第五節  勘弁して


 ミカナギはギルドで仕事を取ってきて、そのまま街の出口へと直行した。
 正直、昨日ギルドの仕事として、イベントの前座で稼いだ金をカノウに預けたままで、飛び出してきたのは誤算だった。
 ……まぁ、実質、天羽が稼いだ金なのだから、上手いこと、天羽に還元されるとは思うのだが。
 じゃなかったら、絞めるし。
 いくら、カノウでも、そこまで考えなしに、機械に目がないわけじゃないと……信じたい。
 門を抜けて、近くの林へと駆けてゆく。
 林の中には、ここまで乗ってきたバイクが隠してあった。
 サードカーつきのバイク。
 燃料は水。
 はじめはそうではなかったのだが、カノウが細工して、燃料をどぶ水に変えた。
 タダって最高。
 そのうえ、元々、磨耗を懸念されている車輪のない、空中浮遊型のバイクなので、あとは故障でもしない限りは、全く不自由することのない、おそらくこの世界でも、一級品に近い代物だ。
 何故、自分がそんなものを持っているのか、それすら思い出せないのだが、こればかりは仕方ない。
 運転の仕方も、道の選び方も、旅の仕方も、自分の体は覚えていて、知識として必要な、自分の記憶がない。
 自分を構築するものだけが、ミカナギの頭から、すっぽり抜け落ちていたのだ。
 名前と、プラントという単語だけが、ミカナギの頭に残っていた。
 そして、もやの向こう側で、誰かが……微笑んでいる。
 微笑んでいるけれど、その人の顔は、全く見えない。
 まぁ、思い出せないことを気にしても何にもならないし。
 とりあえず、出来ることやってみようかなぁって、そういう、軽い感じ。
 立ち止まってる分が勿体無いとか、そう思ってしまうからだ。
 結構、自分はせっかちで、おそらく、自分のペースに合わせようとすると、人は疲れてしまうのではないか?
 そういう印象は、最近ある程度掴めてきた。
 だから、少しずつ覚えた(本当は思い出した、なのだが)のが、茶化すってこと。
 自分がオーバーに振舞って、真面目なことでもバカみたいに言っていれば、それほど重くならないし、相手にものしかかりすぎないかなぁと、思っていた。
 だのに……。
 ミカナギはため息を吐いて、バイクにキーを差し込んだ。
 サイドカーに荷物をどさっと投げ込んで、サドルに座り、ゴーグルをしっかりと装着する。
「勘弁して」
 ミカナギはひくついた笑顔でそう呟きを漏らす。
 何も、あそこまで言うつもりもなかったし、あんな風に言われるつもりも無かった。
 なんとなく。自分でも分かる。
 自分は……カノウを信頼していた。
 あそこまで意気投合する人間もそういなかったので、とりあえず、行けるところまでついてってみるかと、そんな軽さがあったのは確かだけれど、あの生活能力のない男の世話を焼いている内に、調子が狂ってしまったのかもしれない。
 裏切られたと、……少しだけ思う自分がいる。
「アホらし」
 ミカナギは目を細めて、もう一度ため息を吐いた。
 なんというか、ため息しか出ない。
 そのため息は自分に対してのもの。
 本当に、
「アホらし」
 何度もミカナギはそう呟いた。
 駄目なのだ。性分じゃない。停滞は、性分じゃない。
「帰りてーなー……」
 そう呟いた後に、笑いが込み上げる。
 どこに?
