第三節  不完全な天使


「…………天羽は?」
 気だるそうにベッドに顔を埋めて、彼女はそうポツリと尋ねた。
 ミズキは白衣を脱いで、そのへんにバサリと投げ捨てると、ベッドに腰掛けて、彼女の長くてサラサラな、桜色の髪を優しく撫でる。
「今、探させているから、すぐに見つかるよ。人の心配はいいから、今はお眠り?」
 チタンフレームの眼鏡をクイと直して、天井を見上げ、天羽を心配するように、はぁ……とミズキはため息を吐く。
「ミズキは、天羽に甘いから」
「僕は、君たち全てが大切なだけだよ」
「よく言う。あなたが誰を一番大切にしているかなんて、誰が見ても明らかなのに」
 とぼけたようなミズキの言葉に対して、彼女は穏やかな声でそう言い、クスクス……と笑いをこぼした。
 ミズキは目を細めて、彼女の髪をもう一度撫でた。
 そんなことはないよと、そういうつもりでの手だったけど、……トワの言っていることは間違いではなかった。
「ごめんよ」
「いえ、当然じゃない。天羽は、あなたの子だもの」
 サラリとそう言って、トワはゆっくりと起き上がった。
 髪がサラサラとこぼれて、肩にかかる。
 それをふわりとかき上げて、ゆっくりと顔を上げた。
 桜色の髪がとても似合う、美人。
 睫が長く、その一挙一動にすら見惚れてしまいそうな、そんな美しさを持つ。
 そのうえ、背も高いので、本当に見目麗しいとはこのことを言うのだろう。
 見ためは17、8歳。
「まだ、起き上がっては傷に……」
 一糸纏わぬ姿を恥ずかしげもなくさらすトワに驚いて、ミズキは顔を背けながら、そう言った。
 トワはそれを見てすぐにシーツを肩から掛けて、クローゼットまでスルスルと音を立てて歩いてゆく。
「変な人。治療の時、いつも見てるのでしょう?」
「それとこれとは、別だろう」
「そう。……そうね。ごめんなさい、私、裸じゃ眠れなくって」
「わかったけど、着替えるのは、僕が出てからにしてもらえるかい?」
「ええ、そうし……うっ……」
 ハンガーの落ちる音がして、ミズキが振り返ると、トワが苦しそうにうずくまっていた。
 ミズキはすぐに反応して、後ろからトワの背中をさすった。
「大丈夫かい?」
「……ええ、さすがに、無理に、翼を広げられたから……まだ、痛いみたい」
「すまない……」
「あなたが謝ることじゃない。これは、タゴルとツムギの誓約だから……」
「けれど」
「私には、あなたを護る義務がある」
「…………」
「それが、ツムギとの、約束」
 ツムギは、ミズキの父だ。
 年下のはずの少女が、容易く、父を呼び捨てにし、まるで、母か姉のように優しく笑う。
 なんとも、違和感を感じてしまうけれど、……彼女にとって、自分はそういう存在なのだから、仕方ない。
「あ、……ねぇ? 天羽、翼の反応で探せないの?」
「……ああ、さっき、念のため、試してはみたんだけど」
「けど?」
 あごに手を当てて、真面目な顔で悩むようにしているミズキを不思議そうにトワが見つめる。
 ミズキはクシャクシャと髪を掻いて、困ったように笑う。
「反応がないんだよね。もしかしたら、壊れちゃったのかも」
「……壊れ……ることあるの? あの子の翼……。私のなら、ともかく」
「あるとは思うよ。まだまだ、研究途中なのは、確かだし」
「…………そうなの」
「う〜ん……唄でも歌ってくれたら、特殊な波長電波が出るから、すぐに見つけられそうな気もするんだけどね」
「ああ、それなら大丈夫ね」
「え?」
「あの子、私より唄下手だけど、私より、歌うの好きだもの」
 ふんわりと愛しそうに笑って、トワは纏っていたシーツをしっかりと肩から掛け直した。
「それを聞いたら、安心して眠くなったわ……1人にしてくれる?」
「うん、わかった。ゆっくり、お眠り」
「ええ、お休みなさい、ミズキ」
 トワの大人びた笑顔に、ヒラヒラとミズキは手を振って、部屋を出る。
 部屋の前では、微動だにせずに、黒いタンクトップに黒い皮パンツ姿のアインスが待っていた。
 ミズキは眼鏡を外して、アインスに微笑みかける。
「……少し眠るよ。天羽が心配ではあるんだが、僕が動くと、タゴル伯父に気取られるし……何より、世界が……ぐるぐる回ってる……から……」
 ぐらりと足元がぐらつき、ミズキの体はそのまま傾いた。
 それを冷たいアインスの手が受け止めた後、素早く持ち上げ、肩に担ぎ上げた。
「ゆっくり、お休みください、ミズキ様」
 アインスの声だけが、ミズキの耳に残った。



