」 「ケジメ?」 「……ずっと好きだったって言っただけ。俺、自分の気持ちをすっきりさせるために言っただけなんだよ。だから、感謝されるようなこと、してないんだ」 朗らかに言い切って、頭を掻いてみせると、柚子と修吾が顔を見合わせた。 修吾が気遣うように言葉を掛けようと口を開きかけたが、勇兵はそれを察して、教科書を開いた。 「修ちゃん、このへんからひととおり教えてくんない?」 触って欲しくないことが分かったのか、修吾は何も言わず、勇兵の教科書を受け取った。 「ユズさん。詰まったらまた声掛けて。しばらく、勇兵の勉強見るから」 「うん、わかった。……塚原くん、ひとつだけ、いいかな?」 「ん?」 「舞ちゃん、すごく、感謝してたよ。……それだけは、きちんと知ってて欲しい」 「ん……大丈夫。わかってる」 勇兵は柚子の言葉にしっかりと頷いて、いつも通り、気さくな笑顔を返した。 見透かされているだろうか? 舞の前では上手く笑えたのに、この2人の前では、上手く笑えている気がしない。 「……なんでも付き合ってあげますとは言いましたけど、普通、テスト前の日曜日に、わざわざ誘いますか?」 日和子が呆れた口調で、何度目かのその言葉を口にした。 車窓から山ばかりの風景を見つめて、勇兵はその言葉をスルーする。 車内はそれなりに賑やかだし、聞こえないふりに該当するだろうか。 日和子もいい加減諦めたのか、バッグから単語帳を取り出した。 「酔わないの? この電車、結構揺れるじゃん」 「……毎日、電車通学ですよ? いい加減慣れました」 「そっか」 勇兵の返事が聞こえたのかどうかわからないが、日和子は眠たそうに欠伸を噛み殺して、単語帳に視線を落とす。 勇兵は日和子の私服をチラチラと盗み見しつつ、心の中で唸り声を上げた。 コート自体は、普段着てきているものと変わらなかったので、合流した時には何も言わなかったのだが、いざ、電車に乗ってコートを脱いだら、随分可愛らしい服装をしてきていた。 フリルリボンのついたセーターに、シンプルなサロペット。寒さ避けなのか、ドット柄のタイツまで完全装備。 意外と、可愛いもの趣味なんだな、と心の中では思っても、周囲に人がいるので、なかなか口に出せない。 この子といると、普段当たり前のように出来ていることが、上手く出来ない。 「……日和子って、結構、可愛いの好きなの?」 しばらく、窓の外を見つめていたが、いつまでも心で持ったままモヤモヤしているのも嫌で、ようやく、口に出した。 服のことなんて褒めないほうが男らしいのか? でも、せっかく、可愛いの着てきてるんだし、触れないのも失礼じゃないか? そんな葛藤をしながら、日和子の言葉を待つ。 日和子は単語帳から視線を上げて、こちらを真っ直ぐ見上げてきた。 小柄なのもあって、ボックス型の座席(特に背もたれ)が大きく見える。 ちょこんと座ってる感が、物凄く可愛らしく思える。 ああ、ちょっと、俺、今日やばいかも。 そんな言葉が勇兵の心の中を過ぎった。 自分の中にあった気持ちを全部出し切ったから良かったのか、自分のベクトルが、すんなりと彼女に向いていることが実感できた。 「子ども趣味だって言いたいんでしょ? どーせ、車道先輩や遠野先輩みたいに、大人らしい服装なんて出来ませんよ。見たことないけど」 「……そういうつもりで言ったんじゃないんだけどな……」 「一応、デートのお誘いだったので、お気に入りを着てきただけです」 ”お気に入り”。 その言葉に背中を押された気がして、勇兵はいつも通りに笑った。 「な、なんですか?」 「え? や、お気に入りだけに、似合ってるって思っただけ」 勇兵がいつもの調子でそう言うので、日和子は意図を図りかねるように少しの間視線を泳がせた。 単語帳でパタパタと自分の顔を扇ぎ、ため息を吐く日和子。 褒めたのにため息……?! 勇兵は心の中でショックを受けつつ、顔には出さずに、彼女を見守る。 「お母さんが買ってきた服ばっかり着てる、とか思われるの嫌だったから、おめかししてきただけですからね」 「……え、あ、うん。サンキュ」 「え?」 「俺なんかとの外出に、わざわざめかしこんでくれて」 「…………。