◆◆ 第13篇 天泣・見つめる先にいる人は ◆◆
Chapter 8.遠野 清香
清香は電車の心地よい振動にうとうとしていたが、夢から覚めて静かに顔を上げた。 窓の外を見ているとばかり思っていた彼女が、とても優しい眼差しでこちらを見ていた。 清香が声を掛けるよりも先に、彼女は視線を逸らし、肘掛けに頬杖をついて、窓の外を見始める。 あまりに優しい眼差しだったので照れが出て、触れていいのか分からず、清香は数秒考え込んだ。 「……退屈?」 清香はぼんやりした声で、彼女に問いかける。 彼女は視線をこちらに向けると、少しクールな表情から笑顔になって、首を横に振った。 「気にしないで寝てていいよ。着いたら起こすから」 「ん……今、どのへん?」 「……さぁ?」 「さぁ? って……」 「あたしもぼーっとしてたから」 その言葉で、彼女の先程の眼差しが思い出されて、清香は顔がかぁっと熱くなった。 自分が気が付かなかっただけで、彼女はいつもあんなに優しい眼差しで、自分を見ていたのだろうか。 今更照れるようなことでもないのかもしれないけれど、見つけてしまうと、気になってしまうものだ。 そりゃ、あんな眼差しをしている彼女を見掛ければ、応援したくもなるだろう。柚子の気持ちが、はじめてわかった気がした。 「もう……頼りになるんだかならないんだか」 「ごめん。でも、仙台に着いたらちゃんと起こすから。心配しないで寝てな?」 「ううん。目が覚めたから起きとく」 「そう?」 「うん。そういえば、勇くんもデートなのかな?」 「なんじゃないの? 何? からかいにでも行ってくる?」 彼女がいつもの少しおどけた表情でそう言った。 ああ、いつもの舞に戻った。茶化し言葉はだいぶ微妙だったが、そんな気がして、自分がほっとするのを感じた。 「心にもないこと言わなくていいから」 「…………。清香はからかい甲斐がなくなったなぁ」 「単純に、上手く行くか心配だって、なんで素直に言えないのかなぁ」 たしなめるように言うと、舞は見透かされたのが照れくさかったのか、唇を尖らせて視線を逸らした。 「別に心配なんかしてないよ。ただ、大事なところで決められない三枚目なの、よく知ってるから気になっただけで」 「……まぁ、確かにそうかもねぇ。人柄が優しすぎるのもあるけど、運にも恵まれないところがある人だし」 中学の時の演劇だって、自分が何もしなければ、きっと勇兵と舞が王子と姫をやっていたろう。仮にそのまま時が動いたとしたら、果たして、今が同じようにあるかどうかは分からない。 「運……それだわ。アイツ、本当に運がないのよ。中学のバレーボールの大会だって、ことごとく初戦で強いところとぶつかってたし。大事なところで怪我とか、体調崩すとか……」 「要領よくこなしてるように見えるから気が付かなかっただけで、確かにそうかもー。そう思うと不憫になってきた」 「怪我の原因、あたしだった時もあったから笑えないけどね」 「まぁそれは……」 「過ぎたことだから気にはしてないけどさ」 舞は思い出したことを吹き飛ばすようにそう言って笑った。 「たまたま乗り合わせただけだし、余計なことはしないようにしようね」 「最初からそのつもり」 清香の忠告に、舞はわかってますと言わんばかりにため息を吐いて、そう言い切った。 さて、そのつもりだったのだが、いざ仙台に着いてみたら、行きたいと思ったお店にことごとく2人がいて、3回目までは何ともないように挨拶していた勇兵も、4回目になると少し表情が変になった。 とはいえ、しょうがないことだとも思うのだ。 仙台に出てくるのなんて、舞と清香だって、半年に1回あればいいほうなのだし、駅前にお店が集まっているから、街に不慣れな人間は、基本的に見て回るところが同じになる。 にしても、ここまで、時間帯が被ると、それは奇跡としか言いようがない。 「清香と日和子、趣味、似てるんじゃないの?」 舞もさすがに4回目のご対面で、くだけた口調でそう付け足すことしか出来なかったようだ。 実際、被ったお店はどれも、清香が欲しいものがあって寄ったお店だったので、あながち間違いではないだろう。 「も、もう、この際だから、一緒に回るか?」 勇兵が失笑混じりにそう言った。 その言葉に、日和子が不安そうに勇兵を見上げる。 「あ、や……ほら、女の子の服見ても、俺可愛いしか言えねぇから……だったら、この2人に相談したほうがって思っただけなんだけど」 「勇兵さんが良いなら、私はどっちでもいいです」 日和子がつれない口調で言って、見ていたカーディガンを、少し雑な手つきで棚に戻した。 「こーらこら、日和子、あたしらオッケーなんてひとっつも言ってないんだけど」 日和子の返事に対して、舞が普通に怒った様子でそう言った。 普段、怒っていてもそこまで分かりやすく表に出すタイプでもないので、清香だけでなく、勇兵まで驚いたように目をパチクリさせた。 「……勇兵も、そうやって茶を濁すのやめなよね。清香、欲しい物決まってるならさっさと買って出るよ。あたし、本屋さん行きたい」 「え、あ、うん。で、でも、色で迷ってて」 「どっちも可愛いよ。あたしは青が好きだけど、清香ならピンクでしょ? あたしの好み、いちいち気にしなくていいから」 穏やかな調子でそう言って、お店を出ていく舞。 