◆◆ 第14篇 水風船・キミと見た夏の月 ◆◆
Chapter 2.二ノ宮 修吾
『また、くーちゃん帰ってないの?』 夕飯の材料を持って訪ねてきた清香が、不機嫌な調子でそう言った。 何かの雑誌で読者モデルをやり始めてから、清香は一段とおしゃれに気を遣うようになった。 地元にいた頃、あれほど気にしていた他人の目を気にしなくなったのもあるだろうが、元々気が強いところがあった人なので、お小遣い稼ぎ程度であっても向いていたようだ。 『何かの飲み会って言ってたよ』 『……人とのデート代は渋るくせに』 『あ、タダ飯って言ってたから、奢りなんじゃないかな』 『シュウちゃん、それは、合コンだよ』 『ああ、また頭数合わせで……』 清香が怒った表情をしているのも気にせず、静かにそう言い、清香の荷物を持ってあげて、リビングに向かう。 上京する時、兄と二人で暮らすために選んだ部屋だったが、兄が留学してからは舞との二人暮らし部屋になってしまった。 学生が暮らすには広めだが、その分、駅からはだいぶ離れていて家賃も良心的。部屋探しには、清香の親戚が協力してくれて、そのおかげで、かなり条件のいいところを見つけられたのだった。 『頭数合わせっていうけどさぁ、くーちゃん、絶対出汁に使われてるのよ? お酒もそんなに強くないんだから、やめてって何回も言ってるのに』 修吾の後をついて、リビングに入ってくると、買い物袋だけ修吾から受け取って、キッチンに入っていった。 『大方、可愛いってべた褒めしてた大学の友達に頼まれて、無碍に出来なかったんじゃない? いつものことだよ』 冷蔵庫に物を丁寧に入れてから、リビングに戻ってきて、慣れた調子でソファに腰掛ける清香。 修吾は実家から送られてきた荷物の中から、缶の緑茶を取り出して、それを清香に勧めながら腰を下ろした。 舞が部屋に転がり込んできてから、清香の愚痴を聞くのが習慣化していた。 大学1年の時に、舞が渋々参加した合コンで、タダ飯が食べられたことがきっかけだったらしい。その気は全くないけれど、貧乏苦学生にとって、1食タダで済ませられるというのはかなり大きい。 『……親切心で参加して、お持ち帰りされたら最悪よ』 『大丈夫だよ、シャドーなら』 『わかってないよ、シュウちゃん。くーちゃん、結構抜けてるんだから。キャッチセールスとかよく捕まるし』 『それは、キャッチセールスのお姉さんが可愛かったんじゃないの?』 『シュウちゃんをくーちゃんのお友達に紹介して、上手く牽制してやったと思ってたのに』 『……この前の学園祭のあれは、そういう意図だったの?』 清香の発言に、さすがの修吾もどん引きしながら尋ねる。 『だって、そうすれば少しは遠慮してくれると思ったんだもん〜。全然効果なかった……』 『ぅん、まぁ……勘だけど、あの子は、シャドー狙いだと思うよ』 『え?!』 『僕をどうこうより、さっちゃんがカノジョですって名乗っちゃったほうが早いんじゃないかな。この前だって、僕なんかより明らかにさっちゃんに敵意向けてたけど、気が付かなかった?』 『全然。やだぁ、私、いつの間にか空気読む力が退化してる?』 『シャドー、たぶん気付いてて上手くかわしてるんじゃないかなぁ』 他人事のように話す修吾を尻目に、清香が携帯電話を取り出し、ボタンを押して耳に当てた。 数秒間があってから、清香が声を発する。 『あ、くーちゃん? 今日、ご飯作りに来るって言っといたのに忘れたでしょう? すぐ帰ってきて。え? いいから、帰ってきなさい。何度も言ってるけど、そうやってホイホイ合コンの頭数合わせに付き合ってばかりいるようなら、今度こそ別れるからね!』 ここ数年、この言葉を何度聞いたことか。 それでも、結局元の鞘に納まるのだから、不思議な二人だなぁと修吾はいつも思うのだった。 修吾は小さくため息を吐いた。 昨年同様、柚子のおばあちゃん宅に寄ってから祭りに向かうというルートだったのだが、今年に至っては、柚子が頼み込んで、おばあちゃんに修吾の浴衣まで用意させていたのだ。 本当に、こういうことに対しては用意周到というかなんというか。 「シュウちゃん、機嫌悪すぎ。柚子ちゃんも喜んでるし、いいじゃない」 ちょうど隣を歩いていた清香がそんなことを言って笑った。 昨年は母親の帰省に付き合って不参加だったが、受験生ということもあって、1週間も母親の帰省に付き合っていられない、と今年は断ったのだそうだ。 