◆◆ 第14篇 水風船・キミと見た夏の月 ◆◆

Chapter 7.車道 舞



『え? そうなんですか?』
 久々に鳴から夕飯のお誘いを受けた。鳴の好きな中華料理のお店でご飯を食べながら、近況を報告し合う。
 修吾に追い出されるように部屋を出た後、舞もさすがに腹を括って、清香と一緒に棲むことを選択した。
 清香の母親のハードルがむちゃくちゃ高かったが、清香が頑として譲らない姿勢を見せたことで、あちらから折れてくれた。
 どうやら、遠野家では、舞は仲の良いお友達、で通すつもりのようで、父親に関しては、2人の仲のことは全く聞かされていない様子だった。
 このままでいいのかなぁ……と思う部分はあるものの、車道家においても同様であるので、そこは仕方ない部分かもしれない。
 しかし、2つの家で決定的に異なることがあるとすれば、車道家には楽がいるが、遠野家には清香しかいないということだ。
 さて、話を元に戻そうか。
 舞はエビチリを頬張りながら、鳴の言葉に顔を上げた。
『うちの出版社でね、担当がついて……。鮮烈的なデヴューとはいかないけれど、ようやく本が出せそうなの。彼の希望通り、児童向け小説ですよ』
『へぇ……。アイツ、あたしのこと追い出してから、全然連絡寄越さないんですもん。全然知りませんでした。もう、1年くらい話してないかも』
『あら。では、私とのほうがよく会っていることになりますか?』
『そうですね』
 舞は面白くなかったので、行儀は悪いけれど、頬杖をついて、皿によそったチャーハンを箸でつつく。
『……ここだけの話、容姿が綺麗だから女性読者をターゲットにした恋愛小説を書いてみないかっていう話も出てるんですよね。文章自体は繊細で、女性向けの小説を書くのに適しているので』
 容姿をごり押しで売り出す、という意味なのはすぐにわかった。
『へぇ。でも、アイツ、断ったでしょ?』
『よくわかりましたね』
『ニノがそんな話受けるはずないですよ』
『頑固者、というのも困り者ですが、私個人としては、彼らしくて嬉しかったですよ』
 鳴が本当に嬉しそうに柔らかい笑みを浮かべた。
『作品としての幸せを取るか、作者としての幸せを取るか』
『 ? 』
『どの時代でも普遍な作品を書けば、それは作品の幸せです。作者が生きている間の生活基盤となる作品であれば、その時代の流行や考え方に左右されるので、その時代でしか読まれない作品になるでしょう。それは、私からすると作者の幸せかな、と思うんです』
『前者は、亡くなってから評価される作家さんってことですかねぇ?』
『存命な間から売れていた方もいますから、そこに区切りはつけられません。ただ、二ノ宮くんは、きっと、普遍な作品が書きたいのですよ。ああいう作家さんは、苦労すると思いますが、応援したいというのも事実です』
『……不器用ですから』
 舞がとある映画の台詞を真似すると、鳴はおかしそうに笑い、湯気で曇った眼鏡を拭った。
『小説専業で行くつもりがないのは、正解かもしれませんね』
『アイツ、そう言ってました?』
『はい。受かるまでは、二足でも三足でも草鞋を履きますって言ってた。彼も大変ね』
『……なんか心配になって来たんで、久々に顔見に行ってこようかな』
『ええ、そうしてくれると嬉しい』



