◆◆ 第14篇 水風船・キミと見た夏の月 ◆◆
Chapter 1.二ノ宮 修吾
彼女から不定期に届く絵葉書。 それを見て、彼女が今どこにいるのかを、なんとなく感じ取ることが出来る。 住所や滞在先なんて書いていない。 消印とその風景から察することが出来るだけだ。 『お。そっちも届いたぁ?』 物音も立てず、居候が修吾の部屋に入ってきた。 『そっちも……って、どういう意味?』 振り返ると、高校の時と比べたら、だいぶ髪の短くなった舞が立っていた。 『ん? あたしにも届いたの。向日葵畑。こりゃ、スペインかねぇ』 『……そうだね、たぶん』 『ちょっと、あからさまにつまんなそうな顔しないでよ。あたし、柚子にねだったりしてないよ?』 『分かってるよ』 『僕と彼女だけのものだったのにぃ』 『何それ?』 『アンタの本音』 『……別にいいだろ』 不機嫌をアピールするつもりはなかったが、そこで舞に背を向けた。 『図星か。あ、そうそう。今日、清香がご飯作りに来るって言ってるんだけど、アンタも食べるでしょ?』 『ああ、うん。そりゃね。てゆーかさあ、そろそろ、住むところ探して出てってくれない?』 『いいじゃん、賢吾さんいない間は好きに使って良いって、あたしが許可もらってんだから。それに、ちゃんと居候代は払ってるし、家事だって、あたしがいなかったらどうなってたと思ってるの?』 『6割は、さっちゃんの功績だと思うけど』 『ホント、可愛げない』 『可愛くしてるつもりもないからね。勉強の邪魔だから出てってくれない? そっちだって、心理学の論文がどうこう言ってたろ』 『飽きたからちょっかいかけに来たのに。つまんない』 つれない修吾の態度に、舞が面白くなさそうに言葉を発し、そのままドアが閉まる音がした。 やれやれ。いつまで経っても、学生気分でいるのだから。 セミの鳴き声で、修吾は目を覚ました。 暑い。夏なんて大嫌いだ。 心の中で呟き、じっとりと肌に浮いている汗をTシャツの裾で拭った。 目覚まし時計を確認し、素早く起きあがる。 「やばっ」 起きる予定だった時刻はとうに過ぎていた。 枕元に置いておいた汗拭きシートで全身を拭き、壁に掛けてある制服に手を伸ばす。 「修くん、学校の夏期講習、今日までじゃなかった?」 母がいつものおっとりした調子で、部屋の中を覗くように首を傾げてこちらを見てそう言った。 どうやら、心配して起こしに来たらしい。 風の通りをよくするために、夏場はドアを開け放しているから、プライベートもへったくれもなかった。 「遅いよ!」 「どうだったかなぁと思って、聞きに来たのに。朝ご飯、おにぎりにしたげるから持って行きなさいね」 修吾の言い様にも動じず、そう言って階段を下りていく母。 息子の扱いなんて、慣れたものだ。 開襟シャツに袖を通し、ハーフパンツを脱いで、ズボンを履く。 それだけで一気に暑くなった。不快指数200パーセントだ。 靴下を履き、鞄の中身を確認する。 最後に、腕時計を腕にはめる。 忘れ物はない。身支度も出来た。 焦りながらも、ミスがないことを指さしで確認し、鞄を掴んで部屋を出る。 キッチンに入る前に、洗面所で髪を整え、歯を磨く。 ちょうど口をゆすぎ終えたところで、母の声がした。 「修くん、お弁当とおにぎり、玄関に置いとくからね〜」 「うん! ……ありがとう!」 「はいはい。車に気をつけて行きなさいね〜」 修吾の返事に気を良くしたように、母は優しい声でそう言い、その後に掃除機を掛け始める音が続いた。 顔を洗い、タオルで水滴を拭き取り、洗い物籠にそれを投げ込むと、今度こそ、準備万全で洗面所を飛び出した。 「おはよう」 視聴覚室に入り、空いていた舞の隣の席に腰を下ろす。 「おはよ。ギリギリなんて珍しいじゃん」 頬杖をついたまま、こちらを横目で見て、おかしそうに舞が笑った。 きっと、こちらが汗だくだったからだろう。 すぐに下敷きを手に取って、修吾のほうを扇いでくる。 