◆◆ 第13篇 天泣・見つめる先にいる人は ◆◆

Chapter 10.丹羽 日和子



 怒らせた。
 どうしよう。
 日和子は頭がガンガンするのを感じ取って、そっと頭に触れた。
 彼は店員と楽しそうに話しながら、サイズの確認をしている。
 謝るのも何かおかしい気がする。
 でも、彼があんな表情をするのだから、きっと、自分が悪いのだろう。
「……勇兵さん」
「どした?」
 勇兵に声を掛けたはいいものの、店員が傍にいるので言い出しづらくて、日和子は少し考えてから、自分の顔を扇いだ。
「……ちょっと、室温でのぼせそうなので、少し外出てきます」
「あ、え、わかった。えっと、具合悪い? だったら、俺も行くけど」
「いえ、風に当たりたいだけなので、大丈夫です」
「そ、そうか? ……じゃ、駅方向の2階入り口で待ち合わせな?」
「わかりました」
 勇兵の心配そうな表情。態度も、先程までとほとんど変わらなかった。
 怒ってないのだろうか。
 よく分からない。
 フラフラと日和子はスポーツショップを出て、下りのエスカレーターに向かった。
 ぼぉっと流れのままにエスカレーターで階を下り、2階に着いたので、そのまま出口へ向かおうとしたのだが、そこで呼び止められた。
「日和子」
 その声に、日和子はすぐに振り返った。
 ビルの中が暑かったのか、自分と同じように、コートまで脱いでしまっている舞だった。
 荷物がないところを見ると、清香をどこかに待たせているのだろうか?
 ストライプ地の襟付きシャツにジーンズといった、シンプルな服装だけれど、彼女の凛とした雰囲気に、それはとても似合っていた。
「1人でどしたの? ツカは?」
「……あ、えと、暑いから少し涼んできますって言って、降りてきました。ゆ、先輩は、上の階で靴見てます」
「ふーん……。今、そこのカフェで、電車の時間まで時間潰してたんだけど、一緒にどう? 寒いとこ出るより、冷たいもの飲んだほうがいいでしょ」
「はぁ……」
 日和子は気が引けて、少々つれない反応を返した。
 その反応に、舞が目を細める。
「日和子、電車でも思ったけど、可愛い服着てるねぇ。あたし、そういうポップな柄物似合わないから羨ましいなぁ」
「このタイツのことですか?」
「そうそう。可愛い」
 にっこり笑って、納得するように頷く彼女。
 あれほど言われるのが苦手だった”可愛い”が、不思議なことに全然嫌じゃなかった。
 ナチュラルに心の中に入ってくる。
「……あたしが車道先輩だったら、差し色に明るい色のアクセサリとか付けたいなぁ。シンプル過ぎて、勿体無い気がします」
「へ?」
「シンプルで大人っぽい感じで素敵ですけど。髪も、横でまとめれば、ふんわりして可愛いと思います」
「……ああ、ありがとう」
 突然そんなことを言われると思っていなかったらしく、意外そうに目を丸くして、照れくさそうに礼を言ってくる舞。
 先程お店で会った時に、ちょっと失礼な態度を取ってしまったのもあり、気後れする部分もあったが、これ以上失礼な態度を取っては、自分の良心が痛みそうなので、なんでもない顔で話してくれている彼女の厚意に甘えることにした。
「ツカは結構すぐ降りてきそうな感じなのかな? さっきのつれない反応からして」
「靴は試すだけで買わないと話していたので、たぶん」
「そっかぁ。じゃ、それまで少し話そうか」
「え? あの、遠野先輩は?」
「だいじょーぶ。少しくらいなら、怒りゃしない」
「でも、先輩、薄着ですけど……」
「…………。だいじょーぶ。少しくらいなら死にゃしない」
 舞は少し考えるように黙ったが、開き直ってそう言った。
「じゃ、二重扉の間のところにしましょうか」
「ああ、そうだね。そこならきっと適温だ」
 お茶目に笑う舞。
 羨ましいくらい、すべての所作が絵になる人だ。
 勇兵が子供の頃からずっと好きだった人なのだから、それも当然か。