 9月も下旬にさしかかった週明けの月曜日。
 柚子のところに遊びに行くと、彼女はニコニコ笑顔でご飯を食べていた。
 ああ、なんて分かりやすい子だろう。
 心の中でそんなことを思いながら、前の席の子が在席中だったので、舞はしゃがんで机に肘をついた。
「随分、とろけた顔してるわねぇ」
「えへへ〜。昨日ね、修吾くんがね、あ、な、内緒……」
 はは〜ん。キスでもしたか? ニノってば、1年も手を出さなかったなんて、紳士過ぎるにも程があるぞ。
 勝手に想像して、舞は自己完結する。
 柚子は顔を赤くしたり青くしたりしているから、外れてもいない気がしてしまう。
「舞ちゃん」
「ん〜?」
「留学、決まったから」
「え?」
「わたし、卒業式が終わったら、フランスに行く」
 柚子はしっかりとした眼差しをこちらに向けた。
 ゴクリと舞は息を飲む。
 かねてから、柚子の真っ直ぐさには目を見張るものがあったけれど、そうか、ようやく、立ちはだかっていた壁が、取り除かれたのか。
 それでは、もう、彼女は走るだけだ。
 走っていく。こちらが置いてけぼりにされるのではないかと不安に駆られるような速度で、きっと、走っていく。
 そう思い至った時、過ぎったのは修吾の寂しげな背中だった。
 ああ、だから、アイツ、朝から元気なかったのか。ご主人様に置いてかれた柴犬みたいだったもんなぁ。
「柚子」
「? なに? 舞ちゃん」
「柚子がいない間は、あたしがアイツのこと、ちゃんと見守ってるから。安心して」
 舞の言葉に、柚子はきょとんとしたが、納得したように頷いて笑った。
「大丈夫だと思うけど、可愛い子に誘惑されてたら、シャットアウトしてくれると嬉しいな」
「え、あ、ああ。勿論よ」
 そっちじゃなかったのだが、まぁ、いいか。
 アイツも、柚子には悟られたくないだろうから。
「ホントよかった」
「え?」
「柚子が笑顔じゃないと、あたし、落ち着かないのよ。ニノと張り合ったら勝てるくらいの自信があるわ」
 舞の言葉に、柚子は照れるように目を泳がせた。
 落ち着かないのか、三つ編みをさわさわと触り、数秒してからこちらを真っ直ぐ見つめてくる。
「うん。知ってる」
「知ってるか」
 はっきりとした返答に、舞は冗談気味にへらっと笑った。柚子は真っ直ぐこちらを見たまま、ゆっくりと口を開いた。
「わたし、舞ちゃんのことは、よく見てるから」
 今度はこちらが照れる番だった。
 ホント、この子は、こういう言葉が、あけすけというか、素直というか。
 熱くなった顔を手で押さえて、舞は柚子から視線を逸らす。
「まぁったく。そういうことは、好きな男に言え」
「言えないよ〜」
「なんで」
「だって、恥ずかしくて凝視してないもん。きっと、舞ちゃんのことのほうが、わたしはよく見てると思う」
「……得意げに言うな」
 チョップを柚子のおでこにかまして立ち上がる。
 けれど、修吾には悪いが、悪い気がしないのも、また事実なのだった。



「え? アンタ、わざわざ、柚子の家まで行ったの?」
「……心許なさそうだったから」
 部室で文化祭準備の合間に、柚子の様子が元に戻ったことを話すと、修吾はおずおずといった感じで、話してくれた。
 シャイボーイ二ノ宮くんらしく、あまり大っぴらに話したいことでもなかったらしい。
「なによ、それ。アンタ、カッコ良すぎじゃん。あー。だから、柚子、あんなにとろけてたのか」
「とろけ……?」
 舞の表現を訝しむように修吾が目を細めた。
「あー、気にしなくて良いよ。アンタにはわかんないから」
「はぁ……」
「しかし、お尻叩いたのはあたしだったけど、あの子行かせちゃって、君は大丈夫なのかね」
「……色々迷ったけど、それがいちばん良いって、思ったんだ。僕が好きなのは、彼女の突き進むエネルギーだから」
「…………。いっつも思ってたけどさ」
「なに?」
「ホント、イカした馬鹿よね。アンタって」
「ば……」
「あ、これ、誉めてるから」
 修吾が怒るよりも前にそう付け足して、舞は作業途中だった段ボール紙に、油性マジックで字を書く。
「なんというか」
「なに」
「”娘さんを僕にください”並みなことしたのよねぇ、アンタ。いやー。そんな線の細い顔して、なんたること」
「馬鹿にしてるよね?」
「誉めてるってば。少なくとも、あたしには一生懸かっても出来る気がしないことだから」
「…………。どう取られたっていいよ。今は、彼女が笑ってる。それだけで満足だから」
「アンタの背中には哀愁が漂ってて、友達としては、とぉっても心配なんだけどね。まぁ、安心しなさいよ」
「安心?」
「あたしが傍にいたげるから」
「は?」
「柚子にも許可取ったし」
「…………」
 得意満面で白い歯を覗かせて笑いかけると、修吾がものすごく微妙な表情でこちらを見てきた。
 舞はその表情の意味が分からず、小首を傾げる。
「やめてくれよ」
「…………」
「僕は、ユズさんの所有物ではないし、そうやって、見守ってもらわないといけない程、弱いつもりもない。何より、さっちゃんに怒りの矛先を向けられるのは、まっぴらごめんだ。子どもの頃で懲りてる。あの子のかんしゃく玉潰すと、本当に大変なんだから」
 冷たい口調で言ってのけると、スタスタと早足で部室を出て行ってしまった。
 修吾がなぜあんなに怒ったのか理解できないまま、舞は1人部室に取り残された。
「あたし、もしかして、過干渉すぎた……?」
 ポソリとそれだけ呟く。
 昔から人との距離の取り方が下手だった。
 飄々といろんな人と仲良くして、そのくせ、深入りは絶対にしなかった。
 方法が分からなかったのもあるけれど、何よりも傷つくのが怖かったからだ。
 それがどうだ。この高校3年間は。
 自分で言うのもなんだけれど、特定の枠の仲だけとはいえ、しっかりと踏み込んだ関係を作れた。そのせいだろうか。いつまででも、踏み込んでいて良い気がしてしまっていた。
 そんな訳は、決してないのに、だ。