鈍感」 「ん?」 「なんでもないです」 日和子は何かがお気に召さなかったらしく、そこまで話すと、また単語帳を開いて黙り込んでしまった。 会話が上手く続かない。 こんなことなら、非常に邪魔だけれど、真央でも誘うべきだったろうか。 そうすれば、日和子の相手には事欠かなかったろうし、ショッピングだって、何かしらアドバイスをしてやれたかもしれない。 とはいえ、何を言っても今更か。 「……仙台まで、まだまだですよ。勇兵さん、暇潰しの道具とか持って来てないんですか?」 「うん。ない」 「え? しょ、小説とか漫画とかひとつも?」 「日和子と喋ってればいいかと思って」 「…………。テスト前って自覚、あります?」 「その分、昨日までちゃんと勉強したんだって」 「そうですか」 「あ、そうだ。日和子、誕生日プレゼントも、この機会に買ってやるからさ、何にするか考えとけよ?」 「もう過ぎたんでいいですよ」 「そういう訳にはいかんだろ」 「今日は、勇兵さんをなぐさめるためのデートでしょ? 私のことはいいですって」 ああ、一応、そういうことになってるんだった。 「……電車じゃなくてバスにすればよかったかなぁ」 「? なんですか、急に」 「いや、確か、そっちのほうが短い時間で着くんだったなぁって思ってさ」 「でも、手軽な分、顔見知り遭遇率も高いらしいですよ」 「そうなの?」 「はい。いいんじゃないですか? 勇兵さんと電車に乗るなんて滅多にない機会だから、新鮮ですよ、私は」 「…………。日和子がそう言うなら、いいか……」 日和子の言葉に、勇兵は顎を撫でながら、満足げに頷いた。 部活ばかりで、遊ぶといえば地元ばかりだったから、遠出はあまり慣れていない。 選択ミスだったかなぁと少しばかり反省していたのだが、彼女がそう言うなら構わないか。 「ああ、よかった! 清香、こっちの車両はまだボックス席空いてるよ!」 急に車両を連結している部分の扉が開いて、そんな声が聞こえてきた。 聞き覚えのある声に、勇兵は瞬時に固まった。 「……別に、ボックスじゃなくても構わないって言ってるのに。私の言うこと、本当に聞かないんだから……」 「だって、窓の外見たいんだもん」 近づいてくる2人の声。 勇兵は隠れるところもないのに、大きい体を縮こまらせる。 その様子を日和子が不思議そうに見つめていた。 ああ、まだ、日和子はこの声が誰のものかまでは分かっていないようだ。 「……くーちゃん、私といると退屈なの?」 「いやいや、そういうのではなくてさぁ……ん?」 舞と視線が合う。 あー……もう、完全に俺の選択ミスだよ。最悪! 心の中で呟き、しょうがないので、いつも通りに笑った。 「何やってんだよ、シャドー」 「ツカ……。あれ? あんたが遠出とか珍し……あ……日和子、おはよ」 「おはようございます」 日和子もいつも通り律儀に会釈をして、単語帳にすぐ視線を戻した。 勇兵は手で小さくどっか行けと身振りをして、背もたれに寄りかかった。 舞もそれ以上は何も言わず、清香の手を引いて、奥のほうへ歩いて行った。 チラリと見ると、少し距離のある席に腰を落ち着けたのが確認できた。これなら、会話までは聞こえないか。 「バスにすればよかったですね」 「ん?」 「大丈夫ですか?」 こちらを気遣うような声。 日和子はすっと視線を上げて、真っ直ぐ勇兵を見上げてくる。 自分の胸の中にあったわだかまりみたいなものは、あの日、舞に対してすべてぶつけたことで、吐き出せたと思っていたけれど、その言葉に、勇兵は目頭が熱くなって、顔を押さえた。 ホント、この子は一体何なんだろう。 柚子や修吾に気遣われた時には、堪えられたものだったのに、不意を突かれるから、虚勢を張る暇もない。 「……大丈夫だよ」 「そうですか」 「……日和子は、いつも反則だよな……」 「え……?」 「なんでもない」 勇兵は目元の涙を拭い、頬杖を突いて窓の外を見つめる。 ベクトルは真っ直ぐ君に。 今、そんなことを言っても、なかなか素直には受け止めて貰えないかも知れないけど。 出来ることなら、言えたらいい。 心の底からそう思う。 |