投げやりな言い方でもなかったので、言葉の通りと受け止めて、清香はピンク系統のスカートを手に取った。 「ごめんね、お邪魔しちゃって。次からはくーちゃんの好きなところ回るから、きっと被らないよ。それじゃね」 お会計を済ませてお店を出ると、舞は壁にもたれかかって天井を見上げていた。 清香が近づくと、すぐに優しい笑顔で迎えてくれた。 「お待たせ」 「買えた?」 「うん」 「じゃ、ご飯にしようか」 「え?」 「混む時間も過ぎたろうし。なんか疲れちゃった」 「そうだね。私もお腹空いた」 「だよね」 清香の言葉に頷き、舞はゆっくりと歩きだした。 清香がすぐ隣に並ぶと、呆れたように息を吐き出した。 「どうかした?」 「見ててまだるっこしい」 「え?」 「ニノと柚子だけでいいよ、ピュアで奥手なのは」 「あ、あの2人?」 「ええ。なんであのタイミングで4人で回ろうとか言えちゃうのやら。勇兵は柚子か」 「ふっ……」 予想していなかった表現に、清香は肩を震わせて笑った。 「”みんなで回ったほうがきっと楽しいよ! そうしようよ!!”、”わ、渡井が良いなら、そうしよっか”」 舞が2人の口調を真似るようにそう言った。 それがあまりに似ていたので、清香は吹き出した。 「あははは! 確かにさっきの2人、そんな感じだったかも」 「救いなのは、日和子がいじけモード発動してたことだけどね」 「え?」 「明らかに不機嫌だったでしょ。ニノだったらからかいながら断るところだけど、あのくらいでちょうど良さそうだったから」 「くーちゃん、よく見てるねぇ……」 「というか、勇兵がテンパりすぎで何も見えてなさ過ぎなのよ。あたし、明らかに敵意向けられてたんだけど」 「ま、まぁまぁ。あんまり気にしないで」 「勇兵には恩もあるし、悪役買って出てもいいんだけどさー。それで成立したところで、なんか据わりが悪いから、やりたくないしなぁ」 舞はため息を吐くと、考えていたことを吹き飛ばすように首を振った。 「今日はデートなんだから、こういうのはなし」 そう言って、清香のほうに手を差し出してくる。 「なに?」 「荷物、半分持つよ」 「いいよ、重くないし」 「じゃなくて、片手空けて欲しいんだけど」 舞は照れながらそう言って、素早く右手の荷物を奪い取った。 代わりに彼女の左手が滑り込んでくる。 「あー、清香の手あったかーい」 あくまでじゃれるようにそう言って、清香の手を引っ張った。 地元では極力繋がないようにしているので、その手は明らかにぎこちない。 恋人つなぎにもならない、ただのじゃれるような手繋ぎ。 けれど、それだけで恥ずかしくなってくる。 ピュアで奥手。 自分たちだってそれほど偉そうに言えることじゃないよね。 清香は口には出さずに、心の中でそっと呟いた。 「いいなぁ……わたしも行きたかったなぁ。画材も新調したいし」 テスト勉強をしながら、柚子が羨ましそうにそう言った。 隣で話を聞いていた修吾が困ったように笑う。 「テストが終わったら、2人で行く?」 「うーん……そうじゃなくて、みんなで行きたかったぁ」 「あ、そう」 柚子の発言にショックを受けたように、修吾はすぐに静かになってしまった。 その様子を見て、柚子が慌てて付け足す。 「さ、最近、みんな勢揃いで遊ぶことがなかったからさぁ! 別に、修吾くんとデートしたくないって意味じゃないよぉ」 フォローの言葉に、修吾は大人っぽく頷いて、 「分かってます分かってます」 と答えたけれど、明らかに拗ねているのが分かって、清香はおかしくて吹き出してしまった。 「春休みにでもみんなで行こうか?」 清香は2人のご機嫌を取るように、提案してみせた。 柚子がその言葉に嬉しそうに反応する。 舞のお財布の中身に自信がないけれど、まぁどうにかなるだろう。 「お前ら、今日も楽しそうだなぁ」 そう言いながら、ノックもなく、お盆片手に賢吾が入ってきた。 「兄貴、ノックくらいしろよ」 「聞かれて困る話なら家でするな。日曜なら乗せてってやってもいいぞ」 賢吾はさらっとそう言って、オレンジジュースの入ったコップをテーブルの上に3つ置いた。そのまま、空になった湯呑みを回収し、得意顔で笑う。 「一応、あれ、8人乗りだからな。ギュウギュウにはなりそうだが」 「わぁ! お兄さんいいんですか?!」 「ちびっ子は今日も可愛いなぁ。別にいいぜ? おれも、買いたいものあるし、ついでだ」 賢吾の言葉に、柚子がきらきらした表情で笑う。 変わり者……基い、芸術家同士気が合うのか、この2人はそれなりに仲が良かった。 「あ、清香、英語のこの問題なんだけど、解説の意味がよくわかんねーんだ。教えてくんねーか?」 「また、さっちゃんに甘えて……」 「いいだろ。お前、数学の説明は分かりやすいけど、英語の説明、意味わかんねーんだもんよ」 「…………」 賢吾に言われて、修吾が黙り込む。 柚子が気遣うように、教科書を差し出して、分からないところを尋ねるのが見えた。 分かりづらいのではなく、賢吾と修吾の考え方がマッチしていないだけのことだと思う。 「どの問題ですか?」 「この訳文問題なんだけどよ」 清香が立ち上がると、賢吾はお盆を床に置いて、脇に挟んでいた参考書を開いた。 |