◆◆ 第14篇 水風船・キミと見た夏の月 ◆◆

Chapter 4.車道 舞



『もうすぐ兄貴も帰国するらしいから、そろそろ出ていく準備しといてね』
 3年も同居していた相手に、さめざめと彼は言い放った。
 清香が怒って帰ってしまい、作っておいてくれた夕飯を味わっているところに、急な攻撃。この男も、なかなか性格が悪い。
『……でも、あたし、あんまりお金ないしなぁ。これ以上バイト増やすと、論文書けないし』
『いい加減さぁ、さっちゃんと暮らすの、前向きに考えろよ』
 修吾は呆れながらそう吐き捨て、味噌汁をすすった。
『週に何回も、こんな郊外まで来てもらってて、そのくせ、お前はタダ飯目当てで飲み会だろ? 誰だって怒る』
『……しょうがないじゃん。大事な友達が変なのに捕まらないか心配なのよ』
 舞は唇を尖らせてぶぅたれるだけ。
 修吾は不機嫌な表情でそれを眺め、ため息を吐いた。
『お前の恋人って誰だっけね』
『清香に決まってんでしょ』
『だったら、少しはそう思わせる努力をしないと、本当にさっちゃんに捨てられるよ? こんなに美味しいご飯作れるんだから、いくらでも相手見つかるもん、あの子なら』
『誰にもやらないわよ』
 修吾の言葉にきっぱりと言い切る舞。
 その様子を見て、嬉しそうに修吾が笑った。
『本人に言いなよ、それ』
『ホント、ニノってば、可愛げなくなったよね。あの頃の、ニノを返して頂戴!』



「受験勉強、受験勉強っていい加減息が詰まるなぁ。柚子、何か面白い話ない?」
 お昼休み、清香と柚子のクラスに遊びに行き、ため息を吐きつつ問いかける。
 柚子はもくもくとお弁当を食べているだけで、その声には反応しなかった。
 夏休み明け、始業式の日からこんな調子だ。
 ぼーっとしているのはいつものことだけれど、柚子が考え事をしている時は、すごく分かりやすい。
 清香に視線をやると、彼女も困ったように笑うだけ。
 四六時中、この調子ということらしい。
「ゆーず!」
「…………。あ、舞ちゃん、来てたんだ?」
 柚子の反応に舞は苦笑いを浮かべる。
「なーに、ぼけてんの。アンタだって一応受験生なんだから、のらくらしてる余裕ないでしょ」
「うん……。そうなんだけど」
「? 何かあった?」
「…………。ううん、何もないよ」
 嘘つけ。
 心の中で呟きはすれど、それを口に出してまでは言えなかった。
 強引に聞き出してもいいけれど、話せないということは、答えが出ていないということだろうし、一応、彼氏くんに譲ってあげるべき役目であることも理解している。
 ずっとこの調子だったのであれば、修吾だって黙っていないはず。
 そう考えて、舞はしばらく見守ることにした。