「それさえ、わかんないくせに」
 自分で言ってて虚しくなる。
 足を地面に思い切り落として、ミカナギは背を後ろに逸らした。
 バイクが少しばかり、重さで沈む。
 上に向けて、もう一度ため息。
 それと一緒に、グーーーと腹が鳴った。
「ま、いいや。まず、金を確保しねーと」
 気を取り直したように、ミカナギは体を起こし、キーに指を掛けた。
 クィッと回すと、バイクがバルルンと音を立てた。
「あーい、行ってみよー。目標、北に20キロ程行った洞窟にいる珍獣の毛皮!」
 無理にテンションを上げるような声で叫んで、ミカナギはハンドルを握り、グルリとアクセルを噴かした。
 バヒュン……と林から飛び出す。
 カノウが乗っている時は、いつもこのスタートダッシュで文句を言われる。
 1人は、こういう部分でとやかく言われないのが、自由でいいと思う。
 カノウが感じていた微かな不便さは、おそらく自分も感じていた。
 でも……それ以上に、なんか、1人って虚しくない?
 カノウとパーティー組むまでは、1人であちこち回っていたというのに。
 おかしなものだ。
 草原が途絶えて、砂漠へ差し掛かった。
 風で砂が舞って、口に入ってくる。
「ぺっぺっ」
 慌てて砂を吐き出し、ミカナギは首のマフラーを口元まで上げる。
 砂漠は嫌いだ。
 ただでさえ、照りつける太陽だけでも厄介だというのに、纏わりつくような砂煙は肌を不快にさせる。
 特に、ミカナギは暑さに弱く、寒さにも弱いと来ている。
 この世界は、正直ミカナギには向いていない。
「勘弁して」
 一週間ぶりに味わう不快さに、辟易したようにミカナギはため息混じりにそうぼやく。
 その時だった。
 何かが……高速スピードで落下してくるような、音がした。
 ミカナギはスピードを落とすことなく、空を見上げた。
 何か、黒いものがこちらへと向かって落ちてくる。
 突然、その黒いものが光を発し、ミカナギが走っていたすぐ横にズガーンと火柱が落ちた。
 それによって起こった爆風で、ミカナギはバイクごと横に吹っ飛び、その衝撃で、バイクのタンクからどぶ水が漏れ出してしまった。
「な、な、な……」
 ミカナギは口をパクパクさせながら、呆然と砂の中にこぼれてゆくどぶ水を見つめるだけ。
 慌てて水を止めようとした時には、もう遅かった。
 どうしようもないので、ミカナギはどぶ臭くなった手を、要らない布きれを取り出して拭う。
 けれど、臭いがそう簡単に取れるわけはない。
 再びため息を吐く。
 疫病神でも肩に乗っているのだろうか。
 そして、ゴーグルを外して、火柱の立った場所に視線を移す。
 その場所にはぽっかりと直径5mくらいの穴が出来ており、その向こう側には、長身で紫髪の男が立っているのが見えた。
 黒のマントに身を包み、静かに俯いている。
「ミズキ様、着地成功です。はい、申し訳ありません。火力を間違えました」
 『ミズキ様』という名に聞き覚えがあり、ミカナギはピクリと反応した。
 確か、昨日、天羽を狙ってきた男達の1人が、『ミズキ様』と口にしていた。
 ……ということは、奴らの仲間か。
 けれど、なぜ、それがこんなところに?