第四節  お姉ちゃん


 朝、目を覚ますと、女の子が自分のベッドの中で眠っていた場合、どうすればいいのだろうか?
 ミカナギは真面目な目をして、うぅん……と唸った。
 すやすや眠っていることだし、自分はさっさと起き上がって、なんでもなかったことにしようと思ったのだが、天羽がぎっちりとシャツを握り締めているものだから、動くことも出来なかった。
「……コイツ、一体なんなんだ?」
 ボリボリと膝を掻きながら、ミカナギはため息混じりに呟いた。
 昨日出会って、あの後、彼女が名前と僅かな記憶しか思い出せない、ということが分かり、カノウが、放っておけないからしばらく一緒においで、と言ったまではよかったのだが。
 どうにも、1人分増えると、宿でかかる金もバカにならないので、荷物の中に隠して、天羽を搬入したのだ。
 この先、毎度毎度、そんなスリルを味わうというのも、なかなかどうして…………楽しいじゃないか。
 ため息のはずが、なぜか、ふっと笑みが浮かんでしまうミカナギ。
「いかんいかん」
 精神衛生上良くない。
 これが毎朝続くのは、ミカナギはともかく、間違ってカノウのベッドに潜りこんだ日には、どうなるか分かったものではない。
「……ぅ……ん……」
「お。起きるか、お嬢ちゃん」
 ミカナギは微かに声を漏らした天羽に対して、そう囁いた。
 けれど、天羽は少しばかり目を開けて、ミカナギの顔を見て、すぐにすぅ……と目を閉じてしまった。
 キュッとミカナギの胸に抱きついて、すりすりと顔を寄せてくる。
「お……兄ちゃん……」
「…………。不味い。オレでも、さすがに……不味い」
 ミカナギは冷や汗をかきながら、そう呟き続ける。
 平常心だ。
 平常心を保つためにも、声を発するのをやめてはいけない。
「お兄ちゃん……。……お姉……ちゃん……」
「……? コイツ、兄妹の夢でも見てんのか? 感じ、末っ子っぽいもんなぁ……」
「トワ……お姉ちゃん……」
「え?」
 天羽の発した『トワ』という名前に、ミカナギの心臓がどくんと跳ねた。
 心臓が驚くほどの早鐘を打ち始め、右目が焼けるように熱くなってくる。
「……っ……てぇ……。なんだよ、これ……」
 疼く右目を押さえて、ミカナギはゼェゼェと息を荒げる。
 あまりの心臓の音に驚いたのか、そこでようやく天羽が目を覚ました。
「ん……あ、おはよ、ミカちゃん。……どうしたの?!」
 天羽はミカナギが苦しそうに目を押さえているのを見て、ガバリと勢いよく起き上がった。
 布団が跳ね、ばさりと床にずり落ちてゆく。
「な、なんでもね……。気にすんな」
「で、でも、苦しそう……」
「それより、トワって……誰、だ?」
「え?」
「お前の……姉さん、なんだろ? その、名に、覚えが……あ、るんだ……。教えてくれ……」
「……お姉ちゃんは、お姉ちゃん……だよ。お兄ちゃん」
「え?」
 天羽はその瞬間だけ、いつもの可愛らしい声でなく、よく透き通った綺麗な声を発した。
 それに驚いて、ミカナギは天羽の顔を見上げる。
 けれど、天羽はすぐに心配そうに顔をしかめて、ミカナギの頬を撫でるだけ。
 撫でられているうちに、ミカナギの痛みが徐々にだが、引いていく。
 天羽の静かな声のせいで、それ以上、踏み込んだ問いが出てこなかった。
 そこに、自分の手がかりがあるはずなのに、聞けなかった。
「あ……」
「だいじょぶ?」
「ああ、平気……だ。それより、お前、なんでここで寝てんだよ」
「? ああ、こっちのほうが気持ちよさそだったから♪」
「……明日から、3人分金払う。お前、別室な」
「えぇ?! なんでぇ? なんでぇ〜〜〜?! あたし、1人、いや〜〜〜!!」
 朝から元気に声を発する天羽に、ミカナギは耳を押さえる。
「キンキンキンキン、うるさいの! お嬢ちゃんは別室。絶対別室!!」
「いや〜、別室いや〜!! あたし、1人じゃ死ぬ〜。見捨てないでぇぇぇぇ!!」
「見捨てるなんて誰も言ってないだろ!!!」
「……もうー、うるさいなぁ。何の騒ぎ?」
 ジャンケンで負けて床に寝ていたカノウが不機嫌そうに声を発して、ようやく目を覚ました。
 朝から騒がしかったせいだと思うが、思い切り目が据わっている。
 頬を膨らませて、
「あと10分黙って! 10分寝るから」
 と言うと、コテンと床に横たわって、すやすやと寝息を立て始めた。
 それを見下ろして、ミカナギも天羽も、しん……と黙る。
 カノウの二度寝は、尋常じゃない。
 10分寝ると言って寝た場合、なかなか起きてはくれない。
 ミカナギははぁぁ……とため息を吐いて、頭をボリボリと掻く。
 ぐぅぅぅ〜……と天羽の腹の虫が鳴り、天羽が恥ずかしそうにお腹を押さえた。
「腹減ったか?」
 ミカナギは別段気にも留めずにそう尋ねる。
 コクンと頷く天羽。
「じゃ、少し待て。着替えたら出掛けよう」
「あ……、うん♪」
 ミカナギの少し優しい声に、別室という言葉で、少しばかりしょげていた天羽の表情に賑わいが戻った。
 子供は扱いやすくていい。
 だだをこねるのが致命的だが、……そこを抜かせば、可愛いものさ。



