◆◆ 第14篇 水風船・キミと見た夏の月 ◆◆

Chapter 3.渡井 柚子



『Yuzu!』
 スペイン滞在中、案内役をしてもらっているマルコが、柚子に何か話しかけてくれているが、申し訳ないことに、言っていることの半分も理解できない。
 柚子は静かにマルコの表情と身振り手振りを見つめ、何を言わんとしているかを読み取ろうとした。が、やっぱり無理なので、スケッチブックを取り出した。
 相変わらずの三つ編み。
 日差しが強いので、麦わら帽子が手放せない。
 言葉はその内分かるようになる、と言われたものの、興味がないせいか、どの国の言語も覚えられなかった。
 そんな中編み出したのが、イラストトークだった。
 時間は掛かるものの、これをするようになってから、おかしな食い違いは発生しなくなった。
 そのため、案内役の条件には、絵が上手であること、が追加された。
 そんなことが出来るのなら、日本人であることや日本語が話せることを条件にすべきな気もするが、それはそれで興が殺がれるので、よしてもらっていた。
 スケッチブックを差し出すと、軽快なリズムでマルコが殴り書きを始める。
 マルコの絵は豪快だが、特徴をよく捉えている。それに簡単な英単語が混じるのが面白い。
 どうやら、今日の行き先について話してくれていたらしい。
 向日葵の絵が追加されたので、そこで理解した。
『今日は向日葵畑に行くのね! ありがとう! わたしが行きたいって言っていたところ!!』
 柚子は無理に英語やスペイン語を使わず、日本語でそのまま言い、マルコと握手を交わした。
 柚子が海外に出て学んだこと。
 言葉の正確性よりも、感情を素直に出し、体で表現すれば、気持ちは伝わる、ということだった。
『Syu! Mai!』
 マルコが思い出したように、2人の名を呼んだ。
『うん。そうだね。スケッチの合間に、2人に絵葉書を描くね! ありがとう、マルコ』
 高校の頃、一面に広がる向日葵畑が映し出されるCMがあったのだ。
 それを見て、舞が行ってみたいなぁと呟いたのを、柚子は聞き逃さなかった。
 いつもは修吾にだけ送るのだけれど、誕生日も近いし、いつも心配ばかり掛けているから、たまにはいいだろう。
 修吾からの連絡はほとんどない。
 その代わり、舞からはたくさん近況報告がある。
 連絡手段は専らメールだ。
 それだけのために、柚子は一生懸命パソコンの使い方を覚えた。
 目的があれば、苦手なことでもどうにかなるものだ。
 最近届いたメールでは、”清香に39回目の三行半を突きつけられた。”と書いてあった。
 数えているのか、と笑いそうになったが、その後に”清香に、これでもう39回目! もうイヤ! と言われた。”と書いてあって、納得した。
 清香であれば、回数を覚えていても、全然おかしくない。
 2人の口論の様子が目に浮かぶようだった。
 しかも、その口論を修吾宅で繰り広げたというのだから、修吾の気まずそうな表情が容易に想像できる。
 ”ニノに、気を持たせたまま誤魔化し続けるのも、浮気のひとつかもね。と言われ、あたしは非常に腹が立った。しょうがないじゃん。可愛いんだもん。可愛い子ちやほやしてなにが悪いの?”という半切れの言葉まであり、彼女もだいぶ図太くなったなぁと感じた。
 彼女のそれは性分だからしょうがないよ、と、つい清香にメールを送ってしまったが、返信はなかった。たぶん、柚子に話したことがばれて、40個目のかんしゃく玉が割れているところかもしれない。
『そろそろ、日本に帰りたいなぁ』
 柚子はぽつりと呟く。
 気が付けば、あれから5年の時が経過していた。
 自分がふわふわと絵を描いている間に、みんなはどれだけ成長したことだろう。
 きっと、変わっていないのは自分だけだ。