 天羽を狙っているのだとしたら、これは全くの見当外れというやつだ。
 ミカナギはゆっくりと立ち上がり、パンパン……と、ジャケットとポケットがたくさんついたカーゴパンツについた砂を払った。
「はい。だから、申し訳ありませんと。問題ありません。天羽はこの程度の衝撃なら平気です。は。……何をそんなに声を荒げているのですか? え? その声は……トワですか? ……チップが壊れるので、あまり大声はやめてください」
 淡々と、男は何かを言い続けている。
 ミカナギはどうしたものかと考えあぐねる。
 因縁をつけるのも、アリではあるのだが(むしろ因縁じゃなく、明らかに彼のせいだし)、地面に穴を空けてしまう者をまともに相手にしようなんて、ただのバカがすることだ。
 それよりも、現状を解決することに主眼を置くべきだろう。
 とりあえず、バイクを引っ張って、街まで戻って……それからどうするかを考えたほうがいい。
 砂漠にいつまでもいるわけにもいかない。
「よっこらせっと」
 ミカナギは男には全く興味のないような素振りをして、バイクを起こし、サイドカーからはみ出たバッグを元の位置に戻した。
 バイクのスピードをMAXにしてきたから、街は遥か遠くだ。
 ……そう思ったら、眩暈がした。
「ミカナギ!!」
 ふと、女性の慌てたような叫び声がミカナギを呼び止める。
 残る力で浮遊しているバイク。
 それを押して歩き出そうとした足を止めて、ミカナギは振り返った。
 なんだか、ひどく懐かしさを覚えたからだ。
 そこに立っているのは、確かに、男、なのだが。
 先ほどと少しばかり違うことがあった。
 何か……。
 その違う部分に気がついて、ミカナギは絶句した。
 男は耳から何かコードのようなものを取り出して、こちらに向けているのだ。
 何が起こっているのか、いまいち掴めない。
「トワ、あまり大きな声じゃなくても聞こえます。こちらで音量は調節できますから。……おれのチップが壊れたら、そちらに戻れないことを忘れないでください」
 また、男は静かに何かを言っており、その言葉までは、ミカナギの耳には届かなかった。
 ミカナギは警戒しながら、ジリジリと前に進む。
 あまり、関わらないほうがいいような気がした。
「ミカナギ」
 もう一度、女性の綺麗な声がした。
 今度は少しだけ落ち着いた、女性らしい発音だった。
 ミカナギは足を止め、もう一度そちらを見る。
 男がスカイブルーの瞳で、こちらを静かに見つめている。
 そして、何かを伝えるようにまた言う。
「天羽の反応が確認できません」
「なんだって?!」
 男とは別の男の声が漏れ聞こえる。
「ミズキ様、チップが壊れます」
 男は落ち着いた声で、相手にたしなめるように何かを言って、またミカナギに視線を寄越す。
 これは、明らかに、ミカナギが去ろうとしているのを、牽制している。
 ミカナギは仕方ないので、バイクから手を離して、男のほうに体を向けた。
「オーケェイ。話を聞こうじゃんか。……ただ、その前に、砂漠から出たいんだが、どう?」
 頭をカシカシ掻きながら、ミカナギは眉を歪ませてそう言った。
 ザッザッと砂を蹴りながら、こちらに歩み寄ってくる男。
「承知しました。おれも、この環境には不適合ですので、そのほうがよいかと。……が、その前に、天羽の居所を教えていただけませんか? ミズキ様がうるさいのです」
「1つ聞きたいんだが、その『ミズキ様』とやらは何者だ? ことと次第によっちゃ、オレ、お前さん返り討ちにしなくちゃならないんだよね。勿論、砂漠を出てからだけど」
「……おれは、あなたに会えば分かると、ミズキ様に言われてきたのですが?」
「…………」
 ミカナギはその言葉で、言葉を噤んだ。
 昨日の男達の時も思ったが、自分の手がかりを、確かに持っているのだ。
 その『ミズキ様』にしろ、この男にしろ。
「ご安心ください。少なくとも、攻撃はしません」
 ミカナギはその言葉に、思わず、傍に空いている穴を見下ろした。
 ……説得力のない言葉だ。
 視線の意図に気がついたのか、男は付け加える。
「これは、たまたまです。確率としては、0.0005%ほど。1%にも足りません。次はないでしょう」
 その低い確率が、こういう時に出ているから、余計に怖いのではないか。
「あ、そうでした。申し遅れました。おれはアインスと言います」