 ミカナギは、テーブルの向こうの婦人に向かって笑顔を向けた。
 ちょろい。
 ただ飯というのは、こんなにも容易くありつけるものだったのか。
 街に繰り出し、財布を持っているのがカノウだったことを思い出して、絶望に臥せった後、目の前に天使が現れた。
 天羽と2人で途方に暮れているところ、声を掛けられ、適当に苦労話をでっち上げて話してみたら、今の状況だ。
 ……自分の顔は、役に立つらしい。
 モグモグと人工肉を口の中に含みながら、ミカナギは幸せに顔をほころばせた。
「大変でしょう? 妹さんを連れて、ご両親を探して、世界を回っているなんて……、本当に無事だといいわね……。私みたいな人間は、プラントからの支給さえあれば、事足りるから、お金のことなんて気にせずに、たんと食べてね?」
「はい、ありがとうございます。僕はとても幸せ者です♪ お姉さんみたいな親切な方に出会えて」
「まぁ……、お姉さんだなんて、見え透いたお世辞だこと」
「あ……お気を悪くなさいましたか? あまりにもお綺麗だから、お姉さんと、僕の口が勝手に」
「……あなた、本当に可愛らしいこと言ってくださるのねぇ」
 ミカナギの困ったような表情を見て、婦人は両手を組んで、ニコリと恥らうように笑った。
 たとえ、それが嘘でも、許します。そんな声が聞こえるような、可愛らしい表情だった。
 ふと、天羽を見ると、スプーンを持ったまま、停止していた。
 不思議に思って、声を掛ける。
「どうした?」
「え、あ……えっと……お野菜、ないかな?」
「……何? お前、肉食えないの? ……あ、……そうかそうだった、すまん、兄としたことが」
 危うく失言しそうになって、ミカナギは慌てて口を塞ぎ、なんとか取り繕う。
「お野菜……って、この街ではなかなか手に入りませんよ?」
「え?」
「ここは、どうにも土壌が悪くてねぇ。プラントからの支給は、民に回るのがやっとで、レストランにはなかなか……」
「あ、そうなんすか」
「ごめんなさいねぇ?」
「いや、お姉さんのせいじゃないですから。天羽、我儘言うな。ご馳走になってるのに」
「あ、あの、親切はとても嬉しいんです、けど……、ご、ごめん、なさい……!!」
 天羽はガタガタ……と慌しく、椅子を除けると、そう叫んでレストランを出て行ってしまった。
 ミカナギも慌てて立ち上がる。
「あ、……すいません、せっかくのご厚意を」
 追おうという気持ちを抑えて、それだけはきちんと口にする。
 婦人はニッコリと笑みを浮かべて、首を横に振ってみせた。
「いいえ。あなたたちの無事を、祈っています。久方ぶりに、息子と話しているようで、楽しかったですよ」
 その笑顔は、お姉さんと呼ぶには確かに老いていたけれど、とても綺麗な、笑顔だった。
 少しだけ、反省。
 でも、この言葉は心からの言葉だから。
「オレも、旅先でこんな親切な方に会えて、本当に、心から嬉しいです。どうか、お元気で」
 深々と頭を下げ、ミカナギは天羽を追って、外へと飛び出した。
 ただでさえ、記憶喪失で、チビで、何にも出来ないのに……。
「オレから離れんなって、言ったろうが! それくらいの約束くらい守れ、ガキ!!」
 ミカナギはすれ違う人を、器用にヒラヒラかわしながら、天羽が駆けていったであろう通りに向かって、どんどんスピードを上げていった。




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