◆◆ 第3篇 篝火・たこ焼き弾丸ストライク ◆◆
Chapter NARU2.古平良 鳴
「ねぇねぇ、鳴ちゃん。夜の6時って、昔の言葉だとなんていうの? 宿題にそんな問題があってさぁ」 鳴が模造紙に文を書いている横で、俊希はそんなことを言って、本当に嫌そうにプリントをペラペラ振った。 「酉の刻」 「とり? ああ、カラスが鳴く時間だからか。昔の人も上手いこと言ったもんだね」 「鳥は鳥でも、にわとりのことです」 「は?」 鳴の言葉に、俊希は意味が分からないというような声を上げた。 なので、鳴もすぐに顔を上げる。 「にわとりが鳴くのは朝だろ? 昔の人何言ってんの? 夜鳴くにわとりなんて、相当ひねくれてるとしか言えないぞ」 真面目な顔でそんなことを言うので、鳴は思わず笑いそうになった。 けれど、こちらが反応を示すと、本当に満足そうに俊希が笑うので、それが癪で、なんとか我慢した。 「干支の酉ですよ。丑の刻参りっていうじゃないですか」 「へ?」 「2時間ずつ当てはめていくと、ちょうど酉の刻が18時になるんです。それだけのことですよ」 「あ、そうなんだ。いやー、国語は鳴ちゃんに聞けば、ちゃんと説明してもらえるから助かるわ」 「授業でやるようなことですが」 「おれが授業を聞くような人間に見えるぅ?」 全く悪びれた様子も見せずに、そんなことを言って、おかしそうに笑った。 鳴は呆れたようにため息を吐き、すぐに作業に戻る。 俊希は静かにその様子を見守っていた。 マジックのキュッキュッという音だけが部室に響き、2人の間に沈黙が流れる。 外から運動部の掛け声が聞こえてくるが、その声が余計に室内の静まり具合を顕著にさせた。 「……そういえばさぁ」 口を開いたのは俊希だった。 「次の部長、鳴ちゃんがいいんじゃないかって言われてるみたいだけど、鳴ちゃん、どう?」 「どう……というのは?」 「やりたい?」 「いいえ」 これっぽっちも。 「だよねぇ」 俊希は笑い、頬杖をつく。 鳴が視線を向けると、白い歯を見せてニィッと笑っていた。 ……変なの。 そんな風に思いながらも、何も言わずに作業を続けた。 ……彼が部長に名乗り出たという話を聞いたのは、文化祭が終わってすぐのことだった。 文芸部は人数が少ないこともあってか、話し合いなどなしの任命形式で部長が決まるシステムになっている。 だから、それまでは、一切そんな話を聞いてはいなかった。 相変わらず、部室で本を読んでいると、バタバタと俊希が部室に駆け込んできた。 鳴はすっと視線だけ上げ、会釈をし、視線を小説に戻す。 けれど、俊希は落ち着かないようにわたわたし、思いついたように鳴の脇に掛かっているカーテンの中に入ってしゃがみこんだ。 「何、やってるんですか?」 「お願い、鳴ちゃん、匿って」 「え?」 「二股が、ばれた……」 「……それは自業自得じゃないんですか?」 一応、文芸部には無駄に大きい机があって、カーテンとその机の影を利用すれば、確かに扉から俊希の姿は見えないのだが。 理由が理由だけに、鳴は呆れるように目を細めることしか出来なかった。 てっきり別れて次の人と付き合って、の繰り返しかと思っていたが、そうではなかったらしい。 ……けれど、最近はそれほど女の子の名前は聞かなかったように思うのだが。 バタンと勢いよく開く扉。 やや茶色い髪をした、少し性格のきつそうな女子生徒が中へと入ってきた。 部室を見回し、鳴に尋ねてくる。 「トシは?」 「さぁ……? 本間先輩は、今日は来てませんけど」 「……そうよね。人のいる部室に、アイツが用あるわけないしね」 そう吐き捨て、お騒がせしてごめんなさい、の言葉も何もなしに、その女子生徒は去っていった。 鳴は扉が閉まったのを確認してから、小説に再び視線を戻した。 「……さ、サンキュー。助かった。