「なぁんか、後ろでコソコソやってるわね」
 いつまで経っても追いついてこない後ろの3人(修吾・勇兵・清香)を見て、舞が怪訝な表情で呟いた。
「遠野さん以外は、悪巧みに向ぐタイプでもねぇっけし、そんなに気にするごどでもねぇべ」
「モグってさぁ、清香に対してだけ棘あるわよね。あの子だって、すぐ顔に出るから全然向いてないわよ。それに、別にそういう意味で言ってないし」
 舞が唇を尖らせるので、柚子はくすりと笑った。
「舞ちゃんは、早く清香ちゃんと回りたいだけだもんね」
「えぇ〜。まさが、3組に分がれっとが言わねぇよね? したら、ボク、勇兵クンと2人きりだよ。なんも嬉しぐねぇ」
「秋行くん、それはそれで、塚原くんに失礼だよ?」
「んだってぇ……夏祭りで、女の子3人引き連れで来たのに、男2人とか、意味わがんねぇ」
「モグも言うようになったわね」
「ん。だって、ボク、失うものも怖いものも、しばらく、なんもねぇし。人生、厚かましいぐらいが丁度良いみでぇだがら」
 けろっとした表情で言ってのける秋行。
 舞は開いた口が塞がらないようにポカンとしている。
「大体、やんたがったら、グループであべって言わねばいいべし」
「ふふ。本当にね、その通りだよね」
 秋行の言葉に納得して、柚子はにこにこと笑った。
 その様子を見て、秋行がほっとしたように一瞬表情を緩ませた。
「別に、すぐ別行動とか、そんなこと言うつもりはないし」
 秋行と柚子に挟まれて居心地が悪いのか、舞はそう言うのが精一杯なように口を動かし、腕を組んだ。
「くーちゃん」
 後ろから呼び止められて、舞がすぐに振り返る。
 カランコロンと下駄の音を鳴らして、清香は駆けてくると、秋行と舞の間に上手く入り、舞の手を取った。
 その行為に対して、舞が慌てて手を振りほどこうとしたが、清香は全く動じなかった。
「ちょっ……」
「大通りに出るまで」
「うあー。ごちそうさまでーす」
「モグ、怒るよ」
 舞が清香越しに秋行にそう言ったが、そんなのお構いなしに、清香がにこやかに笑い、少し甘えた声を発した。
「くーちゃん、私、お化け屋敷入りたいなぁ」
 彼女のその笑顔の恐ろしさを、柚子はよく知っている。
 案の定、耳元で囁かれた舞は、あっという間に陥落した。
「ん。勿論。言われると思ってた」
 頷いてそう返す舞。
 清香が先を急かすように舞を引っ張っていく。
 置いて行かれた柚子と秋行は、その背中を見送る。
「やっぱり、遠野さん、おっかねぇ。魔性の女だべ」
「……まぁ、舞ちゃんにやってる分には、両想いなんだし、いいじゃない」
「そうゆう問題なんだべがぁ。あのシャドーが骨抜きなんだよ? 今年の文化祭、非公式でやる予定のマドンナ投票ナンバーワン候補の子が……」
 秋行がもったいないものでも見るようにそう言って、ため息を吐く。が、柚子は特に動じずに笑った。
「周りの評価はどうあれ、舞ちゃんはとっても可愛い人で、とっても優しい人。それだけだよ」
「…………。本当に、柚子チャンは本質しか見ねぇなぁ」
「わたしの知ってる舞ちゃんは、綺麗な桜色が似合う人だもの。本人は好きじゃないみたいだけど」
「そが。……ボクは?」
「え?」
「ボクは、柚子チャンにはどんな風に見える?」
 秋行が少し大人びた笑みを浮かべて、小首を傾げた。
 なので、柚子は少し考えてから、思った通りに告げる。
「他人をよく観察していて、相手の良いように動いてあげることを当たり前のように出来る優しい人」
 柚子の言葉に、秋行は笑顔を崩さない。
「秋行くんの彩のイメージは、命の壁を乗り越えてきただけあって、濃くてたくましい。深い、カーキブラウン。でも、最近は輝くように強い黄色が見える気がする」
「ん。ありがとぉ」
 柚子の言葉に、秋行は満足げに笑い、後ろを向いた。
「いづまで、野郎2人でちんたら歩いでんの! シャドーたちみたいに、柚子チャンと別行動しに行ったって、ボクは全然構わないんだがんね!」
 秋行の言葉に、ようやく勇兵が歩くペースを上げて追いついてくる。
 着慣れない浴衣のせいか、修吾はその後をゆっくりと歩いてきて、当たり前のように、柚子の隣に並んだ。
「ごめん、退屈してた?」
「ううん。秋行くん、お話上手いから全然。修吾くんといる時みたいに、静かにはならないから」
 他意はなかったのだが、そう言われて、少々微妙な表情をする修吾。
 なので、柚子は慌てて付け加えた。
「修吾くんといる時の沈黙は、とっても心地良いよ」
 柚子の言葉に、他の人では分からないくらい微かに目を細めて嬉しそうにしているのが分かった。
 今まで、当然のように、留学の話をしてきた。
 彼は、何ひとつ文句を言わずに、理解を示してくれた。
 でも、本当にそれは本心なのだろうか。
 進路の壁にぶつかったことで、はじめて周囲を見回した柚子には、そうは思えなかった。
 柚子だって、傍にいられるのなら、彼の傍にいたい。それが本音だ。
 本心を押し隠すようなところのある彼が、ずっとそう思っていたとしても、不思議はないと思うのだ。