柚子と舞は、今年もおばあちゃんに着付けてもらったが、清香は秋行と同じく自宅から着てきた。 髪の色素が他の人より薄いので、和美人とはいかないが、浴衣での振る舞いは秋行の次に板に付いていた。 しゃっきりとした藍色に、艶やかな蝶の柄。母親のお下がりだと言っていた。 「……別にいいんだけどさ。シャドーまで、あんなに喜ぶとは思わなかった」 「そりゃ、くーちゃんだって和装イケメンには弱いよ」 「イケ……」 「いい加減、自覚しといたほうが身のためよ」 「なんだかなぁ」 修吾は清香の言い分に、もう一度ため息を吐いた。 「修ちゃん、カノジョにカッコいい言われたんだから、いい加減受け入れなよ。似合ってるぜ。そのままペンでも持って机に向かったら、作家先生そのものじゃん」 2人の後ろを歩いていた勇兵が陽気にそう言って、修吾の肩に腕を回してきた。 実を言うと、今日洋装なのは彼だけである。 「暑いよ」 「まぁまぁ」 ひっぺがそうと体を動かしたが、全然はがれなかった。 その代わりとでも言うように、持っていた団扇で扇いでくる勇兵。 「話聞いてほしかったんだけど、当日になっちまったもんだから、今しかなくてさぁ」 「話?」 清香が興味ありげに2人を見比べる。 勇兵は口元に手を当てて、前方を歩く3人を見た。 「シャドーには内緒な?」 「聞いてみないことには」 「今日、日和子は歌枝に付き合って、2年の男子とトリプルデート中です。今の俺らみたいな感じ」 「……それが、なんで内緒?」 「男子側に、楽がいる」 「それが、どうかしたの?」 修吾に続き、清香も不思議そうに尋ねた。 が、それを聞いて修吾は察した。 身内にそういうのを知られるのが、正直いちばん気恥ずかしいのだ。個人差はあると思うが、楽の人柄的に、そういうことを家の中で話すタイプでないことは分かる。 特に、姉があの舞と来ている。 からかわれる様は容易に想像できた。 「最初は歌枝がピンで誘われたんだけど、あんまり話したことないヤツだからって断ったらしいんだよ。でも、そいつ、諦めが悪くて、友達も一緒ならどう? って。無碍にも出来なくて、夏祭りデートだけならって受けたんだと」 「ああ、なるほど」 「そういう事情ならしょうがねぇかと思って、日和子にはオッケー出したんだよ。そんで、メンツ聞いたら、楽が入ってるっつーからさ。夏祭り自体来たがらないようなヤツがだぜ?」 「へぇ……。偶然なのか、気を回したのか」 「気ぃ回したんだと思う。楽はシャドーと歌枝のことは、昔からよく気にかけてたから」 「ふぅん」 「それと、歌枝のことだからテンパって、アイツに愚痴った可能性もあるな。歌枝のああいう話、なんだかんだ最後まで聞いてくれるの、楽ぐらいなもんだったから」 勇兵は感心するように息を吐いて、団扇をバタバタと動かした。 清香が隣で小首を傾げて考え込むのが見えた。 「さっちゃん?」 「……みんな、鈍感だよね」 「何が?」 「歌枝ちゃんとはあまり話したことがないから分からないけど、楽くんは歌枝ちゃんのこと、好きなんじゃないかな?」 「はぁ? いやいや、ないだろ。だって、アイツ、理想のタイプは遠野先輩って、中学の頃言い切ってたんだぜ。今は知らんけど」 「それ、私、一度も聞いたことないけど」 「そりゃ、本人には言わないだろ。シャドーだって、いい気はしないから話す訳ないし」 「そういうものかなぁ。私の考えでは、面倒くさがりの楽くんが、周りに合わせてそういうこと言っただけな気がする。自分で言うことじゃないけど……」 清香はなんとも言いづらそうな表情でそう言い、扇子で自分の顔を扇いだ。 少し間を空けてから息を吐き出すと、真っ直ぐ舞の背中を見つめ、続けた。 「なんとも思ってない幼なじみのために、そんな面倒事に自分から巻き込まれるような子には、見えないよ」 「うーむ……。そうなると余計にシャドーに言いづらい」 「結果が出てからでいいんじゃない?」 「結果?」 「夏祭りデート次第で、もしかしたら、歌枝ちゃんとその男子、付き合うかもしれないんでしょう? 歌枝ちゃん、乗り気じゃないだろうから、結果は見えてるけど」 「そう、だな」 「えっと……話をまとめると、夏祭りで、シャドーと楽くんたちが鉢合わせしないように気をつけて欲しいってことでいい? 