◆◆ 第13篇 天泣・見つめる先にいる人は ◆◆

Chapter 9.丹羽 日和子



 単語帳に目を通していても、全く頭に入ってこない。
 1学年最後の期末テストだというのに、散々な結果だったら勇兵のせいだ。
 そんなことを考えながら、日和子はページをめくった。
 テストなど、日々の積み重ねなのだから、直前の頑張りでなんとかしようとするのがまず間違いだと言われてしまえば、それまでだけれど、今日だけでなく、ここ最近は、この人のせいで心が波立って、家での学習時間はほとんどないに等しかった。(元々少ないのだが)
 自習している日和子を気遣ってか、勇兵は特に話しかけてこず、ただ、窓の外を見つめている。
 勉強に集中も出来ない。勇兵とも話さない。これでは何をしにきたのか、さっぱりわからない。
 日和子は諦めて単語帳を閉じた。
 残りは明日の朝早く起きてやればいい。
 今日はもうデートのことにだけ集中しよう。
「ん? 休憩?」
 勇兵が無邪気な表情でそう言って、こちらを向いた。
 本当に、いちいちキラキラオーラを漂わせる人だ。
 こんな目で話をされては、彼に好意を持っている女子の半数が勘違いさせられそうになっても仕方ないと思う。
 とはいえ、自分もその中の1人に名乗りを挙げざるを得ない現実が悲しい。
「集中できません」
「ありゃ……。んじゃぁ、だべるか」
 日和子の返しに、勇兵はすぐにそう言って笑った。
 嬉しそうにしちゃって。
 自分と話したって、そんなに楽しいはずないのに。
「勇兵さん」
「ん?」
「着いたら、どこに行く予定なんですか?」
「あー、俺、仙台はあんまり詳しくないんだよね。でも、日和子の誕生日プレゼントも買いたいし、最初は、お前の好きなものがある店かなぁ」
「要らないって言ったじゃないですか……」
「いいの! 俺が祝いたいだけなんだから、大人しくもらってくれりゃ、それで」
 勇兵の眼差しはまっすぐこっちを向いていた。
 こういう目をしている時、何を言っても聞いてくれないことは分かっている。
「分かりました。その代わり、高くついても知りませんからね」
「ん? そんなに値が張る物なの? ……や。お年玉下ろしてきたし、平気だよ」
 一瞬情けない顔になったが、素早く切り替えて、頼もしい声でそう言う勇兵。
 おかしくて、日和子は悟られないように、笑いを咬み殺した。
 そこまで真に受けるとは思わなかった。
 そんなに値が張る物を他人に買ってもらうはずがないのに。ましてや、好きな人にねだるなど、出来るはずもない。