あの子、合気道の段持ちで……只じゃすまないところだった」 「私が見たことない人でした」 まぁ、そんな人は山ほどいるんだろうけど。 「ハハ……軽蔑、した?」 「前からしているので大丈夫です」 「……そ、それは大丈夫って言わねーよ」 俊希は鳴の言葉に動揺したようにそう突っ込んできた。 鳴は静かに俊希を見、ふぅと息を吐いた。 「いつまで隠れてるんですか?」 「あ、そ、そうだな……」 俊希はカーテンから出て、思い切り伸びをする。 そして、窓枠にもたれかかって、本を読んでいる鳴の様子を窺っているようだった。 けれど、それはいつものことだったので、鳴は何のことなしに、ただ小説を読み進めるだけ。 「そういやさ」 「はい」 「この前の文化祭、やっぱ、おれが思うに、場所が悪かったと思うんだよね」 「場所?」 そこでコクリと俊希が頷いた。 「人の入り、良くなかったでしょ? 折角鳴ちゃん頑張ったのにさぁ」 「別に、どうでもいいですけど」 「どうでもよくねーって! 頑張りはさ、やっぱ、それ相応に評価されるべきだろ?」 「……賞ならもらいましたよ」 「そういうんじゃなくさぁ。もっと、色んな人に見て欲しかったんだって。だって、おれみたいに本読まないヤツでも、読んじまったんだぜ? あれ、すげーいい内容だったよ」 「はぁ」 「はぁって……。鳴ちゃんって、ホント……」 鳴のなんとも言えない冷めた返しに、俊希は苦笑を漏らした。 鳴は俊希のその表情を見上げ、その後、少し顔が熱くなるのを感じながら、視線を外して呟くように言った。 「ありがとうございます」 「え?」 「誉めてもらえたことは、素直に受け止めます」 自然と口元が上がっていた。 それは自分でも驚くくらい自然に。 すると、それを見た俊希が切なそうな顔をして、その後堪えきれないように動いた。 高い背が屈んで、鳴の肩に手が置かれる。 あっという間に、唇が当たった。 持っていた小説がパサリと床に落ちた。 鳴は驚いて顔を引こうとしたが、肩を掴んでいる力が強くて、離れなかった。 「ん……む……!」 「っ……つっ!」 決死の思いで、俊希の唇を噛み、力が弱まったところを見逃さずに逃げた。 顔に血が集まってくるのが分かった。 唇に掌を当てて、軽く拭う。 少し血がついた。 俊希の血なのはすぐにわかった。 「何のつもりですか?」 「あ、や、その……」 はじめ、俊希は弁解しようとするように真面目な顔をしたが、少し考えるように俯いて、その後、はぐらかすようにニィッと笑った。 「わりぃ。ムラッとしちゃった……」 血のにじんだ口で、俊希は本当に誤魔化すように笑う。 ……そんな理由で、襲おうとしたのか。 言葉次第では、まだ、許せたかもしれないのに……。 そう思った瞬間、鳴の思考ははたと停止した。 何を考えている? そう、思ったからだった。 言葉次第でなく、何を言われたって許せることではない。 少なくとも、入学当初の頃の自分だったらそうだった。 しかも、相手は女グセのあまり良くない先輩……。 「……最低……」 「え?」 鳴の声が小さすぎて聞こえなかったのか、俊希は不安そうに眉を歪めた。 なので、鳴は思い切り彼を睨みつけた。 気圧されるように、俊希が口元を引きつらせる。 「失望しました」 それだけ言って、踵を返す。 置いてあった鞄を掴んで、逃げるように部室を出る。 気が付くと、涙がにじんでいた。 全然自覚していなかった。 いつの間にか……俊希に心を許している部分があったことに、今頃気が付くなんて。 いや、許していたどころじゃない……。 このドキドキは……。 この苦しさは……。 鳴はそんなものを何ひとつ知らないつもりだったのに。 まさか……。 自分でも、それは信じられなかった。 けれど、気持ちだけは……ただそこに横たわって、どこにも逃げて行ってはくれなかった……。 |