勇兵」 修吾は勇兵がどうしたいのか分からなかったので、念のため、そう尋ねた。 勇兵は一瞬目を丸くしたが、コクリと頷いた。 「そうだな。うん、そう。人も多いし、絶対は難しいけど、妹のこと気に掛けて、動いてくれたんだとしたら、気持ちはどうあれ嬉しいことだし。楽が不快な思いしない程度にはしてやりたい」 「……とはいえ、結構しれっとした反応かもしれないけどね、お互い。2人が気にしすぎなだけで。お祭りに来てることくらいは知ってると思うし」 清香が冷静な声でそう言うと、舞に声を掛けて、先に行ってしまった。 ミッションスタート、ということなのだろう。 舞の気を引くには、このメンバーの中では、清香がうってつけだ。 修吾はふぅと息を吐き、勇兵の腕をのけた。 ようやく涼しくなって、修吾はぐるりと首を回す。 「丹羽さんが心配だから、監視に協力して欲しいとでも言われるのかと思ったよ」 「日和子は大丈夫だよ。警戒心強いし、足も速いから。動きやすい服で行くこと。デートに着てくるような可愛い服はダメ。ってことは言い含めておいたし」 勇兵は顎を撫でながら得意げに言った。 「……ごちそうさま」 「へ? なんで?!」 今のがのろけじゃないなら、なんだというのだ。 「来年も、夏祭り来られるかなぁ」 修吾が取ってあげた水ヨーヨーで遊びながら、柚子が穏やかな声でそう言った。 人通りの少ない通りで、涼みながら2人は空を見上げる。 「大学に受かっていれば、この時期には帰ってこられると思うけど、ユズさんは留学予定だから、どうなるか分からないんじゃない?」 修吾は出来るだけ平静を保ってそう言い、柚子に笑いかけた。 柚子の水ヨーヨーを持っているほうの手が止まる。 「……そう、だよね」 「うん」 「全員揃って、どころか、修吾くんとも来られるか分からないのかぁ」 「ユズさん?」 「なんだか、最近、気持ちが楽なほうに逃げようとしてる気がする」 「え?」 「パパは、相変わらずだし、志倉先生からは、推薦枠のお話もいただいてるの。国内のコンクールで、それなりに実績を積んでいるから、直接誘ってくださるところもあって……。大学に行って、その流れで留学するのであれば、パパだって文句は言わないだろうし、わたしだって、目的は達成できるから、それでもいいのかなって」 「ユズさん……。だから、最近、ちゃんと勉強してるの?」 「修吾くんといられる時間だって、国内の美術大学にすれば、無くならないし。舞ちゃんとだって、遊べるだろうし」 「…………」 「ずっと、自分の夢のためには、有働さんが勧めてくれた留学先が必要だと思っていたけど、そこじゃなくても、良いような気がしてきたの」 「有働さん?」 「中学の頃、わたしに声を掛けてくれた人」 柚子は小さく笑うと、また水ヨーヨーをボンボンと叩き始めた。 跳ねては戻り、を繰り返す水ヨーヨー。 修吾はその様子をただ見守る。 「そうすれば、誰も傷つかないし、わたしも、今のままでいられる」 「…………」 「修吾くん?」 「歩みを止めたら死ぬだけだって、ユズさん、1年の時、言ったの、覚えてる?」 「え?」 「……僕は、そんなユズさんの姿勢が、怖いと感じたけれど、それと同時に、とてつもなく、惹かれたんだ」 あの丘の上で、修吾の恋は始まった。 思い返してみると、スタート地点はあそこしかないのだ。 彼女の存在が、二ノ宮修吾を奮い立たせた。 「なんで、今、その話をするの?」 柚子は辛そうな表情でこちらを見上げてくる。 優しい修吾には、それ以上を口にすることは出来なかった。 彼女はずっと走り続けてきた。 疲れたら立ち止まればいい。そう言ったのは自分だ。 ただ寄り添ってあげることだって大事なこと。 「ん。ごめん、なんでもない。ふっと思い出しただけ」 修吾は柚子の手を引いて歩き出す。 ちょうどその時、見慣れた顔の少年とすれ違った。背の高い少女を強引に引きずりながら進んでいく。その後ろを、少女が2人追いかけていく。 思わず修吾は立ち止まって振り返った。 横で柚子が不思議そうにこちらを見たが、楽に気が付いたのか、特に何も言わなかった。 「ちょっと、楽、さすがにまずいって!」 歌枝が楽の手を振りほどいて立ち止まる。 楽も仕方なさそうに歩みを止めた。 「別にいいじゃん。はぐれたついでだもん。このまま帰ろ」 「で、でも……」 「歌枝、嫌なんじゃなかった?」 