 駅を出ると、駅前には大きなテレビモニター。
 今週のオリコンTOP10か何かが流れていて、勇兵はそれを見上げて、映し出される曲名に合わせて鼻歌を変える。
 駅前の歩道橋の上には、地元とは比べるまでもない人の波。
 中学の修学旅行で行った東京に比べれば、多くないとは言え、それでも、人を避けて歩かなければならない状況には、不慣れなのもあり、緊張する。
「フットワークフットワーク」
 勇兵が隣で嬉しそうに言って、軽い足取りで人をかわして歩いていく。
「…………。なんでもバレーに繋げるんだから」
 人の波を大仰にかわす長身の男に、すれ違った人たちが不思議そうに視線を寄越しているのを感じながら、日和子はスタスタと足早に勇兵を追いかける。
「日和子、右と左どっちに行く?」
 分かれ道にさしかかって、勇兵がくるりと振り向いてそう言った。
 突然止まるので、日和子は止まりきれずに勇兵の胸に頭をぶつけた。
「あ、ごめん」
「い、いえ。すみません」
 慌てて身を引いて、前髪を直すふりと一緒に照れを隠す。
「ゆ、勇兵さんは、何か欲しい物ないんですか?」
「ん? 俺は買うものは決まってるからあとでいいよ。サポーターとテーピングと、買わないけど、シューズも見たいんだよね。大会前までに1足は潰れそうだからさ。現物見て、地元で取り寄せようかなって」
 勇兵の言葉に、日和子はおかしくなって笑いをこぼした。
「どした?」
「勇兵さんの頭の中には、本当にバレーのことしかないんだなぁって思って。テストでも赤点を取らないのは部活のためって、前に言ってたし」
「そりゃ、まぁ、本気でやるって決めたしね。みんなで楽しくやれればいいって思ってたけど、俺の甘さで先輩とはぎくしゃくしちまったし、だったら、俺のやりたいようにやって、それでぶつかるほうがまだいいやって、なんとなく思ったんだ」
「今もぎくしゃくしてますけどね」
「う。……それを言われると胸が痛ぇけど、監督にも言われたからいいんだ。単なる部活動としてやってる奴らが多い中で、それを言い出すからには、引退まで悪役のつもりでいろってさ」
 勇兵は真面目な顔でそう言い切ると、視線だけで、右か左か問いかけてくる。
 日和子はそれに対して、歩みを進めることで答えた。
 スポーツ用品店は最後と言っていたので、右側の服飾店が中心に入っているビルのほうがよいと思ったからだった。
「悪役とか似合いませんね」
「ん?」
「勇兵さんは悪役ってキャラじゃないですよ。ミャオ先輩もそうだけど」
「そう言われてもなぁ」
「みんながやだって言ったら、絶対悲しそうな顔するんですよ。それで、しょうがなくみんな付き合い始めて、その後はやる気とリーダーシップで、周囲を本気にさせるタイプです。悪役には向きませんよ」
「……それは日和子から見た、俺とタッチー像?」
「はい」
「じゃ、日和子もしょうがなく俺たちに付き合ってるのか?」
 日和子の返答に、勇兵がそう尋ねてきた。
 黙ったまま歩を進める日和子。
 勇兵はわざとゆっくり歩いているのか、日和子の後ろにぴったりとくっついてくる。
 ビルに入り、暖房と人いきれが入り交じった、息苦しい暑さを感じて、日和子はマフラーを外した。
 そっと目を細め、日和子は店先に並んでいる服に視線をやる。
 しょうがなく?
 そうではない。
 バレーボールを続けると決意したあの時から、妥協しないと決めただけだ。
 新しい目標が出来るのならそれに越したことはない。
 自分は恵まれているのだ。
 やりたいことを諦めずにやれている。その一点において。
「私の姿勢が、勇兵さんにはしょうがなくやっているように見えるのであれば、そうなのかもしれませんね」
 少し意地の悪い回答だったかな。
 けれど、勇兵はその答えに対し、日和子の腕を引っ張って振り向かせた。
 突然のことに驚く日和子。
「どこをどう見りゃ、そう見えるっつーんだ。んな訳ゃねーだろ」
「…………」
 勇兵の強い口調に、日和子はぽかんとした表情で見上げる。
 それを見て、勇兵も突飛な行動をしてしまったと感じたのか、慌てて手を離した。
「あ、わり」
「いえ……」
 勇兵は口元を手で押さえ、日和子を見据えて静かに言った。
「いつも、どっか諦めたような言い方すっから、ついさ」
「諦めたような……?」
「言葉には出してないけど、”どうせ”って言葉が、聞こえてくるような気がするんだよ。慎重なだけなのは分かってるけど、そう言われると、そうじゃねぇよって言ってやりたくなるじゃん」
「……大丈夫ですよ」
「え?」
「諦めるのはやめたんです。勇兵さんが、バレーボール部に誘ってくれたあの時から」
 ”どうせ”は、昔の自分の口癖だ。
 駄目だった時の予防線。
 しょうがないと言えてしまえば、気が楽だから。
 誰よりも、悔しがる自分の気持ちを押さえつけるのに、便利な言葉だった。
 後輩にレギュラーを取られても、試合の途中で引っ込められても、必死に自分を守ってきた言葉。
 傷を負わない代償として、自分のやる気を自分で奪っていた。
 日和子の言葉に、勇兵が嬉しそうに笑った。
 きっと、自分はそれなりに良い表情をしていたのだろう。
 彼の表情でそれが分かった。
「言い方が冷めているのは性格なので、直せません。私が勇兵さんたちみたいな前向き台詞を言えるキャラを保とうとしたら、1日で熱出しちゃいますよ」
「それ、誉めてるの?」
「いえ、単純に思ったことを言っただけです」
「ああ、そう」
 勇兵は失笑混じりに笑い、ポンポンと肩を叩いてきた。
「なんですか?」
「タッチーは、日和子を次のキャプテンにしたいみたいだから、少しは前向き台詞も言えるようにしとけよ」
「え?」
 意外な言葉に、日和子はきょとんと目を丸くした。
 勇兵は当然のように笑った。
「誰よりも真面目にやってるし、練習量だって1年の中では1番多い。当然だろ?」
「で、でも、私……」
「本番になると駄目になる……か?」
「…………」
「タッチーにいつまでセッターやらせる気?」
「……それは……」
「タッチーはお前を待ってる。それは分かってんだろ?」
「はい……」
「次の練習試合」
「え?」
「実力でスタメン取れ。今女バレに欲しいのはタッチーの得点力と、それを活かせるセッターだ」
 勇兵は陽気な口調で、日和子を鼓舞するように言ってのけた。
 こういうことを簡単に言えてしまう人だから、自分はそういうキャラは無理だと言ったのだ。
「諦めるの、やめたんだろ?」
「う」
「空いた枠をそのままもらうのもいいけどさ、一緒にバレーやれるの、もう1年もないんだぜ? 応援したいなぁ、日和子が出てるバレーの試合。1つでも多くさ」
 バレーの話で、まさかこんなことまで言われるとは思ってもみなかった。
「……あ、このお店、見て良いですか?」
「ん? ああ、いいよ」
 照れくさくて、そう言ってはぐらかすので精一杯だった。
 分かっていたことのはずなのに、実際言われてみると大きく感じる。
 勇兵と自分は、一緒に卒業することは出来ないのだ。
 留年でもしない限り、この人は自分より先に卒業してしまう。
 当たり前のことだけれど、いつの間にか、そのことを忘れている自分がいた。
「ファンシーだなぁ」
 入ったお店の服を見て、勇兵が楽しそうに呟いたのが聞こえた。