 見た目、も、あるとは思うけれど、それ以上に、この飾らない感じは、彼女のさっぱりとした内面が、そうさせるのだろうと思う。
 くだらないことを、ちまちま、グルグルと気にしてしまう自分とは、全く違う。
 二重扉の間のスペースまで移動して、2人とも壁に寄りかかる。
 さすがにそんなスペースに陣取る人もいなくて、入ってくる人・出てくる人の視線が、こちらを向くのが分かった。
「あれ? 天気良いのに、雨降ってきた。雪にならなきゃいいけど」
「通り雨だと思いますよ。きっと、すぐやみます」
「……だといいけど」
 扉ガラスの向こうを2人で眺めながら、そんな会話を交わす。
「……つかぬことを聞くんだけど」
「はい?」
「日和子、ツカから恋愛相談とかされてた?」
 舞が聞きづらそうにそう言って、こちらを見た。
 日和子はピキーンと固まることしか出来ず、2人の間に沈黙が流れた。
「されてたのね」
「……されてません。私が一方的に、気付いてただけです」
「そうなの? でも……」
「私が薮蛇してしまっただけで……。結果的に、背中を押してこんな形になってしまいましたけど、勇兵さんは私に相談なんてしてないです。あの人は、そういうことはあまり表に出さない人ですから」
「……そう。日和子はすごいね」
「え?」
「あたし、全ッ然気付かなかったのよ。10年も友達だったのにさ」
「…………」
「考えてみればね、あーそうだなぁって思うこと、結構あったんだけど、わかんないもんなんだよね」
「そうですか……」
「言ってもらわないとわかんないことって多いと思うんだ。特に、ツカみたいに口が回る奴は、言葉のひとつひとつが軽い感じするでしょ?」
 何が言いたいのかよく分からず、日和子は舞を見上げた。
 舞は穏やかに目を細めて微笑み、先を続ける。
「日和子になら言ってもいいかなって思ったから言うね。驚かないで聞いて」
「? はい」
「あたしの好きな人は女の子で、ツカのおかげで、元サヤとなりました」
「…………」
 舞の言葉が上手く頭に入ってこず、日和子は黙り込んだ。
 舞が様子を見るように、日和子のことを見つめている。
 あ、黙っちゃ駄目だ。そう感じて、日和子は必死に口を開いた。
「え、と、それは、遠野先輩ですか?」
「ご想像にお任せします」
「…………」
「ツカの背中をガツンと押したのが日和子なんだったら、日和子にも、お礼を言わなくちゃって思ったのよね。なんかさ、敵視されてるの嫌だし」
「て、敵視なんて」
「してたよ。先輩振っておいて、その上、一緒に回ろうとか言ってもらって、忌まわしい女!」
「そ、そんな風には思ってません!」
「でも、振っておいて無神経、とは思ったでしょ?」
「う……はい……」
「ツカは、お互いが進むためだって言ったの」
「え?」
「ツカが、あたしに告白するのも、あたしが、彼女にもう1回、想いを告げるのも」
 優しい声で言うと、舞はサラリと長い髪を掻き上げた。
「背中押されて、あたしに告白したのは、進む先が、あったからじゃない?」
「それって……」
「そっからは、自分で考えてね」
 舞はにっこり笑って、日和子の頭をポンポンと撫でた。
 考え込んでいた日和子は、避けることも出来ずに、それを受け止めるしかなかった。
「……先輩、怒らせちゃったんです。さっき」
「 ? 」
「調子のいいことばかり言わないでって言ったら……、少し、怖い顔になって」
「子供か」
「え?」
「伝わらなくて癇癪起こしたんじゃないの? あんまり気にしなくていいよ。むしろ、なんで、あたしが怒られんのよ! ってレベルで言い返せば良かったのに」
「……さすがにそれは……」
「帰りの電車待ってる間でもいいから、はっきり言って、って、言ってごらん?」
「はっきり……?」
「あたし、よく彼女にそう言うよ。だって、言われないとわかんないじゃん」
 そこまで言うと、舞は日和子の肩をポンポンと叩いて、中を指差した。
 そちらを見ると、勇兵が早足でこちらに向かってくるのが見えた。