 確かに君はそこに在ったのだと。
 確かに僕たちはそこに在ったのだと。
 ただ静かに、振り返る度に思うだろう。
 前に進め。
 自分のペースで良い。
 他人(ひと)のペースに振り回されるな。
 自分のペースで、しっかりと道を踏みしめて、自分自身で納得する真理の欠片を手にすればいい。
 それは道端に落ちているかもしれない。
 空から降ってくるかもしれない。
 もしかしたら、誰かが君の物を拾って持っているかも。
 もしかしたら、自分で持っていることに気がつかずに、誰かに見つけてもらうかもしれない。
 でも、それで良い。
 探すことを止めなければ、自ずと足は前に出るのだから。
(※文化祭文芸部朗読詩より一部引用)



「お疲れ様でした」
 彼女がにこやかな笑顔でそう言って、舞の頭を撫でてくれた。
 文化祭の片づけも終わり、後夜祭が開かれている校庭を、部室から見下ろしながら、過ごす時間。
 1年の時は途中でボイコット。2年の時は不参加。3年にして、観覧参加というポジションを取れることに気がついた。校庭を見下ろすのに、文芸部部室はうってつけだった。
「結局、オルガン弾いてもらっちゃってごめん」
「ううん。最初からそのつもりだったし、別の子に頼まれても、心中複雑だったから、良かったよ」
「受験生引っ張りだしちゃ悪かったかなって」
「……くーちゃんの手伝いがなかったら、クラスの手伝いを率先してやってたと思うから変わらないよ」
 清香は穏やかに微笑んで、舞の額に照れもせずに口づけてくる。くすぐったくて、舞はそっと後ずさった。
 2人きりになった時の彼女の積極さには正直頭が下がる。彼女は恋愛体質、と呼ばれるタイプの人なのだと思う。
「最後だからさぁ」
「え?」
「こうやって、みんなで力を合わせて! とか、そういうの。きっと、最後だから」
「…………」
「大学でも、あるかもしれないけど、でも、こんなに高い温度で、やってやるって思える時間は、最後のような気がするから。それに、くーちゃんと一緒にこういうことが出来るのは、最後じゃない?」
「うん。そう、だね……」
 自分でも何度も言っていたけれど、これが最後なのだな、と、彼女に言われて実感したせいか、シクシクと胸を締め付けられる心地がした。
「同じ学校に通って、ってことは、卒業したら出来なくなるけど、それでも、私のことがいちばんだって、くーちゃんが言ってくれるなら、私はあなたについていくから」
「うん」
「それで、くーちゃんが疲れたら、私が引っ張ってあげるから」
「うん」
「……ずっと一緒にいようね?」
 甘えるように見下ろしてくる彼女。
 立った状態では、どうしても身長で負けてしまうから、舞はあまり好きではないのだけれど、こんなに可愛い顔で言われたら、何も言えやしなかった。
 カーテンを片手で引っ張り、校庭から見えないようにしてから、舞は清香の肩に手を置いて、少しだけつま先に力を入れてキスをした。



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