「……そうだけど、さすがにこの対応は不誠実な気が……」 「恋愛事で相手の都合まで考えたら負けだよ。何より、自分の友達まで巻き込んじゃってて、どの口が言う訳?」 「車道くん、それは言い過ぎだよ」 日和子がたしなめるように言い、歌枝の前に立った。 もう1人の少女も歌枝の友達なのか、歌枝を気遣うように寄り添う。 「本当のこと言っただけだよ。裏ではおれにあれだけ言えるのに、なんで、アイツに言えないの? そういう態度だから、あっちも調子に乗るんだろ」 「だって……。好意的に接してくれてるのに、そんなにはっきり言える訳ないじゃない」 「どっちが不誠実だよ」 今まで見たことないくらい真剣な表情で、楽が叱るような口調で言った。 「ねぇ、止めなくて大丈夫?」 隣で柚子が心配そうに囁いた。 止める、と言っても、事情も分からないのに、急に乱入されても、あちらも困るだろう。 修吾は柚子の手を少しだけ強く握って、見守ることを選択した。 楽の態度が怖かったのか、歌枝がしゃくりあげ始めた。 「そんな怖い顔で言わなくたって……。それに、アタシ、楽に何も頼んでないしぃ……ッ」 「歌枝ちゃん……」 「……じゃ、戻れば? お前、ホント面倒くさい」 「くる……」 楽の言い様に、日和子が何か言いかけたが、それよりも先に、舞が割って入ってきた。 突然の乱入者に、全員が面食らって彼女を見る。 後ろからひょっこりと清香も顔を出したので、修吾は驚いて、柚子のいるほうに跳びのいた。 「ごめん、シュウちゃん。気を引くのには成功してたんだけど、すごい勢いで、4人が目の前を横切ったものだから、さすがにそれは予測できなくて」 「あ、僕に謝られても……」 申し訳なさそうな清香に対して、修吾は苦笑を漏らした。 話している内に、気持ちのいいビンタの音が、パシンと響いた。 驚いてそちらを見ると、問答無用で舞が楽のことをぶっ叩いていた。 「痛いじゃん、何すんの」 楽は動じた様子も見せずに、叩かれた頬をさすった。 「女の子泣かせるなって、昔からみっちり教えてきたつもりだったんだけどね」 「歌枝が勝手に泣いたんだよ」 楽は悪びれた様子も見せない。 舞が思い切り楽のわき腹を殴りつける。 「だから、痛いって」 「謝んな」 「なんで」 「言い過ぎたこともわかんないのか、このバカ弟!!」 舞の怒鳴り声が、通りを綺麗に駆け抜けていった。 「くーちゃん、ホント、怒ると怖いなぁ……」 「清香ちゃん程じゃないと思うよ」 ポソポソと2人が言葉を交わすのが聞こえる。 「勝手に泣く訳ないでしょ? 物事にはなんでも原因があるの。歌枝が泣いてるのは、アンタがきつく当たったからでしょ」 「舞先輩、もういいから、楽のこと叱らないで」 涙が止まったらしい歌枝が、舞を止めようと腕を引っ張った。が、舞は止まらない。 「良くない。コイツのために良くないの。歌枝はそうやってすぐ楽を甘やかすんだから」 舞は浴衣なのも構わずに、もう1発ビンタをかました。 「痛いっつーの」 「アンタがこの子にきつく当たった理由だって、あんでしょーが。それを、この子に言わなかったら、アンタが一方的に悪者なのよ。そのくらい、もう高二なんだから、わかるでしょ!」 「……言えるか」 「は?」 「今更言えっかよ、そんなこと」 楽は吐き捨てるように言うと、踵を返して行ってしまった。 「楽! ちょっと待って!」 それを追いかけるように歌枝が走っていく。 「あー……もう、あの子は……」 それを呆れた声で見送る舞。 日和子と歌枝の友達は、どうすればいいのかわからず、その場に立ち尽くしている。 「うーん……」 清香が後ろで小さく唸った。修吾は、清香に向けて静かに囁いた。 「さっちゃんの想像、当たりだったかもね」 「もしそうなら、2人になれば素直になるかもね〜」 清香は嬉しそうに答え、すぐに舞に声を掛けた。 「ちょうど、柚子ちゃんたちも見つけたし、集合場所に戻ろ。南雲くんと勇くん、もう来てるかもしれないよ」 その声に舞は振り返った。 いつも通りの、お茶目な笑顔。 先程までの迫力は微塵もなかった。 「了解。日和子も来る? ツカもいるよ?」 「あ、いえ。はぐれた子たち、探さないといけないので」 「そう?」 「さすがに、このまま帰るのは失礼ですから」 「うん? そうなんだ?」 状況をよく分かっていない舞は、ただそれだけ返すと、こちらに歩み寄ってきた。 |