「んじゃ、あたし、行くね。あ、そうだった。日和子、その節はありがとうございました」
 舞は深々と頭を下げると、日和子に手を振って歩き出した。
 扉を開けて勇兵が出てくる。
 開いた扉の取っ手に手をやった舞を見て、勇兵が不思議そうに目を丸くした。
「え? なんで、お前がここに……」
「デート中に女の子1人にするなんてサイテー」
「う、うっせ! これでも、急いできたんだよ。そういうお前は、遠野ほっといて大丈夫なのかよ?」
「大丈夫じゃないけど、日和子と話したかったんだからしょうがないじゃん」
「……よ、余計なこと言ってねぇだろうな?」
「んー。とりあえず、借りは返したから」
「はぁ?」
「じゃーね、日和子。ま、帰りの電車も一緒だろうけど。もし、混んでたら相席させてね♪」
 こちらにだけ手を振って、舞は中へと入っていった。
 ガラス越しに、彼女がタタタッと駆けていくのが見えた。
 勇兵がそれを見送って、呆れたようにため息を吐き、こちらへ振り返った。
「待たせてごめん」
「いえ。車道先輩と話してたので……」
「うん。でも、ごめん。それと、さっきのも、ごめん」
「え?」
「プレゼント、投げ遣りになっちまって。その、遅くなったけど、誕生日おめでとう。出来れば、捨てないで欲しい」
「……捨てませんよ。先輩からいただいたものなのに」
 日和子の言葉に、勇兵はほっとしたように笑った。
「私のほうこそ、すみませんでした」
「え?」
「心にもないこととか……失礼でした。素直にありがとうって言ってればよかっただけなのに。ご不快な想いをさせてしまいました」
「いや。日和子が、建前だと感じたんだったら、きっと、俺のほうに問題があったんだと思う。それなのに、あんな言い方しちまって……。ごめん」
「……いつも、はっきり言っていただいてると思うんですけど」
「 ? 」
「その……もし、私に言いたいことがあるんでしたら、この場で、はっきり言っていただけませんか?」
 舞に言われたままの言葉というのは、少し癪だったけれど、意味のない言葉を彼女が言うはずもないので、日和子は素直にそう口にした。
「……それ、舞に言われたの?」
「はい」
「あいつ、やっぱり、余計なこと……」
「聞きたいのは、私の本心ですよ」
「んー……」
 日和子の言葉に、勇兵は唸り声を上げ、周囲を見回す。
 出入り口なので、人の出入りは多いものの、会話をする分には不自由しない空間だった。少なくとも、舞と話している時は、そう感じた。
「ここじゃ、話しにくいですか?」
「ん? いや。なんつーか、もう少しムードのあるところがよかったかなぁとか……」
 勇兵はぶつぶつと何か言いながらも、腹を決めたように、日和子の隣に並び、壁に寄りかかった。
「日和子に渡した縁結びのお守りなんだけど、返して欲しいんだ」
「…………。もう、片方鞄に付けちゃってますけど……」
「あー、うん。だから、その、もう片方を返して欲しいんだけど」
「 ? 」
「あー……どう言えばいいんだ?」
「私に聞かれても……」
 勇兵が落ち着かない様子で頭を掻くので、日和子は苦笑混じりでそれを見上げるしかない。
 話すことをまとめているのか、勇兵が天井を見上げて息を吐き出した。
 日和子はただ静かに次の言葉を待つ。
「まだるっこしいのやめるわ」
「はい」
 寄りかかった体勢から、スッと真っ直ぐ立ち、真面目な顔になる勇兵。
 真剣な空気が伝わってきて、日和子も寄りかかるのをやめた。
「お前が好きだ。付き合って欲しい」
 一応場所に配慮してか、勇兵は背を丸め、ボリュームを絞った声で、日和子にだけ聞こえるように言った。
 告げられた日和子は勇兵を見上げたまま停止した。
 耳が熱い。頬が熱い。鼓動が速くなってきた。思考がついていかない。
 この人、今、なんて言った?
 え? だって、ついこの間、好きな人のことで泣いてたよね? 意味分からない!!