「ニノさぁ、今回朗読する詩、アンタが書いてみない?」
 文化祭で取り組むテーマを話し合う場で、舞は思いつきでそれを口にした。
 そう言った瞬間、自分の中でやりたいことがすっきりとイメージできた気がした。
 そう言われた本人は面食らったように、普段見せない驚きの表情を浮かべた。
 後輩たち(楽は除く)が面白いことになったと言わんばかりに、キラキラした目で2人のやりとりを見守っている。
 4月の部員勧誘で、新入部員が10人入ってきたが、思いのほか、きちんと活動していたせいか、残ったのは3人だった。
 別に幽霊部員でも構わなかったのだが、舞と修吾に廊下で会ったりすると、いたたまれない気持ちになるという理由で、7人とも辞めていった。
 2人の容姿は、客を呼ぶにはちょうど良いパーツだが、意図せず威圧することも出来てしまうらしい。
 それでも、舞が入部した頃に比べたら、だいぶ賑やかになったものだ。あの頃は、部室に行っても、誰もいなかったのだから。
 1年の頃、あまり使う気がしなかった部室も、今はこんなに賑やかだ。
『たった1人、部室で本を読んでいるのが好きだったけど、あなたたちのおかげで、それだけじゃなくなった』
 鳴は卒業式の日、舞と修吾から手渡された花束と冊子を見つめながら、穏やかな声でそう言ってくれた。
 間違いなく、この空間は、自分たちが築いてきた場所だ。
「部員数も昨年より増えたし、1人1人読むんじゃなくて、全員で1つのものを読むっていう方法を、試してみたい」
「……そんな本格的なものを? 演劇部でもなんでもないんだよ?」
「最後だもの」
「え?」
「あたしたちにとっては、これが最後。もう二度と、あたしもアンタも、こんなことはしないでしょ? だからこそ、面白そうなことをやってみたい」
 舞は穏やかに笑みを浮かべ、サラリと長い髪を掻き上げた。
「1・2年生」
「はい」
「今年はあたしのわがままに付き合って。君らのやりたいことは、来年やってちょうだい」
 全員の顔を見渡し、優しい声でそう言うと、舞は静かに目を細めた。
「今年の文化祭、1年生には展示物を任せます。テーマは自由。分からないことや確認してほしいことがあれば、2年に頼ってください。2年生は、発行物の取りまとめと装丁。締め切りはちゃんと守らせてください。3年生は当日の催しの準備。全員でやることは、発行物に掲載する作品の作成。テーマ・ジャンルは問いませんが、1つあたり400字詰め原稿用紙5枚以内にしてください。長編物や未完作品は認めません。そして、もうひとつ。朗読の練習。ギリギリになって始めると痛い目を見ます。各自、計画的に作業を回してください」
 淡々と指示を出し、舞はにっこりと笑った。
「何か異議があれば、今ここでお願いします」
 舞の言葉に、楽が呆れたようにため息を吐いた。
「異議があっても、どうせ折れないんだろ?」
 その言葉に1・2年生はどっと笑い声を上げた。
 修吾がやれやれと言いたげな表情で、その様子を眺め、こちらをしっかりと見据えてくる。
「了解。作ります。でも、詩は得意じゃないから、1個だけ。その他必要な詩や戯曲があれば、それは部長に任せる」
「分かった」
 最初は内申点稼ぎの幽霊部員だったはずなのに、気が付けば、この3年間、真面目に文化祭活動してきたものだなぁ。
 修吾の言葉に頷きつつ、ついついそんなことを考えてしまう舞だった。