 コードの向こう側の人間が何か言ったのか、思い出したようにアインスはそう言った。
 驚きはしたけど、なんとなく順応した(早すぎるが)。
 この男は、
「ミズキ様、試作システム001です。まぁ、簡単に言えば、人型ロボットですね」
 ということなのだ。
 ミカナギは困ったように笑い、ポリポリと頭を掻く。
「あー、オレは……」
「ミカナギ」
 ミカナギも名乗ろうとしたが、先回りして、アインスが言う。
 ミカナギは動きを止めて、彼を見上げた。
 ……まぁ、コードの向こう側の人間が、こちらの名を呼んだので、名乗る必要性は、確かにないとは思うのだが。
 なんというか、初対面なのに、名乗らなくていいというのは、なんとも具合の悪い話だ。
「大丈夫。その名はもうインプットされました。……あとは、あなたという情報が必要なだけです」
 アインスは淡々とした口調で、そう言い、ミカナギの横でふよふよ浮いているバイクを、簡単に肩まで担ぎ上げた。
 ミカナギは驚いてそれを見上げるだけ。
 マントが捲くれた部分から、それほど筋肉質とは言えない腕が覗く。(ロボットならば関係ないのだろうが)
「さて、どうしましょうか? 歩きでも構いませんが、おれの背にでも乗ってくだされば、近くの街まで飛びますよ」
「……ああ、じゃ、それで、頼む」
「承知しました。どうぞ」
「え?!」
 こちらに背を向けてくるアインスに対して、ミカナギはしばし戸惑った。
 確かに……『背に乗れ』とは言ったけれど、……よくよく考えてみると、その想像図はなんとも見苦しい。
 けれど、鳴る腹には耐えられず、ミカナギはそちらを選択することにした。
 ゆっくりと、アインスの首に腕を回す。
「すまないが、街に着いたら、飯をおごってくれ……オレは、腹ペコだ」
「は。まぁ、金貨くらいなら偽造できますからお任せください」
「アインス、そういうことはわざわざ言わなくていいんだよ」
 後ろにおぶさったら、コードの向こう側の人間の声がとてもクリアに聞こえてきた。
「申し訳ありません」
「いや、謝らなくてもいいんだけど、捕まっちゃうから、気をつけてね」
「は」
 男の声は飄々とおかしそうに笑っている。
 アインスは男に声を返すと、ふわりと空に浮かび上がった。
 よく見ると、足の裏からジェット噴射のように煙が出ている。
 空の風を感じながら、ミカナギは地上を見下ろす。
 バイクなんて目ではない。
 すごいスピードだ。
 そんなことを思っていると、こちらに向けて、男が話しかけてきた。
「久しぶりだね、ミカナギ。連絡が途絶えてから、トワは物静かになる一方だったんだけど、どうだい? 昨日、君の映像を見てから、本当に元気そのものなんだ。早く戻っておいで。……あの子を、見つけていなくてもいいから、さ」
「ミズキ!!」
「ああ、ごめんごめん。だって、君の変わりようったら……」
「いつものミズキのからかいだから、真に受けないで、ミカナギ」
「……あの子?」
 ミカナギは不思議に思い、2人のそんなやりとりよりも気になったもののことを問い返した。
 コードの向こう側で、いぶかしむような声がする。
 女性のほうの声。
「ミカナギ? どうしたの? あなたは、その用件で、そこにいるのじゃない」
「…………すまないが」
 ミカナギは一度悩むように口を閉ざしたが、すぐに続けた。
「オレは記憶喪失でな。あんた達が誰なのかも、分かっていない。……ただ、トワって名前だけは聞き覚えが、ある気がする。なんか、あんたの声を聞くと、心臓がドクドク言うんだ」
「……記憶、喪失?」
「すまない」
 悲しそうな女性の声に、ミカナギは胸が締め付けられるような心地がした。
 本当に、この女性の声は、血を逆流させる。
 天羽の寝言で、名前を聞いた時もそうだった。
 なんといえばいいのだろう?
 共鳴……?
 ああ、その言葉がしっくり来る気がする。
 どんな人なのかも分からないのに、親しみと、愛しさが湧き上がる。
 けれど、自分の中に何もないから、馴れ馴れしくも出来ない。
 記憶がない分で、繋がらないコードは、こんなにも数多くある……。
 それが、彼らの登場によって、初めて、ミカナギを不安にさせた。




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