「……サンキュ」 「いえいえ。何? 寝坊? 最終日間違えた?」 「寝坊。暑い割に睡眠が深かった」 「それは、良かったんだか悪かったんだか」 「ホントだよ」 舞に言葉を返しながら、もぞもぞとおにぎりを取り出し、かぶりつく。 「朝ご飯?」 舞の問いに頷きだけ返す。 朝の9時からみっちり頭を使うのだ。 食べなければやってられない。 こちらを扇ぐ風はやまない。 舞を見ると、頬杖をやめて、しっかりと扇いでくれていた。 舞と修吾は、国立大学進学クラスのため、朝から夏期講習が入っている。 学校側がメインでやっているのは、地元では進学校寄りだから、というのもあるが、何より、田舎過ぎて塾がないから、というのが最も大きな理由だ。 私立大学進学クラスの、柚子と清香は午後からの参加だ。 柚子は相変わらず、絵を描いてばかりの日々を過ごしているが、春先から宿題や課題以外でも、熱心に勉強をこなすようになっていた。彼女と過ごす時間が増えて嬉しいのは何よりだが、留学することが前提にあるはずであることを考えると、どうも腑に落ちない。 清香は部活も引退し、今は受験勉強とお菓子作り研究の毎日を過ごしている。たまに、賢吾の勉強を見るついでに、お菓子を持ってきてくれる。(残念ながら、修吾は少ししか食べられないが) 因みに、勇兵も夏期講習参加組だが、なんと、今回、めでたくインターハイ出場を決めて、今は大会に出るため、遠征の真っ最中だ。 受けられなかった分は、後々、放課後やら空き時間に、別で受けなければならないため、彼にとっては、その点はかなり好ましくないだろう。 そうそう。それと、もう1人。 「修吾クン、遅がったねぇ」 秋行がニコニコ笑顔で振り向いてそう言った。 みんな制服の中、1人だけ私服姿で、彼は堂々と夏期講習に参加している。 結局、彼は4月までには学校に戻ってこられなかった。 けれど、学校での生活態度や成績、入院中の通信学習の結果を考慮されて、定時制で最後の1年を過ごすことになったのだそうだ。 だから、卒業は一緒に出来るらしい。 彼から聞いただけだから、修吾も細かい事情まではわからない。 ただ、半年以上の入院生活を終えて、戻ってきた彼は、体こそほっそりしてしまったが、何か内から放つ輝きみたいなものが、強くなったように感じる。 それは、死の淵を乗り越えたからなのか、夢を叶えるために必要な翼を手に入れたからなのか。これは、本人だけが知るところだろう。 修吾はおにぎりを食べ切ってから、口を開く。 「おはよう、秋行くん」 「ん。おはよぉ。今日で夏期講習も終わりだし、みんなで集まったりすんの?」 「あ、考えてなかったけど、今日くらいいいかなぁ」 「あたし、賛成。で、週末の夏祭りは絶対行こうね。その頃にはツカも帰ってくるだろうし」 「そうだね」 「でも、アイツはカノジョと行くかもね〜。高校最後だし」 「あはは。そうがもね。ボクは今のところだいじょぶだよ〜」 和やかに話をしているところに、学年主任の小林先生が入ってきたので、会話は一旦そこで切り上げることとなった。 DVDを使ったサテライト授業なので、進学志望の割に、寝てしまっている生徒もいる。 受験受験と、精神状態がギリギリの生徒もいることを考えると、随分対照的だ。 修吾の場合は、受験云々は関係なく、習慣付いたものだから、それほど苦ではない。 他人が聞いたら嫌みに聞こえるかもしれないが、そういうものなのだから仕方のないことだった。 「夏期講習、お疲れ様〜!」 秋行の陽気な掛け声で、5人は乾杯を済ませ、オレンジジュースを飲む。 リビングを母が解放してくれたので、エアコンの効いた涼しい部屋の中での、講習打ち上げ会となった。 母は楽しそうにお菓子を開けて、それをローテーブルの上に置いた。 「お中元で色々もらったから、遠慮しないで食べてね」 「ありがとうございま〜す!」 心臓の心配をしなくて良くなったのもあってか、秋行はまるで勇兵のように元気に振る舞う。 