”柚子、この前は絵のプレゼントありがとう。
 柚子の学校の雰囲気が伝わってくるようでした。
 あたしは、中学の頃から志望していた美大のオープンキャンパスに、この前行ってきました。ハードルは高いけど、やっぱり、行くならあそこがいいなぁと思わされる何かを感じました。
 画家志望だもの、インスピレーションを信じるべきよね。
 あ、それと、要らない情報かもしれないけど、柚子にも知ってほしかったので、書いておきます。
 夏休み前、崇に告白されて、付き合うことになりました。
 彼の志望大学が関西にあるので、バタバタと忙しくなる前に決着つけときたかった。とのこと。
 近所の幼なじみと遠距離恋愛、と思うと、どうも想像つかないけど、まぁたぶん、なんとかなるよね。
 その後、ニノミヤくんとは仲良くやっていますか?
 あたし、あの人なら、柚子にピッタリだと思うよ。
 ああいう真面目で誠実な男子は、いるようでなかなか出会えない気がします。
 それでは、また気が向いたら、連絡します。

 追伸
 最近、コンクールに出展していないようだけど、何かあった?”



 賢吾の車から降りて、柚子はぺこりと頭を下げた。
「送ってくださって、ありがとうございました」
「いやいや。遅くなっちまったし、一応、親御さんに挨拶しといたほうがいいか? 大丈夫?」
「大丈夫です。おばあちゃんの家からも電話しましたし」
 柚子は笑顔でそう言い、手に提げていた水ヨーヨーを修吾に向けた。
「これ、ありがとう。大事にするね」
「大事に、って。すぐ萎んじゃうよ?」
「萎んだって、修吾くんが取ってくれたものだもん。ちゃんと取っておくよ」
 柚子が照れもせずにそう言うと、賢吾がひゅ〜と口笛を吹いた。その反応に、修吾が照れくさそうに表情を歪める。
「ホント、ちびっこ言うよなぁ」
「え? ダメですか?」
「いーや。ダメじゃないよ。さ、おうち入んなさい。お兄さんはお前さんが家に入るまで見届けてからでないと、帰れんのだよ」
「はい。おやすみなさい」
「おやすみ」
 柚子が笑顔でそう言うと、修吾が優しくそう言い、名残惜しそうな表情でドアを閉めた。
 小さく手を振り、踵を返す。
 と、その時、庭の外に停めてあった黒塗りの車から、人が降りてくる音がした。
「渡井さん!」
 呼び止められて、柚子は足を止め、そちらを向いた。
 庭に入るのは躊躇われるのか、門の外に人影が立った。
 暗くてよく見えないが、声には聞き覚えがある気がして、柚子はそちらに歩いていく。
 賢吾の車がライトを点けたので、それでようやく姿が確認できた。
「有働、さん……」
 4年程前に会った時より、若干痩せていたが、それは確かに、中学の頃、柚子をスカウトしに来たおじさんだった。
 修吾が心配するように車から降りてきたが、柚子はそれに対して、柔らかい声を掛ける。
「大丈夫。知ってる人だから。遅い時間だし、そろそろ帰って?」