 ようやく座り心地に慣れてきた部長席。
 グッと伸びをしたら、ついでに欠伸まで出た。
 その様子を呆れた様子で見ている修吾に気が付いて、唇を尖らせた。
「何よ」
「前から思ってたけど、シャドーって、僕に対して、無防備過ぎじゃない?」
「今更、気を張る相手でもないじゃない」
「いや、そういうのじゃなくて」
「女として意識してないのが分かりきってる奴の前で、綺麗ぶったってしょうがないわよ」
「意識してない訳じゃないけど」
「ふーん。あ、そういえば、ニノって推薦受けるの?」
「いや、受けないよ。文化祭準備もあるし、それどころじゃない」
「ニノ、アンタ……、文化祭優先な訳?」
「こんだけやることてんこ盛りにしちゃう部長さんに言われたくないよ」
 舞の言葉に失笑しつつ、修吾は図書室で借りてきた詩集をパラパラと眺めている。
「シャドーは?」
「志望大学の推薦枠、1個しかないのよ。別の子が早々持ってっちゃったから諦めた」
 ため息混じりにそう返し、舞はもうひとつ欠伸をした。
「もう少し睡眠時間考えないと駄目だなぁ」
「試験前になって体調崩すよりはいいけど、そろそろ体内時計、リセットしといたほうがいいかもね」
「そうねぇ。ニノのおかげで、1・2年の頃からコツコツやれてたし」
「シャドーは僕がいなくても、自分でやってたでしょ」
 修吾はくすりと笑い、一瞥もくれずに詩集を見つめている。
 未知の分野に踏み込む時、彼はまず傾向を探るところから始める。
 小説が書けない時は、古典文学の写し書き。
 ひたすら、いろんなジャンルの小説やシナリオ技法の本を読み漁っていることもあった。
 本人が思っている以上に、彼は文章を書くということを生活の一部にしているのではないだろうか。
「今のうちに言っとくわ」
「ん?」
 舞の声に若干張りがあることに気が付いたのか、ようやく修吾が顔を上げた。
 舞はにっこりと笑い、小首を傾げてみせる。
「アンタが入ってきてから、あたしの中で、部活動の優先度が変わったの。勝負事を嫌って、テキトーな学生生活を過ごしてやろうって思ってたのに、気が付いたら本気で取り組んでた。あたし1人だったら、こんな風にはきっとなってなかったわ」
「…………」
「ありがと」
「……気が早いな」
「え?」
「まるで、今日で引退みたいじゃないか」
 照れ隠しなのか、そう言って修吾が笑う。
「しょうがないじゃない。なんとなく、言いたくなったんだから」
「……出逢いにも別れにも、無駄なものはひとつだってないんだろうね」
「え?」
 ボソリと言った修吾の言葉が聞こえなくて、舞は聞き直そうとしたが、誰かの足音がして、部室の扉が開いたので、口を閉じた。
 扉を開け、ジャージ姿で歌枝が入ってくる。
「舞先輩、楽はぁ?」
 今にも泣きそうな顔。
 この子は、背は高いし、気も強いのに、泣き虫でいけない。
「なに? どうしたの?」
「…………。いないならいい。お邪魔しました」
 ペコリと頭を下げ、丁寧に扉を閉めると、また足音を立てて廊下を歩いていってしまった。
 修吾がキョトンとした顔でそれを見送り、そのままの顔でこちらを見た。
「歌枝ちゃん、どうしたの?」
「さぁ? また、楽に愚痴でも聞いて欲しかったんじゃない?」
「ふーん……。あの2人、結局付き合ってるの?」
「……それは、姉であるあたしにも謎のひとつなんだよねぇ。楽って、色恋沙汰の匂いが全くしないというか。夏祭りの時に、感情的になってたのなんて、すっごいレアイベントだからねぇ」
「そっか」
 納得したのかしないのか、ぽつりと呟いて頷くと、修吾はまた詩集に視線を落とした。
 舞はちょうど良いタイミングだと思い、わざとらしくため息を吐いてみせた。
「柚子もあのくらいなんでも相談してくれる子ならいいのにねぇ」
「ん?」
 とぼけているのか、修吾の反応は緩かった。
 頬杖をつき、目を細める舞。
 分かっていて、突っ込めないでいるんだろうなぁ。
 反応でなんとなく分かってしまう自分が嫌だった。
「なんか、様子がおかしいのよね」
「…………」
「何か聞いてない?」
「進路のことで、悩んでるみたい」
「みたい?」
「渡井らしくないって言おうとしたけど、今にも壊れそうな表情で立ってたから、それ以上、何も言えなかった」
「…………」
 じっと修吾の横顔を見つめていたら、修吾がこちらに視線を寄越した。
 何度か呼吸を繰り返し、ようやく意を決したように声を発する。
「渡井、留学しないかもしれない」
「……アンタ、半分ほっとしてるんじゃないの?」
 数秒考えて、舞は静かにそう問いかけた。
 修吾がその言葉に気圧されたように、グッと息を飲み込んだのが分かった。
「柚子が、辛いことを避けようとする時は、アンタがしゃんとしなきゃダメでしょ。一緒になって、弱らないでよ。そんな奴に、柚子を任せたつもりないわ」
「…………」
「アンタにしか、あの子に言ってやれない言葉があるのよ。やらないといけないことって、タイミングを逃すと、後悔しかしないんだよ? そのくらい、アンタなら分かるでしょ」
 ずっと見てきた。柚子のことも。修吾のことも。
 この2年と半年。
 舞の周りには、始終、この2人がいたのだ。
 大好きな2人だから、後悔しない道を歩いて欲しい。
「アンタがボサッとしてるんなら、美味しいところ、あたしがもらっちゃうぞ」
 奮い立て。挑発してんだから、喧嘩買え、根性なし。
 心の中で呟きながら、真っ直ぐに修吾を見据える舞。
 修吾も真っ直ぐ見返してくる。
 よし、来い。来い。
「今までだって、結構美味しいところ持ってかれてるよ」
 失笑混じりで、修吾は冗談っぽく言うと、首をポリポリと掻いた。
「自分で選ぶべきことだっていうのが、どうしてもあって、引け腰になっちゃってたけど、そうだよね。……大体、お父さんに反対されたくらいで諦めるなんて、渡井らしくないもん。1年の頃、あんなにキラキラした顔で言ってたことを曲げたら、彼女は光を失ってしまう気がする」
「……やる気になってくれたのは嬉しいけど、相変わらず、気障ねぇ……」
「なっ。う、うるさいな。シャドーは応援してんのか、からかってんのか、どっちなんだよ、全く!」
「決まってんでしょ」
「?」
「あたしは、いつだって、柚子の味方よ」
 ふふんと笑みを浮かべて言ってのけてやると、今度は修吾が苦笑した。
「お前だって、人のこと言えないじゃん」



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