 日和子は心の中で大パニックを起こしながら、そんなことを叫ぶ。
「……日和子?」
 日和子が全く動かないので、勇兵が心配そうに覗き込んでくる。
「……どういうこと……?」
 ようやく出た言葉は、ポツリ、という擬音が合うほどか細かった。
 勇兵も覚悟していたのか、眉をへの字にして苦笑した。
「言ったまんまだよ」
「……だって、この間、車道先輩に振られ……」
「ああ。前に進むために言ってきた。お前が、ださい俺は嫌いだって言うから」
「…………」
「俺、結構、お前贔屓してたつもりだったんだけど、全部、先輩として優しいと思ってた?」
「そんなことは……」
「先輩としてしか見れない? それとも、付き合う対象じゃねぇかな?」
「いえ……」
 日和子は、考えをまとめようと勇兵から視線を外して俯いた。
 勇兵も余裕がないのかもしれないけど、少し考える時間が欲しい。
 立て続けに何か言われても、処理ができない。
「日……」
「ちょ、ちょっと待ってください……! わ、私、よく分かんなくなってるので」
「……わかった」
 勇兵は日和子の言葉に従い、静かにただこちらを見下ろしている。
 日和子は頭の中を整理するように、彼に問いかける。
「勇兵さんは、車道先輩が好きなんですよね?」
「ああ。ガキの頃から。でも、好きっていうより、好きだった、のほうが正しいと思う」
「……車道先輩が恋人と別れてから、様子が変でした」
「仲良い友達でもあるし、好きだった女なら気にもなるよ。ちょっと、ブレすぎだったとは思うけど」
「んー……本当にそれだけ?」
「どう言えば分かってもらえる?」
 日和子の不思議そうな声に、勇兵が困ったようにそう言った。
 どう言えば、と言われても困る。
 彼の感情の動きがよく分からない、というのが本音だ。
「お前といると、自然体でいられる」
「え?」
「変な意地張らなくていいし、妙に愛想良くしなくてもいい。お前の、そういう温度が心地よくて楽」
「…………」
「なんつーか、修ちゃんに似てるんだと思う」
「二ノ宮先輩?」
 なぜ、彼を引き合いに出すのか。彼の感性は、時々よく分からない。
「怪我して無理してた時、修ちゃんが初めて声掛けてくれたんだよね。仲良くしてた奴ら、みんな気付かなかったのに、あいつだけだよ?」
「はぁ……」
「俺、女だったら、絶対修ちゃんが良いなぁ……ってあの時思った訳よ」
「えっと……?」
「タイミングの問題なんだと思うけどさ。俺が辛い時、いっつも、日和子がいてくれたんだよ。で、心地よい温度をくれてさ、……ああ、コイツ、良いなぁ……って、俺は次第に惹かれていった訳です」
「…………」
「これでも駄目?」
 勇兵の顔が悲しそうに歪む。
 大型犬がしおらしくこちらを見つめている。
「駄目というか……」
「俺のこと、好きじゃねぇか……」
「い、いえ! 好きです!」
「へ?」
 慌てて否定しようとして、素っ頓狂な声が飛んだ。
 行き交う人たちがこちらに視線を寄越す。
 日和子の顔はたちまち熱くなった。
 勇兵が気遣うように日和子の前に立ち、後ろに隠してくれた。
「えーと」
 大きな背中から探るように声が聞こえてくる。
「改めまして。俺と、付き合ってくれる?」
 彼の後ろ手に組んだ両手が落ち着かなく動いている。
 何かが変わるとは思えない。でも、それは日和子の欲しかった言葉だった。
「もし、嫌いになっても、私、すんなり別れてあげませんからね」
「知ってんだろ? 一途さだけなら折り紙つきだよ」
 日和子の言葉に、勇兵は茶化すような口調で言った。
 なので、日和子は覚悟を決めて笑った。
「よろしくお願いします」
 その声に、勇兵が振り返った。
 いつものキラキラした無邪気な眼差し。
 自分自身のガタイの良さをいい加減自覚して欲しい。
 入部が決まった時と同じように、たくましい腕にガバッと抱き締められる。
「やっべー。超嬉しい〜!」
「ちょ、勇兵さん!」
「いいよ、もう。こんなとこに、知り合いなんかいねぇよ」
「そういう問題では……」
 日和子はじたばたと体を動かすが、彼の腕の力が緩まないので、為す術もなく、大人しくするしかなかった。
 彼の心臓の音がする。
 思ったより早いペースで脈打っているのが分かった。
 ……まぁ、いいか。別に知り合いなんて……。
「電車の時間になるけど、2人は次の電車にするのかな?」
「ちょっと、くーちゃん……!」
 日和子が顔を上げると、2人の脇で舞がニヤニヤ笑って立っていた。
 申し訳なさそうに、清香が2人を見比べる。
 見て見ぬふりで通り過ぎていく人たちに比べて、随分と度胸のある行動だな、と思わず感心してしまった。
「だって、明日からテストだよ? 次の電車になったら、日和子、帰れないじゃない?」
「そうかもしれないけど……」
「いやー。これでようやくすっきり眠れそう」
 楽しげに笑う舞。
 邪魔された勇兵は、眉をヒクヒクさせて、日和子から離れた。
「おっまっえっは! 本当に、天敵だよな! あー、もう! 修ちゃんの気持ちが少し分かったわ!」
「いやー、それほどでもぉ」
「誉めてねぇ!」
 舞が人をひょいひょいかわしながら先に行くので、勇兵もそれを追いかけるように歩いていく。
 ぽかんとそれを見送る日和子の横で、清香がクスクスと笑った。
「……なんだか、ようやく、2人らしくなった気がする。良かった」
「遠野先輩……」
 清香は一瞬考えるように目を泳がせたが、すぐに優しい目で笑い、小首を傾げた。
「カップル成立、おめでとうございます☆」



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