「……分かった。じゃ、また明後日」
「うん」
 柚子の言葉に素直に従い、修吾が車に戻った。
 エンジンがかかる音がし、渡井家の庭を出ていく賢吾の車。
 柚子はゆっくりと歩み寄って、有働を見上げた。
 有働は昔ほど野心的な輝きは放っておらず、優しい表情で柚子を見つめた。
「お久しぶりです」
「ぅん。お宅に伺ったんだが、お父さんに追い返されてしまってね」
「そう、ですか」
「元気かどうかだけでも、見たかったから待っていたんだ」
「……お痩せになられましたね」
「ああ、ちょっとね。ここ2年ばかり、体調を崩してしまって。情けない話だよ。そのせいで、君に会いに来るのも遅れてしまった」
「今は、大丈夫なんですか?」
「ん? ああ。大丈夫じゃなかったら来ないさ」
 柚子の言葉に、有働は穏やかに微笑んだ。
「なんだか、渡井さん、雰囲気が変わった気がするねぇ」
 なんとなく、それはこちらの台詞だ、と言いたかったけれど、柚子はその言葉はぐっと飲み込んだ。
「あ、今日、お祭りがあったので、髪を下ろしているからじゃ……」
「違う違う。すごく、開いている感じがする」
「開いて?」
「中学の頃の君は、ひどく閉鎖的だった。世界にも興味がなかった。ただ、孤独に高い技術だけを持て余している。それだけの子だった」
「…………」
「君のお父さんの選択は、正しかったのかもしれない」
 有働は穏やかな声で話し、納得するように頷いた。
「今年度に入ってから、君はコンクールに出展していないね。スランプか何か?」
「いえ、絵は描いています」
「ふむ。気乗りするコンクールがなかったのかな?」
「……そう、ですね。元々、テーマ性のあるものは苦手ですし」
 有働は少し考えるように顎を撫で、上体を屈めて、柚子の視点まで自分の視点を下げた。
「あの時の、君のお父さんの選択は正しかったかもしれない。でも、ここからは、私を信じてくれないだろうか」
「…………」
「高いレベルからステップアップするには、それなりの環境が必要だ。ぬるま湯ではそれは育たない。私の主観が入っているのは認めるが、君は国内の美術大学に入っても、もう学べることはないと思う」
 有働の真っ直ぐな視線に気圧されながらも、目は逸らせなかった。
 有働が胸ポケットから名刺を出し、柚子の手に握らせた。
「君だけが、私の人生の気がかりなんだ。このままでも、君は有能な画家になるかもしれない。でも、私は君が更なる高みへ行けるという可能性を示したいんだ」
 はっきりと言い切った後、有働は軽く咳き込んだ。
 心配する柚子に、穏やかな笑みを向け、「では」と告げると、車へと戻って行ってしまった。
 興味があれば、連絡をください。
 渡された名刺の意味は容易に想像できて、柚子は下唇を噛み締めた。



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