「このシューズ、かっこよくね?」
 日和子の買い物が終わって、遅い昼食を済ませた後、ようやく勇兵の目的だったスポーツショップに入った。
 勇兵は楽しそうに赤のラインが入ったシューズを指差し、こちらに向かって笑った。
 スポーツショップでこんなに楽しそうにしている人を、初めて見た気がする。
 プロテインを見て、この銘柄はどうこうと勝手に話し始めた時には、さすがの日和子も苦笑が漏れた。
 地元のスポーツショップで、試供品をたくさんもらって試したのだそうだが、店頭でこれはいいあれはダメなんて話を大きな声でされると、さすがに気まずい。
「いつも履いてるモデルじゃなくていいんですか?」
「ん。そうなのよ。とりあえず、試し履きだけさせてもらおうかな。サイズあるといいんだけど。すみませ〜ん!」
 勇兵の声は、広い店内でも全く問題なく、綺麗に飛んだ。
 女性の店員が素速く歩いてきて、笑顔で勇兵を見上げる。
「試し履きされますか?」
「あ、はい。えっと、9か9.5だと思うんですけど、ありますか?」
「はい。ございますよ。シューズはこちらでよろしいですか?」
「はい。それと、あの旧型の青のラインの入ったのも試したいんですけど」
「承知いたしました。少々お待ちください」
 軽く頭を下げると、足早にバックヤードへ入っていく。
「日和子もどれか試してみれば?」
「あ、いえ。買わないのに試着とか、苦手なので」
「……そういえば、回った店でもそんな感じだったよな。買うって決めたものしか試着しない」
「1回着ちゃうと、情が移っちゃいますから」
「そんなもんかなぁ」
「だって、あんなに可愛い子たちがいっぱいいるんですよ?! 移っちゃいますよ」
 日和子の熱弁に、勇兵がきょとんと目を丸くする。
 ぶふっと噴き出す声。
 日和子は熱をこめて喋った自分のことが恥ずかしくなって、ふいっと視線を逸らした。
「可愛い子かぁ……。確かに、ファンシーだったけど。日和子って、今日は可愛い服着てるけど、いつもはもっとシンプルなデザインの服着てるよな? なんで?」
「可愛い可愛いって小学生に言うみたいに言われるのが嫌だからです」
「可愛いもん着てりゃ、そりゃ言われるだろ。好きなんだったら、誉められて嬉しいもんじゃないの?」
「誉められるのは嬉しいですけど、そうではなくて……」
 子供っぽく見られるのが嫌だと言っているのに。
「よくわかんねーなー。似合ってんだからいいじゃん。他にも持ってるなら、また着てきてよ」
 また、そんなことを無邪気に言うのだから。
「……調子に乗りますよ?」
「ん?」
「そうやって、心にもないことばかり言ってると」
 日和子の言葉に、勇兵が変な顔になった。
 先程の店員が、箱を抱えて戻ってきたのが見えて、日和子は勇兵から少し離れた。
 けれど、勇兵はそんなことは気にせずに、日和子の前に立った。
 膝を折って、こちらを覗き込んでくる。
「な、なんですか?」
「俺、心にもないこと言ったことなんて、1度もないけど」
 真面目な表情。若干怒っているようにも見えた。
「舞もそうだった。俺が言うと、そういう反応する」
「だって……」
「可愛いと思ったから可愛いって言ったし、また出かけたいから他の服も見たいって言っただけだけど。俺のは全部、本音じゃなくて、建前だと思ってるの?」
「そういう訳では……」
 バッグから小さなピンク色の包みを取り出す勇兵。
 日和子の手に、その包みを乗せる。
「結局ねだってくんなかったから、見繕って買っといた」
「え、でも……」
「迷惑なら捨てて」
 勇兵はそう言うと、戻ってきた店員に笑いかけながら、日和子から離れていった。



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