「柚子チャン、これ美味しそうだよ」 屈託のない笑顔でそう言って、柚子の前に和菓子を置いた。 「ありがとう、秋行くん」 修吾の隣にちょこんと座って、大人しくしていた柚子が、ようやく言葉を発して笑った。 どうも、ここ最近、この調子で元気がない。 わかりやすく塞いでいるわけではないので、なんと言って良いのかわからず、そのままになってしまっていた。 「昨日言ってくれたら、私も何か作って持ってきたのだけど」 「いいよいいよ、そういうのはさ〜」 「でも……」 「さっちゃん、また来る時にでもお願いね。おばさん、さっちゃんのお菓子、大好きよ」 「あ、はい。ありがとうございます」 母の言葉に、清香が嬉しそうに笑った。 舞はそれを横目で見ながら、テーブルの上のお煎餅を手に取った。 「お中元って、たくさん来るんですか?」 「え? ああ、うち、法律事務所やってるでしょう? お世話になりましたって、弁護に当たった方から結構来るのよ。あの人、仏頂面で取っつきづらいけど、誠実に仕事する人だから、仕事が終わる頃には、そういうところ、分かってくださるみたいで。ありがたいことよね」 「そうなんですねぇ。ニノのお父さん、すごいじゃん」 舞が素直に感心してそう言うので、修吾は言葉に困ってオレンジジュースに口を付けた。 友達に家族のことを誉められるのは、いくつになってもこそばゆさが抜けない。 修吾に代わって、春花が口を開きかけたが、そこで廊下の電話が鳴った。 「僕が出るよ」 修吾はそう言って素早く立ち上がる。 軽い足取りで廊下に出て、4コール目で受話器を上げた。 「はい、二ノ宮です」 「あ、その声、修ちゃん?」 「勇兵? どうしたの?」 声が空元気っぽかったので、その問いを口にした後に、なんとなく察してしまった。 「負けちまったよー。2回戦敗退」 「……でも、全国で初戦突破したってことでしょう? 僕からしたら、とても凄いことだけど」 「うん」 言葉を選びながら、勇兵と話す。 言っていることは分かっているのも分かるけれど、きっと気持ちはそれに追いつかない。 「全国の壁は高いねぇ……」 「そう、だね」 「修ちゃん、俺、悔しいよ」 「うん」 「俺、もっともっと上手くなるわ。もっと高く跳んで、もっと正確に……」 声が涙混じりになっていることは分かったけれど、修吾は素知らぬ顔で、その言葉に頷いた。 「天井の先にある空が見たい」 「え?」 「勇兵が、昔、僕に言った言葉。お前は、覚えてないかもしれないけど、僕は覚えてる」 「修ちゃん……」 「勇兵?」 「何?」 「お前が今いる、その場所は、昔のお前にとっての、天井の先の空なんじゃないのかな」 「…………」 「でも、それと同時に、今のお前には、また新しい天井が立ちはだかった。ただ、それだけのことだよ」 修吾の言葉に、勇兵は静かになった。 嗚咽ももう聞こえなかった。 「天井が出来たら、ぶち破ってその先の空を見るんだよね? 勇兵は、すぐにもっとって言える。それが凄いと思うよ。僕はぶつかる度に、力をつけるよりも、方法が間違っていたんじゃないかって先に考えてしまうから」 「修ちゃん」 「ん?」 「サンキュ」 「いや、別に僕は……」 「最初、日和子に掛けようかと思ったけど、なんとなく、ためらっちまって……」 「うん。……勇兵?」 「ん?」 「帰ってきたら、夏祭り、行こうね。今、みんなとその話をしてたんだ。丹羽さんも、連れてきていいし」 「あー、大丈夫。日和子は、歌枝と行くんだ」 「え? そうなの?」 「……ちょっとね、色々ありまして」 「ふーん。その話は帰ってきてから聞くよ。ほら、お金もったいないし」 「あ、そうだな! うん、じゃ、帰ったら!」 「ああ」 相手が受話器を置いた音がしたのを確認して、修吾は受話器を置いた。 悔しい悔しいと言いながら、すぐに全速力で走れる男。 本当に羨ましくなるほど、雄々しい奴だ。 |